第16話

木曜日午前、香澄が夜勤明けで帰宅するのと一緒に、郁未もとうとう退院の日を迎える事になったが、予定より大事をとって、香澄のスケジュールに会わせての事だった。

平日昼間なので、鷹良や望海はいない、寂しい退院だったが、親しくなった看護師達が送ってくれた、二人でタクシーに乗って病院を後にする中、

「あーやっとこさ帰れるぅー、これも香澄姉始め整形外科の皆々様のおかですぅ」

「私は当たり前だけど皆には、あなたの変わりに宜しく言っとくわ」

「でも、病院で色んな出会いがあって、それが唯一のすくいかなあ」

「郁未は誰とでもすぐ仲良くなるものね」

「あたしにとって人は宝みたいなものだよ、出合いで色んな事が学べるから」

「郁未のそういう所は、お姉ちゃんも見習わないとね?」

「えっつ、あたしから? 香澄姉でもあるの?」

「私だって欠点は多いわよ、普通の人間だもの。郁未はその長所は自慢していいと思うよ、将来接客業何かに向いてるかもね」

「そうかな? 何か目標が見えてきた気する」

「そう、頑張りなさい、お姉ちゃんも出来る限りの応援するよ」

「ありがとう」

そう言って香澄にもたれ掛かる、香澄は妹の頭を抱えてゆっくり撫でた。


香澄は実は、海之部海浜高校のOBである、主だった進学校でもなかったこの学校で苦学をして医学大学へ合格した、OBでも優秀な生徒だった。

今でも学校へ行けば、彼女を覚えている先生が少なからず居る位である、一年生から学力はずば抜けた生徒なので恒例の伝統行事では一年、二年とランクされ、辛い思いで、楽しい思いでもたくさんある。

彼女と保険医をしている今井奈穂子先生は、同窓生なのである、東京近郊とは言え地方の社会だ世間は狭く、この地域での交遊関係は見覚えある人が結構居るのだ。

香澄は大学在学中とインターン時代は東京に居たが、両親の死亡もあり地元に戻ってきた口である、東京には今でも付き合いがあり、時々上京したり交流を深めている者もいる。

秋になって、この週末休みが取れたので、連休を使って久しぶりに上京することになっていた。

彼女は忙しいとは言え東京の医大時代から付き合っている男性が居たが、地元に戻って以来中々会えずのところへやっとスケジュールが合ったのである。

帰宅して、郁未の荷物もそこそこに、上京の準備に入る香澄、

「郁未、帰ってきて早々で悪いけど、お姉ちゃん週末東京行ってくる、後頼んだね」

「前言ってたのだよね、大変だね医者ともなると」

「快気祝い戻ってから絶対やるから、少し我慢してね」

「ううん気にしないで、久しぶりに取れた連休でしょ、羽根のばしてきてよ」

「ありがとう」

「こちらこそ、お姉ちゃんには感謝してるしあたしも子供じゃないからね」

「郁未頼もしいわね、じゃ先風呂頂くわね」

そういって香澄は浴室へ走っていく、郁未は荷物を自分の部屋へ運んでいった。

久しぶりに部屋へ入る、二週間ぶりになるか? たしか事故にあった日家を出るときは散らかっていた机やベッドの上も、キチンと片付いていた。

「お姉ちゃんが片つけてくれたんだ」

同じ部屋の望海が何時でも戻って来れるようにしておいてくれたのだろう、ふと机の上を見ると何かが置いてある、近づいて見ると造花で飾った色紙が置いてある。

手にとって読むと、香澄と望海の寄せ書きだった、

「ささやかだけどゴメンね、退院おめでとう。三人揃ったら家で祝おうね。香澄」

「心配したけど、退院おめでとう。さくらやのショート食べにいこうね。望海」

それを見たとたん、郁未の頬に涙がこぼれる、自分は本当に愛されている、心の底から実感する、郁未は誰も見ていないのに、色紙で顔を隠して一人泣いた。


香澄は、準備を整えると午後3時には自宅を出て電車で東京へ向かった、おおよそ一時間程で東京に着いて千代田区にある総合病院に向かう、病院案内で勤務医の名前を告げると職員専用のブースに入る、予め話が通っていた。

通路を抜けて職員専用エレベータで目的の階へ上がり、職員用ロッカーに荷物を預けて一般フロアへ出る、さらにエレベータを使いレストランフロアへ出る。

香澄は、そこのカフェラウンジに入ってアールグレイを頼む、地元に戻ってからは全く口にしなかった紅茶を久しぶりに飲んだ。

「うん、この味だっ」

インターン時代の思い出がその香りと伴に甦る、当時は喫茶へ行けば必ず飲んでいた、東京を離れてある意味封印していたのかもしれない。

でも今日は思い存分味わえた、待ち合わせの人それは香澄の最愛の人、蜂須賀安彦という彼、医学生時代からの付き合いだ。

思い出に浸っていると、後ろで聞き覚えのある声が香澄を呼ぶ、振り向くと蜂須賀が手を振って、来るなり彼女の前に座る。

「ゴメン、お待たせした」

こうして会うのは一年ぶりだ、少し気恥ずかしい二人、香澄も答える、

「ちょっと痩せたんじゃない?」

「この病院勤務シフトは拷問だからね、はは、ろくなもの食べてる暇ないし」

「それでもちゃんと食べないと参っちゃうわよ?」

「ありがとう、体は知っての通り頑丈だからね大丈夫、香澄も地方病院慣れた?」

「うん、家と病院梯子だけどね、家族がいっしょだから救われる」

「ああ、妹さん達元気なの?」

「話したっけ? 元気だよ末っ子が軽い事故にあったけど今日退院したし」

「そんな時来ちゃって大丈夫? ってこれ見逃したら今度いつ会えるか解らんが」

「家族の協力あっての事よ、あなたの顔を見れて安心した」

「都会ずれしてないかって? ははは」

「ここのところ忙しかったから不安だったのかも、今週末まで大丈夫なんでしょ?」

「ああ安心してくれ。君の方は大丈夫かい」

「もちろん、二日間丸々あなたの自由よ」

「それは責任重大だなー、今日泊まる所はもう決めた?」

「ううん、どうしようかと思って」

「じゃあ、ホテル俺んちで決まりだな、引っ越したんだ前より広いぞ」

「いいの?お邪魔しちゃって」

「何言ってんだ、最初からそのつもりだったろ? 住所教えても良かったのに」

「へへー、一応礼儀でね」

「よし行こう、荷物置いてメシ食いに」

そうして二人はカフェを出ていった。

二人はその後どうしたかは? 大人の話なので彼らの事はそっとしておこう、後で関連した事を彼女の帰宅後に触れるに留める事とする。


同じ頃、榛名家では一人郁未がピザを頼もうとチラシと格闘中だった、単に何を頼むか散々迷っているだけなのだが、郁未はそれが楽しくて仕方が無い。

「うーん、久しぶりにだから迷うなぁ、ミックスはハズレないけど新商品明太モッツァレラも捨てがたいなー、ヘルシー温野菜ピザも話ネタとして行っときたい」

その時チラシの隅にチラッと飛び込むものがある、四種類をクオーターワンセットで頼めるオプションを見つけたのだ、

「おっつ! これだ、これなら全部頼めるね」

値段も通常の一枚分と同じである、でも……あと一種何にするか?迷い出す、そんな事をしていると玄関で音がする、でも誰も入ってくる気配が無い、おかしいと思い様子を見に行く。

玄関を見ると望海が座りこんでいる、お疲れモードのようだ、

「お帰りお姉ちゃん、今日も大変だったみたいね」

「郁未、退院おめでとう、ゴメンね迎えに行ってあげられなくて」

「大丈夫香澄姉が送ってくれたから」

「あ、お姉ちゃん久しぶりの連休か、もう居ないんだよね」

「うん、これからピザを頼もうと思ってるんだけど食べるよね?」

「いえ、私はいい郁未だけ食べなさい」

「どうかしたの? 散々動き回ったんだから、お腹ペコペコの筈でしょ」

「疲れてるからかな、ちょっと休みたい、一人で行けるから大丈夫よ」

そう言って望海は部屋の方へ歩いて行く、部屋のドアを開けて真っ暗なまま入ってドアを閉めた、窓から街灯の光が差し込んでほの明るいので家具の位置は判る、ベッドに腰掛けため息をついた。

さっきまで望海は鷹良と居た、最近部活の帰りはいつもは話をして楽しく別れるのだが、今日は違った、別れ際に彼が思いもしなかった事を言ってきた、

「県大会終わるまで会うの止めないか?」

突然の提案に望海は自分に何か問題があるのかと申し出たが、彼は練習に集中したいとの理由からだった、確かに応援するとは言った望海だが、急な話で戸惑った。

その内に別れるポイントに着いてしまう、いつもなら彼から別れのキスを求めるのに今日は無い、不安になって望海から求めたがやむ無くあきらめて従う事になる、挨拶はしたが、後味の悪い別れとなった。

こんな状態で帰宅したのだから食欲が失せて当然である、彼の夢に付き合うということがどれだけ不安で辛いことか?初めて気付かされた。

このまま不安に耐えて待てばいいものなのか? 自分の考えの甘さを身をもって感じ、自分をどうしていいか、検討もつかない。

でも鷹良と付き合って行くにはこの問題は避けて通れないと、望海は強く思った。

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