第22話従者として




「パウル坊ちゃんや嬢チャンと違って坊主、お前さんには魔法をメインに学んでもらう。魔法についちゃ俺は門外漢だから、担当はフェリスだ」



翌日になり、朝食を終えてすぐに仕事は始まった。

前世ならば灰色ながらも労働基準法などというものがあった。が、当然この世界にそんなものはない。

6歳であろうと容赦なく働けと、そういう世界なのだ。



確かにアレも一部形骸化していたが、一応大半の子供は働けないようちゃんと機能していたはずだ。

ああ、それとも、基準値などむしろオーバーしていない方が珍しい程真っ黒に近い、建前上は白のものが、年を重ねれば白も黒になる大人の世界を知るという事か。なるほど、確かにそういう意味で、労働基準法は子供のための法律とも言えよう。



成長に合わせて大人の世界を教えてくれるのだから、ある意味で子供に優しい。

法など、解釈一つでどうとでもなるという事。社会に出たばかりで右も左も分からないルーキーは、グレーゾーンを渡り歩く古狸共には手も足も出ないという洗礼染みた教訓を得られるだろう。

皮肉な事に、主に下っ端で働く大人をメインに作られたはずなのに、決してそのためのものではないのだ。



「よろしくお願いしますね、チェスター君。君にはパウル様を守っていただかなくてはならないのです。子供とはいえお給金も出ています。しっかり学ぶこと」

「はい!」

「うん、よろしい。元気の良い返事ね」



俺を看病してくれた魔法使いの女性だ。

うん、むさ苦しい野郎よりはよっぽどいい。



「俺も一応剣術を始め、体を動かす基礎鍛練全般を教えるからそのつもりでな。オマケ程度とはいえ、格上を相手にした際動けない魔法使いは良い的になる。剣術はともかく、体の動かし方を学んで損はない。手を抜くつもりはないぞ」

「はい」

「おい、なんか俺の時若干声小さくなかったか?」

「いえ、そんなことはありません!」

「……まあいい。俺はラインだ。御屋形様――クラフト様直属の護衛だが、こうして指南役も務めさせてもらってる。よろしく頼む」

「はい!」



危ない危ない。

一応近接戦闘の訓練もしておきたいとは思っていたが、熊みたいな人間を前にすれば本能的に委縮してしまうのは仕方がないだろう。まして、俺の体が小さいせいか余計に迫力が増しているような気がするのだ。

決してあの時の事がトラウマになっているわけではない。

こういった挨拶等は、はじめが肝心なのだ。

初見での評価というのは、あれで意外と覆り難いものだ。長く付き合えば分かってもらえるなどという幻想は捨てた方がいい。

見る目がない人間というのは、いつまでも現実を見ることなく自分の抱いた最初の基準を信じるのだ。



だからこそ、もっとしっかりと出来る人間である事は勿論、きちんと見てもらえるよう嫌な人間ではないというアピールが大切になってくる。



「お前達は知らないだろうから言っておくが、本来なら貴族が安全な後衛で魔法を、従者が危険な前衛を、というのが一般的なんだ。まあたいてい後衛もお飾り程度の奴が多くはあるけどな。しかし坊ちゃんは魔法より剣が大好きでな。幸か不幸か、才能もそちらに傾いているから、魔法が使える同年代の子を探してはいたんだ。それに、もう一人の嬢チャンは獣人だからな。種族が違うから信頼できないなんて言って嫌う貴族も多いが、前衛の才能は俺ら人間なんかより抜群にいい。幸い、ここはそういう差別もないから安心しろ」



と、俺の横にいるノエルにもそう声を掛け、にこやかに微笑む。

とはいえ、元の顔が強面なせいで割と迫力のある、まるで脅しをかけるような笑顔だったが。


「よし、それじゃ嬢チャンは俺に着いてきな。しっかりしごいてやる」

「はい!」


と、ノエルの元気の良い返事を背に、ラインはのっしのっしと歩き始める。


「チェスター、ちゃんと良い子にするよーに! それじゃあまた後でね!」


と言い残し、ノエルはちょこちょことその後を追う。

そんな光景はなんだか見ていて和むが、正直納得いかない。が、いつまでもそっちに気をとられているわけにもいくまい。


「さて、それじゃチェスター君はこっちね。さっそくレッスンを始めるわよ」

「はい!」


俺は俺で、そう言って別方向へ歩き始めたフェリスの後を追って行った。






「まず従者の心得と習得すべき技能とは何か、チェスター君にはそれを学んでもらいます」



と、俺の教育係兼、直属の上司に当たるフェリスが言う。

初めての授業なのだからオリエンテーション的なものだろう。

ここにノエルはいない。

学力は魔法使いにとって、そしてパウルの従者としての必要事項だが、そちらは完全に俺任せ。ノエルには不要だと判断されたからだ。

尤も、早くも馬鹿が露見して匙を投げられたと俺はみているが。



「四年後、十歳になった時に君とパウル様、それにノエルちゃんも学校に通われる事になるわ。そこでの君の役割はパウル様の教育係と護衛よ。ラインも言っていましたが、本来なら護衛は近接武器を扱えなければならないのだけど、パウル様たっての希望とラインの推薦もあって、貴族であるパウル様が前衛という変則的な編成でいくことになりました。この意味と重要性は、くれぐれも認識しておいてください」

「はい」



これは既に聞いた事だ。

普通は貴族が安全な後方で魔法を使い、魔法も使えない者は飾りの剣を持って指揮をし、従者が前衛を任される。が、パウル本人の希望と魔法はからっきしながら前衛は優れているといった貴族としては少数派に位置する素質から、今後少人数時の有事の際はそういう編成で臨む事になった。

それにやはり、先陣を切れる貴族というのはリスクを考えてそれほど多くない分、兵の士気の面でも効果が高いとのこと。ここグランフォイツ帝国の成り立ちを考慮すれば、決して近接戦闘の技術が蔑ろにされているわけではないのだ。

まあとにかく、それだけ俺の位置は責任重大かつ重要な事というわけだ。

広く戦場を見て、かついつでもパウルの援護が出来るよう注意を払えという事に他ならない。



「そして何より勉強が嫌いな方です。ある程度先に予習してから学校へ通う子弟は多いけど、恐らく理解が遅れるパウル様はいずれ授業についていけるようにフォローが必要になってくるわ。君の仕事は責任重大よ」



今頃、当のパウルとノエルは剣術の稽古だろう。

俺が今のパウルが進んでいる場所まで座学が追いつかなければいけないらしい。

その上で一緒に授業を受け、一度の説明でパウルが分からなければ俺が教えなければならないという面倒な実践形式のシステムを作り上げてくださったのだからほんと感謝感激というやつだ。

あの馬鹿に学問を教えるのとゴリラに芸を仕込むのはどっちが楽だろうか。

それを本気で即答出来ない辺り、あいつの馬鹿さ加減が悲しくなってくる。

しばらくは座学の時間が剣術の稽古に変わる事を伝えられたあの時の喜びようは、まさに算数が体育に代わった小学生そのものだ。

尤も、ぱらぱらと教科書を捲れば小学校で習った程度の事ばかりだったので、正直苦戦しようにも出来そうにないのは助かったが。

まあ考えてみれば、時折自分でさえ忘れそうになるが、まだ6歳なのだ。その程度なのは当然とも言えよう。


「と言うわけで、まずは読み書きからね」


使い古された本に目をやると、最初に飛び込んできたのはアルファベットに似た文字。

生まれた時から思っていたが、発音は英語に似ている。尤も、ちゃんと習ったわけでもないので、この世界の読み書きは良く分からないのだが。

とはいえ、ある程度似たモノを知っているお陰で、それほど苦労せずに済みそうなのが幸いか。

当然、会話が出来るのだから単語は分かっている。後は綴りの癖さえ掴めば、覚えるのは簡単だろう。


「それじゃ始めるわよ。まずは――」






「で、あの坊主の調子はどうだ?」



初日という事もあって、さぞへばっているだろう。

フェリスは本人が座学も得意とあって、授業速度が速い。

何より、そういう点であまり他人への配慮をする人間ではないのだ。

幾ら給金を貰っての仕事とはいえ、相手は六歳児。多少の手心は加えてやらなければ、モチベーションもすぐ低下する。

俺も一応教育係としてチェスターの面倒も一緒に見なければならない。完全について行けなくなる前に、授業速度を遅らせるよう此方で言い含めて調整しておかなければならないだろう。

実際、座学の苦労は良く分かる。そう、とても良く。



「他の子を見たわけではないから何とも言えないのだけれど、優秀な貴族の子弟でもそうはいかないのではないかしら。呑み込みが速いからついつい本気を出しちゃったわね」

「……おい、それ大丈夫なのか?」

「何がかしら? チェスター君ならちょっと読み書きと歴史に苦戦していたけど、ちゃんと全部吸収していたわよ? 多分あと一週間もすればパウル様に追いつくんじゃないかしら」

「…………嘘だろ……」



お前の本気に付いてこられるのか。その意味で発した言葉は、予想だにしなかった方向に裏切られる。

こういう時には嘘どころか冗談も碌に言わない性格だと知っていながら、思わずそんな言葉が口をつくほどの衝撃。


「あの子、とても優秀ね。私も教えがいがあるし、先が楽しみだわ」


その声音には充分すぎるほどの満足感が含まれていた。

普段仕事に関しては生来のストイックさから、それほど感情を出す事のないフェリスが、だ。



幾ら他と比べて出来が悪いとは言え、パウル様が一年かけた内容を一週間? 平均的な貴族の子弟でさえ、数ヶ月はかかる代物を、農民の子が一週間?

こいつ自身が優秀だったからチェスターの凄さをあまり自覚してないのかもしれないが、俺も同じ道を通ったのだ。かなり苦戦し、やはり半年ほどかかったと記憶している。

こいつはその異常性に気付いていないのだろうか。



「……生徒じゃなく弟子にするのも悪くはないわね」

「はあ!?」



今度こそ、思わず声を上げてしまうほどに驚いた。

ただの生徒なら、別にそれほど不思議ではない。職務上の関係でそうなっただけの、ただ形だけの師弟関係だからだ。

だが弟子となると意味が違う。



魔法使いの子弟関係といえば、そこんじょそこらの子弟とは訳が違う。

生涯で唯一、この者ならばと認めた相手を弟子とし、嘘偽りなく、己の総ての知識や技能を余すことなく伝えるたった一人の弟子、唯一無二の師弟関係。

故にその性質から弟子をとらない魔法使いが大半で、とるにしても研究職の魔法使いが多いとされる師弟制度を、研究職でもないコイツがそんな事を言い出すとは思いもしなかった。

ましてそんなものに、今まで興味がある素振りも見せなかったのだから。



「何を驚いているのかしら? 実際、チェスター君の能力の高さなら知っているでしょう? それに、もし私に何かあって抜けてしまえば、次がいないもの」

「たしかにそうだが……」



こいつが頭一つどころか二つ三つも飛び抜けているからこそ、この若さにしてこの領地の魔法使いを束ねる存在になっているが、逆にこいつがいなくなれば次がいない。それなりに優秀な魔法使いはいるが実質横並び。年功序列、人格、経験を考慮して、一応フェリスの次になる存在がいないわけではないが、やはり戦場で背中を預けるにしては今一つ頼りないというのもまた事実。



しかし魔法使いなどそうそうおらず、まして優秀な、とくれば本当に数が少ない。

確かにあの時見せたチェスターの能力は本物だろう。

鍛えればフェリスを超える存在にもなると、そんな確信染みた予感がある。

これは……。しばらくは剣術の稽古に集中出来ると喜んでいたパウル様に残念な報告をしなければならないだろう。

いや、それとも吉報になるのだろうか。

お気に入りの従者がこれほどまでに優れているのだ。ならば主として、鼻は高いのではないか。



どんな反応を返すか分からないがとにかくやはりあの坊主は、余裕を持って充分高めに見積もっていたモノをあっさり越えるくらいに優秀だったと言う事だ。

末恐ろしくも頼もしいが、きっちり忠誠心を植えつけておかなければ危険な存在でもある。

目先の欲望であっさり仲間を裏切る人間を少なからず知っている身としては、厳重に注意を払っておくべきだろう。



一兵士程度ならば問題はないが、坊ちゃん付きの、将来この地を担う領主の護衛ともなれば、その責任は重い。

そうでなくとも、主君を立てる事の出来ない従者などいてはならない。

自分が出来る事を主君が出来ないからと言って、見下されては困るのだ。

内面を推し量るためにも接触の機会は増やさなければならないし、まだ自我の確立されていない子供だからこそ、しっかりと教育しなければならない。

密かな仕事が増えた事に対して内心溜め息をつくが、これも推薦した身が請け負うべき苦労だろう。

そういったことへの興味のなさから、その部分に関しては鈍い部下を羨望混じりに横目で見やりつつ、これからの事についてフェリスと相談を重ねた。


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