二章

第21話屋敷到着



「でけえ……」

「すっごいね、チェスター……」



子どもということもあって、特別待遇で馬車に揺られる事二時間。

馬車から降りてすぐに二人して呆けてしまうほど、間近で見上げた屋敷は大きかった。


「ふふーん、スゲーだろ!」


得意になるパウルだったが、そうなってしまうのも仕方がないと思ってしまう程に、この屋敷は大きかった。

なるほど、こんな物を持っていられるだけで、確かに持っていない側は貴族に対する畏怖を抱いてしまうだろう。



普通の人間ならば生涯かかっても、いや、そもそもこんな家を持とうとさえ思えないほどに、圧倒的な格の差を嫌でも思い知らされるのだ。

端から端まで何百メートルあるのだろうか。

正面で客を出迎える門は3メートル程もあり、更には奥に覗く離れや正面にある広い、しかし細部にまで手入れの行き届いた庭園。どれも維持するだけで高い金がかかっていると分からされるに充分だった。

だけどだからこそ、俺は歓喜する。

別にこんな屋敷を個人で所有出来る程金持ちになりたいわけじゃない。

無論なれるならそれに越した事はないが、現実的に考えてそれなりに大きな家に住み、それなりに安定した生活が出来、それなりに上手い飯を食えればそれでいい。

それまでの期間、金を貯めるまで、この屋敷の一部屋で過ごせるのだ。

つまり充分に安定した衣食住が確約されたと言っても過言ではあるまい。

更には従者として、炊事洗濯などに時間を掛けるともなく、訓練等に集中して取り組める。そんな感動を覚えながら、俺達は屋敷の門を潜った。





素晴らしい。



俺は今、この屋敷に来て最大の感動を味わっている。

夕食にはなんと、小さめとはいえれっきとした肉があったのだ。そして何より、パンとスープ、そして野菜炒めはお代わり自由。

まさに、素晴らしいの一言に尽きる。予定ではいるはずのなかった馬鹿がついてこようと、そんな事があまりに些細に思えてしまう程に強く感動していた。

さらば幼虫、そして大歓迎しよう文明人の食事よ!


「チェスター、行こ! 早く食べよーよ!」


思わず感動に足を止めてしまった俺の手をノエルが強く引き、ようやく意識が現実に戻される。

ノエルも俺と同じく、少なからず興奮しているようだった。食堂特有の料理の匂いが充満した部屋を前に、その匂いが漂ってくるせいで我慢がきかなくなったのだろう。

おぼんをとり、一品一品料理を受け取り、そして適当な空席についてさっそく食べ始める。



まずはスープを一掬いし、口へ運んで再び感動を味わう。

適当に掬っただけで、スプーンにはちゃんと具がのっている。そう、具があるのだ! しかも味もしっかりしている。塩をケチることなく、具は色とりどりで原型を留めている。

これだけでも、ここへ来てよかったと強く思う。

これがお代わり自由とは、実に素晴らしい。

これほどまでに素晴らしい職場ならば一社員、一従者として真摯に働く事も吝かではないだろう。

と、一口一口噛みしめるようゆっくり味わいながら食べる俺とは正反対に、ノエルはまるで早食い競争のように手当たり次第に料理を口へ運ぶ。

とはいえ味はお気に召したようで、やはりノエルの顔にも満面の笑みが浮かんでいた。

周囲にもまた、誰もいないのがいい。昼には少々早い時間ではあったが、一通り案内をしていると食いっぱぐれる可能性が非常に高いとのこと。だから案内ついでにと食事を先に始めたのだ。お陰で誰にも気兼ねせず、争奪戦にもならず、思う存分食べる事が出来た。







「さて、ここがノエルちゃんとチェスター君の部屋よ。急の空き部屋だからちょっと二人には大きいかもしれないけど、近々タンス等の家具も増えるから多分丁度良くなるはずよ。あまり散らかさないようにね」

「やった! チェスター、いっしょのお布団でねよーね!」

「…………え?」



いや、雇われの身でここまで用意され、文句は言えないのだが文句を言いたい。

男女6歳にして同衾せず、なんて言葉もあるのだ。つーかベッドはちゃんと二つあるんだから、お前となんか寝るか、馬鹿。それ以前になんで同じ部屋なんだ。



「それじゃ今日は疲れただろうから、ゆっくり休んで明日に備えなさい。あ、そろそろ晩御飯だから、早目に食堂へ行った方がいいわ、今なら誰もいないでしょうけど、訓練の終わった兵士が来ればすぐに埋まっちゃうから」

「はーい!」

「いや……え?」



俺の戸惑っている姿に気付いているだろうに、フェリスは気付かぬふりをしてさっさとこの部屋を後にする。

部屋に残されたのは俺とノエルの二人だけ。此方はフェリスとは対照的に、俺の戸惑いにも気付かなかったかのようにベッドへ一直線、勢いを緩めることなくダイブした。


「ぼっふーん」


自分でそんな擬音を口に出しながら、しかし思いの外柔らかくなかったのか不満気な顔。両手で押しこんでみたり枕を抱きしめてみたりと、色々と寝心地を試しているようだった。

そうだな、そんなに快適な睡眠が大事だと分かっているなら、俺も快適な睡眠をとれるよう気を遣ってくれないかな。

窓から差し込んでくる夕陽がおおよその時刻を告げる。



屋敷が広いばかりに、案内だけでかなりの時間がかかったのだろう。日の入りと共に寝入り、日の出と共に起きる。と言うのは少々大袈裟だが、夜はやはり灯りの関係で早めに就寝し、日の出と共に起きるのが一般的な世界だ。

部屋を検めるのは別に後でも良いだろう。


「ノエル、晩飯食いに行くぞ」

「うん!」


そう告げた瞬間、ノエルは倒れ込んでいたベッドから跳ね起き、すぐに部屋を出る。


「ごっはん、ごっはん、きょ~のごっはんはなんだっろな~」


昼食がお気に召したのか、晩御飯も楽しみだとばかりに自作の歌を即興で口ずさみながら、ノエルは上機嫌に俺の腕を引っ張って部屋を出た。








「ほら、食ったら歯を磨け、歯を。虫歯になってもしらねーぞ」

「う~、やだ~、ちぇすたーがみがいて~」



と、お腹いっぱい食べたせいか旅の疲れが出たか。もはやおねむ状態でぐずってるノエルを引っ張って、ノエル口の中に歯ブラシを突っ込む。

と言うかこんなに世話焼かせといて誰が姉だ、誰が。一生認める気はないが。

面倒ではあるが、それでも騒がれないだけマシだろう。最悪テンションが振り切れたノエルに付き合わされ、眠れない可能性もあっただけにまだマシな展開だ。

歯磨きを終え、ベッドに引き摺りながら運び込んでやると、すぐに寝息を立て始める。それに続くように、俺も日課の魔法を使い終わった後で眠りについた。






「……………………」

「…………」



息がつまるような寝苦しさのせいで、俺は目を覚ました。

まだ部屋は暗く、どう考えても夜も半ばだ。

まだ幼いおかげか、夜中に目を覚ました経験など数えるほどしかないのだが……と、半ば現実逃避染みた思考は、嫌でも目に入る異物のせいですぐ現実に引き戻される。

もう離さないとばかりに俺の腕を抱きしめる腕、視界いっぱいに広がる幸せそうな寝顔。仮にも男と寝ているというのに、そこに警戒心なんてものは欠片も存在しない。

まあこの歳でそんな事を気にされれば困るのだが、それにしたってなんかあるだろう、なんか。

大方トイレに起きて、そのまま寝ぼけてか狙ってかは知らないが、俺の布団にもぐりこんできた模様。


「…………むにゃむにゃ……もうたべられない」


なんてテンプレな……と思いつつも、晩飯はかなりの量を食べてたからそんな寝言も出るのだろう。

何の悩みもなさそうな能天気な寝顔を見てると、なんとか起こして引き剥がそうとする俺の方が悪者になった気分。

鼻でも摘まんでやろうと思い、顔の前まで伸ばした手をそっと元に戻そうとしたその時――


「いただきまーす!」

「…………は?」


そんな言葉と共に、ちょうど目の前にあった俺の手に噛みついてくる。



「〰〰〰〰っ!! このバカ、離せ! クソッ、痛いつってんだ馬鹿! つーか今もう食べられないっつったろ! 自分が言った事もう忘れたのか、この馬鹿!」



夜中だからこそ叫びはしなかったものの、痛みを堪え、抑えめに怒鳴る俺とは違い、意識のないこいつにはなんの遠慮もあるはずがない。

きっとこのバカは、夢の中で極上の肉でも食べているのだろう。

現にもぐもぐと俺の腕を咀嚼している。

思いつく限りの罵詈雑言は勿論、痛みに耐えうる範囲であれこれ腕を動かしたり押しのけようとしてみたものの、コイツは食いつくと中々離さないようだ。それに、両腕が拘束されているのもキツイ。

普通これだけやれば目を覚ますと思うのだが、随分と寝つきの良い事だ。

それからしばらくの格闘の末、ようやく口を離す。

手にはべっとりと唾液がつき、ノエルの口とかけ橋を作るほど。



「ちぇすたー……おいしかった……」

「…………」



それは夢の中でも横にいる俺にそう告げているのか、それとも文字通り俺が上手かったと言っているのか。

いや、もう知らん。

先の騒動で緩んだ腕から俺の腕を抜き、ノエルの服で唾液を拭ってから空いているノエルのベッドへと潜り込む。

尤も、先の騒動で完全に目が覚めてしまい、寝付くのに時間はかかりそうだったが。




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