第6話へっぽ子
子供に負けたというのはどうしようもないほどに屈辱だ。それもあのバカに、文明人かつ大人の俺が、三度も続けてだ。
度重なる敗北という揺るがない事実だけは、内心とても穏やかではいられないながらも受け止められている。
だからこそ、新手の対応策を練る事が出来た。
現状では持って生まれたモノが大きく左右するため、俺では逆立ちしたってノエルには勝てない。それはどうしようもない事だ。最初に距離を稼いでも、その身体能力と嗅覚を以って詰められる。
臭いを打ち消すようより強い臭いを発する草などをすりつぶして身に纏う事も考えはしたが、それすらタネが割れれば目印にしかならない。むしろ好奇心の塊のような相手だ。それ以前にばれる前から興味を引く可能性さえある。
それに、そんな物があるのは森の中だ。大人の言う事を破るわけにもいくまい。だから仕方がないが、実に、心底残念ながら諦める事にしよう。いいアイデアだと思っていたのだが。
つまり、何をやっても行き詰る事になる。
だからこそ、発想の転換を強いられた。
戦略的コンセプトを切り替え、逃げるのではなく自ら近づくというまさしく逆転の発想だ。
獣人の身体能力は役に立つ。
単純計算、労働力が二倍になったと思えば良い。いや、今の自分より、単純な労働力としてなら上なのだ。
それに何より、狩りに猟犬は欠かせないパートナーだ。嗅覚の鋭さは証明済みなのだ。そう割り切って、犬の調教をしていると思えばいい。
バカとはさみは使いようだと、どこぞの誰かも言っていた。いや、もしかすれば犬とハサミみだろうか……? まあどちらにせよ、意味は変わらないのだからどっちだっていい。
とにかくこれは一種犬の躾であり文明人らしい行動であって、断じてノエル相手に降参したわけではなく、俺が目指すべき方向性も何ら変わっていない。
むしろ利用し、効率良く目標を達成するための駒とする。
中々言う事を聞きそうにないじゃじゃ馬だが、扱い方さえ覚えればきっとなんとかなるだろう。
敗北は誰にでも訪れる。では、勝者として数えられるのはどのような人間であるのか。
それは多種多様であるために、答えもまた複数あるが、少なくとも敗北から何も学ばない人間こそが真の敗者なのだという事を教えてやる。
最後に笑っていられるのは誰かってことをな!
「ノエル、ステイ」
「すてい?」
と言うわけで、さっそく家へ来たノエルを連れ出し、訓練(ちょうきょう)を開始する。
「いいからそこで待て。いいか、俺が良しと言うまで近づくなよ」
「わかった!」
まずは基本の待てだろう。お手は訓練するまでもないのだから必要ない。
当のノエルは新手の遊びだとでも思ったのか、笑顔を浮かべたまま言われたとおりじっとしている。
俺は俺でその場所から十歩ほどの位置で立ち止まり、ただ無言でノエルと向き合う。
「ねえ、まだー?」
「まだだ、まだそこで待機」
「うぅ、わかった……」
しぶしぶながら了承したのを眺め、とりあえず言う事を聞いている事に対して安堵する。
「うぅぅ……」
だが、少し時間が経過しただけで低く唸るような声が漏れ始めた。
本人は無自覚なのだろうが、尻尾はまるで何かを叩くかのように何度も揺さぶられ、明らかに我慢の限界だと体で表現している。
限界は少しずつ引き延ばせばいい。
既にその限界ライン一歩手前なのだから、あまり無理をさせない。だけどまだ待たせたまま、十秒後にようやく動く事を許可する。
「良し、来い!」
「うん!」
溜まり切ったフラストレーションを発散させようと、ノエルが全力で飛びかかってくるのは分かり切っている。
そう、待ては本来、餌を前にするからこそ効果がある訓練なのだ。ならばこの時の餌が何なのかは、我ながら認めたくもないので言うまでもない。
今すぐに避けるべきだと本能も理性も告げるが、辛うじて残った一部の理性を働かせて敢えて踏みとどまって受けとめた。
「ゴフッ」
ドンっと激しい衝撃が胸を中心に走り、肺から空気が漏れ、勢いの全てを受けとめられなかった体はそのまま地面に倒れ込む。
だが我慢だ。
今ノエルを手なずけるかどうかで、今後の動きやすさが大きく変わってくる。
何より、調教の基本は飴と鞭だ。
「良く出来たな」
だから加減をしろと怒鳴りたいのを押し殺し、そう言って頭を撫でると、心地良さそうに目を細めてもっと褒めてと言わんばかりに頭をぐいぐい押しつけてくる。
「くうぅぅ~ん」
ノエルの意を汲んで、頭を撫でながらもう片方の手はあやすように背中をさすり、次に喉元を撫でてやれば気持ちの良さそうな声をあげる。
だが、ここまでだ。
弛緩しきった体を一瞬で払いのけ、立ち上がって距離を置く。
「よし、今日はこれまでだ。今後は毎日これをやるぞ」
「ええ~」
「上手に出来たらご褒美をやる」
「ご褒美!?」
頬を膨らませて抗議するノエルだったが、それも一瞬。ご褒美と言う言葉に釣られ、容易く屈した。
それにしても――
「首輪でもあれば楽なんだがなあ」
そうであればリードを木に巻きつけ、一日中放置してやるだけでいい。俺はこんな事なんてしなくても良いし、肉体的、精神的な自由を得るだろう。
……いや、まあさすがにそれをやるのは良心が痛むが、だからといってそんな事を気にしているうちは、俺はコイツに対して何一つ有効な手が打てないのもまた事実で。
「くびわ?」
と、俺の呟いたのを聞きとったか、ノエルが首を傾げて訪ねてくる。
そう言えばこいつのように、半分犬で半分人間の場合はどうなのだろう?
人間に対して犬扱いしたということで失礼にあたるのか、それとも普通にファッション感覚で着けるのか……。
この世界の常識にはまだ疎いから、正直分からない。
そういった常識が欠けているのは自分自身分かっているが、中途半端に色んな事が分かっているせいで分かったつもりになっていた部分も意外と多かった。だから知らず常識外れの行動をとっていたりしていそうで、自分の事ながら困りものだ。
「あれだ、犬の首に巻いて逃げないようにするやつ」
まあそれでもこの世界にも犬はいるし、獣人とはやはり違って完全なペット扱いなのだから、概ね間違ってはいないと思う。
お前が動きまわれないようにするためのものだ、と言ってしまえるような性格だったら、コイツの相手も随分と楽だっただろう。
というか本当に、この世界の獣人の立ち位置が分からない。
だけどやはり獣人の場合、やはり一定の人権を確立してるっぽいから、とりあえずは無難な方向で行くべきだろう。
「あ、わかった! おとーさんとおかーさんがたいせつにしてるやつ! けっこんのあかしだって言ってた!」
「あほ、それは指輪だ」
なんで結婚指輪と首輪が逆になるんだ。
相変わらず残念な奴め。
「ん~、だったらわかんない……」
「だろうな」
首輪と指輪の区別もつかない奴に期待するだけ無駄というものだ。
初めからコイツに理解は求めていない。
「まあそれはいい。それよりこの後何をするん……いや待て! やっぱ今のなし!」
なんで俺は当たり前のようにコイツを遊びに誘おうとしていたんだ! コイツに近づくのは、あくまで調教の時だけ。つまり一緒に遊ぶのはなしだと線引きしていたというのに、俺は知らず洗脳されかかっていたというのか!
にこにこと相変わらずの笑顔を浮かべているノエルは、何も気付いていないように、しかし次は何をするのか期待しているかのような笑顔。
生憎と、まだノエルを撒く手段は思いつかず、つまり現状を打破するだけの策がない。
仕方がないが今はまだ基礎体力の向上をするべきだということだろう。
「よし、仕方がないからあっちこっち探索するぞ」
「うん!」
それで何か思いつくかもしれないし、使えそうなものが見つかるかもしれない。
気乗りはしないが、今はそれ以外の方法を思いつかないため、そうする事にした。
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