第5話残念な子




小高い丘の上、大人達に立ち入りを禁止されている森の入口まであと少しという所で、しかしこの坂を前にして、今日も今日とて俺はノエルに捕まった。

そここそが俺が目指すゴールであり、ノエルを撒くために絶対必要な場所だというのに、あと少しの所で追いつかれてしまった。

やはりこの幼い体に坂は辛い。

元々上がっていた息は一気にピークへ達し、足が鈍ってしまうのが最大の原因だった。だがしかし、その程度の予想など出来ていないはずがない。

保険は二重三重に用意しておくものだ。



「あ、あんな所に空飛ぶ円盤が!」

「…………?」

「……………………」

「……………………??」



……おかしい、ノエルなら簡単に引っかかると思ったのに、一体どういう事だ。と言うかなにこの沈黙。

首をこてんと傾げ、何があったのかも分かってなさそうなノエルの視線が、しかし俺には痛々しい何かを見るような視線に見えるのは気のせいなのか!?

ノエルの注意を引くためにとった俺のオーバーなリアクションがいっそ恥ずかしい!

……うん、もうよそう。

ノエルならUFOに食いつくと思ったのに、むしろ無反応とかもうやだ。

せめてなんか反応してほしい……いや、待て。食いつく? もしかして……。



「あ、あんな所にこんがり焼けたジューシーなお肉が!」

「どこ!?」



先程とは打って変わって、別人のような反射速度で背後に視線をやり、キョロキョロと見渡す。

コイツ、そもそもそんな物があればそもそも匂いで気付いただろうに、なんて残念な奴だ。

だがこれはチャンスだ。

これで稼げる時間はそれほど多くない。その間になにがなんでもこの丘の頂上まで辿り着かなければならない。


「ねえ、チェスターお肉どこ?」


そして、ノエルが背後を振り返る。


「あ、もうなんでいつもきゅーにおにごっこはじめるの!」


そして俺の逃走に気付いて、怒ったとばかりに全力で追い掛けるノエル。急速に縮まる距離は、背後を振り返るまでもなくノエルが近づいてくる気配で察せられる。

だが俺の方もあと少しでゴールなのだ。

ここが最後の踏ん張りどころと限界を訴える体に鞭打って、何が何でも走り抜く。

そして背後から少し慣れてきた衝撃が走る。相変わらずこの頼りない体ではバランスを崩しそうになったが、それでも予想通りだったため堪える。



「もう、チェスターったら。めっ、だよ」



そして背後を振り返れば案の定、抱きつくようにして俺を拘束するノエルの顔が間近にあった。

一応頑張って逃走してみたものの、そこで捕まってしまった事で一時逃走を断念。

だがこれでいい。

ここまで到達する事、それが俺の計画の重大な第一段階なのだから。



「……さて、と。いい加減その手を離せ」

「やだ」

「……一応聞こうか。なんでだ?」

「だって、チェスター逃げちゃうもん」

「信用ないな。まったく、悲しくなるぜ」

「だってチェスター、いっつもどっかいこうとしちゃう……」



まったく、なんたることか。

純粋無垢を具現化したようなノエルが人を疑うという事を覚えるとは。これはもう、悪影響を与えた人物はノエルと二度と関わらないようにするべきだろう。

他の誰でもなく、ノエル自身のためにもだ。

そう、つまり俺が正義。


「だいたい、俺よりお前の方が速いんだから逃げれるもんでもないだろ」

「あ……うん!」


自分で言っておきながら悲しくなる。

確かに事実ではある。事実ではあるのだが、安心したと笑顔を浮かべるノエルを見ると非常に腹立たしい。

だがそう、俺は大人なのだ。

大人というのはどれだけ苛立とうが笑顔で接し、気が乗らなくても子供の相手をしてやらなければならない時もある。大人らしく自らを殺し、子供の我が儘にも合わせてやらなければならないものなのだ。

そう、時には逃げてはならない、立ち向かわねばならない時もあるという事だ。



「ほーらとってこい!」

「うん!」



だから全力投球で、この時のために用意していた、この村共有のおもちゃである年季の入ったボロボロのボールを投げる。

人気者のボールを奪取するのは簡単だった。

何せノエルから逃げるため、朝一で行動するのだから必然、誰よりも早くに確保出来る。俺とは違って随分とお友達の多いようで、ボールはボロボロだった。

そしてノエルは反射的に、本能的にそれを追いかけた。

此処は下り坂。当然ボールは転がり、そして当然、戻って来る時は上り坂だ。いくらノエルといえど、すぐには戻ってこれまい。


ふっ、大人には大人の戦い方があるのだ。


ニヒルな笑みを浮かべ、ボールを追いかけて行ったノエルを放って俺は再び逃走を開始する。

ノエルを撒くための算段はつけてあるのだ。

まずは真っ先に森に入り、視界から消える。そして最も厄介な匂いを断つため、匂いの強い草を潰して身に纏う。

これで俺は森に同化すると言っても良い。

そこからさらに少し深い場所にまで入ってから左に曲がり、そのまま村の中へ再び入り直す。

これでノエルは俺の事を見失うだろう。

そして、追跡も不可能だ。

そんな完璧なプランを再確認し、前日に発見していた草まであと少しまで来た。



「…………」

「…………え?」



その時、誰もいないと思っていた前方に、何かがいる気配。

思わず立ち止った所で、木の陰からそいつが姿を現した。




――森に入れば魔物がいる。




そう強く言い聞かせられてはいたが、少し入ってすぐに出るのだから心配はいらないと、そう思っていた。



「…………」

「…………は?」



ぬっと木々の間から姿を現したのは、長く、そして太い毛に覆われた、まさかり担いだ二足歩行のクマ。……く、クマ!? 最近のクマは鉞なんて担いでんの!? おい、それ金太郎のだろ! 本人に返してこいよ! そうすればちょっとは危険なイメージが……いや、減らないなこれ。鉞を軽々と担いでいる人間離れした体格に、それに見合うだけの強面は充分に怖い。



と言うか異世界のクマは立つだけじゃなく、二足歩行とか出来ちゃうんだ。へー。

あまりの迫力に目眩がし、一瞬とはいえ魂がどこかへ飛んで行って気絶しそうになってしまったせいで、体が地面に倒れ込む。

あ、いや、だがナイスだ俺! むしろファインプレー! たしか死んだふりで見逃してもらえた例もあったはず……。


「あ、なんだコイツ?」


薄眼を開けて動向を見守っていると、怪訝そうに俺を見ながら、到底人が発したとは思えないダミ声が響く。

え、ていうか喋れる? 近頃のクマは喋れる? ……なるほど、都会にいてばかりだと、こんな事も分からなくなるのか。やはり知識だけでは意外な所に陥穽がある。実態を知るなら、現地いなかに行ってしっかり学ばなければならないという事だろう。

うん、そんなわけがないよね! マズイ、この世界の魔物は二足歩行出来るだけでなく知能もあるのか! だったら俺の死んだふりなんてお見通しの可能性が出てきた。だ、だとしたらこのままじゃヤバイ! とにかく何とかしないと!

だけど相手の身長は二メートル程度とはいえ、俺の体は一メートルもない。

その差は大きすぎるし、今の俺ではどうあっても勝てない。確か足も速かったはずだから、成人でさえ逃げ切る事も無理。


「おいおい坊主、こんなとこで寝てたら魔物に食われちまうぞ。おっかさんに森に入っちゃいけないって教わらなかったのか?」


く、食われ……し、死ぬ!? と言うか殺される!


視線だけで獲物を殺せてしまいそうなほど凶悪な目付きで、ギロリと俺を睨みつける。

走馬灯が流れたせいで、様々な思い出が浮かんでは消え、それに伴って忘れていた知識もまた思い出す。

そ、そう言えば死んだふりはマズかった気がする……、なんて知識も。

くそ、なんでもう少し早く思い出さなかった。ちゃんと仕事しろよ走馬灯! もう少し早ければ、別の対応策を練れたのに。

俺が倒れているせいか、のっそのっそとゆっくり、余裕の足取りで歩み寄るクマ。

このままではマズイと判断し、素早く立ちあがったせいか、クマはビクリと一瞬だけ身を竦ませて足を止めた。

た、確か正しい対処方法は、気迫を込めながら相手の目を見て、そのまま刺激しないようゆっくりと後退れば良かったはずだ。

どの道正攻法じゃ無理だから、もはやそれに賭けるしかない!



「テメエガキのくせにやンのかゴラァ! なにガンつけてやがるンだ、ォオ?」

「ひぃっ!?」



無理無理無理! こんなんと張り合うとか絶対無理!! 誰だ睨みつければ良いとか言ってた奴は! 睨みあいでさえ対等に張り合えるわけないだろ馬鹿! そうだライフルないかライフル。ショットガンでもいいから誰か今すぐもって来い!

何やら情けない声が漏れた気もするが、こんな奴と数メートルの距離まで接近したら誰だってこうなるからノーカンだ。



だがそうこうしているうちに、もはやクマが手を伸ばせば届く距離、つまり、既に鉞の間合いに入り込んでしまっていた。

こうなったら刺激するだのなんだの言ってられない気もするが、しかし背を向けて全力疾走したところですぐに追いつかれるだろう。

どうするべきなのかも分からない。そんな絶望的な状況を覆す一手を求めている最中、変化をもたらしたのは場にそぐわない能天気な声。



「チェスター、とってきたよー!」

「あ゛?」



そこにはライフルでもショットガンでもなく、何の役にも立たないボールを持って駆け寄ってくるノエルが……ってアイツ馬鹿か!? 馬鹿だと思ってたけど馬鹿か!


「お……」


ほら見ろ。鴨が来たとばかりに、クマが思わずドン引きしてしまうほどの凶暴な笑みを浮かべる。

だと言うのに、どこぞの馬鹿は止まる気配すらない。


「クレイジー」


どこからか映画のように気取ったやけに良い発音で、その単語が脳内に流れてきた。

いや、馬鹿、ノエル。このままだとお前も胃袋の中だぞ! あの馬鹿と胃袋の中まで二人仲良くなんて全力で御免こうむる! ……いや、まあ一人でも御免だが。

思わず他人事のように見てしまっていたが、それどころではない。

つーか普通に全力疾走で来ているが、お前コイツが見えないのか!? 頭だけじゃなくて目までイカレてんのか!?

そうこうしている内に俺のすぐ横でピタリと止まり、クマの巨体をようやく見上げる。



「ベアおじちゃんおはよう!」

「おう、ノエルの嬢チャンおはよう!」

「……………………は?」



え、なに? コイツら今なんて言った?



「ってー事は、コイツが嬢チャンの言ってたチェスター君か? なあおい、俺も男だから分からねーでもねーが、幾らなんでも森に入るのはやめとけ、な? でないと、怖い魔物に喰われちまう」



さっきまで目の前の魔物に喰われそうな気がしてならなかったんですけど。と言うか今も目の前の魔物もどきが怖すぎるんですけど!



「おう坊主、返事はどうした?」

「はいぃっ!」


うん、やはり間近でじっくり見ても魔物以外の何物でもない。


「ねえベアおじちゃん、きょうは木をきらないの?」

「ん? ああ、それがおじちゃんうっかり弁当を忘れちゃってなあ。さっきうちに取りに帰ったところなんだ」

「おべんとう!?」

「おっと、嬢チャンは相変わらずみてえだな。うん、仕方ねえ。かーちゃんには内緒だぞ? じゃねーと俺が怒られちまう」


そう言って片手に持っていた革袋の中からりんごを取り出し、ノエルの前に差し出す。


「いいの!?」


無邪気に顔を輝かせた本人にとっては無意識の、しかし他人から見れば破壊力抜群のおねだりを前にやっぱりなしとは言えないだろう。そうすれば目に見えて落ち込む事が分かり切っているから、少なくとも俺でさえそれは無理だ。



「ああ、あんま果物は好きじゃねーからな。嬢チャンが食べてくれた方が、りんごも喜ぶってもんだ」

「おじちゃんありがとう!」

「いいってもんよ!」



満面の無邪気な笑みでお礼を言い、りんごを受け取ったノエルは、早速その場で齧り付く。

クマのオッサンはデレッデレの笑顔で元気よく答える。

それにしても気持ち悪い。なんであんなデレデレしてんの? おい、相手はノエルだぞ! あんな他人を振りまわしまくって迷惑掛けまくる、傍若無人を地で行くような奴だぞ。そんなやつのどこがいいんだ!

クマそのものの強面が相好を崩して笑ってる姿は、どう見ても気持ちの悪い新手のモンスター。

それだけで、やはり何も知らなければ全力疾走でこの場を後にしただろう。



「テメーなんか文句あんのか、ァア?」

「いえ、勿論なにもございません!」



まああのノエルでも、俺を振りまわさなければ歳相応どころかそれ以上にかわいらしいからね、うん。大きなおめめに人懐っこい無邪気な笑み。このおっさんがデレッデレになるのもしょうがない。だから何も変な事はない。



「もう、チェスターいじめちゃダメだよ、おじちゃん!」

「おっと、こいつぁすまねえな嬢チャン。おう坊主、おめえさんもすまなかったな」

「い、いえ! べ、別にいじめられてなんかいないですし? 怖くなんてなかったですし? このくらい、挨拶みたいなものですよ!」



そう、いじめられてなんかない。ついでに言うならビビってもない。

良くいじめの被害者などはいじめられてないと言うが、実際にそんな事ないのだからそれが全てだ。



「あ、チェスターも一口たべる? おいしいよ!」

「…………」



見れば既に一口分を残して芯だけとなったりんごを、ノエルはそう言って差し出してくる。

いや、うん。

あの食い意地の張ったノエルにしては珍しく気を遣ってくれてる事は良く分かる。だけど気を遣えるようになったのならもう少し周りを見てみようか? 背後でとても怖い顔したおじちゃんが、視線だけで魔物さえ殺せてしまいそうなほどに睨んできてるから。

このタイミングで普段は見せない気遣いを見せるとか、狙ってやったようにしか見えないからな?



そもそもあれは、お前ノエルちゃんへのプレゼントに手を出したらどうなるか分かってんだろうな、ァアン? なのか、お前これを受け取らなかったらケツの穴に手ぇ突っ込んで奥歯ガタガタ言わすぞゴラァ! なのか、どっちか分かんないんですけど? もうちょっと子供でも分かるように優しくしてほしいんですけど!



じーと見つめてくるノエルは俺の返答待ち。

ギロリと睨みつけてくるオッサンも俺の返答待ち。



だが焦るな、俺! こういう時こそ冷静に、落ちついて対処すべき時だ。

ここで受け取れば、ノエルは望み通りなのだから何も問題ない。ただ、後ろのオッサンがどう出るかは分からない。

拒否をすれば、ノエルにとって望み通りではないが、しかしノエルの食べられる分が増える。それはある意味、ノエルにとっては望み通りなのかもしれないし、そうは見えなくても、ノエルが俺に気を遣って無理して差し出している可能性もある以上、断るのが正解なのかもしれない。

だがやはり、オッサンはこっちを選んでも怒りそうな気がする。

結局、後ろのオッサンはノエルが喜ぶかどうか、その二択次第のはず。ならば――


「ノエル、ありがとうな」

「うん!」


そう言って今出来る最大限のさわやかスマイルを浮かべ、ノエルから一口分だけ残ったりんごを受け取った。

そしてすぐ、CMにも適用出来そうなほど見事なシャリッという軽快な音を立てて齧る。人生でも会心のシャリッだ。その際にきらりと光る歯を見せるのも忘れない。



どう見てもノエルは俺が食べるのを望んでいるし、ここで拒否すればそれこそ悲しませてしまうかもしれない。

果たして、ノエルは満面の笑みのまま頷く。

やはりこれで正解だった。

これでどうだ! と言わんばかりにノエルの背後に視線をやる……あれ? なんで威圧感増してんの? ……これもしかしてもしかしなくても食うなって事だった? いや、でも多分これ、受け取らなかったノエル悲しむと思うんだよね、それはそれで奥歯ガタガタ言わされるパターンだったと思うんだよね? あ、最初から詰みゲーってやつか。



「おう坊主、オメエさん、中々いい度胸してんな」

「い、いやあ、それほどでも……」



うん、ほんとそれほどじゃない。

というかノエル後ろ見ろ。なんか本領発揮したかのような、怖いオッサンがいるから。今にも人喰い殺しそうな怖い魔物もどきがいるから。

そろそろその威圧感放つのやめてくれませんか? ほら、ノエルにそんなとこ見られると嫌われちゃいますよ?


「チェスター、それじゃあそぼ!」


と、再びそこで状況を掻きまわすのはノエル。


「おや、嬢チャン。今日は肩にのっけなくてもいいのかい?」

「うーん……うん! きょうはチェスターとあそぶからだいじょーぶ!」

「おっと、そいつぁ残念だ」



それは俺も残念ですよ。

このオッサンがノエルの相手してくれればその間に逃げれたというのに……。だからそんなに俺を睨まないで怖いから!


「よーしそれじゃさっさと遊ぼうか!」

「うん!」


これ以上ここにいても心臓に悪いだけだったから、ノエルの手を引いて全力で村まで逃げた。

いや、急にノエルと遊びたくなっただけで、逃げたわけじゃあない。うん。ただまあ今日くらいは、ノエルとずっと一緒にいて……じゃなく、遊んでもいいかもしれない。うん、ただりんごのお礼で、深い意味はない。

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