#00.2 君との距離


 帰る家がある。


 当たり前のことだが、自分の帰れる場所があるというのは幸せなことだ。

 夕方になれば誰もが我が家へ帰宅する、当たり前の帰省本能。

 とぼとぼ住宅街を歩く真道歩駆は、家族の笑い声がする明かりが灯った家を恨めしそうに横目で見た。


 歩駆は気付いていたはずなのだ。


 それなのに“再び”だ。


 そう“再び”なのだ。


 平穏な日常を自分で壊す愚かな行為を“再び”してしまった。

 

 戦いが終わり歩駆が取り戻したのは渚礼奈との穏やかな日々。


 ──現実的な生活。


 小さなマンションで二人の共同生活。ここから新しくスタートするのだ。


 ──四六時中、何処からか軍の奴等に監視されている。


 様々な苦労はあるが礼奈となら乗り越えてみせる、と決意した。


 ──自分だけ肉体が成長しない。家に出ないようにした。


 礼奈はご近所と仲良くやっているのか夕飯になると、隣の夫婦か作りすぎた料理を貰ったり、逆に礼奈の方からお裾分けしている。


 ──敵だ! 敵が欲しい!


 ──否定したはずだ。俺は主人公じゃない、ただの普通の人間だ。


 ──ゴーアルター……お前は今、何処にいる?


 ──出ないならいい。それなら俺を監視してるお前ら、俺が必要なんだろ? 俺はここだ。ここにいる!



 考えが浅い、それに尽きる。


「マモル……ぐだぐだ悩むのは変えられそうにない」

 己の欲望に身を任せて何も言わず五年間も礼奈の前から姿を消してしまった。

 世界各地の研究所へ連れ回されて、最終的には月の基地に幽閉されていた、と言うか自分で行ったようなものだが連絡などは取りようもなかったし、させてもくれなかった。

 これまでのことを何と説明したらいいものか説明が苦手な歩駆には上手く言葉に出来ない。

 そうこう思案している内にマンションの扉の前まで来てしまっている。

 少し色褪せた手描きイラスト付きの表札には【渚礼奈】と【真道歩駆】の文字。出掛けているのだろうか、外から明かりは見えず人のいる気配はない。

 待つべきか、帰るべきか。

 そもそも待ったところで自分がここに帰る資格はあるわけがない。自分はもう人ならざる者なのだから。

 歩駆が諦めて帰ろうとした瞬間、ドアがそっと開いた。


「……?」

「……っ!」

「…………あーくん?」

 歩駆は駆けた。


「待って!」

「……」

「…………入りなよ」


 赤縁の眼鏡に紺色のエプロンを纏う女性。

 久しぶりに見る渚礼奈は、とても大人に見えた。


「電気ついて無かったからてっきり」

「え? あぁ何だか知らないけどブレーカーが落ちちゃって」

 そう言って礼奈は踏み台を用意してブレーカーの電源を元に戻すと部屋に明かりが戻った。


「よし、と」

「……」

「どうしたの?」

「あ、えーと……いや、何でも」

 立ちすくむ歩駆は礼奈の姿に見とれてしまった。

 肉体の成長が《ゴーアルター》の力により止まった歩駆とは対照的に、礼奈は背も髪も伸びて大人の色っぽさを醸し出している。


「座って」

 礼奈に言われるがままに歩駆は畳の上に敷かれた座布団に正座。礼奈も向かい合って座る。


「あのね、別に私はあーくんが何処に行こうが勝手ですよ。

 銀行の歩駆の……と言うか共同の口座に毎月、謎のお金が大量に増えてて私は生活に苦はないです。

 あの穀潰し私の知らない所で稼いでくれているのかなぁ? 

 なんて思ったりしてましたよ。

 でもね、そうじゃないでしょ?

 昔あーくんは私になんて言ってくれたか覚えてる?

 結局また口だけだったの?

 連絡もしないで、お金だけ渡せば満足だろうとか、そういう魂胆?

 五年って歳月は長いよ?

 お金じゃ埋まらないんだから。

 実は今、私があーくんの知らない人と付き合っている、って言ったらどうする?

 もうここはあーくんと私の家じゃない、って言ったらどうする?

 嫌でしょ?

 あーくんも私もいい年齢よ?

 あーくんは良いわよ……良くはないか。

 ずっと見た目が高校生のままとかさ。

 私は、もう女の子って年齢じゃない。

 ほら、そこの鏡を見て!

 どっからどう見ても姉と弟にしか見えないじゃん!

 こんなんじゃ、その……アレでしょ?!

 見た目はそうでもあーくんは大人なんだからさ。

 まったく、どうするのよこれから。

 本当に……どうしたいのよ君は」

 溜め込んでいた物を全て吐き出すと、礼奈の頬に一筋の涙が流れる。


「……ごめん」

 ただ一言、呟く歩駆。

 あらゆる事柄に謝罪したいが言い訳になってしまうので、ただその三文字の言葉でしか歩駆は謝れなかった。


「本当、サイテーだよね」

「ごめん」

「…………それ以外は?」

「……」

「………………はぁ、夕飯にしますか」

 深い溜め息を吐いて礼奈は立ち上がり台所へ向かう。


「カレーにしようと思ってたんだけど」

「ごめん……」

「カレー食べるの食べないの!?」

「た、食べますっ!」

「よろしい。あと、お風呂入っちゃってね……臭うよ?」

 その日、歩駆は数年ぶりに食事を取った。

 特異体質になってからというもの“空腹”を感じることはほとんど無く、月基地でも謎の薬とサプリメントしか口にしてなかった。

 礼奈の作ったカレーライスは特別な物は奈にも入っていないのに全身に力が漲るように感じて、歩駆は号泣しながら何度もおかわりをした。


 そんな幸せを感じている裏で大きな計画が動き出していることを、この時の歩駆が知るよしはなかった。

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