第102話 誰も語らぬ物語

 神社に向かう晴れ着姿の女性を恨めしく横目で見ながら、全身真っ黒いスーツを身に纏った月影瑠璃は霊園へとやって来た。

 成人式を祝うイベントに参加する事が出来なかったのが悔やまれる。自分だって彼女らの様に着飾って「久しぶり、大人になったね」などと他愛もない会話に花を咲かせたかった。

 隣のガヤガヤと若者達が騒がしくしている神社とは裏腹に、目の前の敷地は墓地と言うだけあって静まり返っていた。

 こんな日に墓参りに来る人間はほとんどいないだろう、と周りを確認しながら等間隔に並ぶ石の行列を抜けて奥へ進む。

 小高い丘の様な場所に白衣の男が一人立っていた。目の前にある小さな墓石──虹浦藍琉と名が刻まれている──を複雑な表情で見つめている。

 瑠璃は気付かれないように、そっと後ろから近づいた。


「……中身には何も無い、ファン用の墓だよ。保管していた彼女の身体はIDEALの基地と一緒に海の藻屑」

 ため息を吐き、肩を落としたその後ろ姿、力の無い声は酷く落ち込んでいる様子だった。


「…………っ」

「で、もう引退した隠居の天才に何のようだァい?」

「ヤマダ博士、貴方には二つ選択肢があります。統連軍の元で再びSVの技術者として働くか……もしくは、ここに眠ってもらうか」

 瑠璃は消音装置(サイレンサー)付きの拳銃をヤマダの白い背中に向けた。


「おーう、そんなダーティなキャラでしたっけオタク?」

「仕事なので。あれから色々とあったので……本当に無知でした」

「軍の犬に成り下がったという訳かァ」

「元々、私は軍人ですから当然の事です」

 とは言うものの瑠璃は内心こんな汚れ仕事などしたくはなかった。

 世界は未だイミテイターの脅威に晒されているのである。

 歩駆が地球を出てからというもの、敵の攻撃が更に苛烈さを増して平和だった日本にも魔の手が迫っていた。


「さあ、どっちなんですか?」

「あのさぁ……この天才の力を借りたいんですぅ助けてくださぁい! と菓子折り持って頭下げるぐらいの事が何で出来ないのかなァ?!」

 シリアスな感じは何処へやら、いつも通りのふざけた態度でヤマダが叫ぶ。


「真道歩駆君は帰ってこない。彼はもう二度と私達の前には現れないかも知れないのよ」

「そりゃゴーアルターは無敵だから、そもそも勝てるわきゃないんだよ。何故なら」

「貴方が開発した……本当にそうなのかしら?」

 トゲのある言い方にヤマダの眉がピクリと動く。


「…………何が言いたい?」

「GA01、ゴーアルターを巡っては多くの公式、非公式に関わらず犠牲が出た事が調べでわかっています。他にも博士の罪が消えた訳じゃないのよ。四年前の黒百合弾頭……グラビティミサイルをサレナ・ルージェに使わせたのは貴方なのよね?」

 瑠璃は銃のグリップを握る手を強くする。殺意を込めた鋭い視線を浴びせられても尚、ヤマダは飄々として見せる。


「……さぁ? 作ったのはそうだけど、アレは天涯の野郎が仕掛けた事……だった気がする」

 自分ではない、と惚けるヤマダ。


「どちらにしろ、私は貴方を許する事は出来ない。……でも今は、貴方の力を借りないと日本が」

「いいよ」

「…………は?」

 あまりの即答に瑠璃は思わず聞き返した。


「いいって言ったのさァ! 殺されたくは無いからね、何よりそっちの方が君にとって都合が悪いだろ? 人の嫌がる事するの、大好きァ!」

 墓石をバンバンと叩くヤマダ。


「下郎……」

「天才は常に上を目指す」

 撃つ気すら無くなってしまい瑠璃は拳銃を下ろす。なるべくなら生きて連れてこい、との命令を受けている。足ぐらい撃っても支障はないだろう、などと頭に浮かんだが、目の前の男レベルの外道に落ちる訳にはいかない。


「安心しなさいな。オチャノコサイサイ、また天才ヤマダ・アラシ様が救ってやろうじゃないか日本を。そして、このヤマダ・アラシの名は未来永劫、末代まで語られる存在となるだろう……んふ、んふふふ!」

 どんよりした天気の霊園に奇妙な笑いが木霊する。

 瑠璃は空を見上げて、少年が無事に地球へ帰還できるように願った。



 ◆◇◆◇◆



 気が付くと歩駆は見知らぬ広いコクピットに居た。

 全身にビッショリと玉の様な汗を掻き、飛び起きた衝撃で無重力の中を細かな水玉が浮遊している。それをセンサーが関知して、天井の通気孔が空気中の汗の水玉を次々と吸い込んだ。


「あれは……夢だったのか?」

 頬を引っ張るなんて古典的な事をやってみるが、しっかりと痛い。

 目の前にはヒビ割れ、大きなクレーターの出来た茶褐色の惑星が存在している。


『オートパイロットを起動しますか?』

 突然、頭に響く音声が聞こえて振り向く。それは機体の背部から発せられていた。


「黒鐘」

『私はクロガネカイナMK2。支援ユニット、ジェットフリューゲルから本体の管制システムをサポートしています」

 無機質に言う声。アイルに似てはいるが、その感情の無い口調は正しくロボそのものの喋り方だった。


「現在、本体に異常が感知され全てにアクセスが出来ない状態にあります。唯一、貴方を支援できるシステムは地球までのルートへ自動操縦で向かうオートパイロットのみです。オートパイロットを起動しますか?』

 声、クロガネMK2は無感情ながらも説明を捲し立てる。


「……ここから地球まで、どれだけ時間が必要だ?」

「およそ二万六千秒、十ヶ月ほどです」

 恐ろしい事を淡々と答えるクロガネMK2に歩駆は絶句してしまった。

 現実の無人探査船と比べれば破格のスピードだ。

 ここに来るまでの数週間は皆がくれた“餞別”で気持ちを紛らわせて何とか凌いできたが、十ヶ月も耐えられるほど食料だってない。


「だ、ダイナムドライブをフルに稼働させた場合はどうなんだ? それで行けるだろ、ノアGアークは十分の一でやれたんだ……ゴーアルターなら」

『半分以上は縮まるでしょう。しかし、そちらが手動で操縦する場合にはルートを誘導、指示する事を出来ませんが、どういたしますか?』

 その提案に歩駆は困り果てた。


「融通が効かないな」

『新たなシステムをプログラミング中です。このまま手動操作して頂けるなら早く終わりますが、オートパイロット中はプログラミングが出来ません』

「…………取り合えず、今はオートパイロットで頼む。酷く疲れた」

『了解しました。オートパイロットに切り替えます』

 心の中で舌打ちしつつ操縦をシステムに任せる。

 歩駆はシートを後ろの方に倒して、寝そべりながらスクリーンが映し出す星々の風景を眺めた。後方の冥王星が徐々に小さくなっていくと、一瞬だけ二つの光点が輝いたのが見えた気がした。


「ゴーアルター……ゴーアルターアークだ」

 ふと、そんな名前が思い付いた。半壊の《ノアGアーク》を鎧の様に纏った《ゴーアルター》だから《ゴーアルターアーク》である、と安直なネーミングである。と言っても敵などは居ない。

 周囲を見渡しても自分以外の生命の反応は全くの皆無。

 そもそも戦う必要など無い。

 この《ゴーアルターアーク》がする事は地球に帰る事だけなのだ。


「地球か……」

 ため息混じりに呟く。広がる暗黒の空間の先に光る無数の星のどれかに故郷の地球があるという。

 帰るまでが戦いだ、などと遠足みたいな事を思いつつ歩駆は仮眠を取った。



 それからである。

 始めは根拠の無い自信で、どうにか余裕がある様に振る舞えたが、限界は割りと早く来た。



 特に記録を取っていないが何日目かの事。

 遂に食料が底を尽きた。


 このままでは絶対に死ぬ。

 歩駆は気が狂った様に《ゴーアルターアーク》を無茶苦茶な勢いで飛ばした。オートパイロットで進んでいる方向へ真っ直ぐ向かえば良いはずだ、と安直な考えでやったのが裏目に出る。

 大きくルートから外れてしまったのだ。クロガネMK2が言うには、日にちで言うと十日近くはズレてしまったらしい。


 いつの頃からか、食料はとっくに尽きてしまったと言うのに生きている自分が居るのに不思議と思わなくなった。


 ただ何分、何時間、何日、何週間、と虚空を見つめ続ける。


 果てしなく広大な銀河、その神秘さを感じる余裕すら歩駆には無くなってきている。朝も夜もない変わらぬ漆黒の風景が感覚を狂わし、体感的には年単位の時間が経過している様にも思えた。


 たまの脳裏には答えの無いネガティブな感情が渦巻き続ける。


「俺は……俺の選択は間違ってなんか無いよな?」

 自分は何の為に戦い、戦いは何を意味するのか。

 何から何まで謎だらけ。だが、そんな事はどうだっていい。歩駆に取っては重要な事ではない。

 誰かに自分を肯定して欲しかった、全てはただそれだけなのだ。

 自分が宇宙に溶けてるみたいになっても考えるのを止めない。それだけには気を付けていたが、そろそろ限界かも知れない。


 手に居れた巨大ロボットで大活躍して、皆からチヤホヤされながら満足の行く人生を歩んでいくんだと、そんな有りもしない妄想は忘却の彼方へ消え去り、気力も尽き果て今は喪失感しかない。

 自分の事だけ考えてた人間の末路、自業自得。


 正しいことが何なのか、解らないまま消えていくのだ。


 地球の皆は自分を待っていてくれるのだろうか、不安で仕方がなかった。

 計器が狂いって今が何年の何月の何日かもわからない。

 宇宙空間が引き起こすウラシマ効果で実際は十年以上、下手すると百年くらい時間が経っていて、自分の事などとっくに誰からも忘れさられてしまっているのかも知れない。


「……礼奈…………」

 無性に彼女、渚礼奈に会いたい。

 その為にも一刻も早く、この夢が醒めて欲しい。

 歩駆は、そう願うだけだった。

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