第76話 カイナとレイナ

「ここならいいでしょう」

 一時間ぐらいの逃走劇を経てやって来た5階建てマンションの屋上。ちょっとした絶叫アトラクション気分を堪能して、すっかりグロッキーな歩駆と礼奈だった。


「ありがとう……その……っ」

 息も絶え絶えで言葉が出ない礼奈を見て、佳衣那は腕を組み溜め息を吐く。

 

「全く、どうしてあんな無茶な事をするんですか?」

「それは……何だか放って置けなくて。喧嘩の仲裁って得意だし」

「あんなのは警察に任せて素通りしてればいいんです。一般人がずけずけと説得するなんて事、しなくたっていいんですよ」

「でもね」

 ああ言えばこう言う、礼奈に佳衣那は呆れる。


「なぁ黒が」

 歩駆が名を呼んだ瞬間、パチィン、と弾ける音と目映い閃光を放つ平手打ちが歩駆の顔面にヒットする。小さく華奢な手からは想像も付かないほど威力があり、一瞬だけ意識が飛んだ。


「真道先輩も真道先輩です。私、幻滅しました」

「っだぁー、な……何で打つ?!」

「何もしないからです。何故、無鉄砲に飛び出す彼女を傍観してたんです? 私が居なかったらどうするつもりだったんですか?」

「それは……」

 思えば礼奈はイミテイターてある。仮に酷い事になっても死なないであろう、と心の中で思ってしまった。


「今、最低な事を考えましたね? それでも貴方はゴーアルターのパイロットとして戦った人なんですか?!」

 詰め寄る佳衣那。普段の優しげな表情とは一変して軽蔑の眼差しで歩駆を睨み、怒鳴り付けていた。


「ちょっと貴方、さっきから何なのよ。一体何者なの?!」

 歩駆を庇い礼奈が言う。


「何って、見ての通り普通の女の子です」

「普通の子は空なんて飛びません!」

「……わかりました、いいでしょう。では……」

 佳衣那はおもむろに右手の親指に伸びた爪を左手首に宛がうと、力を込めて突き刺した。


「きゃっ!? 何を」

 小さく悲鳴を上げる礼奈。佳衣那は手袋でも脱ぐ様に、ズルりと手の皮を剥ぐ。


「私は監視者。真道歩駆が人装の器足り得るかを見極めるのが役目」

 その左手は機械だった。よく見るとガラスの様な透明な表面の中に血管の様に複雑に絡み合うコードや細かなチップが埋め込まれている。


「真道歩駆……貴方はこの先、どうしたいですか?」

 佳衣那が尋ねる。


「……本当に一体、何なんだアンタ?」

「私のコードネームは鉄(クロガネ)腕(カイナ)。敵か味方か……現状の判断では、中立です」

 日が落ち込み、朱に染まる空も暗闇に侵食されていく。マンションの屋上を冷たい風が流れ込み、三人を包み込んだ。


「よく意味が解らない。中立ってどういう事だ?」

 歩駆は少女の持つ鋼鉄の腕をまじまじと見た。ここ数年、ロボット産業の目覚ましい発達が義手を精巧に作る技術にも生かされている、とはいえ空を自在に飛べるようになったとは驚きである。サイボーグに良い思い出は無いのだが。


「サイボーグでは無いですよ。自立思考型機械人形……ロボット、もしくはアンドロイドと言った方がわかりやすいでしょうか?」

 寧ろ、そちらの方が驚きだった。更に佳衣那は歩駆の考えている事まで読み取っている。


「アンドロイドって何、あーくん?」

「……話を戻しますね」

 ゴホンと一回咳払いする佳衣那。


「単刀直入に言えば貴方の戦いは未だ終わってない、と言う事です」

「終わってない? でも俺は……」

「貴方にはゴーアルターと呼ばれるexSVに乗って戦う使命がまだ有るのです」

「ちょっと待ってよ!」

 歩駆が反応するよりも先に礼奈が前に出る。


「貴女には関係ないですよ」

「関係ある。あーくんはもう戦わないの!」

「はっ? それは……何故です?」

 唇に指を当て、キョトンとして首を傾げる佳衣那。その人間らしい仕草といい、歩駆には彼女がロボットだとは思えなかった。


「彼の心の底では戦いを望んでいます。平穏な日常は飽き飽きだ、と思っています」

「嘘っ!」

「嘘じゃないです」

「嘘じゃなくても嘘なのっ!」

 押し問答をしてヒステリック気味に叫ぶ礼奈の目には、いつの間にか涙を浮かべていた。


「おいおい……こんな所で喧嘩するなよ」

「あーくんは、何処にも行かなくていいの! もう危ない事なんてしなくていいの!」

 この数ヵ月間、礼奈が歩駆の事を心配する思いが堰(せき)を切って爆発する。


「礼奈……」

 礼奈の気持ちもわからなくはない。が、歩駆もIDEALに戻りたい気持ちが無くなった訳でもない。

 現状、もう一人の自分が居るせいでどうする事も出来ないのである。

 特に悪い事が起こってないのが幸いだが、このままで大丈夫ならば礼奈と一緒に過ごすのも悪くない。


「……ダブルスタンスですね貴女。自分の正義を棚に上げて、彼には何もするなと?」

 一変し無機質な顔をする佳衣那。


「それとも、それは貴女の意思では無いのですか?」

 すると、機械である左手の人指し指を礼奈に向ける。


「本性を現しなさい」

 佳衣那の指先が一筋の光を放った。これが何を意味するか歩駆には想像が付く。しかし、体が反応出来ない一瞬の間に、光条は礼奈の胸を貫いた。


「うっ……ぁぁ……あァァァァァァーッ!!?」

 考えるよりも先に、なりふり構わず歩駆は佳衣那に拳を向けた。だが、


「真道先輩、彼女が何者か分かっているのですか?」

 顔面に振りかぶった右ストレートは空を切り、反対にカウンターを腹部に食らう。強烈な一撃は先程食べたラーメンが胃から逆流し吐瀉物となって吐き出された。


「渚礼奈は人間じゃない……イミテイターなんです。思考を停止させないで……現実から目を反らさずに」

 膝を着き、ゆっくりと地面に崩れ落ちながら、歩駆の意識はブラックアウトする。

 おぼろげになる意識の中で見たのは、佳衣那の悲しげな表情だった。





 体の痛みと、首に妙な違和感を感じて真道歩駆は目を覚ます。

 いつも使っている綿の枕ではなく、ザラザラと煩いソバ殻の詰まった固い枕だった。が、問題はそこじゃない。


「礼奈?」

 そこは見知らぬ部屋だった。

 漫画など一冊もない参考書だらけの本棚に、可愛らしいぬいぐるみが置かれたベッド。歩駆は床に敷かれた布団に寝ていたようだ。

 時計を見ると朝の七時。学校は、と思ったが今日は休日であることを思いだし、歩駆は再び眠ろうとする。


「こらこら、起きてるじゃない!」

 ドアがバタンと開かれる。フライパンをお玉で叩きながら、エプロンを着けた渚礼奈が歩駆の掛け布団を引き剥がす。


「あと……五分」

「人んちで何言ってるの、ほら」

 カーテンと窓を開ける礼奈。目映い太陽光が礼奈の部屋を明るく照し、寝ぼけ眼の歩駆はゾンビの様な呻き声を上げた。


「家まで背負ってくるの大変だったんだから、感謝してよね!」

「……そうなのか? すまない、ありがとう」

「もう……朝ごはん、食べるでしょ?」

「いや、もうちょっと寝る」

 首根っこ引っ張られ歩駆は強制的に連れてかれた。

 今日のメニューは“ワカメと油揚げの赤だし””甘い卵焼き”“焼きししゃも”である。


「そう言えば、おばさんは?」

「ボランティアで早く出掛けた。はい、ふりかけ」

「おおっ! 田中フーズの“のりたまご”じゃん!? 最近これ百均にもなくてさぁ探してたんだよ!」

 他愛もない会話をしながら歩駆と礼奈は朝食を取った。


「相変わらず礼奈の作る飯は上手いな。小学校の頃、母さんがいない時にお昼作りに来てたっけ」

 真道家は共働きで、両親が家を数日開ける事が多い。それを隣に住む渚家が歩駆の面倒を見てくれていた。

 晩御飯は渚家にご馳走になっているが、学校給食のない土曜日と休日や日曜日は礼奈が真道家にやって来て手料理を振る舞うのが恒例だった。


「うん。まだ下手でさ指中が絆創膏だらけ……」

「大騒ぎだったもんなぁ。血が出てるの見て俺も動転して救急車呼んじゃっで!」

 笑い話にしようとする歩駆とは打って変わり、礼奈の表情は暗い。


「……不器用で、火傷もしちゃって……それから、たくさん練習したのにね」

 そう言って礼奈は歩駆に自分の両手を見せる。爪も綺麗に整えられた、とても綺麗な手だが微かに震えている。


「傷とか痣ってね、自然治癒じゃ完全には消えないんだよ。この間までは“少し”残ってたのに……」

 歩駆の為に頑張って経験したものが消えていく恐怖。歩駆が見上げた礼奈の顔は今にも泣き出しそうだ。


「それとね、関係あるのか分からないけど……その、こういう事を男の子に言うのは、ちょっと……」

「何なんだよ、もったいぶらずに言ってみろ」

 歩駆は礼奈の震えた手を優しく包み込むように握ってみせる。


「あのね、あーくん……」

 決心した表情で礼奈は言う。


「生理が来ない」

 歩駆は固まった。礼奈の言う言葉の意味が理解できなかったのだ。


「あー……アレだろ? 月に一度の“あの日”だろ?」

 何となく“ソレ”がどういう事なのかは知っているが、歩駆の頭には善からぬ想像でいっぱいであった。


「だ、だからね、出来ては無いの! ……そもそも、そういう事はちゃんと結婚を前提として計画的にするべきと言うか、大体ね学生の身分でそんなのしちゃいけないと思うの。えーと、その……や、やってないから!」

 顔を真っ赤にして訳の分からない事を早口で捲し立てる礼奈。釣られて歩駆も赤くなる。

 取り敢えず二人は、熱い玄米茶を淹れて一先ず心を落ち着かせる。


「つまりね、一定周期に来るものなの。それがね、去年から全く来ないのよ……」

「知らんけど、痛いんだろ?」

「でも、それが女性として機能してる証拠なの。赤ちゃん出来る出来ないに関わってくるしね……それで」

 詳しく説明されるが男性である歩駆にはよく分からなかった。ただ一つだけ言える事は礼奈が人間ではない、〈イミテイター〉であると言う事だけだ。

 一通り喋り終えると礼奈は食卓から離れていく。ものの数秒後、礼奈は制服を自分の部屋から持ち出した。それは昨日着ていた物で、胸の中心に百円玉サイズの穴が開いていた。


「背中にもほら……中のし、下着だって着れなくなっちゃってるし」

 さすがにそれは見せてくれないんだ、と歩駆は内心ガッカリするが今は茶化す時ではない。


「あーくん、私の体どうなっちゃたの?」

 ここは正直に──お前は人間では無い〈イミテイター〉だ、と──言っていいものか、歩駆は考えた。


 言えば穏やかな日常が壊れていく。

 言わなければ礼奈は悩み苦しむ。


 歩駆はどちらも選びたくなかった。ならば一体どうするのか、と思考しても答えは見つからない。

 そんな考えあぐねる歩駆の前に現れたのは非日常の使者だった。

 突然、ベランダのガラスが大きな音を立てて割れ、外から何者かが物凄い勢いで部屋に飛び込んで、そのまま壁に体を打ち付けた。


「きゃっ! 何、何なの?!」

 驚きで礼奈が椅子から飛び上がる。 ガラス片にまみれて入って来たのは少女だった。ピッタリとしてメカニカルなスーツを身に纏い、右手からはライフル銃の砲身が生えている。


「は、早く……逃げ、て……ください」

 痛みで体を震わせながら少女が喘ぐ。歩駆達はその少女に見覚えがあった。


「黒鐘……佳衣那?」

「二人とも、早く……! て、き……敵が来る!」

 ボロボロの姿で叫ぶクロガネカイナが言う事に、困惑する歩駆と礼奈。

 そして、部屋に差し込む日の光を巨大な影が遮った。


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