第54話 マイ・スイート・ハニートラップ
クレーターベースと名付けられている通り、月の地表に出来た窪みに沿って円形状に基地が建設されている。
上から見る分には、ただのイビツな丸にしか見えないが横から見ると機銃やミサイル等の兵器が設置されている、正に鉄の要塞に相応しい巨大な壁がそびえ立っていた。
今はハイジの居る第四番ゲートは普段は利用される事のない人間用の非常口となっているらしく、そこが進入するにはもってこいの場所である、と作戦の時に天草から聞いている。
「どうやら防衛システムは……作動してないか」
大分離れた場所で乗ってきた小型艇を降りてやって来たが、これだけの設備があるからして基地に接近するモノに気付かない訳がないのだ。ましてや今はテロリストが占拠していると言うのにアッサリと近付けている。
ハイジより先に来たであろう数十メートル先の丘で派手な戦闘機とSVが立て膝を着いている。
冴刃・トールの《ゼアロット》が狙ってくださいの言わんばかりに鎮座しているが、基地からの攻撃はおろか上方で戦闘している敵のSV達からも無視されている。
奇妙極まりなかった。これは確実に何か罠だと直感するが、ここまで来て引き下がる訳にもいかない。
見える地雷でも踏み抜く、それがハイジの心情なのだ。
侵入できる所は無いかと壁を隈無く探していると、冴刃が入った後なのかロックの掛かってない扉を発見する。敵に備えて腰のホルダーから消音装置(サイレンサー)付きの拳銃を取り出しながら、ハイジは意を決して基地内に飛び込んだ。
「…………静かだ」
空気がある区画に入った事を確認してヘルメットを外す。
ハイジ以外の足音一つ無い照明の切れかかった長い廊下を慎重に進んでいく。入れる部屋を隈無く探すが誰も居なく、無音の空間に内心ビビっているハイジであった。
「単純に区画(セクション)が違うのか? それとも俺が道に迷ってるだけなのか……」
空調機の音すら不気味に感じながら、腕に装備された小型端末に基地内部の地図を表示させる。現在地を確認しながら慎重に先を進んでいくと、何処から声が聞こえてきた。通路の壁に隠れつつ耳を澄ますと、誰かが誰かに対して話しかけているようだ。
「と、言うわけなのですよ司令殿! いやぁそれにしてもお強いですね。まさか、拳銃一丁でこの場を切り抜けていたとは流石ですね!」
やたらと誉めちぎる馬鹿に明るい声は段々と近付いてきた。そのムカつく声にハイジは聞き覚えがあった。
「いやはや、本当なら三人で来るはずだったのですが彼等トロくてですねぇ、特にあのアルプス野郎は態度が大きい割りに役に立たなくて……これはもうIDEAL機動隊長の座は私に譲っていただくしか……」
「聞こえてんだよバカ」
ハイジは出会い頭に冴刃・トールの頭を銃のグリップで殴る。倒れたその拍子に冴刃の仮面がカチャン、と地面に落ちて遠くの方まで滑っていった。
「マスク、マスク!」
「天涯司令、お迎えに上がりました」
「……」
床を這いつくばって遊んでいる冴刃を放っておきながら、ハイジは天涯を出口までエスコートしようとするが、
「必要ない」
と、差し出す手を無視して歩き出す。方向的にそっちは基地の中心部であり出口とは程遠く真逆の道である。
「……気にするな、俺はまだ此所に用事がある。お前達は人質の救助を最優先しろ……もっとも、もうコイツらは」
最後の方に何かを言っている様だったが、天涯の声が小さくて何を言っているか聞き取れなかった。
軽く口を開け唖然と立ち尽くしているハイジと、マスクに異常が無いかをチェックする冴刃の後方から足音。数メートル先、左右の通路から同時に現れたのは統連軍の制服を着た男女だ。
「生存者か、おいアンタら!」
ハイジが声を掛けるが男女から返事は無く、無表情のままこちらへ早歩きで向かってくる。すると、男はポケットからカッターナイフを、女はスタンガンのパワーを最大出力にして襲いかかってきた。
「何っ、スパイだったのかコイツらっ?!」
「下がれアーデルハイド!」
驚くハイジを先程の仕返しだ、と言わんばかりに突き飛ばして冴刃は二丁の銃を抜く。
「容易い動きだ」
マスクの戦闘予測機能が男女の動きを一秒も掛からず解析する。それを瞬時に判断した冴刃は的確に左右から繰り出される攻撃を易々と回避して、弱点である“コア”に弾丸を叩き込んだ。冴刃からすればスローモーションに見える光景も、実際は五秒と掛からない戦闘だった。
「イミテイターだな、君は奴等と生身での戦闘経験があるんだろう? 不用心にも程がある」
華麗な程に瞬殺。人間では無い男女は胸から水の様に透明な液体をドプドプと垂れ流している。
「イッテーなッ……て、おい何をしてるんだ?」
尻餅をついているハイジが起き上がると冴刃は男女の死体に顔を近づけてマスクがカメラのフラッシュの様に光らせた。
「トシア・オーレイ中佐にマイ・カニーリン大尉。どちらも基地に人質にされている軍人、だった者達だな」
「それじゃあ人質は」
「考えたくはないがな…………先を急ごう」
気持ちを切り替えて長い長い通路を右へ左へ、上へ下へとひた走ること数十分。木製のとても豪勢で大きな扉の前に着いた。
「ここか冴刃、中央会議室?」
「見りゃわかる。そこに書いてあるだろう」
両開き扉の取っ手に付けられた鎖を外し重たい扉を二人で押し開いた。
「……おおっ、助けか?! 良かった!」
「やっと来た! これで帰れるぞ!」
そこには縄で腕や足を縛られた統連軍人達が数十人が部屋の中心に集められていた。全員がハイジらを見て救援に来てくれたのだと喜び声を上げる者や、嬉しさの余り号泣する者にそんな気力もなくグッタリと頭も垂れる者など様々だ。
「よし、これでいい。さぁ脱出してくれ!」
ハイジと冴刃は手分けして人質たちの縄を解く作業に取りかかる。先程に襲ってきたイミテイターの仲間が来ないか心配だったが、現れる事はなかった。
何とか全員を解放して、戦える者に先頭、怪我をしている者や非戦闘員を後方に、軍人達を幾つかに分けて並べて会議室の出入口に次々と誘導していく。
「ありがとう、ありがとう」
「はいはい、どうもぉ~…………アーデルハイド」
「押さないでくれ、順番にお願いし……何だよ?」
「もし私が、ここの逃げる人達を撃ったらどう思う?」
「ここに来て何言ってんだ、正気か?」
「全く君は鳥頭なのかね? 私には──このマスクが教えてくれるから──分かる。ここにいる半数以上はイミテイターだ」
「なっ……嘘だろ、ハッタリか?」
「既に検知した。だが、ここで私が虐殺紛いの事をしてみろ。我々の立場が危なくなる」
「今ここにいる奴は誰も俺達を狙ってこない。それなら、戦艦の奴とか二人組は何で襲ってきたんだ?」
「それは」
「ハイジっ」
不意に名前を呼ばれる。その声は冴刃ではなく逃げている群衆の中からでもなかった。
「ハイジっ、久し振り」
「…………は?」
再び何処からか語り掛ける優しい声。全ての軍人達が退室していった後、いつのまにか黒い軍服を纏った一人の女性が部屋の中央で佇んでいた。それを見たハイジの顔が固まる。
「フフフ、鳩が豆鉄砲を食らった顔ってこういう時の事なのかしら?」
「ユ……ユリーシア…………なの、か?」
「こんな美人、二人と居るの?」
肩まで伸びる綺麗なブロンドの髪を揺らしながらユリーシア・ステラは微笑んだ。
ハイジは、そんな馬鹿な、と口を大きく開けてアワアワとさせながら、そこに存在すること自体あり得ない人物が目の前に居る事に自分の目を疑った。
「だって、お前はあの時」
「黒に剣と羽のエンブレム……ガードナー!」
「おい、止めろッ!」
ハイジの横で見ていた冴刃は取り出した拳銃をユリーシアに向けた。ターゲットを睨みつつ、マスク内に彼女からのデータを引き出す。
「データ照合終了……」
「銃を下げろよ冴刃!」
「アーデルハイド、君の……IDEALの人間の経歴は皆調べてある。もちろん交遊関係もね。ユリーシア・ステラ中尉、君以上に腕の立つパイロットの様だね。だが、彼女はスパイの容疑をかけられ、逃げ出す際に機密文書を盗み逃走した所を君に」
「言うなッ!」
会議室に反響するほど叫ぶハイジ。これ以上は敵を増やすだけだ、と怒りの目するハイジを見て冴刃はそれ以上先を言うのを止めた。
「そして、今はガードナーの女。元々そうだったと言えばそうなんだけど」
「なぁユリーシア、お前は何で…………敵なんだ!?」
「敵なの、私?」
不思議そうに首を傾げるユリーシア。
「ハイジにとって私は敵?」
「わかりきった事を……お前らはテロリストであり人類の敵である、悪の宇宙人さ!」
「あら、その言い方はちょっと酷いんじゃないの? 少なくとも宇宙人ってのは取り消して欲しいな、もー!」
顔を膨らませてユリーシアはプリプリ、と怒る。和ませようとしているのだろえが、重たい空気が更に凍りつく様だ。
「模造者(イミテイター)だ、姿形を真似た所で中身はバケモノなのさ。惑わされるなよ」
「うーん……しょうがないわ、証拠を見せてあげる!」
そう言うとユリーシアは制服の袖、左腕側を捲り始めた。すると、机に置いてあったペンを一つ掴み、手首に宛がって力を入れる。
「ユリーシアッ、何をしてる!?」
「っほら、血……真っ赤な血よ。あんな水袋の半端なのと一緒にしないで欲しいわ」
ポタポタと鮮血が腕から滴り落ちる様を見せつける。唖然とするハイジと冴刃だが、しばらくすると腕の切り傷がどういう理由か見る見る内に治っていき血の流れが止まった。
「ねえハイジ、大切な人が生き返ったら貴方はどうする?」
ポケットから花柄のハンカチでうでを拭きながらユリーシアは問いかける。
「確かに、私は普通の人間では無くなってしまったわ。でも正真正銘、私は私。2027年に貴方に殺されてから今日まで生きてきた新しい身体を手に入れた。老いも無く、時が止まってしまい貴方に会いたくても会えなかったけれども……だって絶対に驚くもの」
「ユリーシア……」
「ハイジ」
一呼吸置いて、言えなかった──言えるはずのない──言葉をユリーシアは放った。
「許してあげる」
それはハイジにとって、あの日から何度も神に懺悔し続けた、彼女から聞きたくても聞けない言葉だった。
「私のせいで貴方を苦しめた。スパイだって、本当は敵なのに愛し合ってしまって、なのに知らずに殺してしまった。私は怒ってないよ? むしろ、こうして再び会えたことが嬉しいの」
「アーデルハイド、耳を貸すな! これが奴等の手なんだぞ!」
冴刃が怒鳴る。そんなハイジはどうしたらいいのか判らない困惑の表情をしていた。
「ハイジ、もし貴方がよければ私と一緒に」
「近付くんじゃあない!」
冴刃が引き金を引こうとした瞬間、ハイジの右腕が銃口を上へと向けさせる。
「何をしてるんだアーデルハイド……その手を退けろよ」
物凄い握力でガッチリと拳銃を固定され、冴刃が力任せに振り解こうとしてもハイジは決して離さなかった。
「その手を退けろよ!」
「……俺は、もうユリーシアを失いたくない」
「正気かい……? 君は、IDEALが何と戦っているのか解ってるのかな?」
「ユリーシアは敵じゃない」
「そもそも彼女、スパイだったんだろ? そして、この事態を引き起こしたテロリストだ」
「それでも……俺は」
二人が揉めていると武装した黒い制服の集団が非常口から入り込んできた。銃を向けられて互いに左右に別れて机に隠れるも、何故か武装集団はハイジを無視して冴刃を狙い撃ってきた。
「冴刃!」
「ちっ……この選択を選んだ事を後悔するよ、君はっ!」
銃弾の雨が止んだ瞬間、冴刃は立ち上がって武装集団の方に向いてマスクの目を閃光させた。ハイジを含めた全員が目を眩ませた隙を狙い、入ってきた扉に急いで走り込み会議室から脱出する。しかし、武装集団らの回復は思いの外早く、直ぐ様に冴刃を追う体勢を整えて駆け出した。
「フフフ、さようなら。冴刃・トール」
間近で見てしまい目をやられてハイジを他所に、ユリーシアは不敵な笑みを浮かべるのだった。
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