第44話

「うわぁ。車が主流になってる……」


 とりあえずミッドガルドの北欧に降りてきたロキは目を丸くした。

 自分の眼下には道をかなりのスピードで走る鉄の箱。四輪駆動車だ。


「僕が知ってるのってまだ蒸気だった気がするんだけど……」


 最後に見たミッドガルドでは、車はあったものの蒸気で走る物で、スピードも持続もなく乗りにくそうだった。確か、モーターに変えるための研究はやっていたはずだ。

 それが今は、比べ物にならに程のスピードと、乗り心地良さそうな形。カラーリングやデザインも豊富だ。道路の整備もされ、移動手段はこれが世界の主流になっているようである。


「確かに様変わりしてる。っていうかしすぎ……」


 建物も高層の物が多くなっている。人間の世界だし、彼らが望んだのならそれでもいいとは思うが、自然が少なくなっていることが嫌だ。

 神はどちらかといえば、機械にまみれた空気よりも、自然そのものの空気の方が好きなのだ。


「これは、下手に降りると変な奴扱いされそうだな」


 ここまで文化が進んでいると、自分の知らないことが多すぎる。近代的な所に降りると話がかみ合わないこともあり得る。


「と、なると。遺跡の残る町とかで情報を収集するのが良いかな」


 遺跡や旧建築物が残る場所は、その景観を守るために昔ながらの姿を留めている。いきなり都会に行くよりは良い。それに観光者も多いだろうから、この先の旅にお得な情報も収集できるだろう。


「ん~、北欧も遺跡はあるけど人少ないよね……しょうがない、ギリシャまで飛ぶか」


 そう言ってロキはパチンと指を鳴らした。もう慣れた一瞬ぶれる視界、次いでその目に飛び込んできたのは白と青。

 丘の上に聳え立つパルテノン神殿。その下に広がる白亜の町。そして、美しくも深い色をした青のエーゲ海。若干昔より人が多く、変わった部分もあるが、神聖なる地としての雰囲気はまだ残っている。


「さて、と。ここなら年齢変える位で大丈夫だよね?」


 人気のない丘から町を見下ろしロキは算段する。

 自分の容姿は心得ている。真正直にこのまま出ていくと、度胸のあるお姉様方にまとわりつかれて、身動きできなくなる可能性が大きい。ナンパする、などという考えがある時ならまだしも、今回は自由気ままにいきたいのである。


「う~ん、これぐらいでいっかな」


 ロキは魔法をかけ外見年齢を変える。ぶかぶかの服を着た自分は、おそらく人間の六歳ぐらいに見える。これなら観光者からは地元の子、地元の者には観光者の子供として見られるはずだ。

 服もこのままではいけない。遠目に見える人間を観察して似たような服にする。耳は幻術でもかけておけば良い。


「よし、準備完了!」


 このあたりの通貨をいくつかポケットに突っこみ、ロキは荷物を空間に消す。


(さぁて、楽しむぞぉ)


 久々のミッドガルドに、やりたいことがたくさん浮かぶ。ロキは心底楽しそうに笑い、町に向けて丘を駆け下りていった。



   ※ ※ ※ ※ ※




 寝返りをうった瞬間、頬に鋭い痛みが走った。慌てて逆方向に戻っても、感じてしまった痛みが気になる。少しは冷やした方が良いのかもしれない。

 そう思って、セルリアは薄い上掛けをそっとまくって起き上がった。


「もう、お昼?」 


 窓の外から見える通りは随分騒がしい。見慣れぬ人達も通っているからきっと観光客だろう。これだけの賑わいは昼頃にならないと見られない。

 随分と寝過ごしてしまった。


(昨日、遅かったし……)


 夜、もしくは昨日と言えないかもしれない。珍しく長い両親のケンカのあと、空が明るくなるまで色々とされた。母は怒鳴って出て行ったきりまだ戻っていない。きっとそのまま仕事にでも行ったんだと思う。

 セルリアは上掛けを隣で眠る妹に掛けた。服の隙間から青い痣が見える。


「ごめんね……」


 そっと頭をなでて謝る。

 いつもは自分だけだ。抵抗も、口答えも、泣きもしなければあの人はやりやすいのだろう。いつもケガをするのは自分だけだった。けれど昨日は途中で気を失ってしまって、その間セロシアに被害がいってしまったらしい。


 セルリアはベッドから降りると、転がっているいくつもの瓶を避けながら洗面所に入る。すぐに不恰好になった自分の頬が目に入った。青く膨れ上がっている。

 水で冷やそうと蛇口を捻って、今度は指に痛みが走った。昨日、瓶の破片で傷つけた物だ。


 セルリアは少し逡巡すると、水を止めて部屋に戻る。その時少し両親の寝室を覗いたが、誰もいなかった。珍しく父も出かけているらしい。

 父の顔を思い出すと、途端に昨日の恐怖も蘇る。いつものように殴られるだけではなかった。昨日はもっと――

 そこまで考え始めて、セルリアは頭を振って思いを打ち消した。考えたくない。


「救急箱……」


 とりあえずまだ消毒液はあったはずだ。それで指はなんとかなるだろう。シップはとおの昔になくなってしまったので、体は痣だらけだ。丁寧に消毒液を指に塗って、ガーゼと包帯で止めておく。気がつけば、こんなことにまで慣れてしまっていた。


 次いで床に転がる瓶と破片が目に入った。セロシアが起きてケガをするといけない。すぐに箒と塵取りで破片を取り除き、瓶は壁よりに置いておく。

 セロシアを覗き込むと、まだ起きそうにない。眠ったのが朝方なのに付け加え、たくさん泣いたから疲れているのだろう。


 セルリアはもう一度頭をなでると、台所の机に上にパンとちょっとしたサラダなどを置いた。冷蔵庫にオレンジのジュースがあることと、『ちょっと出かけてくる』と書いたメモを残しておく。

 これで大丈夫。きっと食べたら、いつものように隣のおばさんの所で犬と遊ぶんだろう。


 セルリアはそれだけのことを済ますと、服を着がえて家を出た。出かけるのは久しぶりなので、ちょっとだけ髪もいじってみる。

 そのままセロシアを起こさないように扉を閉めて、彼女は駆け出した。今日はとても良い天気だ。海もいつもよりきれいに見えるはず。

 ひそひそと聞こえる話し声に頬を隠して、セルリアは目的地に向かって全速力で走った。

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