第43話
その日も特に異常はなし。いつものようにビフレストに目を向けて、ヘイムダルは代わり映えのしない日々を過ごしていた。
特に不満を抱いてはいない。ついこの間、ロキがとんでもないことをしでかしてくれた。その事後処理やなんやらで、こういった静かな日々は久しぶりなのだ。
(そういえば、あの銀をオーディン様はどうしたんだ?)
ロキが悪戯で造った全長三十メートルの、思い出したくはないがアザラシ型の自分。一応アザラシの姿なのだが、髪型と目つきが似ていた、とは女神方の言だ。
その全てが銀でできていた。運べもしないので、自分の剣でバラバラに刻んでオーディンに謙譲したのだが、あれはどうなったのだろう。ヴァラスキャルヴの修繕にでも使うのだろうか。
(それが妥当そうだな)
自分で投げかけた疑問に、自分で答えを見出すと、ヘイムダルはまた目の前のビフレストに集中――しようした。
「……なんの用だ。ロキ」
「あれ、僕だって分かっちゃった」
いつの間にか頭の上に乗っていた金色の子犬。ヘイムダルはその首元を摘まんで眼前に持ってくる。青い瞳の子犬はさも当たり前のように喋って、笑った、ような顔をした。
放り投げるとくるっと回転し、着地した時には既に人型に戻っている。最近騒ぎを起こした神、ロキだ。
「また何かしたのか?」
そう言って、ヘイムダルはヒミンビョルグを見上げた。見た感じ特に異常はないが。
「やってないよ。君がこの間あんな小さなことで二日も追いかけてくるから大変だったよ」
あの騒ぎの日、とにかく一度斬ってやろうとロキを探して追いかけた。だが彼の逃げ足は日々進化しているようで、ようやく捕まえた時は二日も経ってしまっていた。さすがに疲れたので、頭を殴るに留めた追走劇だったのを思い出す。
「自業自得だろうが」
「普通、途中で諦めるんだけどねぇ。皆」
そう言いながら、ロキは門のそばに置いてあった袋を取り上げた。いつもと違い、かなり大きな荷物だ。
「ヘイムダル、これ許可証ね。記帳書は? 僕、出かけるから」
彼が差し出したのは、確かにアースガルドから出て行く時に必要な許可証だ。
「どこに行くんだ?」
もう一つ、どこに行くかを書かなければならない紙をロキに渡す。
ロキがフラフラと出て行くのは珍しくないが、この大荷物は珍しい。彼は大抵、手に乗る範囲の物、もしくは腰に剣を挿すぐらいだ。それすら魔法で空間に消していることもある。
その彼がこの荷物。何事か。
「ミッドガルド。旅に出るからしばらく戻ってこないよ」
「それは静かでありがたいな」
「うわ~、そういうこと言うんだ」
口ではそう言うものの、ロキの顔は非常に楽しそうだ。とてもワクワクしていると言った感じである。
「退屈……だったのか?」
「……はぁ。君といいフレイといい、聡いね。トールも最近『暇そうだな』って言ってくるし。僕そんなに顔に出てるのかな?」
ロキは名前と行き先を書いて紙を返してきた。
「顔、というよりは雰囲気が」
ロキはなかなか表情を読ませない。それは笑顔だったり、不敵な笑みだったりで、決して心の内の深いところを見せようとはしない。一瞬の変化や、雰囲気の違いを見分けられるのは、長い付き合いだからだろう。
「まあ、ね。それなりに退屈だった。穏やかにって感じでもなかったし。そしたらオーディンが、ミッドガルドが随分変わったって言うからさ。行ってみようと思って」
「そうか……」
「うん。それじゃあ行ってくるよ。お土産は持って帰ってくるから楽しみにしててね!」
言うが早いか、彼は荷物を持ち上げさっさとビフレスト下りて行く。ミッドガルドは広い。そしてここよりも変わった物が数多くある。数年はロキも退屈しないだろう。
だがヘイムダルは思う。ロキに必要なのは、退屈しない日々ではなく。繰り返しても飽きない日々ではないのか、と。だが今の神界にそれを作り出せる者などいない。
(無意味な考えか)
神界で子孫が生まれるのは珍しい。その中から眼鏡にかなう者が出てくるのを待っている間に、ロキは退屈してしまうだろう。できないことを考えても無意味だ。
まだ自分の目にはハッキリ映るロキの背。ミッドガルドで少しはストレスを発散してきてくれるとありがたい。
そう思いながら見送っていると、ヘイムダルは、はたと気づいた。
(ミッドガルドに変わった物が多いなら、土産も変わった物になるのでは……)
しばし中空に目をやり、ヘイムダルは一応考えたことを追い払った。
帰ってくるな、というどこか本気の考えを。
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