エピローグ

第38話

エピローグ1


「どうも、すみませんでした!」


 これで足を運ぶのは三度目になる丘の上の木の下。セロシアはそこで、これでもかと言うほど頭を下げた。下げている相手は、己の主であるヘイムダルだ。


「何がだ?」

「何がって……暴言吐いたこととか、暴言吐いたこととか、暴言吐いたこと。あとちょっぴり言うことを聞かなかったことです」

「そこが少しなのか」

「ヘイムダル様、その殺気の出し方怖いです」


 彼の殺気の出し方は、いきなり背後から沸き上がるようなのだ。急に出てくるから怖い。


「あの……クビ、ですか?」

「辞めたいのなら辞めてもいい」

「うう……っ」


 あっさりと切り捨てられたような言い方で、負い目がある分言葉が返せない。

 本音を言うなら、セロシアは辞めたくはない。ここにはセルリアがいるし。何より、決心したことがある。


(どうしよっかな……)


 どうやって切り出そうか、と考えていると、ヘイムダルが珍しく座った。そのまま軽く息を吐き出し、セロシアを下から見上げる。

 いつもと違うアングルが新鮮だ。


「神界も、常に平和というわけではない」

「え?」

「戦争が起こらないわけではない、と言っているんだ。それに人間の世界と違い、主神や主が命令すれば、女であろうが子供であろうが戦場に行かなければならない。そこで起こることは、言わなくても分かるだろう」


 戦争に行くのだ。無論、やることといえば一つ。勝つために、相手を倒すことだ。


「傷つけたくないと思っても、殺したくないと思っても、そうしなければならない場所だ」


 多くの血を浴び、罪もないのに殺す。したくもない後悔を多く抱えなければならなくなる。ヘイムダルの従者でいるということは、そういった可能性が出てくるということだ。

 だから、辞めるのならば今の内だ、と彼は言外に言っている。


 セロシアは一度口を紡ぐと、座る彼の真ん前に立った。息を大きく吸って、睨みつけるようにヘイムダルを見つめる。


「絶対、辞・め・ま・せ・ん!」


 仁王立ちで、そう言い切ってやった。


「お前……」

「あたしは、誰かを殺すとか、傷つけるとか、そんな覚悟はやっぱりまだできてません。罪や後悔を背負う覚悟もです。迷ってるし、これからもいっぱい苦しんだりします」


 目をまん丸にしたヘイムダルを遮り、セロシアは言葉を続ける。言っている自分でも情けないなとは思うが、これが今の自分だ。


「でも、あたしは強くなります」

「力を、持つのか?」

「それもあります。だけどそれだけじゃなくて、この先何があっても、どんな思いをしても、それすら受け止めて、前に進める強さを」


 迷いも、後悔も、罪も、その全てを知っても、立って、前に進む。そんな、この目の前にいるヘイムダルのような強さが欲しい。


「たとえ、いつか戦場に出ることになっても、ヘイムダル様の隣に立っていられるように」

「辛いぞ……」

「かまいません」


 強くなる。それがセロシアの新たな決意。だって――


「あたしは、貴方の従者です!」


 付き従い、世話をし、サポートするのが仕事だ。

 呆然と見上げているヘイムダルに、ニシシと笑ってみせる。


「なので、置いてかれそうになったら、マントの端を掴んでもついてきます」

「……掴むな」

「何ならマントの中に入りましょうか?」

「何があっても入るな」


 いつの間にか慣れてしまった軽いやり取りをこなし、セロシアは彼の隣に腰かけた。

 風が心地良い。う~んと伸びをすれば気分もよくなる。


「……やはり、その目に宿る意志に惹かれたか」

「へ、何ですって?」

「いや、こちらの話だ」

「気になるじゃないですか」

「こちらの話だと言っているだろう」

「気になるんです!」


 終わりそうにない問答を、ひたすら続ける木の下の男女。

 清々しい風に吹かれたその声を聞きながら、ピンクのパンサーはのどかな欠伸をした。




   ※ ※ ※ ※ ※




 日差しの恩恵を受けた塔の上で、一人の少女は困り、一人の男性は嬉しそうだった。


「ロ、ロキ様。そろそろ退いていただけませんか?」

「やだ」


 何度目か分からない申し出に、こちらも何度目か分からない答えを返された。

 塔の上で、セルリアは座り、ロキは寝そべっている。それだけならばいいのだが、ロキの寝ている場所が問題だ。


「何でここで寝るんですか……」

「だって柔らかくて気持ちいいし」


 そう、ロキが寝ているのはセルリアの膝の上である。膝枕状態なのだ。

 セルリアは恥ずかしいので嫌なのだが、ロキにしてみれば誰も見ていないよ、らしい。


 アースガルドに戻ってきて以来、セルリアはロキには触れるようになった。

 彼に心を許したことが原因か、彼が受け入れてくれたからかは定かではない。

 それ以来、なぜかこういったスキンシップが増えている気がする。絶対に増えている。


「慣れておかないと、あとあと大変だよ~」

「何がですか!?」


 不穏な発言にセルリアは泣きそうになった。快晴で風の具合もいいのに、主の言葉には恐怖を覚えた。

 爽やかに通り過ぎる風に目を瞑り、体全体でそれを感じる。とても清々しい。


「いい顔をするようになったね」


 声をかけられて下を見れば、ロキが笑っていた。


「そう、ですか?」

「うん。スッキリしたとかじゃなくて、頑張ろうって感じかな」


 そんな顔をしているのだろうか、とぺたぺた自分の頬を触る。ロキはその行動にクスクスと笑みを漏らしていた。


「よく、分からないです……まだ、色々悩んでます。覚悟も全然してないし、吹っ切れることなんてないんだと思います。きっと、ずっと迷って苦しむんだと思います。でも……」


 セルリアはロキに向けて微笑んだ。今吹く風のような爽やかさで。


「私は、一人じゃないですから」


 同じような苦しみを抱えるロキがいる。本当に自分を知っても受け入れてくれたフェンリルやヘルがいる。

 傍にいてくれる、セロシアがいるから。


(だから、大丈夫)


 それだけで、心強くなれる。


 ロキはセルリアを見上げていたかと思うと、そっとその頬に手を伸ばしてきた。


「ロキ様?」


「うん、君が苦しんだり迷ったりする時、僕は力になるよ。もう無理だと思ってしまった時も、君を支えるって約束する」


 真摯で、どこかプロポーズにも似た言葉。

 セルリアは真っ赤になって慌てるが、ロキの手は離れない。彼はそのまま続けた。


「だからね、セルリア。君も一つ約束をしてくれないか?」


 笑っているのだけれど、どこか切ない色を瞳に込めて、ロキはセルリアを見ていた。

 何度か見た迷子の子供のような顔。彼が、自分の抱える闇を垣間見せる表情。


「……約束?」

「そう、約束」


 セルリアは、視線だけで続きを問うた。彼は手を離さぬまま、再び口を開く。


「もしも……もしもだよ。僕が、ラグナロクを起こしてしまいそうになったら。その時は、君に止めて欲しいんだ」


 セルリアは目を見開く。何を言ってるんですか、と怒鳴りたかったが、まだ口を挟んではいけない気がした。


「何でだろうね。僕は、君になら殺されても……いいと思える」


 その顔は、決して偽りも冗談も言っていなかった。ロキは、本心からそれを望んでいる。


「だから、もしその時がきたら……僕を止めて」


 約束してくれるかい? とロキは無言で問いかけていた。強要は、されていない。

 自分を見る青い目は、こんな時でもとても綺麗で、穢れることなど決してないと思えてしまう。

 だけど、何事にも『絶対』はないから。


 セルリアは頬にある彼の手に自分の手を添えた。少しでも、この温もりが届けばいい。

 そして、この強く純粋である彼を、少しでも自分が支えられればいい。そう思って、セルリアは自分ができる最高の笑顔を見せる。


「はい。約束、します」


 この約束が、ほんの少しでも彼の闇を晴らせるのなら。

 セルリアが言った瞬間、ロキはどこかホッとしたように笑った。だから続ける。


「でも、そんなことは起こりません!」

「え?」

「私が、ロキ様が退屈なんて感じない日々を作ります。退屈しないんだから、そんなこと絶対に起こらないんです!」


 セルリアがとても自信満々に言うので、ロキはただ見上げている。


「これにはロキ様の協力もいるんですよ。私が楽しいことをたくさん思いつくように、ロキ様には主としてその環境作りに力を入れていただかないと」

「え、僕もやるの?」

「当たり前です。手始めに私の精神上悪い、仕事のサボり癖をなくしていただいて……」

「ちょ、ちょっと。そこに繋げるわけ? それは酷いんじゃないか?」

「お仕事をサボらないのは、主として当たり前のことです!」


 何事にも『絶対』はない。でも、限りなく『絶対』に近づけることはできると思うから。

 この晴れ渡った空のような、心地良い風のような。そんな日々を、作っていこう。

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