第36話

 現れた友達に驚いて、だがすぐにセロシアは口を押さえた。

 咄嗟に彼の名前を言ってしまった。自分はもう死んでいて、世間では行方不明扱いだというのに。


(ご、誤魔化さなきゃ!)


 引きつった笑顔を貼りつけて顔を上げた時、セロシアはこちらに振り下ろされる陰を見て反射的に杖を出した。


「なっ!」


 ガンッという鈍い音と同時に、杖を持った両手に痺れるような感覚が走る。ルイが、思い切り木刀を振り下ろしてきたのだ。


「ちょ、ちょっと」


 座ったままの体制のため支えきれない。もともとの力の差もある。セロシアは、どんどんと重さのかかる腕に顔を歪めた。なぜ彼が襲いかかってくるのか分からない。


(隣に白骨があるせいで犯罪者と間違えられた? でも、さっきあたしの名前……)


 ルイは未だに力を緩める気配がない。しかもその雰囲気はかなり殺気だっている。襲われる理由が分からないまま彼を見上げると、一瞬怯えたように目を見開いて木刀を引いた。


「わっ!」


 押し返していた力の余波でセロシアは前のめりになる。そこにすかさず落ちてくる木刀。受けられる状態ではない。

 慌てて地面を転がり回避する。そのまま立ち上がると、セロシアは剣道の要領で杖を構えた。それを見たルイが、また顔を引きつらせる。


「やっぱお前……月花……」

「あ、や、あの、あたしは!」


 自分の行動で墓穴を掘ってしまったことに気づいた。だが、次に彼が吐き出した言葉はセロシアを凍りつかせる。


「何で……何でお前が生きてんだよ!」

「え……な、に……?」


 呆けた瞬間、再び打ち込まれる木刀。杖を握っていた手が甘かったため、セロシアは攻撃を受けきれず後ろに弾かれた。


「かはっ……つ、う」


 弾かれた背が運悪く木の瘤にぶち当たる。背骨の軋む嫌な音がして、足から力が抜ける。

 膝をつき、セロシアはルイを困惑の表情で見上げた。彼は油断なく構えたまま、それでいて手は震えている。

 表情も、恐怖というよりは狂気じみていた。


「おかしいと思ったんだ……臼渕がお前ら双子に似たような奴を見たなんて言うから!」

「ルイ……?」


 臼渕というのは佳枝のことだ。あの時、学校で見た自分達のことを話したのだろう。少し外見を変えただけだから、似ていたと思う。

 でも、どうして彼はおかしいと思ったのだろう。世間で自分達は行方不明のはずだ。ならば、行方不明になっていたセロシア達が戻ってきたとは思わなかったのか。


「だから来たんだ。確かめに! ちゃんと死体はあるじゃねぇかよ! なのに、何でお前がいんだよ。何で生きてんだよ! 俺を呪い殺しに来たのか!?」

「な、に、言ってるの?」


 膨れ上がる困惑と疑問。その答えは、最悪な形を持ってルイの口から飛び出した。


「とぼけるなっ。俺がお前を殺したから! だから恨んで呪い殺しに来たんだろう!」

「っ!」


 鈍器で殴られたような、とは、こういったことをいうのだろうか。頭がグラグラして、体から力が抜けて、息が苦しい。


「はっ、ははは……」


 なぜだろう。笑いがこみ上げてきた。セロシアはグッと土と一緒に拳を握る。爪が傷ついたのか、ものすごく痛い。打ちつけた背中も、痛くて痛くて。

 けれど、それも気にならないぐらい――


「そっか……あんたがあたしを!」


 顔を振り上げるが早いか、セロシアは地を蹴ってルイに杖を打ち込んだ。


「う、うわぁ!」

「何で……何であんたがっ。友達だと思ってたのに!」


 何度も何度も、勢いに任せて杖を振り下ろす。杖を受けながらも、ルイはその凄まじい勢いに押されて後退していく。

 彼の顔にいつも見ていた笑顔はない。まるで化け物を見るような目で、まるで恐怖そのものを見るような目でセロシアを射る。


「こっの、殺されてたまっかよ!」

「っ!?」


 ルイはそう言ってセロシアを弾いた。そして手近な木に彼女を押し付けて首を絞める。

 空気を奪われるその苦しさに、酸欠になった脳に、まるで走馬灯のように記憶が蘇る。



『もう暗いぞ。送ってってやろうか?』

『うんにゃ、大丈夫よ。あたし強いし』


 心配げな表情をした彼に、笑い返しながら手を振って別れた。




『月花!』

『あれ、どしたのさルイ。あたし大丈夫だって言ったよね』


 追いかけてきたルイを、本当に友達思いで心配性だなと思った。こんな奴が友達で良かったとすら思った。


『ああ……あのさ、でも、ちょっとお前に話があって』

『何? 相談事? 格安で聞くわよ』

『違げぇよ、あのな』


 珍しく頬を染めた彼に、少し悪戯心が湧いた。

 恥ずかしがっているなら、それをネタにからかおうと思った。でもその時、鞄に入れていた携帯が震えた。

 嫌な予感を感じたのは、半身からの連絡だったからかもしれない。


『っとごめん、電話。ちょっと待って。もしもし。雪花? ねえ雪花? ちょっとどうしたの? ねえってば! ……セルリア!?』

『月花?』


 不自然に切れた携帯。言い知れない不安と恐怖が胸の内を占める。


『切れた……助けてって、きっとあのストーカーだ……何かあったんだ!』

『あ、ちょっと待てって!』


 腕を掴んだルイに苛立ちを感じた。なぜ引き止めるのかと睨みつけた。


『放して! あの子に何かあったら、あたし……っ!』

『大丈夫だって、あいつ告白しに行っただけだから!』

『あいつ? ……ルイ、あんたあの子のストーカーを知ってるの!?』


 返された言葉に愕然とする。ルイは罰が悪そうに顔を背けた。

 セルリアを怖がらせている奴をルイは知っていた。いや、知り合いだったのだ。

 この時湧き起こった感情は何だったのか。


『告白? あんたス、トーカーが誰か知ってて教えてくれなかったの!?』


 話してくれていなかった寂しさか、裏切られたような怒りか。


『あ、いや、それは……』


 口ごもるルイに、セロシアは爆発した感情のまま手を伸ばした。


『あの子は、雪花は男性恐怖症なのよ。知ってるでしょう? 知らない奴に、しかも今までストーキングしてたような奴と話せるわけないでしょう!? 早く行かなきゃあの子!』 

『っ! 何だよお前は。いつもいつも「雪花、雪花」って。こっちの気も知らないで!』


 セロシアにつられたのか、いつの間にかルイの声にも抑えきれない感情が乗っていた。

 きっとそれは、本来なら我慢しておかなければならない、いきすぎた負の感情。


『ル、うぐ! ル……イッ。やめ、雪花……セルリアがっ』


 地面に引き倒され、言葉も、空気も遮られる。

 それでも、セロシアの目に宿っていたのは、セルリアを思う感情で――


『こんな時までお前はぁ!』


 ルイの怒りとも悲しみともつかない声を最後に、意識は途切れた。





(思、い……出した)


 この苦しさは、あの時と同じ死を与えられるもの。


「ふ……ざけないで!」


 セロシアは思いっきり膝を打ち上げた。見事に鳩尾に入った衝撃にルイは手を離し、セロシアの死体につまずいて地面に倒れる。

 昔の面影などない、かつての自分の体。セルリアの体もきっと、これと同じように惨めな姿になっているはず。


「あんたが……あんたのせいで、あたしも、セルリアも……あんたのせいでっ!」


 悔しかった。悲しかった。そして、苦しかった。


「ひっ!」


 振り上げた杖に魔力を込めた。赤い光に包まれたそれを見たルイの顔が、恐怖に歪む。

 あの時は持っていなかった力。これを当てれば彼は死ぬ。間違いなく、自分と同じ目にあう。同じ苦しみを味あわせられる。



『やめておけ。後悔するのはお前だ』

『後悔なんてしない!』



 耳に蘇るのは、あの時の主との会話。

 そう、後悔なんてしないと言った。それがどんな相手だって、やり返したことに後悔なんて抱かないと言った。


「……っく」


 なのに、どうしてこんなに怖いのだろう。どうしてこんなに苦しいのだろう。

 杖を持つ手は震えていて、振り下ろすだけで終わるのに、ピクリとも動いてくれない。



『月花!』



 ルイは大事な友達だと思っていた。ずっと笑いあっていられる人だと思っていた。

 そんな人に殺された。怒っていいはずだ。やり返していいはずだ。



『復讐なんて、何にも残らないよ』



 セルリアの悲しそうな顔が浮かんで。笑いあっていた時のルイの顔が浮かんで。


「……ふ、うっ」


 どうしてだろう。憎いはずなのに、悲しくて。悲しくて。涙が溢れて、止まらなかった。


「もう、いいだろう」


 突然、震えていた手を後ろから掴まれた。それと同時に、心地良いバリトンボイスが耳に響く。

 ぎこちなく首を回せば、あの透き通る美しい銀色があった。


「あ……」


 その瞳が切なげに細められ、いつもの無表情はどこか温かい。


「この先、何をしても苦しむのはお前だ。なら、これ以上傷を増やすな」

「っ! ふっ、うぅ……うあぁぁぁっ!」


 握っていた杖が乾いた音と共に落ちた。そのままセロシアは黒い服の中に飛び込む。

 後ろでドサリという音がした。きっと彼がルイに何かしたのだろう。けれど、セロシアに気にする余裕はなかった。


 この涙が、どんな感情から流れているのか。色々な思いでぐちゃぐちゃになってしまい、セロシア自身にも分からなかった。

 ただ、目の前にある黒い服にしがみついて、耐えていたものを吐き出すように大声で泣き続けた。


 ヘイムダルは、声をかけることも、頭をなでることもしない。ただジッとそこに立ち、セロシアが泣き止むまで、小さな肩を片手で抱いていた。

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