第34話
走って走って走って。何度も躓きながらも走り続けて。拭っても溢れてくる涙を振り払いながら、セロシアは足を動かした。
いつの間にか人気のない所を抜けて、訝しんだ目を向ける人々を避けるように走った。
どこをどう走ったのか分からない。しばらくして周りは木々だけになり、夕刻と相まって、酷く不気味な雰囲気だった。けれどそれに気も留められず、ただ走って――
「っ!」
何かに足が引っかかったと思う間もなく、セロシアはその場に勢いよく倒れた。湿った土の臭いと、痛む足にわけも分からずまた涙が出る。
「何よぉ……もう、最悪……」
倒れたまま、セロシアは涙を流し続けた。
悔しかった。悲しかった。セルリアに面と向かって自分の行動を否定されたことが。セルリアに『大嫌い』と言ってしまったことが。
セルリアを――とられてしまったことが。
いつだって彼女を一番大切にしていたのは自分だった。理解していたのも自分だった。彼女が最後に頼るのは自分だった。
セルリアが隠していたから何も言わなかったけれど、どこかで復讐を望んでいることを知っていた。だから、絶対に見つけてやろうと思っていた。
彼女を殺したのは、以前からセルリアを狙っていたストーカーだろうから。その時の分も含めてやり返してやろうと。
(でも……望んでも、やっちゃいけないことだって……セルリアは自分で決めた)
その時、分かってしまった。自分の行動が、彼女が望んでいるからという理由を隠れ蓑にした自己満足なのだと。
セルリアが離れていかないために、こちらに留めておくためにしようとしていたことなのだと。
本当は、ヘイムダルの言っていたことも理解して、納得している。けれど、今の自分にはセルリアの視線をこちらに向けておく方法が他になかった。
本当に相手を憎んでいたというのもある。でも、そう言っておけば、セルリアは心配して傍にいてくれる、という浅ましい考えがあったのも事実だ。
いつかは離れていくと思っていた。でも、こんなにすぐだとは思わなかった。会ってまだ間もない奴にとられてしまうなんて、考えたくなかった。
「ひっく、ふぅ……セルリアぁ」
あの子が『帰る』という言葉を使った時、頼りにされるのは自分ではないと突きつけられた。自分より力のある、守ったり助けたりできる『彼』が、セルリアの拠り所になったのだと。
「やだ……そんなのやだぁ……」
のそのそと起き上がりながら、首を振る。
自分の居場所をとられたくない。嫌いだと言ったのも嘘だ。そんなことあるわけがない。
大事な大事な半身。いつも自分に安らぎと温もりをくれた人。嫌うわけがない。
でも、きっと今日で嫌われてしまった。自分で、大切な関係を壊してしまった。
離れていかないで、と素直に口にできていたら良かったのかもしれない。やり返そう、なんて変な方法を取らず、憎しみなんか押さえ込んでしまっていれば、あの子を傷つけたりしなくてすんだ。
悲しいのと悔しいのと、自分の愚かしい気持ちが混じって、セロシアはその場で泣き続けた。
そんな時、微かに木の間から漏れる光を何かが反射した。その光が目に入って、セロシアはしゃくりながらも地面を見る。
「あ……」
時計が落ちていた。いや、文字盤の所以外は埋まっていた。ずいぶん長い間放置されていたのか、土がこびりついてボロボロだ。
何だか自分みたいだ、と文字盤を擦る。現れた時計に、セロシアはまた親近感を覚えた。
(あたしが持ってた時計と同じ……)
引き取ってくれた青海夫妻が亡くなる前に、家族の証としてプレゼントしてくれたのだ。セルリアは懐中時計。自分が腕時計だった。
そう言えばここはどこだっただろうかと辺りを見渡す。折り重なった木々の向こうに、微かだが見覚えのあるベンチがあった。
あの日に通った公園だ。
「え……?」
自分の最後の記憶にある公園に、自分の使っていた時計がある。その奇妙な一致にセロシアの鼓動が不規則に乱れた。
殺された日の記憶は、ここからない。ここに、自分の持っていた時計がある。
次の瞬間、セロシアは土を掘り返し始めた。スコップなどあるわけもなく、自分の手で。
腕時計を中心に穴が広がっていく。時計が埋まっているだけなら穴が広がっていくだけのはずなのに、薄汚れた木の枝のような物が出てきた。それは腕時計を通した状態になっていて。枝の先は細い五本に分かれていて。
「う、そ……嘘よ、嘘よこんなの……」
無我夢中で他の場所も掘り返していく。辺りはどんどんと暗くなるが、かまっていられなかった。目の前のある物を信じたくなくて、その証拠が欲しくてセロシアは掘り続けた。
だが、土まみれになったセロシアの前に突き出されたのは、見知った時計と、見知った服。見知った荷物を傍らに埋められた、ドロドロの惨めな――白骨。
真っ暗になった世界の中で、それだけが光っているようにボウッと浮き上がって見えた。
「あ、あたし……なの?」
目の前にしても、信じられなかった。自分の骸骨など見たことがないから分からない。
けれど、確かに身に着けているのはあの日自分が着ていた物で、傍らに埋められた荷物は、間違いなく自分が持っていた物だ。
どうすることもできずに、セロシアが自分であろうそれを眺めていると、突然、後ろから光が射してきた。反射的に振り向いて、光を当てられた顔を腕で庇う。
誰かが懐中電灯で照らしているらしい。相手は逆光で見えない。
セロシアの耳に、聞き覚えのある声が、聞いたことのない響きで耳に入った。
「……つ、つき、は?」
「え?」
落とされた懐中電灯。ころころと転がるそれが、暗くなっていた辺りを薄く照らし出した。その光に浮き上がるのは、怯えた表情の青年。
「……ルイ?」
恐怖に引きつった顔をするのは、自分と仲の良かった男の子。助友ルイ。彼だった。
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