第33話
「セロシア、ちょ、ちょっと待って。ねえ!」
ミッドガルドに着いて、前に来た時と同じ場所に騎獣を隠した。
しかし、今回は幻術の魔法までかけていない。自分達の服装もそうだ。顔も。何も変えていない。
ここはまだ人気のない所だからいいが、街に出たらどうするつもりなのか。
セルリアは魔法をかけようとするのだが、セロシアが何も言わず歩き続けるためできない。引っ張られる腕は痛く、引き離そうにも力は彼女の方が強かった。
「セロシア、セロシア痛い!」
そう叫ぶと、ようやくハッとして彼女は立ち止まった。そして慌てて手を離す。握られていたところは真っ赤に痕がついていた。
「ご、ごめ……ごめんセルリア。あたし……」
「一体どうしたの? こんな急にミッドガルドに来て。許可も取ってないでしょう?」
グッと唇を噛み締める彼女に、やっぱりと溜め息をつく。何があったのかは分からないが、おそらく勢いで飛び出してきたのだ。
「セロシア、帰ろう。きっとヘイムダル様も心配してる」
そう言った瞬間、セロシアの体が大きく揺れた。まるで、信じられない、というような顔をして一歩後ずさる。
「セロシア?」
「いや……あたし戻んない。犯人見つけて、やり返すまでは戻らない!」
「まだそんなこと……手がかりもないのよ? 何も分からないのにどうやって」
「そんなのどうでもいいの! 見つけて、絶対同じぐらいの苦しみを味あわせてやるって決めてるんだから!」
「セロシア!」
何てことを、と思う気持ちと同時に、それぐらい当たり前だという思いも湧く。
自分の心の中に、どす黒い感情が渦巻いているのが分かる。
(でも……)
この気持ちを否定してはいけない。逃げてはいけない。いけないことだと分かっているからこそ、ここで向き合わなければダメだ。
そう、今日教えてもらったばかりだから。
セルリアは汗ばむ手を握ると、顔を上げてセロシアを見た。どんな顔をしているか自分でも分からないが、ちゃんと言わなければならない。
「……ダメ」
「え?」
いつになく強い目を向けるセルリアに、セロシアは戸惑いの表情を浮かべた。
セルリアは一度大きく息を吸い、グッとお腹に力を込める。
「ダメ。絶対に、そんなことしちゃダメ。復讐なんて、何にも残らないよ」
「セルリア……?」
胸に渦巻く感情は、いい考えや思いだけではない。気持ち悪くなるぐらいの、怖いぐらいの思いもある。だけどその二つがあって、初めて『セルリア』という存在になる。どちらも大切な、『自分』の思い。
そして、もしその一方が暴走してしまうなら、誰かを傷つけるなら、止めるのも自分自身の役目だ。だから――
「殺されて、大切な人達に会えなくなって、やりたかったこと、できなくなったけど……でも、でもやっぱり復讐なんてダメだよ。やり返して同じ苦しみを味あわせるなんて、そんなの許されることじゃないよ!」
鏡に自分を映したかのようなセロシアの顔。彼女は唇を戦慄かせ、込み上げるものを押さえるかのように、両手を拳の形にした。
「何で……何でそんなこと言うの? これからだったあたし達の時間、全部奪われちゃったんだよ? 神人になって生きてるけど、人間としてのもの全部奪われたんだよ! それなのに許せって言うの? 仕方がないですませろって言うの!?」
気迫の篭ったセロシアの叫びに、セルリアはビクリと震える。けれどここで引き下がってはダメだ、と言い聞かせ、足に力を込めた。
「そ、そんなこと言ってない! でも、でももし傷つけたり殺したりしたら、私達その犯人と同じになっちゃう!」
「それがどうしたって言うのよ!」
「どうって……傷つけて、殺したりしたら……後悔するのは私達じゃない!」
突然、セロシアが固まった。傷ついたように顔を歪めて、泣きそうな目をして、唇を噛み締めたまま彼女は俯いてしまう。体は、微かに震えていた。
「あたしは……」
小さく呟くセロシアは、何かを耐えている。彼女もどこかで分かってはいるのだ。自分のやろうとしていることが間違いなのだと。
けれど憎む気持ちは捨てられない。『どうして』と理不尽さを感じずにはいられない。その思いはセルリアだって同じこと。
それでも、止めねばならない時があると、最低な自分を認めてあげなければならないと教えてもらった。
そして何より、セロシアが傷つくのは嫌だ。復讐を果たして、いつかその後悔と自責に苛まれて傷つく妹を見るのは絶対に嫌だ。
セロシアには、ずっと笑っていて欲しい。
「私は、セロシアが自分を責めながら泣くところなんて、もう……見たくないよ」
「っ、セルリア……」
目を見開くセロシアの表情は、『どうして知ってるの?』と言っていた。
覚えている。小さな女の子が、殴られる自分を見ながら泣きじゃくっていたこと。あの人は、いつだって抵抗しないセルリアだけを痛めつけていた。その分、妹は何もできない自分を責めていた。
あんな風に辛い泣き方をするセロシアは、もう見たくない。
「セロシア……だから」
そっと、彼女の頭をなでようと手を伸ばす。だが――
「帰ろう」
「っ!?」
言った瞬間、パァンッと響く音がして、手を叩き返された。彼女の行動が信じられず、次いで上げられた目に、セルリアは息を呑む。
犯人に向けられていた怒りと憎しみ。それが、全てこちらに向けられていた。
「……ら……いで」
「え……?」
「自分だけ……偽善者ぶらないで!」
言われた言葉に、心臓が跳ねた。叩かれた手が、ジンジンと痛み出す。
「自分だけいい子ぶって、あたしが悪いわけ!? 冗談じゃないわよ、あんただって望んでたじゃないっ。あたしが分からないとでも思ってた!?」
「セ、セロ……」
「死んだって知った時、あたしが最初にやり返すって言った時、止めなかったじゃない。ちゃんと口に出して、止めなかったじゃない! 犯人探しに行こうって言った時もそう。否定も肯定もせず、ついてきたじゃない! セルリアだって心のどこかで望んでたでしょう!? 相手が同じ苦しみを味わったって当然だって、どこかで思ってたでしょう!?」
「っ、あ……それ、は……」
知られていた。セロシアもまた、セルリアの隠していたことを知っていた。
知られたくなかった部分を、一番知られたくなかった人は、全部見抜いていた。
ガタガタと体が震え始める。『どうして』、と。『どうしよう』、と頭がぐちゃぐちゃになる。
「……どっちつかずの楽な位置にいて、自分を受け入れてくれるって分かったら、そっちに行くのね……」
「な、何を……」
セロシアの言葉が分からなかった。一体、何のことを言っているのか。
だが彼女はやはり泣きそうな顔で、まるで裏切られたとでもいうような顔で言い放った。
「『帰る場所』になったんでしょう……一緒にいたあたしじゃなくて、ロキ様の所が!」
「! セ、セロシアッ。ち、ちが、そういう意味じゃなくて!」
「触らないで!」
差し出した手は、やはり拒否されて。少しずつ、少しずつ。でも確実に、セロシアは自分から離れて行く。
「帰ったらいいじゃない。受け入れられないあたしじゃなくて、あんたを受け入れていくれるロキ様んとこに帰れば良いじゃない!」
「違う、違うのセロシア! 私は……っ!」
「双子で生まれたからって無理に傍にいてくれなくていい。受け入れられないなら放っておいてくれたらいい! ちゃんと守っても助けてもあげられなかったあたしなんか嫌いでしょう!? あたしもあんたなんか……」
そんな顔をしないで。辛そうな顔など見たくはない。そんな目で見ないで、言わないで。
そう願う思いは、届かなくて――
「セルリアなんか、大っ嫌いよ!」
それが、全てを壊す言葉だった。
泣きながら、セロシアが走り去っていくのを、追いかけもできずにセルリアはその場にへたり込む。自分を支えていたものが、全て崩れた気分だった。
辛そうな顔など見たくないと思っていたくせに、何年かぶりに彼女を泣かせたのは、傷つけたのは他でもない自分で。
「違う。違うよ……セロシア……」
自分がセロシアを嫌うことなどない。ずっと隣にいてくれた。ずっと支えてくれていた彼女をどうして嫌えるだろう。自分と変わらない半身を、なぜ嫌いになるだろう。
怖かったのは、嫌だったのは、自分の闇を知られること。大事な大事な片割れに、奥に潜めた暗い感情を知られて、あの子が離れていってしまうこと。
「どうして、こんな……」
どこで間違えただろうか。
自分がもっと早くに全てを話していれば、彼女の言う通り偽善者ぶっていなければ、こんなことにはならなかっただろうか。
嫌われたくないなどと言わず、もっと勇気を持って自分をさらけ出していれば、あの子は、離れていかなかっただろうか。
「ふっ……う、っく……セロ、シアぁ」
あれだけ泣いたのに、まだ涙は枯れていなかった。
嫌われたことも、拒絶されたことも、予想していたよりもっとずっと辛くて。
自分の中の、何かが半分欠けてしまったその感覚に、セルリアは涙を零す以外のことができなくなっていた。
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