第30話
セロシアは戸惑っていた。何にって、主に。
(いきなり『出かけよう』なんて、何事!?)
ヘイムダルと出かけたのは歓迎会の時だけである。それ以外、彼は常に門番、門番、門番、時々は事務仕事だ。
(有り得ない、有り得ないわ。夢よ、夢に違いない、って痛い!)
黙々と歩いて行くヘイムダルに、黙々とついて行きながら、セロシアは一人で百面相をしていた。たまにすれ違う神や神人に変な目で見られているが、それより前を歩く主の方が気になる。
絶対に変だ。
そうこうしている内に彼が立ち止まった。お約束で背にぶつかりながらセロシアも止まる。ひょいっと首だけを出せば、そこは歓迎会の日に来た丘の上だった。
(ここに、何かあるの?)
セロシアの気に入った木以外は、めぼしい物は目につかない。どうしてここなのか、とヘイムダルを見上げれば、彼もこちらを見下ろしていた。
「ヘイムダル様?」
「……セロシア」
「はい!」
セロシアは自分の耳を疑った。今のは聞き間違いだろうか。
(名前、呼ばれたよね?)
従者になって初めて、名前呼ばれた気がする。セロシアは我知らず嬉しくなって、頬が緩むのを止められなかった。
セロシアは緩んだ頬を押さえながら彼を見上げた。いつもの無表情だろうが何だろう、が今日は良かった。
しかし、目の前にある顔はどこか悩んでいるように見える。
「セロシア」
「はい」
「……ミッドガルドへ行ったのは、自分を殺した犯人を捜すためだな」
疑問ではなく確認の言葉だった。緩んだ頬が一気に戻り、すうっと頭の中が冷えていく。
「相手に、やり返すつもりだったのか?」
「だったら、どうだって言うんですか?」
「以前、一度言ったはずだ。覚悟をしていないのなら、と」
確かに言われた。『相手を殺してしまうかもしれない。そういう覚悟があるか』と。自分は『ない』と答えた。でも、それで納得できる事柄ではなかった。
「お前が憎んでいるのは、人間だ。神とは違い、簡単な怪我で死んでしまう可能性もある」
「分かってますよ……そんなこと……」
「それでも傷つけるというのか?」
グッと拳を握った。だって、自分は、セルリアは――
「あたし達、殺されたんですよ……」
「だからやり返してもいいと?」
セロシアは何も答えなかった。その様子にヘイムダルは溜息をつく。
なぜ、彼はこんなことを言うのだろう。なぜ関わってくるのだろう。これは自分達の問題だ。殺されたのも、憎んでいるのも自分だ。なぜ彼に諌められなければならないのか。
「やめておけ。後悔するのはお前だ」
「後悔なんてしない!」
キッパリと言われたし否定と制止の言葉に、セロシアは顔を振り上げた。
「あたしは後悔なんてしませんっ。殺されたんです、あたしとセルリアは。それがどんな相手だって、やり返したことに後悔なんて抱かない!」
許せないことだってある。憎み続けることだってある。綺麗な感情だけで、何をされても『許します』なんて聖人君子はこの世にほとんどいない。
「お前が相手を殺せば、その家族はお前を憎む。お前を殺したいと思うだろう。その感情を受けながら生き続けるんだぞ?」
「憎みたいなら憎めばいい。それだけのことをあたしはやるんだろうし、それだけの感情をあたしが持ってると感じればいいのよ!」
「セロシア!」
これも初めて聞いた怒声に、セロシアはビクリと震え一歩下がった。ヘイムダルから発せられるのは間違いなく怒りだ。
彼には彼の考えがあり、経験があり、そこから導き出した答えでセロシアを止めようとしている。分かってる。心配してくれているんだと。どこかで理解している。でも――
(あたしとこの人は違う!)
セロシアは下がった足を戻し、グッとヘイムダルを睨みつけた。
「ヘイムダル様、前にあたしが『ヘイムダル様は、昔から覚悟もできてて、ちゃんとした強さも手に入れてた』って言ったら……否定しましたよね」
「……ああ」
「でも、貴方には力があった……」
たとえ覚悟ができていなくても。ちゃんとした強さではなくても。傷つけられそうになれば跳ね返せる力を。大切な人が危機に陥っていれば、無理やりでも助けられる力を、彼は持っていたはずだ。
「誰かを傷つけてからのことを言えるのは、それだけの力を持ってたからです。余裕があるから、そこまで考えられる!」
「違う。たとえ力を持っていなくとも、傷つけてしまえばお前が苦しむだけだ」
「っ、力を持ってなきゃ、守れなかったことで後悔するのよ!」
「セロシア……?」
名を呼ぶ彼の顔がぼやける。それでも、セロシアは決してこの雫をこぼすまいと目に力を込めた。
「貴方に分かりますか? 目の前で苦しんでる子がいるのに、怖くて何もできなかった者の気持ちが……貴方は知ってますか? 大事な子が助けてって叫んでるのに、ただ見てることしかできなかった者の気持ちが……っ」
助けたかった。守りたかった。たとえその時傷つけるのが自分の父親だったとしても。たとえ自分が、一生消えない痛みと苦しみを――後悔を背負うことになっても。
それなのに自分には何もできなくて、恐怖に震えて見ているだけで――そして、また自分の手の届かない所で、あの子は傷ついた。
セルリアが死という恐怖を与えられたのに、相手がのうのうと生きていることが許せない。
「あたしは誰かを傷つけた後悔より、守れなかった後悔をする方が嫌……ここまで傷つけられて、相手が生きているなんて許せない!」
「しかし」
「貴方とあたしは違う!」
振り仰いで叫んだセロシアの迫力に、今度はヘイムダルが少し下がる。
理解されないのならそれでもいい。こちらも彼を理解できないのだからお相子だ。心配してくれた思いを踏みにじるのは少し辛いけれど、それでも、許せないことはある。
「神と人間は違う。最初から力があった貴方と、力のなかったあたしは違うっ。理解なんてしてくれなくていい、認めてくれなくていい! でも、邪魔をしないで!」
それだけ吐き捨てると、セロシアは駆け出した。名前を呼ばれたような気がしたけれど、振り向きも、足を止めもしなかった。
止まってしまえば、何かが崩れていくような気がした。彼の銀色の目をもう一度見てしまえば、なぜかすがってしまうような気がして。
セロシアは走り続けた。
(早く、早くしなきゃ。早く見つけて、終わらせなきゃ!)
何かが崩れる前に、誰かにすがる前に。
まるで言い聞かせるようにして、セロシアはただ走り続けた。
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