第21話

 お腹の満腹感と心の空虚感を感じながら、二人は中心街から離れていった。歩いている内に、一つの公園に辿り着く。街中では珍しい、森林を抱えた公園だ。


「ここ、なの?」


 見渡すセルリアに、セロシアは頷いた。


「ここだと、思う。あたしの最後の記憶が、この公園に入ったとこだから」


 通っていた剣道道場から、住んでいた場所に帰るには、この公園を通ると早い。もう何年も使っていた、お馴染みのコースだ。


「あの日、師範に夕食をご馳走になった後、皆と別れてここに入ったの」


 セロシアは周りを眺める。一年前に見ていた頃と何も変わりない。青々とした緑と、白いベンチが並んでいた。

 あの日は夜で、少し不気味さのある雰囲気だった。けれど何度も通って、腕にも自信があったから、特に心配をすることもなく足を踏み入れたのを覚えている。


 セロシアはあの日と同じように、足を踏み入れて、思い出そうとする。

 ここで何が起こった? どうして、殺された?


「あたしは……いっ!」

「セロシア!?」


 突然、脳に痛みが走った。慌てて走り寄ってきたセルリアの服を掴んで必死に呼吸する。


「っ、はぁっ……つ、ぅっ!」


 ズキン、ズキン、とまるで頭の中で直接鐘を鳴らされているようだ。吐き気まで伴うそれは、セルリアに食い込む手を気に留められないほどだった。


「セロシアしっかりして。考えちゃダメ、何も考えないで!」


 セルリアの温もりだけを感じて、セロシアは歯を食いしばる。強く抱きしめてくれる半身にだけ意識を集中すると、驚く速さで痛みは引いていった。


「大丈夫?」

「うん……ごめん。もう大丈夫だから」


 思い出せないことが歯痒い。それとも、思い出すなという警告なのだろうか。

 まだ微かに残る痛みを気にしながら、セロシアは微笑んだ。

 重い頭を抱えたまま、記憶を辿るように二人で歩き続ける。公園を抜けて、見慣れた街並みを視界に収める。通ることが当たり前だった場所。


「あ……ここも、なつかしいね」


 目を細めて見上げるのは、二人が通っていた高校だった。夕方で生徒も少なくなったこの時間、二人は裏口からこっそり忍び込んだ。

 先輩になるね、と話していた時が遠いな、とセロシアは思った。


 一年経ってしまったから、同級生は最終学年になっているはずだ。本当ならばここで、自分達も笑い合っていたはずだった。笑い合っていたかった。

 もう、決して叶わない夢だけれど。

 校舎からゆっくりと視線をずらしていく。その時、セロシアは見知った人影を認めた。


「あ!」

「へ? どうした……わ!」


 セルリアを引っ張り茂みの中に隠れる。


「ど、どうしたの?」

「ごめんごめん。咄嗟にね。ほら、あそこ」


 セロシアの指をセルリアがたどる。ああ、と納得した表情で頭を引っこめた。


「ルイ君だね」


 二人の青年が何か話をしていた。その片方は双子の知り合い。名前は助友ルイ。片仮名だが生粋の日本人だ。

 中学でセロシアと知り合い、同じ剣道道場に通っていたので仲良くなった。セルリアもその関係でよく話をしていたのだ。


「ルイ君が一緒にいる男の子……」

「何よセルリア、知り合い?」

「う~ん、どっかで見た気はするけど……」

「セルリアの男の知り合いってルイぐらいだったもんね。あんま印象残ってないんでしょ」


 そう言ってもう一度二人を見る。何か真剣に話をしていた。相談事でもしているのだろう。時折首を振ったり、悩んだ顔をしたり、けれど笑ったり。


「何か変な感じ。あいつが男の友達といるの」

「ルイ君、よくセロシアといたもんね」

「うん。あいつさぁ……」


 セロシアはルイを悲しそうな目で見つめた。セルリアが覗き込んでくるのに苦笑しながら、去っていく二人の男の子を見送る。


「あの日ね、『送ってやろうか』って言ってくれたの。でもあたし、『大丈夫よ』って返しちゃって」

「セロシア……」

「こんなことになるなら、送ってもらえば良かったわね」


 どうにもならないことだと分かっているけれど、少し、後悔が胸をよぎった。

 しばらくして去っていく青年二人を見送り、二人は表の方へ回る。最後は正門から出ていこうと思ったからだ。


「ね、今日はあのケーキ屋さん行こうよ」

「ええ? この間も行ったじゃない。そんなに食べると太るわよ」


 校舎の中から聞こえてきた声に、双子は振り返った。

 茶色のふわふわした髪の女の子と、ショートカットの凛々しい女の子が歩いてくる。


「沙希ちゃん……佳枝ちゃん……」


 呆然としたセルリアの呟きが聞こえた。

 少し雰囲気は変わったけれど、髪型も違う気はするけれど、間違いない。よく自分達と一緒にいた、よく話していた女の子達。親友と呼べる子達。


「寂しい、ね」


 二人の仲のいい様子を見て、セルリアは言う。セロシアの心も同じだった。

 そこは昔と何の変わりもない。ただ、自分達がいないだけで、二人の仲の良さは変わらない。四人から二人に減っても変わっていない。嬉しいはずなのに、寂しかった。

 まるで、忘れられたような気がして。

 何とも言えない気分のまま見ていると、佳枝がこちらを見る。


「あ、わ。まず!」


 魔法で姿をいじっているが、見る人が見れば、似ているな、と感じるだろう。尚且つ私服で学校内にいる人物は目立ってしまう。

 佳枝が何か口を開こうとしたその時、彼女の後ろで悲痛な声があがった。


「ああ~、手帳忘れた!」

「何よ沙希。そんなの明日でもいいでしょ?」

「ダメ。あれには写真が入ってるんだから!」


 涙ぐみながら、沙希は校舎に戻っていこうとする。


「写真って。四人の?」

「そう、お守りなの。私、雪花ちゃんと月花ちゃんは帰ってくるって信じてるもん! 取ってくる」

「あ、もう待ちなさい!」


 仕方ない、とばかりに佳枝の方も沙希を追って校舎へと戻っていった。

 その姿が、愛しくて、切なくて。こみあげてくる衝動のままに、セロシアはセルリアに抱きついた。


「……覚えてて、くれてるね」

「うん」

「信じてくれてるね」

「うんっ」

「大事に、してくれてるね」

「うん!」


 四人の写真とは、仲良くなった証に撮った物。四人が一枚ずつ持つ宝物。それを肌身離さず持ち、帰ってくることを信じてくれている。

 セロシアは嬉しくて、そして同時に、悲しかった。


(覚えててくれて、ありがとう。帰れなくて、ごめんなさい……)




   ※ ※ ※ ※ ※



 双子の様子を、ロキ達は陰で見ていた。


「辛いだろうね」


 彼女達は生きている。神人という命で生きている。けれど、人間としての彼女達は死んだ。だから、大事な人や、会いたい人の前に姿を出すことはできない。

 目の前にいても、以前のように触れ合うことはできないのだ。

 ロキと同じように双子を見ていたヘイムダルは、不意に虚空へと目線を向けた。


「ロキ、気づいているか?」

「この邪気のことかい? 気づいてるよ。ここはずいぶん多いな。悪霊がそばにいるって言うよりは、悪意が溜まってるって感じだね」


 双子にはまだ分からないだろうが、ロキ達にはすぐ感じとれる。妙に多くの邪気がこの辺りに渦巻いているのだ。

 所謂、嫉妬、妬み、憎悪、怒り、焦りなどの感情だ。

 別に人間の世界にあるのがおかしいわけではない。ない方が変だ。だが、それが一定以上溜まると、悪鬼悪霊を呼び寄せる原因になる。


「この建物で何かあったか、それとも何かした人間がいるのか。それにこの気配がね……」

「どうした?」

「いや」


 ヘイムダルの怪訝な視線を受けながら、ロキは空に向かってニヤッと笑った。


(何をしに来たのか知らないけど、ま、今回は出てくるまで放っておこうかな)


 感じているのは、一応『友』と呼ぶ者の気配だけれど、今回はあまり関わりあいになりたくない。ロキはどこかでそう思っていた。

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