第22話
「ここも久々よね」
「ただいま、って言ってもいいのかな?」
住宅街を抜け、長い坂を上りきった所に、他の家よりは大きな建物が見えてくる。
青い屋根、白い壁、緑の庭。隣には、小さな教会と墓地がある。ここが、セルリア達が十二歳から暮らしていた孤児院だ。
二人は入り口から少し離れた所に立った。
いつも花を植えていた花壇だとか、いつも取りあっていたブランコだとか、ここにある物全てに思い出がある。
事故で引き取ってくれた義理の両親を亡くし、結局また二人ぼっちに戻ったセルリア達。そんな彼女達に、もう一度家族を与えてくれた場所。本当なら十六歳で出ていかなくてはならなかったのに、ここの夫婦は孤児院で働くことを条件に残してくれた。
似た境遇の子供達と一緒に過ごした楽しい時間。辛かったり、大泣きしたりすることもたくさんあったけれど、皆で励ましあって、達成感や喜び、いくつもの絆を手に入れた。
「セルリアはここからコンビニに向かったんだよね? その時、ストーカーがついてきたとか、何か覚えてる?」
「ううん。ストーカーのことだって、見られてる感じがするっていうだけで、私の勘違いかもしれないし。でも、行ってみようか」
自分もあの日の足取りを追ってみよう。そう考えて、セルリアは名残惜しい気持ちを払って孤児院から離れようとした。しかし、踵を返した瞬間、何人か子供の声が聞こえる。
「お帰り、正兄」
「ケビンか、ただいま。でも俺すぐバイトだ」
「ええ! せっかく数学教えてもらおうと思ってたのに」
玄関先に現れたのは、高校生ぐらいの男の子と、中学生ぐらいの少年。見ればすぐに誰か分かった。自分達の次に大きかった子供だ。
「ケビンも中学生になったのね。制服ぶかぶかじゃない」
「正人君もここに残してもらったんだ」
死角になる所から、二人は苦笑しつつ覗いていた。
後ろをついてきていた男の子が頼りがいのあるお兄さんになり、我侭の多かった子が背伸びをしている。とても微笑ましい。
「十一時ぐらいまで起きてたら見てやるよ。金貯めないと大学に行けねぇし」
「え、正兄、高校卒業したらすぐ警察学校に行くんじゃなかったの?」
(警察学校?)
ケビンの言った言葉にセルリアは首を傾げた。正人は確か動物が好きで、犬のトレーナーになるんだと騒いでいた。なぜいきなり方向転換しているのか。
「高卒じゃ、交番勤務とかでなかなか上には行けないらしいから。雪花姉や、月花姉を探す捜査に力を入れるなら、もっと上に行かないと。今の警察、全然真剣に俺達の話し聞いてくれないし。孤児だから金のある奴についてったんじゃないかとか……ふざけんなよ」
グッと拳を握りながら言う正人に、二人は顔を見合わせた。
彼は夢を変えたのだ。自分達のために。
「俺も、蘭やローラ達だって姉ちゃん達が戻ってくるの信じてる。また、会えるって!」
「俺もだ。もう姉貴達に頼らなくたって、色々できるようになったしな。帰ってきたら驚かしてやろうぜ」
「うん!」
元気よく頷いたケビンの頭をなでて、正人はバイトに出かけた。そんな様子に、やはり心は切なくなる。
もしかしたら、正人はいずれ自分達を見つけてくれるかもしれない。けれどそれは、もう生きていない自分達で、もう彼らとは話せない自分達だ。
無事に戻ってくると信じ、待っていてくれるたくさんの人。その人達を裏切ると分かっているから、苦しくて、切なくて、やるせなくて。
『ごめんね』と叫びたいのを必死に押し殺して、二人は孤児院を離れた。
とぼとぼと夕暮れの道を歩く。自然と二人の間に会話はなかった。
死んだという事実は受け止めているつもりだった。だが、あらためて戻れないのだと実感させられる。
変わっていく大切な人達と、変わらない自分達。その差がとても大きいものに思えた。
「あ……ここ」
無意識に歩いていると、セルリアは見覚えのある場所だと気づいた。孤児院からさらに坂を上がった所。少し先にコンビニの看板が見える。その裏に教会の屋根もあった。
ここがあの時通った――
「っ!」
「セルリア?」
頭を抑えて立ち止まったセルリア。セロシアも彼女と辺りを見渡し納得したようだ。
「セルリア、大丈夫?」
「う、うん。やっぱり、ここから先を思い出そうとすると……頭が」
セロシアに寄りかかっているからいいものの、彼女がいなければ倒れ込むのではないかと思うほど酷い頭痛だ。脳を直接何かで殴られているような、そんな痛みが広がる。
「セルリア、無理はしちゃダメ。ね」
「うん……」
思い出せないのだろうか。それとも、自分が思い出したくないのだろうか。
セルリアは痛みを抑えるように目をつぶり、セロシアの温もりだけに集中した。
※ ※ ※ ※ ※
「殺され記憶がなくなることはあるのか?」
「あるよ」
頭痛に顔をしかめるセルリアを見ながら、ヘイムダルは問うた。ロキは少しイライラしながら短く答える。
(心配なら出て行けばいいだろうが)
そう思うが、彼が出て行くと必然的に自分も出て行かなければならない。すると尾行していたことがばれ、セロシアに何と言われるやら。
普段でもうるさいのに、これ以上怒鳴られるのは嫌だった。
「強い衝撃を受ければ記憶がなくなることがあるだろう? あれと、そうだな。あとはショックで事実が受け入れられなくて、脳が拒絶したとか。何度か前例はあるみたい」
「受け入れられないとは。死んだことがか?」
「違うんじゃないかな?」
ようやく頭痛が治まったのか、セルリアとセロシアが立ち上がった。ロキは彼女達から目を離さないままだが、こちらの困惑は感じ取ったらしい。前を向いたまま話を続ける。
「じゃあ聞くよ。ヘイムダル、君は自分が殺した者、殺した者の家族を思い出したい?」
「……覚えておこうとは思う」
「いつでも、どこでも? どんな場合でも?」
「………………」
何が言いたいのか分からない。どんな時でも思い出せるわけではない。それに連結する事柄がなければ記憶は呼び起こされない。
ヘイムダルが黙ってしまったのを、ロキはちらりと見てさらに続けた。
「質問を変えるよ。もし君が死んだとしよう。でも君はもう一度復活を許される。その時、自分を殺した者を覚えていたいかい?」
覚えているからと言って、無意味に復讐を、とは思わないが。それでも、二度も殺されてやる気はない。ならば警戒するためにも、覚えておいた方がいいと思う。
「ああ」
「そう。たとえそれが、信頼していた自分と親しい者だったとしても?」
ロキの言葉に、ヘイムダルは己の従者に視線を移した。
「まさか……」
「可能性だけどね。有り得ないとは言えない」
ロキが意外にもしっかりとした口調で告げ、ヘイムダルは考えた。もしそうなら、彼女はどうするのだろうか。
セロシアが望んでいるのは『復讐』だ。彼女自身そんな大げさなもの、と笑うかもしれない。だが、すでに人間ではない彼女の力は、どういった形で相手を傷つけるか分からない。まして未熟な腕ならおさら。
(お前を殺したのが親しい者だったとしても、復讐を望むか?)
人一倍負けん気が強くて、姉が大事で、自分とは違う価値観の彼女。それを面白いとも思っている。
だが逆に、どこか昔の自分に似ていて、どこか脆そうな部分は危うくもある。
事実を知って、もしそれがロキの言うような結果だとしたら。セロシアは、どうなってしまうのだろうか。
「『絶対』違う。と言えるならいいんだけどね」
双子を見たまま、ロキはポツリと呟いた。
「本当は、『絶対』なんてないって、よく分かってるのに……」
「そうだな……」
何事も『絶対』があればいい。だが、そんなものはない。長く生きすぎたせいで、そう思ってしまえる。
それでも、どこかで求めるのだ。『絶対』を。
「さて、そろそろ帰って迎える準備をしないと……って、まずいな」
「どうし……これは」
いつになく真剣な表情をしたロキ。彼の動作を追うように、ヘイムダルも夕陽色の空を見上げた。
どこか毒々しい色の空。その色を認識したのも束の間、ヘイムダルは警戒の色を濃くする。
「死霊か?」
「まずい、集まってきてる。セルリア!」
理由は知らないが、黒い靄がと空に満ち溢れていく。咄嗟に双子の方に視線を移せば、すでに靄に取り込まれそうになる姿があった。
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