第9話
一通り服を乾かし終えると、ロキはセルリアににっこりと笑顔を向けてきた。
「ま、とにかくここにいても仕方ないね。僕の屋敷に行こう。ついてきて」
「は、はい!」
踵を返したロキに、少し離れてついていく。歩く姿すら綺麗だと思ってしまうのは、ロキがロキだからだろうか。
「そうだ。はい、これ」
再びパチンと指を鳴らして、彼はどこかから長い杖を取り出した。どうやらロキは魔法を使う時に指を鳴らすらしい。そんなことを考えていると、杖がこちらに放り投げられる。
先端にのみ装飾の入った杖。二枚のチューリップに似た花びらが蕾のように交差し、その真ん中に青い玉がついている。
「これは?」
「君の杖。魔法、少しは使えるんでしょ?」
「えっと、補助魔法と、結界や治癒のを少し……攻撃魔法はまったくダメで……」
養成学校で魔法の訓練も受けた。元々あった魔力を覚醒させてもらったのだ。
だが覚醒までに時間がかかり、ほとんど使えないも同然で卒業してしまった。
セルリアの場合、補助や治癒は何とかできるが、攻撃魔法は発動しないことさえ当たり前の状態である。
「やっぱりね。その杖は防御系に秀でた仕組みになってるから、波長は合うと思うよ。魔法に慣れない内は杖を媒体にした方が安全だし、常に手元に持っておくように」
ロキの『やっぱり』という言葉に違和感を覚えながら、セルリアは真新しい杖を強く握った。
「攻撃魔法はおいおい訓練してあげるよ。どちらかといえば、攻撃は君の妹が得意な分野だろう? 双子なのにそこは似てないんだね」
苦笑しながらの言葉に、セルリアは杖から顔を上げた。
「え? 何で妹がいるって……」
「そりゃ事前に報告は受けてるよ。フッラからね。セロシアだっけ? ヘイムダルの従者でしょ。彼女にも君と正反対の杖が渡っているはずだ。一緒に作ってもらったから」
「わ、わざわざすみません!」
恐縮して頭を下げるセルリアを、ロキはおかしそうに見ていた。
「ここ、謝るところじゃないでしょ。それとも君が日本とかいう所で育ったからかな?」
そんなことまで知っているのか、とセルリアは驚いた。
「生まれはギリシャでしょ。五歳ぐらいに両親がいなくなって、六歳の時に日本人夫妻に引き取られたんだよね? えっと、オ、オウミ、だっけ?」
ロキの発音しにくそうな様子に苦笑する。記憶によみがえるのは、いつも笑顔を絶やさなかった温かい二人の顔。
「はい、青海夫妻……私と妹を育ててくれた、大切な両親です」
セルリアとセロシアは、五歳の頃両親がいなくなりギリシャの孤児院で育っていた。しかし一年後、たまたま旅行で訪れた青海夫婦に気に入られ、引き取ってもらったのだ。
その時、外見も日本人に近く、せっかく日本で暮らすなら、と和名を貰った。
それに、家族になった証にと、夫妻が大事にしていた懐中時計と腕時計をそれぞれセルリアとセロシアにくれたのだ。
大事な両親からの大事なプレゼント。肌身離さずつけていたそれも、神人になった今、どこにあるのかすら分からないが。
その青海夫妻もセルリア達が中学に上がる直前に事故で亡くなり、二人は再び孤児院に入ることになった。そして今、一度目の生を終えてここにいる。
改めて考えると不思議な感じがした。同じように死んだ青海夫妻はいないのに、自分とセロシアはまだここで『生きて』いるのだから。
セルリアは己の右手を一度強く握り、また開いた。二度目の生を受け入れた今の体。生前と変わらずセルリアの意のままに動いてくれるそれは、昔と同じであって同じではない。
(私は、昔とは違う私で生きていけるのかな……)
開いた手のひらを見つめていると、前方から視線を感じた。顔を上げれば、いつの間にか立ち止まっていたロキが、あの綺麗な青い目をじっとセルリアに向けている。
「あ、あのっ」
慌てて取り繕おうとしたセルリアより先に、ロキはにっこりと笑った。
「さて、それじゃあ、ギリシャ生まれで日本育ちの君は、『すみません』以外に言う言葉を思いついたかな?」
言われて、そういえばそんな話をしていたんだと思い出した。
セルリアは一瞬戸惑いながらも、ロキの綺麗な目に促されるように口を開く。日本人はよく謝ると言うけれど、ここで使う言葉は彼の言うとおり違う。
貰った杖を優しく胸に抱え、少しくすぐったい思いを抱きながらセルリアは笑った。
「ありがとう、ございます……ロキ様」
「よくできました」
まるで子共をあやすような口調だったが、不思議と嫌ではなかった。むしろ、褒められたことがとても嬉しい。胸の中が温かくなる。
そのまま二人はヴァラスキャルヴの出口に着いた。いつの間にか雨が上がっている。
「そう言えば、どうして私の苦手な魔法まで知っていらしたんですか?」
渡された杖を、ロキは防御に秀でていると言った。攻撃が苦手だ、と言ったセルリアの言葉に、『やっぱり』とも返した。
生い立ちは事前にフッラから聞いていたとして、なぜ彼はセルリアの得手不得手まで知っているのだろうか。やはりこちらもフッラから言われていたのか。
「さあ、どうしてでしょう?」
向けられた笑みは先程のものとは違い、どこか挑戦的で、どこか子供っぽいもの。セルリアは頬に熱が上がるのを感じた。
「まあ、神様だからねぇ」
それで済まされても困るが、思えばヘイムダルも双子を前にして、きっちりとセロシアを見分けていた。部屋に入った時から、彼の視線はセロシアにしか向いていなかったのだ。
「やっぱり、人間と神様は違うのかな?」
「そう思う?」
独り言に質問を返されて、セルリアはロキを見ながら首を振った。
「よく、分からないです」
「ま、それもその内分かるようになるさ。っと、言い忘れていたね」
軽く言いのけて、ロキはヴァラスキャルヴの門に手をかけた。これも広間の扉と同じ仕掛けなのか、苦もなく巨大な門が開いていく。
その先に見えるのは、日本ではあまり見られない満天の星空と壮大な景色。人間達が遥か昔になくした多くの自然。
雨がやんだ今、頬を撫でる風が、降る星空が、足を受け入れる草原が、そして遠くに見える巨木が、まるでセルリアに挨拶をしているように思えた。
圧巻の景色からロキに視線を移す。彼はその青い瞳を柔らかく細め、笑った。
「ようこそ、北欧神界アースガルドへ。歓迎するよ、セルリア」
神という、同じ世界のずれた場所に住む種族。人間とは大きく違うのかもしれないし、似ているのかもしれない。まだ答えは見つからないけれど、一つだけセルリアにも分かっていることがある。
(ああ、この方が私の主だ)
セルリアは、そう、素直に受け入れることができた。
新しい世界に不安はある。けれど、ほんの少し温かくて優しい希望が生まれた瞬間だった。
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