第3話

 雨の中、頭上に布を広げて下りるフッラを見送り、セルリアは椅子に背をもたせかけた。


「あたし達はさ、この先この体でずぅっと生きてくんだよね」

「そうだね。神人も多少は年をとるって聞いたけど、見た目はあんまり変わらないらしいし」


 セルリアは思い出す。

 死を告げられたあと、何もできずにいたセルリア達の前に複数の人物が現れた。

 ヨーロッパの彫刻のような服を着た青年。古い、日本の飛鳥時代ぐらいの格好をした男性。そして甲冑に身を包み、槍を手にした女性。


「えっと、ギリシャ神界のヘルメス様と、日本神界のイザナミ様に仕えてる人と、あと、北欧神界の戦乙女だっけ? ヴァルキリーとかいう人だったよね」

「うん。あの人達が、私達を見つけてくれた」


『人』と表記するには語弊があるのだろう。彼らとて、神やそれに仕える者であり、人間ではないのだから。

 彼らは言った。『死者の魂の中でも、大きな魔力や力を秘めた者がいる。そういった者を選定し、神の従者となる神人を選出するのが役目だ』と。


 自分達では分からなかったが、セルリアとセロシアにはそれ相応の魔力というものがあったらしい。

 言われてみれば、小さい頃は変な人影を見ることが多かったな、とか。上から落ちてきたガラスがなぜか自分には当たらず周りに落ちたな、というようなことが思い出される。


 二人はしばらく悩んだあと、彼らから新たに鼓動を刻む肉体をもらい、神の従者、神人になることを承諾した。早すぎる死を、自分でも受け入れられなかったのかもしれない。


「名前もさ、日本名から本名に戻しちゃったし。あ、でもやっぱり本名の方がしっくりはくるのよね。何でだろ」


 セロシアのぼやきにセルリアも苦笑した。

 セルリアとセロシアの外見は、ぱっと見た限り日本人だ。しかし西洋の血も四分の一ほど流れていて、生まれはギリシャだった。五年ほどそこで育ち、紆余曲折を経て日本に渡ったのだ。

 その時、日本名としてセルリアは雪花【せつか】、セロシアは月花【つきは】という名前をつけてもらった。


 神人になる時はどちらの名前でも良かったのだが、『どちらにするか』と問われた時、二人とも本名を望んだ。 日本名の方が、使っていた期間は長かったのに。


「やっぱり、私達に初めてつけられた名前だからだよ。私達が、生まれて初めて貰ったものだもの。大事にしたいと、無意識に思っちゃったんじゃないかな」

「……そんなものかしら」


 憮然とした顔のセロシアの隣で、セルリアは思う。本名を望んだのは、もう一度新たに生まれて、何もかもをやり直したいという思いがあったからじゃないか、と。


(一度死んで、昔の私はいなくなったから、だから……)


 もう一度、自分を最初から作れるのならと、心のどこかで思ったことは否定できない。

 あれから一年。従者養成学校という場所で、セルリア達は必要な知識を詰め込んでいった。そして、本来は五年から十数年かけて学ぶのだが、なぜか先日、卒業と就職が言い渡されたのだ。


「ね、セルリア。必ずやり返そうね!」

「え?」


 考え込んでいたところに声をかけられ、セルリアは慌ててセロシアを見た。


「もう! 聞いてなかったの? あたし達を殺した奴らのことよ。なぜか前後の記憶があやふやで覚えてないじゃん。でも、こうやって神人として生きていけるってことは、いつかは探し出せるでしょ。あたしはそのために神人になったんだし!」

「あ……セロシア。私はね……」

「セルリアを傷つけた奴、きっと前から言ってたストーカーよ。絶対見つけ出してやるんだから……」


 言いかけたセルリアに気づかず、セロシアは唇を噛み締めて呟いた。その表情は心から怒っている時のもので、静かな声は強い憎しみを感じるもの。

 自分を思ってくれているのだ。そう分かるがゆえに、かける言葉に詰まる。


「お待たせ。道の一部が壊れてたわ。あとで直させないと……どうかしたの?」

「あ、いえ」


 戻ってきたフッラに笑顔を返し、セルリアは再び走り出した馬車の振動に集中した。そうしなければ、胸の中から何か嫌なものが溢れてきそうな気がしたから。

 しばらく沈黙を保っていると、突然セロシアが窓に張りついた。そのまま感嘆の声を上げるので、セルリアも後ろから覗いてみる。


「どうしたの?」

「見てセルリア! 虹の上を走ってる!」


 雨に打たれる窓の外。その中で地面が淡い光を放っていた。七色というより、いくつもの色が綺麗なグラデーションを描きながら変化していっている。


「すごい……」

「これが、貴女達が生きていた現界と北欧神界を繋ぐ虹の橋、ビフレストよ。養成学校も途中から繋がっててね。綺麗でしょう?」

「はい! うわぁ、虹の上を走れるなんて、お伽話の中だけだと思ってたのに」


 橋を見ながらはしゃぐセロシアに、セルリアはホッと胸をなで下ろす。

 もう彼女からあの強い感情は見えない。セルリアのよく知っている、明るいセロシアだ。

 その時、馬車が再び止まった。今度は衝撃も何もない。緩やかに止まったのだ。


「さ、この門を抜ければ、これから貴女達が住む北欧神界、アースガルドよ。今から、北欧神界の主神、オーディン様に会ってもらうわ。貴女達の主もそこで発表します」

「はい」


 少し重い音が聞こえると、馬車が走り出した。どうやら門を開けていたらしい。


「あ……」

「セロシア?」

「今、門のとこに誰か立ってたように見えたんだけど……気のせいかな?」


 雨のせいでよく見えなかったのだろう。セロシアはかじりつくように窓の外を見ていたが、溜息をついて椅子に戻った。


「いいや。あとでまた会えるだろうし」

「そうだね」


 門にいたということは、その人はここの神様なのだろう。今は会えなくても、機会があれば挨拶をしに行けばいい。

 他愛ない話をしながら、セルリアも椅子に身を沈める。


(どんな方に仕えるのかな?)


 降り止まぬ雨の中、セルリアはまだ見ぬ主に考えを巡らせていた。

 養成学校でも、数人『神』と呼ばれる者を見かけたことがある。見た目は人間と同じだったり、それに近い姿だったが、やはり纏う空気が違った。

 対してセルリア達神人は、神籍に名を連ねたが神ではない。同時にもう人間でもない中途半端な存在だ。


 それでもこの神界で、自分の主となる神とうまくやっていけたらいい。ここからまた、新しい人生が始められればいい。

 そう、強く思った。

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