第7話  覚醒

 走る佐久耶に従って、空き地に入り込む。

 サキルとアミカも鏡魔からの攻撃を警戒して、鏡がない場所を選んだようだ。

 けど、そこで見た光景は、酷すぎるものだった。まるで、死骸に群がる蟻を見ている気分になった。揺れ動く悪魔の隙間から大きな赤白い輝きに包まれた塊が見える。

 その中心に燃えている少女がいた。

 俺と同じ年頃の少女の周りを、様々な姿をした悪魔が取り囲んでいる。けど、空を飛んでいる悪魔のような翼はない。

 きっと、こいつらがクトニアという階級の悪魔なんだろう。ここに来るまで、一体も悪魔に遭遇しなかった。おそらく、佐久耶の予想通り、この地域のクトニアの多くが空き地に集結していると思えるだけの数だ。

「アミカ・・・」

 佐久耶が呆然と呟き、矢を発動させた。

「今・・・助けるから!」

 奇跡を施された矢は、正面の悪魔に向かっていく。クトニアは流れ出るエーテルを喰らうことに夢中でまったく俺達に気づいてない。

 青白い爆発。数対が吹き飛ぶ。クトニアが俺達に気づく。

 さすがに鏡魔とは違う。奇跡発動下でも、人間が歩く速度の速さで接近してくる。

 けど、そのおかげでアミカという天使の姿が全部確認できた。その炎に包まれている体は、炎そのものと断言してもいいほどの惨劇になっている。俺の暴走も最終的には、あんなふうになっていたはずだ。

「アミカ!」

 佐久耶の悲痛な叫びに、アミカが悲しげな笑みを浮かべた。

『ごめんね。サキルを止められなかった。私が弱くなければ、もっと強ければ・・・でも、こうなった責任はとらないと・・・けど、このままじゃ・・・お願い。佐久耶』

 可憐な少女は、悲しげにそう言った。

 佐久耶は1本だけ矢を発動させると、それを弓に番えた。

 その矢は眩しすぎるほどの光を放っている。まるで、束にしていた矢の力を1本に集中させたかのようだ。

 でも、佐久耶は、矢を放たない。

「佐久耶、早くしないと・・・」

 残酷なことを言っているのは、自分でも分かっている。けど、こうしている間にも、半数ぐらいのクトニアが近づいてきている。

 残りの半分は、まだアミカから流れ出るエーテルに群がっているが、数の差はきつい。

『佐久耶・・・早く!』

 アミカの叫びが、引き金になった。

 佐久耶の手から矢が放れる。途中で5体の悪魔を貫いたが、爆発しないで輝きも速度も落ちない。

 やがて、アミカの胸に突き刺さる。

『・・・ありがとう』

 表情が和らぎ、笑顔のまま、爆散して霧のように消えていった。

「アミカ・・・ごめん・・・ごめんね」

 アミカが完全に消えると、空き地の輝きも消えた。

「佐久耶!クトニアを!」

 佐久耶には悪いけど、今は悲しんでいる場合じゃない。

 餌としていたアミカを失った奴らまで、奇声をあげながら近づいてきている。余裕なんてあったもんじゃない。

 佐久耶にしても俺にしても、死んでからじゃ、悲しむことだってできない。

 まずは、この状況を切り抜けないと。

「・・・うん。補助、お願い」

 長い金髪に隠れて表情は見えなかったけど、細い肩は微かに震えている。

「ああ。任せとけ」

 佐久耶の悲しみに応えるために、強力に展開させた補助奇跡を矢に施した。


「けっこうきつかったな・・・」

 近づいてきた3体のクトニアを吹き飛ばして、空き地での戦闘は終わった。

 やはり、数の多さが凄まじかった。場所が空き地でなく、後退できない場所だったら、俺達がやられていたかもしれない。

「・・・そうね」

 佐久耶が空を眺めたのを見て、俺も空に目をやる。空での戦いも、黒い点がかなり減ってきていた。

 安堵からの溜息をついた。最初こそ劣勢だったものの、この調子なら勝てそうだ。

「・・・アミカ、私は・・・」

 佐久耶が、アミカが暴走していた場所である空き地の真ん中まで進んでいく。

 その背中に、どんな言葉をかけていいか分からなかった。

 勝てる戦いであっても、佐久耶と理沙にとっては、大切な友を亡くした戦いだった。

 サキル、アミカ。それに堕ちたヒミカもまだ生きていても、いずれ殺される。

 その誰もが、ともに育った姉妹のような友。

 しかも、犠牲は少なくともこの3人。

 この戦いが終わってから連絡をとって、初めて聞かされ事実だって出てくるはず。

 その事実がなんであれ、悲しみを増やすことはあっても、減らしてはくれない。

 なら、佐久耶は、これからどうすべきなんだろうか?

 命をかけて親友を護ろうとしたサキル。

 自分の弱さを嘆き死んでいったアミカ。

 佐久耶はこの2人の思いに応えなければならない。それが、友の死を見届けながらも生きている者の務めだと思う。

 そして、その思いに応えるための努力を、歩みを止めてはならない。

「佐久耶・・・戦おう」

「えっ・・・?」

「まだ、戦いは終わっていない。空にも悪魔は残っているんだ。俺達には、他の能天使や力天使より強い力がある。嘘でもなく、自惚れでもなく、事実として」

「でも・・・・・・」

「その力で、俺達が戦って、1人でも多くの天使が生き残れるなら、戦うべきだ」

「でも・・・サキルやアミカみたいな天使が、また現れてしまったら、私は・・・」

「そうならないためにも、戦うんだ。佐久耶が、こうやって悲しみに暮れているうちにも、悪魔に引き裂かれて死んでいく天使がいるんだよ?」

「でも、私はもう・・・」

「ここで戦うのを止めてしまったら、サキルとアミカの死は一体なんだったんだ?」

「でも・・・私はもう、誰かが死ぬのを見たくない!」

 佐久耶の体から、青白い輝きが消える。

「誰かを救えるだけの力があるのに、怖気づいて逃げるのか。そうやって、目を背けて、誰かが死ぬのを仕方ないって諦めるのか? そんな佐久耶を見たら、サキルは悲しむだろうな」

 と、頭上に影。

 油断した。この空き地のクトニアは倒したけど、まだ空の悪魔を全て倒していなかった。

「大丈夫?2人とも?」

 聞き覚えのある声に、心の底から安堵した。

「理沙か・・・びっくりさせるなよ。悪魔かと思って、もうちょっとで奇跡使うとこだったんだからな」

 理沙が赤い翼を消して、地上に降り立つ。

「悪魔なんかと一緒にしないで。ってか、なんで違う場所にいるのよ?探しちゃったじゃない・・・それより!なんで、あんたが!?死んだと思ってたのに・・・」

 理沙が、輝きを消した佐久耶をちらっと見た。でも、佐久耶は喋ろうとしない。

 だから、代わりに俺が話すことにした。

「それなんだけど・・・」

 理沙に全てを伝える。さすがに、沈んだ空気が漂ってしまう。

「・・・そう。サキルがそんなことを。それに、アミカまで・・・そっか」

 理沙は、少し鼻を啜った。

 俺も理沙に聞きたいことがあった。理沙が戻ってきたということは、ヒミカを殺したからだろう。

「その・・・ヒミカは?」

 理沙は、自嘲的な笑みを浮かべた。

「殺したわ。私の手で」

「・・・そうか」

 慰めの言葉はかけない。きっと、理沙の心をかき混ぜるだけになってしまうから。

 だから、俺はただ聞き遂げるだけだ。

「ヒミカね。何の抵抗もせず、同行した天使の炎を受けたわ。顔ね、少し笑ってた」

「・・・そうか」

「そして、最後に言ったわ。妹を、ヒミナを助けて護ってほしい、って・・・でも、なんのことか全然分からないの。一緒に育てられてきたのに、妹の話なんて一度も聞いたことないから」

「それで、理沙はどうするんだ?」

「決まってるわ。ヒミナって妹を探す。これが、これから私の生きていく理由よ。でないと、なんのためにヒミカを殺したのか分からなくなっちゃうからね」

 ・・・理沙はきちんと受け止めている。

 佐久耶がこれから生きていく理由として拒否した親友からの願いを受け止めている。

 ・・・これなら、理沙に任せられる。理沙は、佐久耶を救ってくれる。

 これで、安心して戦いに行ける。

「理沙。佐久耶を頼む」

「えっ?・・・頼むって?」

「俺は、佐久耶の力になれなかった。佐久耶を立ち直らすことが出来なかった。 でも、お前なら・・・だから、頼む」

「えっ?いきなり、なにを・・・?」

 誰かの願いを受け止めたことなんて、一度もない。だから、俺の言葉は、佐久耶の心には届かない。

 俺と佐久耶の違い。

 それは、大切な何かを失っているか、いないか。今思うと、大切な何かを失っていない者の言葉なんて届くはずがないんだ。

 でも、俺は諦めない。

 俺なりのやり方で、佐久耶を護る。

 そのためにも、一人でも多くの天使を助けてみせる。佐久耶が悲しまないように、悪魔と戦う。

 俯いたままの佐久耶の頭を撫でる。

「じゃあな。佐久耶。俺、行くから。お前が悲しまないように、1人でも多くの天使を助けてみせる。だから・・・またな」

 佐久耶の体が少しだけ、びくっと反応した。

 それを悲しく思いながら、空き地の外へと走る。まだ、別のエリアにはクトニアが残っているはずだ。それから片付ける。

「ちょっ!?佐久耶をどうすんの!ってか、佐久耶と何があったのよ! それより!補助天使のあんたが一人でどうやって悪魔に勝てるの!? ねぇ!御剣!なに?この状況はぁ!?」

「佐久耶を頼んだからな!」

 理沙は、1つ勘違いをしている。

 俺が悪魔に勝てないなんて、誰が決めた?

 俺は飛鳥と互角に戦った。1人で悪魔と戦ったのは、それっきりだが自信はある。

 それに、俺には融合奇跡を扱えるだけの才能がある。


 鉤爪をぎりぎりで避け、懐に潜り込む。

 すぐに右手に炎のイメージ。次に、指先に三角形に吹き流れる風をイメージする。その風に炎をのせる。鋭いかたちを成した風が、クトニアのわき腹に刺さり、炎が体に入っていく。それを確認して、さらに炎を拡大する。

 クトニアが、一瞬で灰と化す。

 ・・・39匹目、と。

 佐久耶が遠距離専門なら、俺は近距離重視になるんだろう。

 融合奇跡さえ使えれば、補助天使であっても、クトニアぐらいなら対等以上に戦える。

 しかし、数が多い。一体、どこから湧いて出てくるんだか。

 ・・・佐久耶は、今頃どうしているんだろう?まだ泣いているんだろうか?

 理沙が、話してくれているんだろうか?

 大切な存在を自分の手で殺してしまった者同士なら、きっと、その言葉だって心に届くはず。そして、佐久耶にも、理沙みたいに親友の想いをきちんと受け取って欲しい。

 死を賭けてまで残された想いを、無下にしないでほしい。

 と、道路の角からクトニア。3体。

 まだ俺には気づいていない。家の塀の上に飛び乗って、奴らの背後に回りこむ。

 静かに着地するとともに、中央のクトニアを背中から灰にする。それに気づいた残りの2体が振り向いてくる。

 両手にイメージ。人間なら心臓に当たる部分に叩き込んで、2体を一瞬で灰と化す。

 これで、42体。

 何気なく見やった空には、悪魔がほとんどいなかった。天使も減ってはいたけど、これだけの数の差があれば負けないだろう。

「うわっ!?」

 走っていると、いきなり転んでしまった。

 おかしいな?転ぶようなものなんて・・・

 倒れたことで気づいた。

 地面が激しく揺れていることに。立ち上がっても、まともに立っていられない。

 這い蹲りながらも見上げた空に、翼を広げた天使が飛び立っていくのが何体か見えた。

 空に逃げることで、地面の揺れを回避したんだろうけど・・・

 あいにく、もとが人間である俺には、翼なんて気の利いたものはない。こうやって、地震が収まってくれるのを待つしかない。

 やがて、揺れが収まった。

 すると、空が黒く輝き始めた。赤い輝きより遥かに嫌な感じで気持ち悪い。

 周囲を警戒していると、目の前の家から中学生くらいの男が出てきた。

 ・・・なんで、人間が・・・

 エーテル保持者か!

 理沙は、この町には、俺しかエーテル保持者はいないと言っていたけど、他にもいたんだ。とりあえず、隠れていてもらわなければならない。

「君。今は危ない。家の中に・・」

『・・・お前、持ってるな・・・』

 濁ったような声。

「えっ?」

 そして、俺に視線を向けると、いきなり襲い掛かってきた。けど、眼が虚ろだ。どこを見ているのか分からない。それに、動作スピードが鏡魔並みに遅く・・・

 こいつ、まさか・・・

「実体化しかけた鏡魔!?」

 けど、エーテルなしで実体化だと?

 後ろから視線。

 振り返ると、民家から鏡魔が溢れてきている。一つの民家にこれだけの数の人間は住めない。鏡の中に潜伏していたに違いない。

 さらに曲がり角からも、道を埋め尽くすほどの鏡魔が現れた。

『よこせ・・・その輝きをよこせ・・・』

 相手が鏡魔でも、数の差はきつい。

 いきなりの窮地。逃げ場が無くなった。

 でも、まだ諦めない。

 一番手薄な箇所にいる鏡魔に、融合奇跡を喰らわそうとイメージを開始する。

 その刹那。

 狙っていた鏡魔が、銀色に光る槍で串刺しにされ、風に吹かれる砂のように霧散した。

 次は、さらに広範囲で串刺し。次は、視界が銀で埋まるほどの数が振ってきた。

 4撃目で、鏡魔はいなくなった。

「平気か?」

 呆然とする俺の頭上から声。けど、今回は理沙じゃない。

 そこには、4枚の翼を持った男天使がいた。

「・・・助かりました」

「ん?そのエーテル構成・・・そなたは、人間だな」

「ええ。まぁ・・・」

「そうか。しかし、人間なのに、何故それほどに強い力を・・・」

 視界が消える。何も見えなくなるほど、目の前が一瞬真っ暗になった。

 けど、それもすぐに回復した。

 どうやら、ただの眩暈だったようだ。

「・・・なんてことだ!こんなことはありえん!ミカエル様は・・・4大天使は!?」

 男天使の全身が震えている。

「ど、どうしたんですか?」

 さっきの荘厳さが感じられない。代わりに感じられるのは、怖れや驚愕。

「人間よ!そなたは、今すぐ・・・」

 言葉途中で、縦に真っ二つになって、消えた。消えた地面には、棒状のものが突き刺さっている。

 ・・・空からか!

 男天使に哀悼しながらも空を確認する。

 凝視した空で、明るい輝きが減っていく。確実に、天使が殺されている。

 黒い空だから、よく見えないけど、何体かの大きくて速い何かが空を駆け巡っている。

 明らかに今までの悪魔とは違う。けど、確実に、そいつらに殺されている。

 ・・・佐久耶!

 早く戻らないと。理沙が補助しても、あんな状態じゃまともに戦えない。

 駆け出した周囲に黒く冷たい空気が漂いだした。なんとなく、空から吹きけてくるようだけど・・・なんだ?

 見上げた空から、黒い翼を持つ影が舞い降りてきた。

 ・・・黒い天使?

 見た目は、佐久耶と同じような人間だ。

 けど、そいつから発せられる、斬られそうなオーラに動けなくなってしまった。

 そいつが、俺を見て首を傾げる。

「あれぇ?間違えた?こいつはどう見たって、ただの天使だよ。・・・ん?いや、天使の力を持った人間か。でも、おかしいな。人間なのに、ミカエルのエーテルと同じ波動を持っているなんて。もしかして、あいつ、遮蔽か遮断でもしているのかな?・・・まぁいいか!お前さ、ミカエルがどこにいるか知らない?」

「・・・いや、知らない」

「そっか」

 こいつ・・・天使か?

 このオーラは上級天使特有のものなのかもしれない。ミカエルと呼んでいるし。同じランクなら、様づけすることもないんだろう。

 それに、俺が人間だと気づいたみたいだ。死んだ男天使も同じように気づいていたし。同じように、俺が人間だと気づいたということは、天使なんだろう。

 と、そいつが、いきなり俺を睨みつける。

「まぁ・・・とりあえず、こいつ殺しとこ。俺、人間嫌いだから。それにミカエルと同じ波動を持つなんて、むかつくからね」

 その眼が、赤く輝いていた。


「ほらほら!避けないと死んじゃうよ!」

「くそっ!」

 奇跡を最大限、白い世界に行く前なら、間違いなく暴走していたであろうほどの奇跡を発動している。けど、それで対抗しているのにも関わらず、攻撃を避けるので精一杯になっている。こいつの攻撃は早すぎる。

 そんな俺とは対照的に、この黒い翼を持つ者は薄ら笑いを浮かべている。

「いいねいいね!なかなか強いね!久しぶりに楽しいよ!」

 鏡魔やクトニア、そして、飛鳥の動きの速さは、子供だましでしかないことを知った。

 こいつとの戦いは、普通の人間同士の喧嘩以上の速さで繰り広げられている。

「っ・・・!このやろう!」

 クトニアへの攻撃と同じ奇跡で、上半身目がけて、全速で手刀を繰り出す。

 が、上半身を後ろに反らされた。

「当たらないねぇ!もっと速くないと!」

 融合奇跡での攻撃も、なんなく避けられてしまう。それに、他の天使の援護もない。

 状況は、かなりやばい。

「さぁ・・・これは、避けきれるかな!」

 鉤爪を交互に突き出してくる。この連打、まるでボクサーだ。

「くそっ!」

 後退しながら、交互に繰り出される手の動きに集中して、なんとか避ける。

 何かに足をとられた。

「しまっ・・・!」

「もらったぁ!」

 頭上から鉤爪を振り下ろしてくる。体が浮いてしまっている状態では、避けることすらできない。

 ・・・諦めるか!

 奇跡で風を起こし、渦巻かせることで障壁を創った。炎では駄目だ。弾き飛ばすだけの壁を創ることが出来ないから、効果がない。

 けど、炎が属性である俺は、風属性があまりうまく操れない。

 それでも、自分の力を信じる。

 と、悪魔の左肩に、細い棒が刺さり、すぐに青白い輝きに包まれて、吹き飛んだ。

 ・・・これって、まさか!?

「御剣!怪我は!?」

 駆け寄ってくる金色の髪。

「佐久耶!なんで?」

 俺が起き上がるのを手伝いながら、微笑んできた。

「私、やっと分かったの。サキルが命をかけてまで皆を護ろうとした理由が・・・それは、これからの大切な日々を護りたいから。過ごした大切な日々を護りたいから。そして、それをともに過ごした友、これからともに過ごすであろう友を護りたいから。サキルは、自分の思い出に存在している者が、たった一人でも欠けることが我慢できなかったんだね。皆の笑顔を・・・皆の命を護りたかった。それは、サキルにとって、自分の命よりも大切なものだから」

「佐久耶、お前・・・」

「だから、私も戦って、大切なものを護ってみせる。もう逃げない」

「大切な、もの?」

「ええ。理沙や一緒に育った天使、そして、御剣。あなたも護ってみせる。それに、今まで黙っていたけど、私も御剣と同じで、3つを有する天使なの」

「・・・今更、そういう大事なことを言うか?普通は」

「・・・あまり、言いたくなかったの。才能があればあるほど、奇跡は暴走しやすいものだから・・・」

「・・・ああ。そうだな」

 才能は暴走を伴う諸刃の刃。佐久耶も俺と同じものを有する者として、同じだけの確率で暴走する危険性がある。

 がらがらっ・・・と音。

「いって~!誰だよ!?邪魔したの!」

 悪魔が瓦礫をどかしながら、姿を現す。

 瓦礫の隙間から、確認できた姿は、矢が命中する前と変わっていない。

「・・・無傷かよ」

 これまで補助奇跡の有無に関わらず、佐久耶の矢で爆散しなかった奴はいなかった。

 まして、無傷など考えられない。

「御剣、やるわよ」

「ああ」

 矢に補助奇跡を施して、立ち上がりかけているところに放つ。左肩に命中して爆発。

「ぐっ!」

 さすがに、今度は無傷ではすまなかった。

 それでも、左肩を負傷しただけで、消え去らない。その左肩からは、黒い血のような液体が蒸発している。なんとなく、エーテルに似ているような・・・

 そいつは目を大きく見開いて、吹き飛んだ左肩に視線を送り、険しい表情で俺達を睨んできた。

「よくも・・・殺してやる!」

 佐久耶が次の矢を放つ。

 矢が放たれたと同時に、漆黒の翼を持つ者は黒い半球で包みこまれた。その黒い半球は、あっという間に濃度を増していく。

 矢は、黒い半球に刺さって、爆発した。悪魔にまで届いていない。

 佐久耶の動きが止まる。

「・・・そんな!」

 ショックのためか、左手に発動させた矢が消えてしまった。

「どうした?」

「あの半球は遮断奇跡よ!」

 自分の耳を疑った。

「奇跡だって?」

 奇跡を使えるのは天使だけだ。しかも、遮断奇跡は、拡大奇跡の最高ランクに属するもので、遮蔽奇跡の上位に属する奇跡だ。

 奇跡は高位になればなるほど、発動まで時間がかかる。けど、あいつは、発動までの時間が短すぎる。

 俺は、まだ遮断奇跡を習得していないから比べようもないけど、圧倒的に短いはずだ。

 これだけの奇跡を扱えるのは、上級天使ぐらいだろう。こいつは、いったい・・・

「御剣!最大の力で補助奇跡をかけて!」

 佐久耶の体が、今までで最高の輝きを放った。突然の変化に戸惑ってしまった。

「えっ?でも、あいつは・・・」

「堕天使よ!それも指揮官クラスの上級天使よ!」

「・・・くそっ!」

 迂闊だった。奇跡を使えるのは天使だけじゃない。

『堕ちたヒミカは、まだ奇跡を使えるの。それが、堕天使と悪魔の大きな違いよ』

 こいつが堕天使だと気づけなかったのは、黒い翼を持つ悪魔だと決めつけて戦っていた俺の先入観のせいだ。

 悔しい気持ちをかみ殺して、力が集約された矢へと、最大の補助奇跡を施す。

 黒い半球は、もう黒光りする半球体になっていた。それに、その表面が、雲が流れるように渦巻いている。

 佐久耶が、そこへ矢を放つ。

 爆発によるあまりの光量に、目を開けていることが出来なくなった。

 でも、黒い半球に突き刺さるまでは確認できた。光が収まると、ひび1つない半球が以前と変わらない姿で、そこにあった。

 ・・・俺と佐久耶が創り出した最高の矢が防がれた。

「なんて高レベルな奇跡なの・・・」

 これで、俺達の力が、あいつの遮蔽軌跡に、通じないことが分かってしまった。

 でも、まだなにか手段はあるはずだ。

 今の力じゃ無理だから、仕方ない。

 そうやって諦めるのは、もう御免だ。

「佐久耶、俺の融合・・・」

 動きを警戒していた半球が少し膨らんだ。

 縮んで膨らんで縮んで膨らんで・・・を繰り返している。

 佐久耶に腕を掴まれた。

「来るわ!手遅れになる前にここから離れて、増援を呼びに・・・」

 半球が、そのままのかたちで一気に膨れあがる。避ける間もなく、俺と佐久耶は飲み込こまれた。

 突然の攻撃に、反射的に目を瞑り両手で顔を庇う。凍りつくような寒さが、刃となって体に突き刺さってくる。

 今は耐えることしかできない。

 それがいきなり終わった。

 目を開けると、半径民家20件ぶんぐらいまで大きくなった半球が、周りを覆っている。

 そのせいで、外側の状況が確認できない。

 堕天使へと視線を移す。

 ・・・馬?

 そこには、彫刻のように動かない黒い馬がいた。しかも、馬なのに角が生えている。

 けど、その姿が半透明だった。

「・・・ベルフェゴール」

 佐久耶が、呟いた。

「えっ?」

「あれが、あの堕天使の真の姿よ。今は、まだ体を形成中だから、あっちもこっちも、攻撃はできないけど・・・ああいう風に真の姿を形成した堕天使は、真の力を発揮できるようになるの」

「なら、なんで今まで、あの姿を現さなかったんだ?」

「真の姿に近づけば近づくほど、どこかにある本体との接続が強くなるの。その状態で受けた傷の被害は、本体にも同じだけの被害が及ぶのよ。だから、普段は、使いやすさとダメージを考えて、人間の姿をしていることが多いの。けど、私達の矢でダメージを受けてしまうことが分かって、人間形態のままだと殺されると判断したんでしょう。それで、真の姿を現したのね」

「あいつ、どんな天使だったんだ?」

「あの堕天使の名はベルフェゴール。その真の姿は角を生やした馬か犬とされていたけど・・・どう見ても馬のようね。そして、神が定めた7つの大罪の1つである怠惰を犯した罪深き天使。彼は、神が創りだした人間を見て、万能であるはずの神の行いに矛盾を感じてしまい、神から離反した。『人間が幸せな結婚が出来ないのは、人間が仲良く暮らすように創られていないからだ。万能なる神が間違った行いをした』そう言い残してベルフェゴールは、姿を消してしまったらしいの。そして、かなり時を経たあとで、堕天使となったことが判明したのよ」

「七つの大罪?」

「詳しく説明している暇はないわ。初めて会った日にも言ったけど、天使に関わることは、人間界に残されている文献に正確に残っているわ。だから、生きて帰れたら自分で調べて」

「・・・ああ」

 ・・・生きて帰れたら、か。

「それよりも今は、あいつと戦うための手段を考えないといけないから」

 佐久耶の言うように、半透明だった姿が、少しずつ実体化してきている。

「俺の融合奇跡は通じないのか?」

 佐久耶が、首を横に振った。

「ベルフェゴールは権天使の君主、つまり、それを束ねていた者よ。権天使が下級3隊に属するものであっても、それを司る者までは下級の力じゃない。3つを有する中級天使の私達の力でも、勝てないわ。援護が来るまでの時間稼ぎが精一杯よ」

「でも、この状況じゃ、とても援護なんて望めないぞ」

 周囲を覆っている黒い半球は、遮蔽奇跡を拡大したものだろう。膨張しても、あの強度は変わってないはずだ。俺達を逃がすことはもちろん、外からの侵入も拒んでいる。

「そうね。だから、私達が、出来ることはただ1つよ」

 佐久耶の輝きがどんどん増していく。

「私も3つを有する者として、全力で立ち向かうわ」

「でも、暴走が・・・」

 佐久耶も、俺と同じことになってしまうかもしれない。暴走は起きてしまったら、どんなことをしても止められない。

 俺も抑えきれなかったし、アミカだって、自分では抑えることは出来なかった。

「大丈夫。御剣より、エーテルの扱いには慣れているから。なにもせずに、悪魔と戦う天使として生きてきたわけじゃないわ」

 佐久耶の輝きが止まる。空を飛んでいたどの天使よりも強い輝き。これでも、あいつには、勝てるかどうか分からないんだ。

 権天使の君主に底知れない力を感じる。

「・・・分かった。俺も暴走ぎりぎりまで力を使うよ」

「えっ?でも、また・・・」

「心配ないって。1度暴走しているんだから、どこが境界線かは誰よりもよく知っているつもりだよ」

 嘘じゃない。本当に知っている。

 怒りで、さらなる力を渇望したとき。

 これが、暴走と奇跡の境界線だ。

 あの時の俺は、悪魔を殺すために、更なる力を求めた。アミカも、サキルを止められなかった自分の弱さを嘆き、力を求めた。

 その結果、暴走した。

 力を得ようと急ぎすぎることが、暴走の引き金になってしまう。そして、気づいたときには、もう手遅れになっている。

「・・・ごめんなさい」

 佐久耶が、いきなり謝ってきた。

「どうした、突然?」

「こんなことに巻き込んでしまって。私が、塔矢を死なせないで、廊下で鏡魔に襲われたあなたを見つけていれば、普通に護ってあげることができたのに。そうすることが出来ていたなら、御剣はここまで日常を失う必要もなかった・・・でも、あのときの私には、補助天使がいなかった。このままじゃ、鏡魔がどこに潜んでいるか分からない。この町を護れない。だから、御剣に宿る天使の力を引き出させて、塔矢の代わりに・・・私は、自分のことしか考えてないみたい。天使の力を持っていることに戸惑っている御剣に、いろんな理屈を並べて、強制的にパートナーにして・・・最低ね。私は」

 佐久耶が、胸のうちを語ってくれた。きっと、かなりの勇気を振り絞ったはず。

 だから、俺も、佐久耶のこの言葉に応えなければならない。

「なんだよ。ずっとそんなこと気にしてたのかよ。俺は、佐久耶に感謝してるのにさ」

「えっ?」

 揺れる金色の前髪の下で、眼が大きく開かれていた。

「そりゃあ、初めは佐久耶をちょっと恨んだりはした。でも、俺の体にエーテルがあることを教えられて、天使としての力を引き出させてくれていなければ・・・殺されることに怯えながら、佐久耶に護られて、震えながら生きていくことになっていたはずだ。そんな状態が、生きているとは思えない。でも、佐久耶は俺を強くしてくれた。たとえ、それが俺を補助天使とするためのものであっても、俺にしてみれば自分を護れるだけの力を与えてくれた。なぜなら、強かろうが弱かろうが、俺にはエーテルがある。その事実は変わらないから。鏡魔や悪魔と関わることは、避けられないことのはずだろう?だから、佐久耶には感謝しているさ」

「・・・でも、私が、御剣の人間としての日常を奪ってしまったことには、変わりないのよ?それなのに、御剣は・・・」

「俺は、佐久耶が思っているほど、日常を失ったとは思ってないさ。天使の力を手に入れてからも、芳樹や玲人みたいな新しい友達が出来た。理沙と達也とだって、何も変わらずにやっていける。だから、俺は、普通の高校生と同じ生活を送れているよ。それに・・・」

 これから先を言うのは、正直、かなりの勇気がいる。それに、悪魔を相手にしてる状況で言う言葉じゃないかもしれないけど・・・

「御剣?」

 今、今すぐに伝えたいと思った。

「それに、天使にならなければ、佐久耶とだって、話すことさえ出来なかった。ただの護られるクラスメイトで終わっていたはずだ。一緒に学食で飯食ったり、放課後一緒に帰ったり、服買いに行ったり・・・手を繋ぐことだって、することはなかったはずだ。でも、俺は佐久耶と、そんな時間が過ごせた。俺は・・・俺は、佐久耶と一緒にいる時間が好きだ。これからも、一緒にいたいと思っている」

 ここまで言って佐久耶の言葉を待つ。

 告白のつもりだった。

 佐久耶を好きだ。

 そう気づいたのは、日曜のデートの帰りに、人ごみではぐれないように手を繋いだとき。

 あんなに胸が高鳴ったのは、初めてだった。あの場所で、佐久耶を抱きしめたかった。

 そして、確定的に好きだと気づいたのは、飛鳥に好きだと言われた時。飛鳥には酷いことでしかないが、俺の心には佐久耶の顔が浮かんできた。

 好きだと気づくと、どうしようもなかった。

 いつも一緒にいたい。泣いてほしくない。悲しまないでほしい。笑っていてほしい。ずっと、俺だけを見つめていてほしい。

 想いが溢れて、どうしようもなかった。

 そう考える俺の前で、佐久耶が首を傾げる。

「なにを言っているの?パートナーじゃない。ずっと一緒にいるわよ」

 肩の力が抜ける。忘れたころにやってくる的を得ているんだか得ていないのか、よく分からない佐久耶の天然。

「・・・そうだな」

 まぁいいさ。時間をかけるのも悪くない。

「そろそろ来るわよ」

 佐久耶の声に緊張の色が混じる。

 半透明だった堕天使が、ほぼ完璧に実体化してきていた。

「矢を射ったら、奇跡の全てを出して。応用、拡大、融合、種類を問わず使って」

「分かった」

 佐久耶が5本の矢を創りだした。そのどれもが、遮蔽奇跡に阻まれた矢以上の輝きを有している。その矢に補助奇跡を施す。

 赤と青の輝きが絡み合うように渦巻き始めた。これなら、あいつの体の周囲に遮蔽奇跡を施される前に突き刺さるはずだ。

 ベルフェゴールが、閉じていた眼をゆっくりと開けた。

「今よ!」

 佐久耶が矢を放った。

 すぐに、姿を周囲の景色に溶け込ませる奇跡を発動する。

 この奇跡は、平常心を保ってさえいれば、俺の意思なしでは解除されない。ただ、動きが制限されてしまい、行動に急激な変化があると強制的に解除されてしまう。

 奇跡も万能ではないのだ。

 次に、風を操って、ベルフェゴールの周囲で鋭く渦巻かせる。カマイタチを創りだすことで、あの場所から動けなくするのが目的だ。

 佐久耶の矢には、周囲の状況に関係なく、目標にまっすぐ飛んでいくだけの力が備わっているから問題はない。

 さらに・・・

「えっ?私の矢が・・・」

 次の奇跡をかけることは出来なかった。

 佐久耶の矢が空中で止まって、俺達の方へと矢先を向けてきたからだ。

 そして、堕天使が一歩踏み出てきた。青白く渦巻く風斬りの刃は、まるで効果がない。

「・・・だから、人間は嫌いなんだよ。綺麗ごとばかり・・・」

 静止していた矢がこっちに飛んでくる。

「なにっ!?」

 避けようと横に飛ぶ。急激な動作のために、姿隠しが解除されてしまった。

 でも、佐久耶の矢は速すぎる。

 避けられないのが、奇跡発動下にある状態では、瞬時に判断できた。

 けど、佐久耶は逃げていない。

 その場に立ったまま、左手を突き出して、何かを潰すように強く握り締めた。

 次の瞬間、矢は、俺達とベルフェゴールの間で爆発した。

 どうやら、強制的に爆発させたらしい。

「なんて強さなの・・・あんな短時間で操作奇跡まで・・・」

 悔しそうに呟き、矢を発動させた。

 爆発により発生した光のカーテンで、ベルフェゴールの姿が見えない。

 けど、それは、あっちだって同じはずだ。

 立ち上がって佐久耶の隣へと戻る。

 と、いきなり数個の黒い点が、カーテンを突き破ってきた。

 避けるべきか?それとも、回避や防御奇跡を発動させる・・・いや、イメージを思い描くだけの集中している時間が・・・

 いきなり槍が加速した。

「ぐっ!」

 横に飛んだけど、避けきれなかった。

 少し迷っていたのが命取りだった。左脇腹に1つ突き刺さる。それで、これが槍だと分かった。

 体の中から、何かが吸われるような感触がして、ものすごい吐き気に襲われる。

 ・・・この感覚。飛鳥に抱きしめられた時と似ているような・・・

 槍に手をかけ、引き抜くために力を込める。引き抜こうとする度に、体の中から何かが出ていきそうな感触がある。

 それでも我慢して、なんとか引き抜いた。

 不思議なことに痛みはなく、あったのは吐き気だけだった。

 引き抜くと、赤白い輝きが球体になって先端部分にくっついていた。

 ・・・俺のエーテル?

 投げ捨てた黒い槍が霧散して、残ったのは赤く輝く球体。それが、ものすごい速さでカーテンの向こう側に飛んでいった。

 まさか、あの槍って・・・

 左脇腹に視線を落とすと、そこには、赤白い輝きがなかった。

 あの槍にエーテルを奪われた。

 鏡魔のときほどではないけど、痛みが襲ってきた。すぐに能天使の力で痛みを止める。

「大丈夫!?」

 駆け寄ってきた佐久耶の左肩は、青白い輝きが弱まっていた。

「ああ。まだまだ平気さ。佐久耶も奪われたのか?」

「ええ。油断していたわ。まさか、空中で再加速するなんて・・・」

 爆発による光が収まった。

 ベルフェゴールが変わらずにそこにいた。

 その頭上には、赤く輝く球体と青く輝く球体が浮いている。

 と、馬の首を俺たちのほうへと向け、赤く輝く目を細めてきた。

『なにが、一緒にいたいと思ってる、だ。人間なんて、しょせん口先だけでの存在のくせに・・・』

 馬の姿でやたらと口を動かされると、かなり違和感がある。けど、どうやら半実体化でも、俺達の会話は聞こえていたらしい。

 そう分かると、場違いと相手違いであっても、恥ずかしい気持ちが湧いてきた。

 そんな思いも、一瞬で砕かれた。

 ベルフェゴールが、黒い輝きを増す。

 同時に、周囲を渦巻いていた青白いカマイタチが消されてしまった。

 一気に緊張が戻ってくる。俺の奇跡なんか、全く効いていない。

 ベルフェゴールの黒い輝きは、さらに深みを増していく。

『人間同士でさえ幸せになれないでいるのに・・・まして、種族の違う天使と人間が幸せになれるわけないだろう! 人間は、いつもそうやって口先だけで、自分だけの快楽を得て満足する!あとのことなんて考えない!そして、うまくいかなかったら、その責任を相手に転化する! なんで、俺の気持ちを分かってくれない?なんで、俺じゃ駄目なんだ?俺に、なにか足りないのか?俺が悪い?いや違う。悪いのは、俺じゃない・・・お前だ。俺の気持ちを受け入れなかった・・・お前さえいなければ、俺は苦しまずにすんだのに・・・そう考える存在だ! 自分さえよければ、それで満足して・・・上辺だけの愛なんて・・・なぜ、神は・・・こんなどうしようもなく不完全な存在を創りだした!?やはり、神は間違っている!』

「・・・なんだと?」

 ベルフェゴールの言葉に怒りを覚える。

 佐久耶への告白が、自分にとっての快楽と言われた。そして、上辺だけの愛とも。

 確かに、この気持ちは、愛ではないと思う。まだ、好きとかそういう年頃だと思うから。それでも、この気持ちに嘘はない。絶対に上辺なんかじゃない。

 そして、フラレたとしても、佐久耶の責任にはしない。

 そんなのおかしすぎる。

 ベルフェゴールが、どんな人間たちを観察してきたのかなんて、俺は知らない。

 でも、俺はそれに属する人間じゃない。

 もし、今の俺で告白して、フラレても、努力して、自分が本当に満足できるまでに内面も外面も変えてみせる。

 それで、またフラレたら、そのときはきっぱりと諦める。

 それは、叶わないから仕方ない、と諦めるわけじゃない。さらなる高みに、自分を育て上げるために必要なステップだ。

 そこから立ち上がって、次へ進まなければならない。

 ベルフェゴールの言うように、人間は不完全なのかもしれないけど・・・

 でも、だからこそ、成長できる。努力することが出来る。そして、そうやって、なにかを達成したとき、その全てが報われる。

 神は完全であるがゆえに、努力だとか、間違いをすることができない。

 だから、人間を創りだすことで、それがどのようなものか知りたかったに違いない。

 もしかしたら、神も人間もベルフェゴールも、その存在理由が、正しいのかもしれないし、間違えてるのかもしれない。

 そんなことは、誰にも、神でさえ、分からないことだ。正しい答えなんて、絶対にない。

 それでも、俺はベルフェゴールは許せない。

 だが、許せない思いはベルフェゴールも同じだろう。睨んでいる視線から実感できる。

 俺も怯まないで睨み返す。

「お前の言うことは間違っている!人間はそん・・・」

「無駄よ」

 佐久耶が叫ぶ俺を止めた。

「堕天使に私達の声は届かないわ。彼らは、自分の考えは絶対に正しいと考えて、堕ちた者たちよ。そして、天使を根絶やしにしようと戦っている者でもある。そんな者達に、声を張り上げても、意味がない。御剣が、言おうとしていることが、正しかろうと間違えていようとも・・・ 自分の考えに絶対の自信を持っている堕天使の心に、御剣の想いが届くことはないわ」

 佐久耶が、矢の輝きをあげる。

「あれはもう敵よ。分かり合えない。そうなった以上は、殺されるまえに、殺すしかない。堕天使とは、そういう存在よ」

「・・・分かったよ」

 ベルフェゴールが1歩近づいてきた。

『俺を殺す、か・・・そこの青き天使。お前は、俺の正体を知っていて、なお戦おうとするのか? 知っているだろう。悪魔であれ、天使であれ、階級で分けられている力は絶対だ。お前がどんな手段で戦おうとも俺には勝てない』

「・・・そうなのか?佐久耶?」

 知らなかった事実。

 階級によって、力が分けられているなら、起こせる奇跡の上限が異なるということだ。

 神によって、そう力が分けられたのならば、ベルフェゴールに勝てる天使は、中級天使もしくは上級天使を司っている君主ぐらい。それと・・・4大天使ぐらいだ。

「補助奇跡を」

 俺の問いに答えないで矢を発動させた。

 ・・・答えたくないのかもしれない。

 それでも、まだ負けたわけじゃない。

 矢の発動に呼応したかのように、ベルフェゴールが、頭上のエーテルを吸収する。

 途端に、黒い輝きが強くなった。

『その矢が、厄介なんだよ。そうやって炸裂する矢は、生まれながらにして神から授かった贈り物だ。そういうのはちょっと面倒だから・・・』

 いきなり、ベルフェゴールが佐久耶に向かって突進してきた。

 驚きで思考も行動も一瞬だけ止まってしまった。

 速い。馬とは思えないほど、速い。

 けど、佐久耶が矢を番えるのを見た瞬間、俺の脚は動いてくれた。一気に駆け出す。

 矢を射るのは、突撃の速さから考えて間に合わない。射る前に、その細い体は吹き飛ばされる。

「射るな!避けろ!」

 俺は、佐久耶の右半身に体当たりをかまして、突進を回避させる。

 ベルフェゴールが対象を俺に変えてきた。

 ・・・しまった!

 最初から、俺か佐久耶に突進を敢行するつもりで・・・

 足先が地面につくと同時に、佐久耶を吹き飛ばしたのと同じ方向へと飛んだ。

「ぐっ!?」

 右足に違和感。体が回転し始める。突進を避けるのは間に合わなかった。

「御剣!」

 背中を強かに打ちつけるのだけは、なんとか回避した。

 声が聞こえた方向に目をやると、体勢を立て直した佐久耶が、勢いがつきすぎてかなり遠くまで行ったベルフェゴールに、矢を放っているのが確認できた。

 ベルフェゴールは、空から雨のように降ってくる矢を避け、爆発の余波も避けながら、少しずつ戻ってきている。

 とりあえず、佐久耶の隣に戻らないと。

 立ち上がる。右足が痛み出す。痛みだしたのは、傷のせいじゃない。

 嫌な予感とともに、右足に視線を下ろす。

 エーテルが全て無くなっていた。

 能天使としての力で別の箇所のエーテルを流し込むことで痛みを止めるが、全身を包んでいる赤白い輝きが減ってしまった。エーテルの総量がかなり減ってきていることを示し、奇跡の力も低下してしまっている。

 さらに、佐久耶も左肩を抉られている。

 最初から不利であったけど、さらに、不利になりつつある。

 右足の痛みが消え、走るのに支障がないのを確認して、また駆け出す。

 ベルフェゴールは佐久耶に、かなり接近してきていた。佐久耶の矢は、補助奇跡なしで放たれているので、ダメージを与えられるほどの効果はない。

 それでも、佐久耶は矢を放ち続けている。

「佐久耶?」

 突進を避ける気など、微塵もないと感じさせるほどに、ただただ矢を放っている。

「佐久耶!」

 その声で、俺に振り向き、首を横に振った。

 ・・・まさか、避けないで、超近距離からの攻撃をする気じゃ・・・

 距離を考えると、俺がここから走っても、佐久耶を助けることはできない。

 だから、奇跡を発動させて、近距離攻撃を成功させる手助けをすることにした。

 けど、矢に奇跡を施した時点で、補助奇跡の弱まりを実感できた。エーテルがかなり少ない。こんなのじゃ・・・

 ベルフェゴールは、もう佐久耶の目の前だ。

 佐久耶は、ぎりぎりまで待って、矢を放った。馬の首に刺さって爆発。光で、どれだけの被害を与えられたか分からない。

 どんっと鈍い音。

 佐久耶が、公園の外まで吹き飛び、民家の塀を粉々にして、姿が消えてしまった。

「佐久耶!」

 全速力で公園の外へ向かう。

 向かう途中で瓦礫の中から佐久耶が出てきた。

 けど、その体がテレビの放映されてない画面みたいにぶれている。体を構成するエーテルが、抉られてしまって・・・

 ・・・いや。待て・・・

 ・・・この光景、まさか・・・

 立ち上がった佐久耶の背中に、青白い粒子が集まりだす。

 ・・・あの夢だ!

「くそっ!」

 まさか、本当に告知されていたのか?

 だとしたら、結末は分かっている。ここで、止めないと手遅れになる。

「佐久耶!止めろ!止めるんだ!翼を使っちゃいけない!使ったら、お前は・・・」

 大きく息を吸い込んだ。

「死ぬんだ!あいつに殺される!」

 あの夢の最後で、佐久耶は体を貫かれ、翼を失って落ちてきた。

 言葉を聞いた佐久耶が、悲しげに微笑む。

 もう、お互いに声が届く範囲まで入った。

「私ね・・・夢を見たの。だから、こうなる運命だった。それに、その言い方・・・やっぱり御剣も、同じ夢を見たんだね。きっと、あの時だよね。覚えてる?特訓の最中、休憩で寝た時のこと。あの時、御剣は私のことを、神倉さんじゃなくて、佐久耶って言ったよね。でも、私は深くは追求しなかった。きっと、御剣を苦しませることになるから・・・それに、夢を見たのに、あのとき嘘をついてくれて嬉しかった。私を気遣ってくれた気持ちが嬉しかった。ありがとう、御剣・・・」

 ・・・なんてことだ。佐久耶は、俺と同じ夢を見ていたんだ。

 それでも、こうなるって知っていて、ここまで来た。

 死ぬと知っていて、ここまで来た。

 その瞬間、佐久耶の顔に、飛鳥の悲しげな微笑が重なった。

 自分の結末を知っている者の表情。

 諦めのような悲しみのような・・・見ている者を辛くさせる・・・

 ・・・また、失ってたまるか!

 佐久耶を行かせるわけにはいかない!

 翼を形成している佐久耶へと駆け出す。

 でも、思うようにいかない。エーテルが削られたせいだろう。奇跡発動下にも関わらず、速度が上がらない。

 このままじゃ間に合わない!

「待つんだ!行くんじゃない!」

 俺の言葉を聞いても、依然として悲しげに微笑んだままだ。

 それでも、神は願いを聞き入れてくれた。

 間に合った。まだ翼は形成中だ。佐久耶の腕を掴もうと、手を伸ばす。

 と、消えた。

 俺を振り切るように、佐久耶が空へと飛び上がる。

「さよなら・・・あなたと過ごした日々、楽しかったわ」

 見上げる。

 きっと、今の俺は、佐久耶と同じ表情をしているだろう。

「なんで・・・なんで、そんなこと言うんだよ!まだ、なんか方法あるはずだろ!? なのに、なんで翼を発動させる必要があるんだ!」

 天使にとって、翼は最終手段。

 力の増加、反射力の増加、回避力の増加、全てが格段に飛躍する。

 けど、翼は才能と同じ・・・

 暴走を伴う諸刃の刃。

 佐久耶は空を飛んだままで、頭上から優しく微笑んだ。

「このままじゃ、2人とも死んじゃうから。でも、私が、この力を使えば・・・あなたを死なせないですむ」

 佐久耶がベルフェゴールへと飛んでいく。

「佐久耶!」

 追いかける。今は、追いかけることしかできない。

 そして、心から願う。

 力が・・・力が欲しい。

 佐久耶を助けるだけの力が。暴走でもかまわない。今すぐ、力が欲しい!

 ・・・けど、どれだけ願っても、エーテルが溢れてこない。

 絶望した。

 こんな弱りきったエーテルじゃ、佐久耶を助けることは出来ない・・・

 嫌だ。諦めたくない。

 何でもいい!力が欲しい。佐久耶を護れるだけの力が。今すぐ!

 そう願いながらも、戦場へと駆ける。

 佐久耶の弓は形状を変えていた。ボウガンのように右腕に装着されている。そして、矢が次々と空中に現れて転送されていく。

 ベルフェゴールも、負けないほどの数の黒い槍を創りだしている。

 そして、始まった。

 青と黒の戦い。

 両者の間で、それがぶつかり合って、はじけ飛ぶ。それが、しばらく続く。

 その時。

 黒い槍に紛れて、黒い馬の首が伸びた。

 矢と槍の衝突で、佐久耶には見えていない。

 ・・・この後、佐久耶は腹を貫かれて、落ちてくる。

 夢ではそうなった。

「後ろだ!」

 そう叫んでも、手遅れだと、天使としての冷静な部分が告げている。

 全ては、あの夢のように・・・と。

 前には黒い槍。後ろにはベルフェゴール。

 佐久耶が顔だけを後ろに向けると同時に腹を貫かれた。

「佐久耶ぁぁぁ!」

 俺に力があれば・・・力があれば!

 空にあった青い槍が全て消え、翼も消えた。青白い輝きを失った佐久耶が落ちてくる。

 駆け寄った俺の目の前が・・・

 真っ白になった。


 ただただ白い世界。

 ・・・また、ここに来てしまった。

『また会ったな』

 声が頭に直接響いてきた。

『また、あんたか』

『言ったであろう。また、すぐに会うと』

『でも、なんで、また俺の前に現れた?っても、相変わらず姿は見えないけどな』

『助けたいか?』

『俺の質問を無視す・・・なんだって?』

『あの天使を助けたいか?』

『・・・佐久耶のことか?』

『助けたくば、我が力をそなたに貸そう』

 佐久耶を助けられるなら、力を貸してもらいたい。飛鳥のように苦しむのは、もう嫌だ。それを防げるなら力を貸してほしい。

『・・・けど、前は姿すら見せてくれなかったのに、今度は力を貸してくれるのか?』

『なに、今のそなたなら、暴走せずに我が力を扱いこなせるであろう』

『・・・なんだと?』

『そなたが以前この白い世界に来た時、弱い自分を認め真に力を得る努力を知った。そして、今回のそなたは、以前では明確に持っていなかったものを今は持っている』

『明確に持っていなかったもの?』

『愛する者を護るために力を求める気持ち。恨みや復讐のために力を求めるのが、間違いであるとは言い切れない。だが、それでは、悲しみの連鎖は断ち切れんのだ。愛する者を護るために、強くなろうと力を求める。これこそが、我を使いこなす資格を有している者の条件だ。もっとも、それだけでは我は扱えん。想いだけでも愛する者は救えん。力だけでも愛する者は救えん。だから、そなたのように資格を有するような者でなければならんのだ』

 正面の空間に炎が現れる。

 そして、その炎の中に一振りの大きな俺ぐらいの大きさはありそうな剣があった。

『我の姿が見えるな』

『お前は・・・剣、なのか?』

『左様。我はミカエルが持つ剣よ』

『ミカエル様の剣だと?なら、なぜ、お前だけがここにいる?』

 ミカエル様の剣なら話は早い。ミカエル様が自らの手で、この事態を収拾すればいいはずだ。それが、迅速かつ適確に間違いない。

『それなのだが・・・人間界で起きている戦いは、迷惑な話ですまないが天界と魔界での戦いによる飛び火だ。そして、ミカエルは、サタンとの戦いで勝利を得たものの、体に深刻な傷を受け、今は癒しを受けている最中なのだ。とてもではないが人間界を救える状況ではない。だから、我自身がミカエルの代わりに我を扱える資格を有する存在を探していたのだが・・・それがお前だ』

 資格か・・・それは、やっぱり3つと関係しているのか?』

『天使の道具に過ぎない我には答えられる権限がないのだ。そなたに、この秘密を伝えることで天使の力が宿った人間が増えてしまう可能性が増えることにもなりかねん。その決定を我が単独で判断することはできない』

『まぁいいさ。とにかく、お前を使えば、佐久耶を助けられるんだろ?』

『うむ。我は、神が創りだした剣。炎によって創られたその力は、絶大だ』

 ・・・神より創られた剣か。

 神と剣。

 これは偶然だろうか?

 神藤御剣。

 俺の名に2つ入っている文字だ。

 3つを有する者。ということは、名そのものが、才能に関係あるのかもしれない。

 でも、3つには1つ足りない。ってことは、名は関係ないのか・・・

 ・・・いや?まてよ・・・神藤御剣。神倉佐久耶・・・そうか。そういうことかも。

 考えをまとめる。それが、徐々に確信に変わっていく。

 偉い人につける『御』の文字。尊敬の意味をこめて使われたりする。

 神により創られた剣であるなら、対象が剣であっても『御』をつけられて、呼ばれていもおかしくない。

 神と剣を合わせれば、3つ入っている。

 そして、神倉佐久耶。

 矢の能力は、爆発、炸裂。あれは、神から授けられた、と佐久耶は言っていた。それに、刺さってから爆発する矢、炸裂する矢・・・

 こう考えられる。

 佐久耶の名は、文字が違うけど、佐久が炸裂の炸、耶が矢、と意味するのではないのだろうか?それに、神倉の神の文字。

 なら、佐久耶も3つ有していることになる。

 長谷川塔矢。

 彼には1つしかない、と理沙が言っていた。おそらく、矢の文字だろう。名から読み取れる天使としての象徴は、矢だけだ。それに、補助天使の中にも、稀に戦士のような力を有する万能型が出現するらしい。塔矢は、補助天使ではあったけど、佐久耶と同じように弓を扱えたのだろう。

 確信した。

『名が才能、そして資格だな』

『・・・まったく賢しいな、人間よ。よく気づいたものだ』

『必要な情報は、けっこうあったからな。俺のパートナーも3つ有しているし、それに、さっきのお前の言葉もヒントになった』

 炎が溜息をついたように揺らめく。

『・・・我も、まだまだ未熟だな。そのとおりだ、人間よ。だが、それを人間界で公にしないでほしい。名の影響で天使の能力を備えた人間を無意味に増やすわけにはいかないのだ。なぜなら、鏡魔が悪魔になれるエーテルが溢れかえってしまうことになるからな。そうなったら、地上にいる天使だけでは、対応しきれなくなってしまう』

『安心しろ。そういうことでは、口が堅い。それに、今の俺ももう天使だからな。護る対象が増えることで、これ以上、日常を失いたくないからな』

『感謝する、人間よ。天界でも、名に才能に関わる文字を使うことができる天使の一族は限られているのでな。そなたと同じように、3つ有しているパートナーは、おそらく貴族の出身だろう』

 佐久耶って、貴族だったんだ。ってか、人事部といい貴族といい、人間界にそっくりだ。

 天界がどういう場所なのか、佐久耶に聞いてみたくなった。

 だが、その存在は、この瞬間も命の危機に晒されている。急がなくては・・・

『その天使を助けたい。力を貸してくれるか?』

『無論だ。そなたになら、我を使いこなせる。ただ、力を貸すにあたり契約して欲しいことがある』

『契約?』

『パートナーである天使を助けた後、我を使って、人間界に現れた全ての悪魔を殲滅するのだ。そなたが、ミカエルの代わりを務めることになる。そして、そなたは、我を使つことで、我の強大な力に魅せられることになるだろう。そなたは、我が強大な力を、復讐や恨みのために使わないと、契約できるか? もし、この契約を違えれば、我が聖なる炎が情け容赦なくそなたを焼き尽くすぞ。それでも、契約できるなら、力を貸そう』

『契約する』

 即答した。迷うことはなかった。

 サキルやアミカを殺した悪魔への復讐じゃない。

 佐久耶を護るために、力を使う。

 それが、死んだ天使に対する弔いになる。。

 正面の炎から、剣だけが近づいてきた。

『我を掴め』

 力強い意思に促されるまま柄に手をかける。

 柄部分以外の刀身が、炎に包まれているけど不思議と熱くはない。それに、体から湧き上がる力に笑い出しそうになってしまう。

『契約を違えるな。死ぬぞ』

 想いを見透かされたように念を押された。

『・・・ああ。分かっている』

 白い世界が薄れてきた。

『そなたと話せるのも、これが最後となろう。だから、これだけは伝えておきたい。神が人間を創ったのは決して間違いではない。ベルフェゴールに証明してやれ。 これから愛する者と生きていくことで証明してやれ』

 剣からの励ましが終わると、首のネックレスが音をたてた。まるで、応援してくれているかのように・・・

 気づくと苦笑していた。

『ああ。やってみせるさ』

 この決意は、剣と飛鳥に送ったつもりだ。

 そして、白い世界に様々な色が滲み始めた。

『行くぞ。資格ある人間よ』

 その瞬間、意識が遠のいた。


 落下してくる佐久耶の真下まで走って、剣を握っていない左腕だけで受け止める。

 佐久耶の体は、かなり薄れていてぶれも大きい。

「・・・御剣」

 それでも意識はまだ残っている。

 出来るだけゆっくりと地面に横たわらせた。

 まだ間に合う。

 ベルフェゴールを殺せば奪われたエーテルが戻ってくるからだ。

 首を元の位置に戻している最中のベルフェゴールへと剣先を向ける。

 ベルフェゴールが後ずさった。

「馬鹿な!ありえん!貴様、それをどこで!?」

 無視して斬りかかる。

 ベルフェゴールが佐久耶と戦ったのと同じ量の黒い槍を放ってきた。

 避ける必要はないらしい。

 力が、想いが、剣から流れ込んでくる。

『あれほどの攻撃ならば、避けるまでもない。人間よ、突き進め』

 そう聞こえたから。

 黒い槍が直撃する寸前。

 剣から多数の炎が伸びた。

 そして、黒い槍を確実に包み込んで、次々に消し去っている。

 槍が全て消え去ると、ベルフェゴールが背を向けて走り出した。今までとは比べ物にならない速さだ。

 逃げるつもりだろうか?

 走るベルフェゴールの前に、炎の壁がそそり立つ。次に右。次に左。

 俺の意思じゃない。

 全て剣が自動的にやっている。

 これで、ベルフェオールの逃げ場は俺の方向だけになった。

 ベルフェゴールは忙しなく炎の壁を見回し、逃げられないと分かると俺の方へと走ってきた。その目が鋭く俺を睨んでいる。

『たたが人間が生意気なぁぁぁ!』

 そう叫んで、前足2本で地面を踏みつけ、飛び上がった。

『避けるな。我が力を信じよ』

 空中から真っ直ぐに降ってくる。その周囲には、黒い槍が展開している。槍は牽制で、隙をついて馬の口で噛み殺すつもりだろう。

 なら、お前を真っ二つにしてやる。炎の剣を顔の前で水平に構える。

 もう少しで剣の範囲に入る瞬間だった。

 剣の炎が一直線に伸びて、ベルフェゴールの両目を焼いた。

 おぞましい絶叫を上げながら、バランスを崩したベルフェゴールが降ってくる。

 その無防備になった体を全力で切り裂く。

 炎が一瞬でベルフェゴールを包み込み、その存在を消し去った。

 終わった。

 悲鳴も恨みの言葉もない呆気ない最後。

 空を覆っていた遮蔽奇跡が消えて、赤い空と戦っている天使たちが確認できた。術者が死んで、強制解除されたからだろう。

 佐久耶へと視線を向ける。

 そこには信じられない光景があった。

 ありえない・・・佐久耶の体は、薄さとブレを残したままだった。

 駆け寄って、その細い体を抱き上げる。

「なベルフェゴールは倒したのに」

 佐久耶が虚ろな目を開けた。

「・・・堕天使に奪われたエーテルは戻ってこないわ。だから、私はもう・・・」

「そんな・・・」

 じゃあ、俺は何のために・・・何のために、戦ったんだ?佐久耶が助かんなきゃ意味ないじゃないか!・・・俺は・・・俺は!

 佐久耶は力なく微笑み、俺の顔へと透けている手を伸ばしてくる。

「泣かないで・・・」

「えっ?」

 自分が泣いていることに気づいた。

「ねぇ、御剣・・・聞いてくれる?」

「・・・嫌だ」

 それは別れの言葉。

 そんなの聞きたくない。それを聞いたら、俺は駄目になってしまう。佐久耶が、死ぬのを認めたくない。佐久耶を失いたくない。

「御剣、聞いて・・・」

「嫌だ」

「お願いだから・・・聞いて」

「嫌だよ」

「聞いてっ!お願いだからっ!!!」

 強い口調に懇願を感じてしまい、泣くのを堪えて頷いた。

 佐久耶は力なく笑って、俺の目を真っ直ぐに見つめてきた。

「私ね・・・分かったの。やっと、サキルの気持ちが・・・やっと全て、理解できたの。初めはそんなことしてまで・・・命を捨ててまで護って欲しくないって思ったわ。そして、ずるいって思った。自分は、仲間を護れて満足して死ねた。 でも、残された私たちの悲しさはどうすればいいの?って。そう思った・・・ でも、私に生きろと言ってくれた。その意味が今なら、分かるわ」

 言葉をきって、俺の頬を撫でてきた。

「・・・っ」

 なんとか驚きは隠せたと思う。

 頬を撫でてきた手に温もりは消え失せていた。

 表情や態度に驚きが出ていないことを願いつつ、佐久耶を見つめ続ける。

「皆を失いたくない。そんな世界で生きていきたくない。サキルは、そう思ったんだわ。そして、私も同じ気持ちよ・・・命を賭けてまで、護った存在。私はあなたを失いたくない。御剣を失った世界で生きていきたくない。こんな私の身勝手なわがままで、御剣が苦しむことになろうとも、あなたには生きていて欲しい。そう思うの」

「・・・そんなの佐久耶の身勝手だよ。残されたほうが、どれだけ苦しむことになるのか分かってるのか!?」

「ええ。痛いほど理解しているつもりよ。最初のパートナーを失ってからも、1人きり。塔矢を失ってからも1人きりだったから。本当に寂しくて、苦しいけど・・・ それでも生きていてほしいの」

 佐久耶は俺の前髪へと手を伸ばしてきた。

 けど、その薄れた手が俺の前髪を触ることはなかった。

「もういい・・・もういいから!」

 抱きしめた体に暖かさは消え失せていた。

「最後まで聞いて」

 声も弱々しく、今にも消えそうだ。

 限界が近い。もう嫌だとか聞きたくないなどと言ってられない。

 佐久耶に残された時間は僅かだ。

 俺は聞き遂げなければならない。

 それがパートナーとして・・・いや、好きな人を看取る者が出来ることだ。

 佐久耶の言葉に抱きしめた体を放して、可愛く微笑む顔を見守る。

 この笑顔もこれが最後になる。

 その瞬間が近づいてきている。

 悔いが残らないように、しっかりと、心に焼き付けておかなければならない。

「分かった・・・聞くよ」

 佐久耶は静かに目を閉じて、静かに息をはいた。

「・・・私にとって、御剣が他のなににも変え難いくらい大切だから。私が好きで・・・好きで大切な人だから。だから、お願い。御剣は私たちで護ったこの町で生きて。この町で・・・」

 佐久耶の体から光り輝く粒子が現れ、空へと舞い上がり始める。

 無関係な人間が見たら、こう言うだろう。

 蝶が舞っているように綺麗だ、と。

 けど、俺には、死神が佐久耶の命を吸い上げているように見えてならなかった。

 がくっと支えていた重さが消えた。

 視線を空から佐久耶に戻すと、両手が透けている佐久耶の体の中にあった。

「佐久耶!」

 もう佐久耶を抱きしめることは出来ない。

 頭を撫でることも、金の髪に触れることも、手を握ることも・・・ もう、なに1つ叶わない。

 佐久耶は閉じていた目を開けて微笑んでいる。俺が一番好きな佐久耶の顔。

 それがもう最後になってしまう。心の中にしか残らなくなってしまう。

 その微笑が悲しげなものに変わり、ゆっくりと口が動いた。

「私・・・人間として生まれたかったな」

 その言葉に全身が雷に撃たれたように硬直する。

 ・・・飛鳥と同じだ。

 佐久耶の想いは飛鳥と同じだ。

 悪魔でありながら人間になりたいと願った少女。天使でありながら人間になりたいと願った少女。

 俺にしてみれば、飛鳥も佐久耶も人間と何も変わらない。笑って、怒って、泣いて、苦しんで・・・

 2人とも生きていた。

「・・・何を言ってるんだ。こんなにも一緒の時間を過ごせたじゃないか・・・! なのに、天使も人間も関係あるか! 佐久耶は佐久耶だろ!違うか!?」

「ありがとう・・・そう言ってくれて、とても嬉しい。でも、生まれながらに人間なら・・・ そうしたら、あなたと普通に・・・ さようなら・・・御剣。今までありがとう。短い間だったけど、楽しかった・・・」

 消えてしまう。

 佐久耶が、俺の前から。

 俺も伝えなきゃいけない。

 悲しむのは伝えてからでいい。後悔しないために。俺も佐久耶も後悔しないために。

「俺こそ・・・ありがとう。楽しかった」

 微笑んだ佐久耶の目から輝く粒が溢れて頬を伝う。

「遊園地に行くって約束、護れなくてごめんね。一緒に行きたかったな・・・」

 その輝きを残して・・・

 佐久耶は・・・

「行けるさ。いつでも」

 消えてしまった。

 もう我慢する必要はない。

 子供のとき以来だろうか?。

 声をあげて泣いたのは。

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