第6話  聖戦

 この短期間で、人生で経験する驚きの全てを経験してしまうのではないかと思ってしまうほどの驚きが襲ってきている。

「ええ~っ!?今頃、気づいたわけ? あんたが天使としての力に目覚めたときから、もう気づいているもんだと思ってたのに。私は、姫と同じで、体もエーテルで構成されているのよ。それに気づかないなんて、いくらなんでもありえなくない? そりゃあ、私も鏡魔の異常発生時から、遮蔽奇跡を発動しているけどさぁ。でも、その前に気づかないなんて・・・姫ぇ?みつるに才能あるの?」

 聞かれた姫は、悲しげな微笑みで頷いた。

「あるわよ。塔矢以上にね。理沙だって、分かっているでしょう?」

 理沙は、意味ありげに口を尖らした。

「まあねぇ・・・馬鹿みつるのくせに、3つも持っているんだからね。塔矢は、あれだけ強かったのに、1つだけだったし」

 まただ。忘れたころに、『3つ』が出てきた。それ新しい情報も。塔矢に『1つ』

 長谷川塔矢に1つ。

 神藤御剣に3つ。

 ・・・なんだろう。全然分からない。

 聞いてみたい気持ちをなんとか抑える。姫と約束したからだ。もう聞かないって。

「それより、神倉さん。なんでヒミカって天使は堕ちた?理由でもあるのか?それとも、鏡魔の異常発生と関係が?」

「それなんだけど・・・」

「いいよ、姫。私から話すわ。当事者のパートナーから話したほうが詳しいでしょ?」

 当事者。だから、ここにいるのか。ヒミカのパートナーだった天使は理沙だから。

「・・・じゃあ、お願いね」

 理沙の顔から表情が消えて、窓の傍まで行って外に視線を向けた。

「ヒミカが行方不明になったのは、日曜の夜遅く。時間的には月曜になっていたと思う。私は姫と違って、人間文化を楽しんでるから、シャワーを浴びたりしてるの。それで、シャワーを浴び終えて、茶の間に戻ると、ヒミカはいなかった。 代わりに、こたつの上に置手紙があったわ。『私は行かないといけないの。理沙は天使としての役目を全うしてください。ごめんなさい。今まで、ありがとう。さようなら』 たったこれだけで、いきなりの別れよ? こんなの納得できるわけないじゃない。私は、ヒミカのエーテルを探したわ。 けど、遅かった。ヒミカは、遮蔽奇跡を施したあとだった。こうなってしまうと、探す手段は1つ。 探知奇跡による広範囲の視認。 でも、これは1人でやるには危険が大きすぎる。使える奇跡が限定されてしまうから。 ましてや、私は補助専門だから、武器がないわ。だから、姫に支援を要請したの。それで、今日の午後、やっとヒミカを見つけた。隣町で、鏡魔と接触してるところをね」

 ・・・なんてことだ。ヒミカという顔も知らない天使は、完璧に堕ちてしまった。

 理由がなんであれ、悪魔や鏡魔への接触は、堕天使として認定されてしまう必須条件。

 そして、堕天使が辿る道は1つしかない。

「ヒミカって天使は、殺されるのか?」

 天界からヒミカの抹殺命令が下るのは、時間の問題だろう。天界から抹殺部隊が送られてくるか、パートナーだった理沙にその命令が下るのか。

 天界が採る措置は、たぶん前者になる。

 理沙は補助の天使だから、武器を持っているヒミカに勝てるはずがない。

「天界から部隊が来る前に、私が殺すわ」

「理沙?」

 予想に反して、決意に満ちた理沙の声。

「どちらにしても、私が殺すしかないのよ。これから起きる状況を考えればね」

「それって、どういうことだ?」

 俺の問いを受けた理沙が、姫の頷きを確認した。たぶん、俺の『3つ』と同じ、機密事項のような扱いなんだろう。

「純粋な天使である私や姫は、もうガブリエル様からの告知を受けているわ。他の地域のほとんどの天使も受けているの。だから、ヒミカを殺す部隊が来る前に、なにか起こるわ。それもとんでもないことが。それは、明日かもしれない。明後日かも。もしかしたら、今すぐ。確かなのは、そう遠くない未来に、天界でも起きたことの無いような未曾有なことが、この地上で起きるってことよ。みつるには、まだ夢の告知は無い?無くても、何か感じない?エーテルが騒ぎ出すみたいな。焦るような感覚、ない?」

 焦るような夢か・・・

 思いを巡らすうちに、姫と馬の姿をした悪魔が戦う夢を思い出してしまった。あれが、ガブリエル様からの告知なんだろうか?

 これから起こるとんでもないこと、に照らし合わせれば、姫が殺される夢はとんでもないことの部類に入る。

 でも、そんなに早く告知されるものだろうか?いくら姫のパートナーとはいえ、姫や理沙を差し置いて、純粋な天使じゃない俺に告知されるとは考えられない。

 第一、姫の死が関係している夢なら、姫自身が見ているはず。

 でも、姫からは、何も言ってこない。

 やっぱり、あれはただの夢だ。ガブリエル様は関係ない。

「いや。夢の告知もないし、焦るような感覚もないよ」

「・・・そう」

 理沙がうな垂れ、姫が背中をつついてきた。

「それでも、覚悟して。御剣が考えている以上に、ありえないことが起こるの。私が経験した最高の激戦は、4人の下級天使で、2体の上級悪魔を相手にしたものよ。その時にも、事前に告知があったけど、今回の告知は、それとは比べ物にならないほどのものなの。告知されて目が覚めたら、震えが止まらなかった。思い出すと、今でも震えがでるわ。だから、これからの戦いは、もしかしたら、私や理沙が死ぬ・・・御剣も死ぬような戦いなのかしれない」

 死ぬ。

 姫の最後の言葉に、夢を思い出してしまい、心臓を鷲摑みにされたようなショックを受けてしまう。

 姫も理沙も俺も、死ぬ。

 ・・・関係ない。あの夢は関係ない。内心の動揺がばれないように、心を落ち着かせる。

「・・・大丈夫さ。俺がいる。告知されたことが起きるまでに、俺がもっと強くなれば、神倉さんも理沙も死なない。そうだろ?」

 まだ鏡魔と飛鳥との戦いしか経験したことのない俺には、2体の上級悪魔と戦うのが、どんなものなのかは想像しかできない。

 俺の前で、姫がこくんと頷いた。

 でも、姫が命をかけて戦うのに、俺だけ命をかけないなんて、パートナー失格だ。

 だから、命を賭ける覚悟を決めた。

 姫を護るという決意とともに。

 理沙がにやにやしている。

「というわけで、今日から私も、姫の家に泊まるから。よろしくね、みつる」

「・・・なにが、とうわけで、だ。一体、どういうわけだ?」

 理沙は、どっから取り出したのか、いっぱいの鞄を持ってきていた。それも間違いなく引越しの量だ。

「どういうわけって?姫の了解はとってあるわよ。ねぇ?姫」

 俺は、姫に視線を向ける。

「ええ。パートナーがいなくなった天使は、鏡魔や悪魔にとって、願ってもいない餌なのよ。補助天使は、戦闘専門より高密度のエーテルの固まりなの。それに、これからのことも考えると、一緒のほうがいいはずよ」

 なるほど。そういうことなら文句は無い。

 どんっ、とわき腹を叩かれた。

「なに?私がいたら、お邪魔なの?」

 そう言って、にやにや笑ってきた。

「・・・あっ!そっかぁ。みつるは、姫と二人きりがいいのかぁ!」

「馬鹿か!お前は!」

 そう言って、わき腹にやり返す。

「いたっ!女のお腹に何すんのよ!子供が産めなくなったら、大変じゃない!」

「はぁっ!?エーテルだろ?だったら、そんなこと心配する必要ないだろうが!?」

「何言ってんの!エーテル状態での傷は、天界にある私の霊体にも、少なからず影響があるの! この世界で事故に遭って死んじゃったら、私の霊体も死ぬのよ!」

 ・・・そんなこと知らなかった。でも、ここで怯むわけにはいかない。

「少なからずだろ!?だったら・・・」

 そこに、くすくす笑いが重なる。

「理沙と御剣は、本当に仲がいいわね」

「別にそん・・・」

 そう言えば、姫は理沙っぺと呼んでいない。

「なんで理沙っぺじゃないの?」

 少し首を傾げて、思い出そうとしている。

「ああ、あれね。2年生の始業日の教室で、理沙がそう言ったからよ。けど、驚いたわ。同じ学校に、しかも同じクラスに、隣エリアの天使がいるんだもの。これは、明らかに人事部のミスね」

 だから、教室で会った時、あんなに驚いてたのか。ってか、人事部って・・・なんか会社みたいだ。

「あら?私は姫がいるのを知ってたわ。ただ、私は目立ってなかったから、姫が気づかなかっただけよ。でも、さすがに同じクラスになった時は驚いたわ。もっとも、姫のリアクションのほうが面白かったけどね。私を見て、混乱する姫は見物だったわ。私の言った事を本気で信じて『おはよう。理沙っぺ』だって・・・」

 思い出し笑いを始めた頭を軽く叩く。

「痛っ!なんで、叩くの!?」

「別に。そんな気分になっただけだ」

 理沙が立ち上がる。

「なに!?私とやる気!?」

「いいとも!奇跡を使っていいぜ!」

「ふんっ。馬鹿みつるに使う奇跡なんてありませんよ~だ。あんたなんかに使ったら、私が天罰喰らっちゃうわよ!」

 いきなり大きな音が響く。

 見ると、姫が、勢いよく椅子から立ちあがったところだった。

「・・・本当に仲いいのね。私、邪魔みたいだから、もう寝る」

 さっきみたいに笑っていない。それにやけに早足で去っていく。

「あ、ああ。おやすみ」

 去っていく姫に声をかけたけど、返事は返ってこなく、それは理沙も同様だった。

「あっちゃあ~・・・これは、怒らせちゃったかな?あとで、そうじゃないって言っとかないと、誤解されちゃうわね」

「何が誤解されるんだ?」

 理沙が俺を一瞥して、大きく息を吐いた。

「ニブい男ねぇ。人間の男って、皆こんなんかしら?」

 むかっときた。中学で、よく言われたから。

「悪かったな。ニブくて」

「それよりも・・・」

 理沙が真面目な顔になった。口調にも、真剣な色が混ざっている。

「あんたは、人間なんだからもう寝たほうがいいわ。告知がいつ現実になるか分からないもの。体調を整えといて」

「・・・そうだな。おやすみ」

「うん。おやすみ」


 違和感。

 まず最初に感じたのは、それだ。

 体が何かに包まれたような気がして、意識が覚醒しようとしている。

「みつ・・・きて・・・」

 ・・・姫か?

「・・・るぎ・・はや・・・」

 心地いい声に、起きかけた頭が更なる眠りへと誘われる。

「そんなんじゃ・・・ここは私に・・・」

 理沙だな?朝から、元気がいいことで。

「待って!理沙!」

「ぐはっ!?」

 一際大きい声とともに、腹に何かが落とされた痛みで意識が覚醒した。

 ベッド横に、仁王立ちの理沙と、理沙の腕に手をかけた姫がいた。

「やっと起きたわね。やっぱ、馬鹿みつるは馬鹿ね」

 理沙の足元には、高校の教科書が散らばっていた。これを落とされたらしい。

「なにすん・・・あれっ?」

 おかしい。違和感が体を包んでいる。

 居心地が悪い。水の中にいるような、空気が体に張り付いてくるような・・・そう。別の空間にいるようなに思えてならない。

 ここは、姫の家にある俺用の部屋に間違いない。けど、なんか落ち着かない。見た目は同じなのに、決定的に何かが違う。

「理沙。なんか、変じゃないか?空気というか・・・とりあえず落ち着かない」

「そうよ。もう異変は始まっているわ」

 問答無用と言わんばかりの勢いで、ぐいっと耳を引っ張られて、窓まで連れて行かれる。

 理沙が空いてる右手で、カーテンを開けた。

「なっ!?」

 空が真っ赤。それも、血のような鮮やかさ。

 いったいこれは・・・今、何時なんだ?

 携帯を取り出す。電波はなく圏外だ。いつもなら、電波3本なのに・・・

 時間は3時ジャスト。深夜の3時だ。

 じゃあ、この空は夕焼けでも、朝焼けでもない。火事にしても、空一面がこんなに真っ赤なんておかしいし、住宅街に混乱は無い。

 おかしい。おかしすぎる。

「空間転移させられたわ。みつるは、この状況にまったく気づくことなく寝ていたのね?」

「・・・空間転移?」

 理沙が微かに震えているのが、摑まれたままの耳から伝わってくる。

「どのくらいの規模かは判断できない。でも、少なくとも目に見える範囲全ての空間が、姿をそのままにして変わったわ。変化したのは、本質部分。人と天使を隔てるエーテルが、全ての存在を、通常空間とこの空間に振り分けた。今、この空間にいるのは、エーテルを持った存在だけ。悪魔たちは、自分にエーテルがあることを知らない人間を狙うつもりなんだわ。だから、この空間を創り上げて、通常空間で数多くの鏡魔たちを集めた。悪魔の盾のために集めたのか、鏡魔を実体化させるためか、強力な悪魔をさらに強くするためか・・・目的は分からない。でも、彼らを護らなければ、鏡魔が実体化してしまう。もしくは、悪魔が強くなってしまう。私達が、どうにかしないと。幸い、この町には、エーテル保持者は御剣以外確認されていないから、鏡魔や悪魔と戦えばいいだけだけど・・・ かなりの数の上級悪魔が、姿を現すはず。 これだけ広範囲な空間転移は、下級悪魔にはできないもの。御剣。覚悟を決めて。勝ち抜く覚悟を」

 空間転移。

 通常空間。

 上級悪魔の襲来。

 つまり、この状況が、姫と理沙、そして、他の天使に告知されたものなんだろうか?

 理沙が、耳から手を離した。

「佐久耶。天界からの連絡は?」

「まだ、入ってないわ。天界もこの状況に気づいているはずなのに・・・」

「そう・・・もしかしたら、すでに連絡がとれない状況に陥っているのかもね」

「・・・ええ。最悪、私達のように地上にいる天使だけで、対応することになるわね」

「やっぱ、そうなるわね・・・御剣」

「・・・へっ?俺?」

 赤い空に驚いていると、更なる驚きが襲ってきた。

 知り合って2年目。理沙が初めて、みつるじゃなくて、御剣と呼んだ。

「まだ、寝ぼけてるの?しっかりして。佐久耶が言ってたことを聞いてたわね?天界からの増援は、期待できないわ。増援がくるとしても、すぐじゃない。 だから、ちゃんと佐久耶を補助するのよ」

 姫のことも、佐久耶と呼んでいる。これから起こる戦いへの心構えが、そこから伺えた。

 それに呼応するように、俺も経験したことのない戦いへの心がまえを決めた。

「御剣。佐久耶。遮蔽奇跡を解除して」

 遮蔽奇跡を解除した理沙のエーテルは、赤。俺と同じ赤。さすが天使言うべきか、色こそ違うけど、姫並の輝きを有している。

「御剣も解除しましょう」

 姫が遮蔽奇跡を解除したのを見届けてから、自分の遮蔽奇跡を解除した。

 途端に、赤白い輝きに包まれる。

 驚いた。飛鳥と戦った時よりも数段輝きが増している。遮蔽前とは比べ物にならないくらい全体的に厚みを増していて、輝きも姫や理沙に劣っていない。

「御剣・・・あんた、そんな量のエーテルを持ってるの!?」

 俺と同じく補助天使である理沙には、俺のエーテルが見える。戦士である姫には、俺のエーテルは見えないから、驚きに固まっている理沙を不思議そうに眺めているだけだ。

「いや、最初は切れそうなくらいに薄かったよ。でも、遮蔽解除したら、こんな風になってて・・・俺も驚いてるよ」

「そう・・・こんなことってありえるのね。でも、なんにせよ強いパートナーがいるってのは、なによりよ。ねっ?佐久耶」

「ええ。そうね、頼もし・・・待って」

 姫が携帯を取り出した。姫の携帯は、電波が入っているらしい・・・天界製とか?

「残念。天界からじゃないわ。サキルよ」

 途端に、理沙の顔が嫌そうに少し歪む。

「佐久耶です・・・ええ。もちろん確認済みよ・・え?私達?私達は戦うわよ。天界からの連絡なんて待っていられないから・・・ええ・・・ええ。エーテル保持者を護りながらよ・・・ありがとう。えっ?・・・ふふっ。そうね。伝えておくわ・・・サキルたちも死なないで。また、天界で会いましょう・・・ええ。神のご加護があらんことを」

 姫が携帯を切って、制服へと入れた。

「サキル、なんだって?」

「この状況にどう行動するかだって」

 それを聞いた理沙が大きく溜息をついた。

「まったく。あの臆病者は・・・」

「そう言わないの。彼女だって、闘うと決めれば、勇敢に戦うわよ」

「まぁ、あいつの戦闘能力の高さは知っているけどね」

「それと伝言。『無鉄砲な理沙によろしく。無茶しすぎて死なないでね』だって」

 理沙が苦笑いした。

「ったく、あの馬鹿は」

 姫も理沙も、サキルって天使を知っているらしい。それに、やけに親しそうだ。

「ねぇ。神倉さんも理沙も、サキルって天使と仲いいの?」

「仲いいわよ。でも、理沙は話したくないだろうから、私が話すわ」

「佐久耶。余計なことは言わないでよ」

 分かってるわ、と言って、俺に向き直る。

「地上に派遣される天使は、戦士と認められたと同時に担当エリアが決まるの。そして、近いエリアを担当する者同士が集められて、一緒に育てられるの。連携をとりやすくするためにね。だから、自然と親密になるってわけで・・・ ごめん、携帯。理沙、今度はミラルよ」

「懐かしいわね。元気かな?」

 姫が携帯にでたため、会話は強制終了になってしまった。

 一緒に育てられたんだったら、仲が良くなるのは当たり前だろう。会話から判断するに、理沙はサキルって天使を嫌っているようだけど、心底嫌っているわけじゃないようだ。

 空を睨んでいる理沙に視線を向ける。

 けど・・・それだと理沙が殺すと宣言したヒミカという堕天使も親しい仲になるはず。

 一緒に育ってきたのに殺せるのか?

 そう聞いてみたいけど、理沙だって考えたあげくの結論のはず。2人がどんな仲なのか知らないのに、興味だけで聞くのは、理沙の思いを踏みにじる結果になるだけだ。

 理沙が、俺の視線に気づいて、振り向いた。

「んっ?どうしたの?」

「・・・いや、なんでもない」

「なら、いいけど・・・でも戦闘中にぼやぼやしないで。私も佐久耶を補助するけど、ヒミカを見つけ次第、御剣一人で補助することになるんだから。あんたがしっかりしてないと、姫が死んじゃうんだからね」

「ああ。分かってる」

 姫が死んで悲しむのは、俺だけじゃない。

 理沙、携帯に電話してきたサキルやミラル、他の天使だって悲しむに違いない。

 だから、俺がしっかりしないといけない。

 理沙が、少し微笑んだ。

「いい顔になったわね」

「茶化すなよ。こんな時に」

「事実よ。頑張って。御剣には、才能があるんだから」

 姫は、ミラルって天使との電話を終えて、さらに他の天使と話している。さっきから、携帯が鳴り止まない。これで6人目だろうか。

 その光景に嫌な感じがした。

 懐かしい天使から、続々とかかってくる電話。こんな事態だから、こんなことになってもしょうがないのかもしれない。

 けれど・・・

 楽しそうに話す姫の姿が、この世との別れを惜しんでるように見えてしまって、我慢ならなかった。


 部屋の中が一瞬だけ赤い光で満たされた。

「・・・来るわよ!」

 窓から空を睨んでいた理沙が部屋を飛び出す。同時に、空で赤い爆発が散発的に起きる。

 俺達3人は、家を出て、公園へ向かった。

 鏡のないここなら鏡魔がいない。こんな異常事態では、鏡魔がどんな行動をとるか分からない。そう判断したからだ。

 意識を集中させて、エーテルの赤白い輝きを増やさせる。姫や理沙と違って、人間である俺は、集中しないとエーテルの輝きを増やすことができない。

 赤い空がより一層明るくなって、爆発が一直線に並び、白く輝く長い線を形成した。

 同時に姫が弓を発動させた。

「来るわ!2人とも補助をお願い!」

 赤い空が真っ二つに大きく裂ける。

 その開き方も、まるで閉じられていた眼が開いたように感じられた。

 裂かれた空の向こう側には、さらに赤い空があったけど、もはや赤黒い。

 ただ、エーテルで高められた視力が、そこに今まで見えてなかった存在を確認した。

 そいつらは、星のように散りばめられ、かなりの数が存在している。

 姫がそこに向かって数本の矢を放つ。

 それを見た俺は慌てて、補助奇跡を発動させたけど、矢が放たれたあとだった。

 理沙が睨んでくる。

「ちょっとなにしてるの!?遅いわよ!」

「ごめん!」

 理沙の叱咤に素直に謝った。

 もし、悪魔が近くにいたら、俺のせいで誰かが死んでいたかもしれない。

 姫が放った矢は、赤い空に吸い込まれていって、かなり高い空で爆発した。

 廊下で鏡魔を倒したときより、爆発半径が大きいのは、理沙の補助の影響だ。

「佐久耶!どう!?」

「7本!3本外れたわ!接近に気づかれて避けられたわ」

 理沙が、鋭く空を睨みつけている。

「佐久耶の矢を避けるほどの悪魔・・・ 中級のアエリアとクトニアね。それも、あんな大量に・・・今すぐにでも、中級天使以上の援軍が来てくれないと、やばいわね」

「アエリア?クトニア?」

 俺はわけが分からず、呟いてしまった。けど、2人とも聞いていない。

 公園は静かだ。俺達以外の声がすることもなく、風に吹かれる木々の音や転がる空き缶の音だけが、周囲には響いている。

 こうやって、戦いは静かに開始を告げた。

 次々に空で爆発が起きる。ただ、姫の矢じゃない。

 他のエリアからも飛んでいる矢だ。けど、姫より炸裂半径が狭い。

 さらに、他の爆発。これも炸裂半径が小さい。それらの矢は、補助奇跡で炸裂させているに過ぎず、姫が神から授けられた炸裂の才能は、かなりのものだということが知れた。

 姫が次の矢を発動させた。俺と理沙は、それに対応して、炸裂半径を広くする奇跡と矢の速度を上げる奇跡を発動させる。

 それを確認した姫が、矢を放つ。

 そして、放った矢の爆発を確認することなく、次の矢を発動させた。

 どうやら、姫に答える余裕はないようだ。

「理沙。アエリアとかってなに?」

 理沙は、死んだ魚のような目で俺を見て、空に視線を戻した。奇跡を発動しながらだから、上の空っぽい感じだ。

「悪魔の階級。アエリアが空中に棲む悪魔。クトニアが陸上を徘徊する悪魔。翼がある悪魔がアエリア。その足にぶらさがっているのがクトニア。鏡魔が悪魔になったような、成り立ての悪魔とは力も速さも違うわ。油断しないで。でも、これ以上、余計なことは聞かないで。悪魔がかなり近づいてきたから。正直余裕ない、ごめんね」

「ああ」

 答えて空を見上げる。確かにさっきより、悪魔の姿が大きくなってきている。

 と、空で爆発が起きて、周囲が強い青白い輝きに包まれる。けど、その炸裂半径が、今までのどの矢よりも広かった。

 理沙が、交差させていた腕を下ろした。

「嘘・・・」

 そして、そう呟いた。

 時間から考えれば、さっき姫が放った矢だ。

 1発目の矢の炸裂範囲が1円玉だとすると、今回のは500円玉だ。

「すごい。これが御剣の・・・3つを有する者の力なの」

 理沙の呆然とした呟きから判断すると、どうやら、これは俺の補助奇跡の力らしい。

 しかも、また『3つ』だ。

 姫が次の矢を番える。『3つ』に考えを巡らす暇がない。

 矢に2つの補助奇跡を施す。速度と半径を上げるものだ。けど、理沙の奇跡が、間に合わなかった。

 姫が空へ矢を放つ。

「ごめん!」

 理沙は謝ってきて、次の矢に備えた。

 別エリアの天使からも矢が放たれるけど、たいした爆発が起きず、悪魔の数が減らない。

 むしろ、どんどん増えているように赤い空が黒く埋め尽くされていく。

 姫の矢。大きな爆発。けど、一瞬見えた赤い空も、すぐに黒く埋められてしまう。

「キリがないわね」

 理沙が、イラついたように口にした。

 と、姫の手に集められた青白い輝きが霧散した。でも、再発動しない。様子がおかしい。撃たなければ、悪魔が近づいてくるのに。

 それでなくても、絶大な破壊力を持つ俺達へは、かなりの悪魔が向かってきている。

 悪魔から直接攻撃される範囲に入ってしまうまでに、可能な限りの数を減らさなければ、勝ち目はない。そんな状態で、攻撃の手を休めるわけにはいかない。

「神倉さん!どうしたの!?」

 俺の言葉は耳に入っていないようだった。

 姫が、右の空へと顔を向けた。俺と理沙も同じように、右の空へ視線を向ける。

 遠く離れた住宅街。

 1本の赤白い輝きが空へ向けて伸びていた。

 姫が、手で口を覆う。

「あの場所・・・サキル?」

 赤い塊が帯を引きながら空へと飛び上がると、呼び合うように、全ての悪魔が、それに向かい始めた。

 理沙が、一歩前へ進み出る。

「・・・あいつ!」

 そして、背に赤い粒子を収束し始める。翼を創り出す気だ。

「駄目よ!理沙!」

「でもっ!」

「サキルの思いを無駄にさせないで!」

「・・・でもっ!」

「あなたが行っても、援護にもならないわ。むしろ邪魔して、サキルの力を衰えさせてしまうだけよ。分かっているでしょう?」

「・・・くそぉっ!」

 理沙が、近くにあった木を殴りつける。

 そのやりとりを見ていた俺は、何がなんだか理解できなかったけど、とりあえす理沙が飛び出す心配が無くなったと判断して、赤く輝いている塊へと視線を戻す。

 赤く帯をひく姿は、まるで槍のようで、宇宙へ向かうロケットみたいな荘厳さを有していた。対して、悪魔も槍の形状で黒い輝きを発しながら、赤い槍へと向かっていく。

 槍と槍のぶつかり合い。

 両者の先端が、音もなく接触した。

 そこに衝突はなかった。

 赤い槍が圧倒的な強さで、黒い槍を流すように消していく。赤い槍に蹴散らされる悪魔が、波に消される砂の城のように脆い。

「すごいな!サキルって天使は!」

 興奮しきった俺は、理沙へと視線を向ける。

 けど、理沙が・・・泣いていた。

「・・・理沙?」

 理沙は答えない。サキルの戦いからも眼を逸らしている。

 やっと、気づけた。

 まさか、サキルって天使は・・・

 姫も、眼を逸らしている。それに、肩が震えている。

 ・・・そういうことか。

 だから、理沙は飛び出そうとしたんだ。

 やっぱ、理沙はサキルを嫌ってなんかいない。きっと、軽口を言い合えるような親友だったんだな。

 でも、その理沙と佐久耶がサキルの姿を見ることが出来ないんなら・・・

 せめて、俺が2人の代わりに、サキルの戦いを見届けてやる。

 静かながらも壮絶に繰り広げられている戦いへと視線を向ける。

 赤い槍が優勢に黒い槍を蹴散らしていて、黒く染まった空にも、赤い空が戻ってきていた。黒い槍に、全ての悪魔が終結して、かなりの密度と大きさを持っているからだ。

 けど、ついにその時が来た。

 サキルの勢いが衰え、じょじょに後退し始めた。赤い輝きも点滅を繰りかえして、消えかけようとしている。

 赤い槍が、一際大きく輝いた。

 それを受けた黒い槍の先端が弾け飛ぶ。

 反動を受けたサキルは輝きを失って、反対側に吹き飛ばされていた。放物線を描きながら、ゆっくり落ちていく。翼を失った彼女は、ただ落ちていくだけの存在になってしまった。

 もうエーテルが残っていない。今の俺には、それが分かる。

 奇跡を発動している状態では、現実の時間の流れよりもゆっくりと流れ、遠くのほうも見ることが可能になるからだ。

 輝きを失ったサキルの体は、透けていた。

 たまにテレビの砂嵐みたいに、ざざっとぶれる。もう限界が近い。

 サキルが、俺たちの方に顔を向けてきた。

 姫並みに整った綺麗過ぎる顔出ち。緑ががった髪は肩より少し短かく、その前髪の下で、綺麗な瞳に涙が浮かんでいる。

 サキルは何かを伝えるために、姫と理沙を見たんだろう。

 でも、姫と理沙は、眼を背けている。いきなりの親友の死に耐えられないように。

 だったら、俺が、サキルの最後の言葉を聞き遂げる。それが、今の俺にできることだ。

 エーテルが残っていないサキルでは、奇跡の発動下にある俺の動きは捉えきれない。

 だから、サキルと目線を合わせて、俺はできるだけゆっくりと頷いた。サキルは頷き返してきて、泣き顔に無理やり笑みを浮かべた。

 視界が黒になる。

 黒い槍が、残った力を振り絞って微笑んでいるサキルに覆いかぶさった。

 笑いながら携帯越しに話していた姫。

 苦笑いしながらも懐かしんでいた理沙。

 2人とっての大切な存在が、目の前で音もなく一瞬で消された。

 そして、俺は・・・俺は何も出来なかった。

「・・・きさまらぁぁぁぁぁ!」

 それなのに、平常心が保っていられるほど、俺は冷静に行動できる人間じゃない。

「佐久耶ぁぁぁぁぁ!理沙ぁぁぁ!」

 奇跡を発動させる。今までよりも遥かに燃えるような熱さ。それに体を取り巻く赤い輝きが増している。

 心地いい。何とも表現できない快感に襲われ、全てを壊したい衝動に駆られる。

 ・・・これならあいつらを粉々にできる!

 そう思わせるだけの力が溢れてくる。

 目を背けていた佐久耶が槍の先端に向けて矢を番えた。理沙とともに矢に奇跡を施す。

 矢が黒い槍の先端へと飛んでいくのだけは初速で確認できた。それ以降は、奇跡を起こしているにも関わらず、確認できない速さまで達してしまい、矢を見失う。1匹の悪魔に刺さり、それで飛んだ位置を見つけた。

 爆発。さらに大きくなった青白い爆発。

 怒りで高揚した俺の奇跡は、矢の速さと炸裂半径をかなり上昇させているようだ。炸裂半径は500円玉4つ分、さっきまでの4倍の大きさ。威力も半径に比例していて、黒い槍の先端がかなり吹き飛ぶ。

 槍の先端へと、次の矢が放たれる。が、その動作が遅くなっている。

 ・・・佐久耶は疲れているんだろうか?

 飛んでいった矢も速度を落としているようで、今度は突き刺さるまでが確認できた。

 ただ、炸裂半径がさらに広がっている。槍の先端が、これまで以上に消し飛ぶ。

 次の瞬間、悪魔は槍の形状を解いて、赤い空に拡散した。おそらく、矢の炸裂半径から逃げるための措置だろうが・・・

「・・・そんなの無駄だ!」

 叫ぶことで、さらなるエーテルの高まりを自覚できた。

 佐久耶が、振り返ってきたけど、その動作がさらに遅くなっている。

 そして、俺と目が合った瞬間、泣きそうな表情になり、弓の発動まで忘れて、駆け寄ってきた。

 けど、スローモーションだ。跳ねるように近づいてくる姿は、あまりにも遅すぎる。

 佐久耶のあまりの遅さに、俺から近づこうと・・・

 できなかった。足が動かない。

 視線を落とした先にあったのは、炎。奇跡発動下で、燃えるような熱さを感じても、炎を見ることはなかった。

 なのに、今、炎が脚を包んでいる。

 ・・・やばい。やばすぎる。脚が炎と化してしまって動いてくれない。

 しかも、その炎が、体の上のほうへ上のほうへと向かってきているのに、皮膚は全然焼け爛れていない。

 ・・・なんだ、これは!?

 佐久耶が、肩を揺すってきた。その口がいらつくほど、ゆっくりと動いている。それに、同じ動きを繰り返している。

 焦る気持ちを抑えて、必死に動く佐久耶の口だけに集中する。

 ・・・う・・・そ・・・う・・・ぼ・・・う・・・そ・・・

 うそうぼ・・・ぼうそう・・・暴走?

 これが暴走なのか!?

 強くなったと思っていた奇跡は、恐れていた暴走。こんな力なんて、まさに諸刃の刃だ。

 ・・・このまま死ぬのか?

 長谷川塔矢が死んだのは、悪魔と戦っている最中に起きた奇跡の暴走が原因だ。

 とにかく奇跡の発動を止める。だが、止まらない。どんなに発動を止めようとしても止まらない。止められると思っていたのに、どれだけ努力しても、止まってくれない。まるで、溢れ出る水のように、手がつけられない。

 ・・・今の俺じゃ、力不足ってことだ。

 諦めると、意識が朦朧としてきた。

 そのとき、空が白い輝きを放った。

 遠のく意識で見上げた空には、悪魔に負けないほどの数の光球が、舞い降りてきていた。

 荘厳で綺麗な光景だ。

 多くの青白い輝きや赤白い輝きに混じって、複数の翼を持った者まで飛んでいる。

 空に広がっていた悪魔が、新たに出現した天使に襲い掛かる。

 ・・・やっと援軍がきたのか。これで、佐久耶や理沙、佐久耶とともに育った天使が助かる。サキルの命を賭けた奇跡は無駄な犠牲じゃなかった。

 ・・・けど、俺はもう駄目そうだ。

 どれだけ頑張っても、暴走した奇跡を止めることはできなかった。

 なら、死んでしまうのは、仕方のないことなのかもしれない。だって、発動を止められなかったのは、力が足りなかっただけのこと。

 それに、人間には、どれだけ頑張ってもできないことはあるものだ。

 ・・・なら、仕方ないじゃんか。

 泣いている佐久耶の顔がぶれてきて、少しずつ意識が遠のいていった。


 白い世界。ただただ白い世界。

 ・・・なんだ、ここは?

 白い世界。どこまでも白い世界。

 ・・・そうか。死んだのか、俺は。

 暴走して意識が遠のいたのまでは覚えている。佐久耶の涙も覚えている。

 けど、それから先の記憶がない。

 ・・・まぁ仕方ないか。

 俺だって全力を尽くした。佐久耶を護ろうと、サキルの仇を取ろうと、頑張った。

 でも、暴走してしまった。

 暴走を止められなかったのは俺の力不足。

 できることはできる。できないことはできない。

 俺は、できないことに手を出てしまった。

 それだけのことだ。でも、佐久耶は護れた。佐久耶の存在を護ることはできた。

 だから、後悔はない。

 それでも、ただ・・・ただ・・・!

『ただ・・・なんだね?』

 頭に声が響く。白い世界には俺以外の姿はない。声も、男にしては高く、女にしては低い。それが中途半端で特徴をなくしている。

 誰だ!

 叫んだつもりが、声が出なかった。

『声など無用。心に思い浮かべればよい』

 言われたとおりに、心に思い浮かべる。

『お前は誰だ?』

『我は、そなたが天使として覚醒してから、いつも共にあったぞ、人間よ。そなたが気づかなかっただけのこと』

『そうかい。だったら、姿を見せてくれ』

『それは無理だ。今のそなたには、我が姿を見る資格はないゆえに』

 ・・・資格か。

『ははっ!そうだろうな。力及ばず死んだ俺には、そんな資格なんて無いんだろうな』

『違う。我が言っていることは、そういうことではない。そなたの心にその弱さがある限り、そなたに我が姿を見る資格はない、と言っているのだ』

『心にある弱さ、だと?』

 ・・・なんだそれは?さっぱりだ。

『そなたは、なぜ自分がこのような状態になったのか理解できていないのか?』

『そんなこと・・・充分すぎるほど理解しているさ。単に俺の力が足りなかったからだ。人間には、できることとできないことがある。そして、俺はできないことに手を出してしまった。だから、こんな状況になっている。でも・・・仕方のないことだった!俺だって、どうにかしようとしたけど・・・今の俺では、どうすることもできなかった!仕方なかったんだ!』

『では、そなたは、今以上に自分に力があれば、こんな状況にならなかった、とそう言いたいのか?』

『・・・かもな。今以上の力があれば、どうにか解決できたのかもしれないさ』

『だが、そなたは、その力を使っても解決できなかったら、仕方ない、とまた諦めるのであろう?』

『それは・・・そうだ。やっはり、出来ることはできる。出来ないことはできない。そう思って諦めるしかないさ』

『つまり、そなたは、今の自分の力では無理だ、と自分に言い聞かせて諦めている。 そう解釈して問題ないな?』

『・・・かもな』

 こいつが何を言いたいのか全然分からない。

『たが、諦め続けている人間が、どうやって今以上の力を手に入れるのだ?』

『・・・それは・・・』

『結局、そなたは、今のままのそなたで、なにも成長せずにただ生きていくのだ。そして、そなたは、かなりの歳月を経てから、この事実に気づき、このように自分に言い聞かすだろう。俺は、まったく変わっていない。でも、仕方のないことだ。だって、今の俺には力が足りなかっただけなんだから。どうだろうか?我の指摘は間違っているだろうか?』

 姿が見えず声だけのこいつに、何も言い返せなかった。それは、俺が自分では見つめていなかった心の部分を見事なまでに言い当てられたからに違いない。

 そして、言い返せないということは、それが事実あることを示しているんだろう。俺は、素直に自分の心と向き合ってみることにした。

『・・・死んでまで、自分に嘘をつく必要はないな。正直、かなり痛いところを突かれたよ。努力しても、できないことはできない。そう考えながら努力してる時点で、負けなんだ、きっと。いや・・・そんな努力なんて、自分を誤魔化すための見せかけで、ただの道具でしかないんだ。俺は、事実から目を背けながら、毎日を繰り返し生きてきた。そして、今の俺では仕方ない、今の俺では駄目なんだ・・・と繰り返しながら、本当の努力することを先延ばしにしてきたんだ。ははっ。こんなんじゃ強くなれないよな。 姿を見せないお前は、どう思う?』

『・・・賢くなったな、人間よ』

『褒めてくれて、ありがとさん。でも、どうせなら死ぬ前に賢くなりたかったな。そうしたら、暴走した奇跡も止められてたんだろうけど・・・悔しいよ』

『・・・戻るか?』

『なに?』

『そなたは、まだ死んでいない。だから、こんな白い世界を彷徨っている』

『じゃあ、佐久耶の元へ帰れるのか?』

『今のそなたなら戻れる。だが、自分から目を背けていたそなたのままであり続けようとしたなら、我がここで殺していたがな』

 ・・・いきなり怖い事実追加。俺、命拾い。

『それで、戻るのか?』

『ああ。戻るよ』

 迷うことなく言い切った。

『本当に戻るのか?それでいいのか?人間でありながら天使の力を手に入れたそなたにとって、もはや普通の人間として送れる生活など、あそこには無いのだぞ。今以上の苦しい戦いが、これから先にあるやもしれん。人間として生を受けたそなたは、それらに耐えられるか?ここで死んでおいたほうが、間違いなく楽だ。 それでも、あの世界へ戻るか?』

『・・・ったく、お前は。何を言うのかと思ったら、今更そんなことかよ。それでも、俺は戻る。たとえ、お前の言うとおりだとしても、努力して乗り越えるだけの力を身につけて、絶対に乗り越えてみせる。それに、いくら努力しても駄目そうなことがあっても、俺は諦めない。絶対に。そこで諦めたら、死んだも同じだから。だから、絶対に乗り越えてみせる。仕方ないことから諦めるなんて、そんなことはもう嫌だからな』

 今度こそ、俺は自分を乗り越えてみせる。護りたい者を護りたい。飛鳥みたいに誰かを失うなんて、そんなのもう嫌だから。

『いい答えだ』

 白い世界に様々な色が混じり始める。

『さすがは、力を所持する者よ。それでこそ、資格があるというものだ』

 頭がぼ~っとしてきて、意識が薄れてきた。

『その力ってなんなんだ?姿も見せないんだから、それぐらいは教えてくれよ』

『今はまだそなたが知るときではない。知っても無意味だからな。それに、そなたと我はすぐに再会する。そなたが強大な力を求める故に、な。そのときのそなたになら、教えてやってもいいやもしれん』

『・・・そうかい。楽しみにしとくよ』

『それから我からの褒美を一つ与えよう。そなたが暴走させてしまった奇跡だがな。 我の力を寄与させておいた。あれくらいの奇跡では、もう暴走することもない。存分に悪魔を滅せよ』

 それを最後に意識が遠のいていった。


 空が様々な光を発している。

 奇跡を発動していないと、天使と悪魔の姿をまったく確認できない。

 意識を集中させて、奇跡を使う。

 奇跡の発動には、まったく問題ない。いや、むしろ前より力が溢れてくる感じで頭もすっきり冴え渡っている。

 見上げた空を、悪魔や複数の翼を持つ天使や様々な色の光球が飛びまわっている。

 けど、意識が飛ぶ前よりも、悪魔がかなり接近してきている。

 これだけ近いと、同士討ちの危険があるから、飛び道具は使えない。天使は剣や槍で、悪魔は鉤爪で応戦している。たまに、炎や雷が戦場を駆け巡る。

 戦況は5分5分の乱戦状態のようだ。

 青い輝きを纏った槍で悪魔を貫いた天使が、別の悪魔に背後から背中を抉り取られて、輝きを失って、掻き消すようにして消えた。その悪魔を、他の天使が炎で焼き尽くす。その天使を・・・

 そんな戦いが空で繰り広げられている。

 寝ている場合じゃない。

 倒れている体を起き上がらせると、公園の草むらの中にいることが分かった。同時に、体に疲れや怪我も無いことも知れた。

 まだまだ戦える。

 立ち上がって、佐久耶と理沙を探す。

 佐久耶は、さっきと同じ場所で、矢を放っていて、空から近づいてくる悪魔だけを爆散させて適確に屠っている。

 ただ、佐久耶は一人で矢を放っていた。

 補助奇跡を施しているはずの理沙の姿がどこにもない。

 補助奇跡を受けていない矢は、お世辞にも速度があるとは言えず、刺さったものも炸裂半径が小さく、周囲まで効果が及ばない。

 佐久耶に駆け寄りながら、矢に速度と威力増大の奇跡を施す。

 自分の青い矢に赤い輝きが入り込んだのを見ると、俺のほうへと目を向けてきた。

 その表情が驚きに染まりながらも、近づいてきた悪魔へと冷静に矢を放つ。

 悪魔は、速度が上がった矢に対応しきれず、体に矢を受けて爆発。増幅した炸裂半径が、近くにいた2体の悪魔を道連れにする。

 佐久耶の隣で立ち止まる。

「ごめん。遅くなった」

「なんで、平気・・・なの?」

 目が赤い。俺が死んだと思って泣いてくれたんだろうか?

 その瞳に、悪いことしたな・・・と思う気持ちと、なんか嬉しいな・・・と思う気持ちが芽生えた。

「それは、この戦いが終わった後で。

 今は、1人でも多くの天使を生き残らせるために戦わないと。それより、理沙は?」

 まさか、あの馬鹿に限って、死んだなんてことはありえない。

「・・・御剣が倒れたあと、すぐにヒミカが現れたわ。複数の下級悪魔を伴ってね。今、理沙はそれを追ってるわ」

「そうか。ヒミカが・・・」

 おそらく、俺達の戦力分散を狙って、ずっと潜んでいたんだろう。それで、俺が倒れたから、理沙と佐久耶を1人ずつにしたんだ。

 佐久耶が矢を番える。それに奇跡を施す。

「補助天使の理沙だけで平気なのか?」

 もともと天使であるヒミカには、堕ちてもある程度の奇跡を使えるだけの能力が残っている。ここが悪魔との大きな違いで、堕天使は、かなり手強い存在となる。

 佐久耶が矢を放つ。

「ううん。1人じゃないの。理沙には、3人の天使が手を貸しているわ。

 堕天使は、悪魔同様に憎むべき存在で、悪魔より早く抹消しなければならない存在でもあるのよ。理沙とともにヒミカを追った天使は、座天使級が2人と主天使級が1人。3人とも、私やヒミカより上級の天使よ。その力は、私なんかとは比べ物にならない・・・だから、ヒミカは下級悪魔とともに一瞬で殺されるわ」

「・・・そうか」

 佐久耶の目に悲しい色が滲み始めたから、これ以上聞くのを止めることにした。

 空では、まだ壮絶な戦いが繰り広げられている。黒と明るい輝きがぶつかっては吹き飛び、次の相手へと襲い掛かる。

 地上にいる俺達のような天使への襲撃は、まだ少ないほうだ。空を飛んでいる悪魔は、同じく空を飛ぶ天使と戦うことに精一杯らしく、俺達に気づける余裕がある悪魔は少ない。

 それでも、息をつく間もなく、どの方向からも急降下してくる悪魔がいる。

 佐久耶は、近い悪魔から適確に射抜いていく。その繰り返し。単調な攻撃を繰り返す。

「・・・おかしいわ」

 そう呟いたのは、何度目になるか分からない矢への補助奇跡を施した時だった。

「どうした?なにがおかしい?」

「・・・クトニアはどこ?」

 クトニア。理沙に聞かされた悪魔の階級。確か、陸上を徘徊する悪魔だと・・・

 そこで気づいた。

「空中にしか悪魔がいないな。陸上の悪魔はどこにも見当たらないぞ?」

 周囲を見回しても、公園の中には俺達しかいない。

 いきなり佐久耶が走り出した。

「佐久耶!どこへ行くんだ!?」

 器用なことに、走りながらも空中の悪魔を射抜いている。

「いいから早く!じゃないと間に合わなくなってしまう!」

 佐久耶にしては珍しく慌てている。緊急だと判断して、黙って後を追う。

 走っていく方向の空に赤いオーロラみたいのが現れて、ゆっくりと揺れ始めた。

 なんとなくサキルの輝きに似ている。

 佐久耶が、いきなり立ち止まった。

「間に合わなかった・・・!」

 呟いて、すぐにまた走り出した佐久耶は下唇を噛んでいた。

「なんなんだ?あれは?」

 俺の問いに、佐久耶は目を拭った。

 ・・・泣いているんだろうか?

「奇跡が暴走させられてしまったわ」

「・・・させられた?俺とは違うのか?」

「違うわ。外的要因に伴う暴走は、もっと酷いものよ。あの空の下で暴走している天使は、生き地獄を味わっているわ。

 御剣が味わった暴走の苦しさを、誰かに殺されるまで続けることになってしまうから」

 あれをずっと?想像を絶する苦しみだ。

「でも、させられたって・・・そんなことできるのか?」

「それができるの。パートナーを失った彼女の悲しさ、苦しさ、寂しさを利用すれば、不可能なことじゃない」

 走り向かっている方向から、そこにどんな天使がいるのか、やっと理解できた。

「・・・サキルのパートナーか?」

「ええ。サキルの死を見届けたアミカは、あまりの怒りで、その時点で奇跡が暴走しかけていたの。サキルを止められなかった自分の弱さに苦しんで、長年連れ添った親友が死んだことを認められない悲しさに苛まれて・・・そこへ、クトニアがやってきて、暴走への決定打を与えてしまった。暴走した天使は、4大天使から送られてくる奇跡で、その体が耐え切れなくなるまで、エーテルが増え続ける状態になるの。ほとんどのクトニアが、アミカのエーテルに群がり、それを喰らっているはず・・・アミカさえ殺さなければ、しばらくはエーテルを喰らうことができるから、早く対処しないと、クトニアの力は増大する一方よ」

 ・・・なんてことを。パートナーの死で苦しんでいるのに、さらに苦しめるなんて。

 クトニアには、白い世界で増大した補助奇跡を全力で喰らわせてやる。

 ・・・だけど、誰がアミカを殺すんだ?

 悪魔は、エーテルを喰らうために殺さないだろう。でも、クトニアが強くなる前にアミカの暴走を止めなければならない。

 けど、俺に剣や弓みたいな武器はない。

 と、いうことは結論は1つ。

「佐久耶・・・殺せるのか?」

 佐久耶が、少し俯いた。

「大丈夫。やれるわ。アミカの一番近くにいるのは、私・・・なんだから」

「・・・分かった。俺も力を貸すよ」

 親友を殺す役目を変われないなら・・・

 ならば、せめて、その罪深き行為を手助けすることで、佐久耶を助けてみせる。


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