第5話  衝撃

「そう・・・どこか分かる?」

 姫は、一瞬で戦う顔に戻っていた。可愛い姫じゃなくて怖いくらいに綺麗な姫に。

「まだ、分からない。けど、近い。かなりの眩暈を感じたから」

 眩暈や寒気は、距離に比例する。だから、この歩道橋から見える範囲内に鏡魔がいる。

 歩道橋を昇りきって真ん中で立ち止まる。

 そこで、神経を集中し、索鏡を発動させて、鏡を探す。ビルの鏡、路駐している車の窓ガラス、駅前の噴水、ホームに入ってきた電車の窓、デパート前にある鏡の造形物・・・

 いた。

 人でごちゃごちゃしているデパート外壁の鏡に反射された影が、黒い輝きを放っている。

 たた、1体じゃない。

 8体。

 こんな数は初めてだ。鏡魔ならどれだけ束になっても、俺と姫の相手ではないけど、さすがに多すぎる数に異常だと思った。

 状況を隣に立つ姫に伝える。

 姫は、マーカーされていない鏡魔を見ることが出来ないから、俺からの報告待ちだ。

「明らかに異常ね。今まで、こんなことは一回もなかったわ。本当に8体もいるの?」

 神経を集中させて鏡魔を1体ずつ確認する。

 黒く光る鏡魔の本体は、いるべき場所に存在していない。それが8体。間違いない。

「鏡魔がコピーした人間が近くにいないし、黒く輝いているから。間違いないよ」

「分かったわ」

 その返事は戦闘を始める合図だろう。

 服は戦うのに邪魔だ。コインロッカーにでも預けなければならない。そう思っていると、姫が携帯を取り出して、電話をかけ始めた。

「ヒミカ?私、佐久耶よ。ちょっと聞きたいことが・・・えっ?そっちでも?・・・うん。うん。こっちもそうなのよ。私のところは一箇所に少なくとも8体。明らかに異常よね。原因は分かる?・・・ううん、私にも全然。どうする?・・・そう。やっぱそうするしかないわよね。また連絡するから」

 電話を切るのを見届けてから、声をかける。

「ヒミカって?」

「隣のエリアを担当している天使よ。御剣が確認した状況について聞いてみようとしたら、彼女のエリアでも鏡魔は異常発生しているらしいの。おそらく、原因不明のまま、かなりの広範囲で発生しているわ。それで、ヒミカとの相談の結果、御剣が発見した鏡魔には手を出さないで、見過ごすことに決定したわ。あっちのエリアでも同じように対処しているし、これが現段階では妥当な判断なの」

 鏡魔を倒すものだと思っていたから、真逆の答えに驚きを隠すことが出来なかった。

「ここであいつらを倒さないと、俺みたいな人間が狙われちゃうじゃんか!鏡魔がエーテルを奪って、実体化して悪魔になるのは、俺より神倉さんのほうが知っているはずだ。悪魔は人間を襲えるんだろう?そうなって被害が広がるんなら、鏡魔の段階で倒すべきだよ。なのに、なんで!?」

「ここは我慢して。こんな状況は、初めてなうえに異常すぎるの。原因が解明されてないままで、下手に手を出すと、どんな状況になるか分からないわ。それに、手を出せない理由がこの段階で考えられる原因にあるの。この鏡魔どもは上級悪魔の手先の可能性があるわ。私達のような存在を探している可能性が高い。こいつらが突然現れた目的がなんであれ、1体でも殺し損ねてしまって、私達の存在を報告されたらどうするの? とてもじゃないけど、下級天使の私達が、上級悪魔に勝てる見込みはないわ」

「そんなのやってみけりゃ・・・」

「8体同時にマーカーできる?私達が死んだら、誰がこの街を護るの?」

「それは・・・」

 マーカーは自動追尾だ。発動後は、俺の意思は働かない。風属性でない俺には、姫の矢みたいに、標的にまっすぐ飛んでいくだけの力はない。それに、あったとしても、8体を一度にマーカーするのは至難の業だ。3体が限界だと分かっているから、まず失敗する。 

 それに、姫の言うことはもっともだ。俺達が死んだら、この街を護れる存在がいなくなってしまって、他の天使に救援すら要請できない。隣エリアを担当するヒミカって天使が気づいてくれるまでの時間の問題だってある。

「だから、ここは我慢して。事態を知った天界がすぐに増援を送ってくるはずよ。それからでも遅くはないし、こいつらが悪魔になる心配もいらないわ。 御剣のように天使の力を持つ人間は、いないと断言していいほど数が少ないの。 それに、こいつらの目的は悪魔になることじゃない。そういう鏡魔は、1体で行動するものよ。8体なんて、手に入れたエーテルが8分の1に減ってしまうじゃない。そんな非効率で悪魔になろうなんて鏡魔はいないわ。だから、今は我慢して。お願いだから」

「・・・分かった」

「まずは、私の家まで帰りましょう。しばらくは、学校に通いながら、天界からの報告待ちよ。それまでは、相手が1体の鏡魔でも絶対に手を出さないこと。今すぐ、エーテルに遮蔽奇跡を施して」

 指示通りに、遮蔽奇跡を実行する。この奇跡は、拡大奇跡の中位に属するものだ。

 エーテルの流れを隠すことで、鏡魔や悪魔への不意打ちのために使う。簡単に言えば、ステルス機能みたいなもの。それを、今は鏡魔から発見されないように、エーテルを隠して、外見上は完璧な人間にするために使った。

 と、右手に暖かい感触。

「帰りましょう」

 そう言って、俺の手を握ってきた。戦士の顔から可愛い顔に戻っている。

 その顔に、胸の鼓動が高鳴るのを自覚した。


 教室へと続く廊下の窓から見える桜は散ってしまい、今では葉桜になっている。

 週も終わりに近づいた木曜日。異常な数の鏡魔を見つけてから今日で4日が経過した。

 いまだに、天界からの連絡は入らない。

 そんな状況でも、俺は普段どおりの生活を送ろうと努力している。

 いくら日常が変わっても、学校生活までは変わって欲しくない。

 こんなこと考えながら登校している高校生なんて、全国でも俺ぐらいなものだろう。

 けど、そう願っている学校生活でさえ、変わろうとしているのかもしれない。

 原因は、左隣のクラスメイトの存在。

「おはよう。理沙」

 1年生からの変わらない挨拶を交わす。けど、この頃の理沙は、なんかおかしい。

「・・・おはよ」

 俺のほうも見ずに、ぼ~っした感じで挨拶を返してくる姿は、何か考えているように見えるけど、抜け殻にしか感じられない。

 こんなに素っ気ない理沙なんてありえない。

 3日前の月曜に挨拶したときから、日が進むにつれて、理沙から少しずつ覇気が失われていっている。

 もしかして悪魔に乗っ取られたか?

 そういう悪魔もいるらしい。それもかなりの上級悪魔。

 そう考えて、索鏡を発動させても、理沙の黒い姿はない。それに毎日、確認しているから、理沙は間違いなく人間だ。

 でも、これだけ考え込む理沙なんて見たことない。けど、そうかと思いきや、急に生き生きとしたオーラを出してくることもある。

「ああ~っ!いらいらする~!なんで、こんなことになるのかな~!全然、分からないよ。もうっ!なんでよ!?」

 こうやって頭を抱えて、机に突っ伏す。

「おはようさん、御剣」

 達也がやってきた。そして、いらついている理沙をちらっと見て、耳打ちしてきた。

「なぁ・・・理沙、何かあったのか?こんな理沙、見たことないぞ」

 さすがに達也も気づいている。俺と同様に、理沙との付き合いが長いから、この変化に、なにかを感じて心配になったんだろう。

 けど、それもそのはず。

 このところ、理沙はこの繰り返しだから。授業中も放課後も関係なく。授業中に先生から指名されても、まるで耳に入っていない。放課後になって、皆が帰るころになっても、まったく気づいてない。昼に至っては、飯も食わずに机に座ったままで、難しい顔をしながら、なにかを考えている。

 クラスメイトも、理沙の変化に気づいているようで、教室で昼飯を食べる人数が減ったし、理沙に話しかける女子生徒も減った。

 それでも、理沙は、ずっと黙ったままで、なにかを考えている。俺や達也が話しかけても、なんとか反応してもらえる程度だ。

 ただ、それでも一人の例外がいる。

 その例外は、いつもどおり、遅刻ぎりぎりで教室にやってきた。

 途端に、理沙が立ち上がる。

 これも、月曜から毎朝起こる光景。

 次の瞬間には、姫が首を横に振って、理沙が大きな溜息をつき、席に戻るはず・・・

 そして、俺と達也の目の前で、実際に予想したとおりの光景が繰り広げられた。

 達也が、それを見届けると顔をしかめた。

「やっぱおかしいって。毎日毎日、姫との間で同じやりとりを繰り返すなんて、どう考えても・・・あっ!もしかして・・・」

 自分の考えに大きく頷いて、俺を見て、かすかに笑う。

 その笑顔に無性に腹が立ち、同時に、何を言わんとしているのかが分かった。

「おかしいのは、理沙じゃなくて、姫だ。きっと、お前と破局したことで、いろいろ理沙が相談に乗っていて・・・で、姫にいい人を紹介したいんだけど、姫のほうが決心つかなくて、凹んでるんだよ」

 よくもまぁそこまで考えられるものだ。

 その発想力を、勉強に使えば、学年ワースト10から抜け出せるだろうに。

 それより聞き捨てならない言葉が。

「破局なんて出来るかよ。付き合ってもいないんだからな」

「嘘だろ~?あれだけ一緒に下校して、あれだけ一緒に学食で飯食ってたのに?なのに今週は、それがまだ一回もないじゃんか。本当のこと言っちゃえよ。別れたんだろ?」

「しつけーよ」

 達也の言うように、俺と姫は、今週から距離が離れてしまった。

 それは、月曜の朝のこと。

『ごめん、御剣。今日から、ちょっと距離をおきたいの。だから、一緒に下校したり、学食でご飯食べたりするのは、今日から止めよう。会話も必要なこと以外は我慢するから、御剣も我慢してね』

 それ以来、挨拶すら交わさない。家にいても、姫は部屋に入り浸りで一言も話せない有様だ。まるで別居だ。

 達也が、俺の肩を優しく叩いてくる。

「まあ、彼氏としてのポジションが、理沙に乗っ取られちゃったのが、かなりショックだったのは分かる。だが、もう諦めようではないか!君も、俺と同じでフラレた側の人間なのだよ。ここは、潔く諦めようではないか!」

 ・・・結局、俺とお前は同じだ、とでも言いたいんだろうか?

 でも、達也の言うように、俺と理沙が入れ替わってしまったような日常になっている。

 姫が、一緒に下校するのも理沙だ。それに、こんな状態では、別れたと噂されても仕方の無いことだろう。

「座れ~!早く座れ~!ホームルームだ」

 将軍が入ってきた。

 達也と理沙が、自分の机に戻る。

 それでも、姫は、俺に話しかけてこない。

 正直、寂しい気持ちで壊れそうだ。姫と話せないことがこんなに苦痛になるなんて、考えたこともなかった。今すぐにも話しかけたいのに、それができない。

 なぜなら、姫も理沙と同じだから。

 目だけで、姫をうかがう。真剣に考え込む顔は、今にも泣きそうだ。

 この2人の間でなにかが起こっているのは、間違いない。でも、付き合いの長い理沙が、パートナーの姫が、俺に相談さえしてくれないなんてな。相談してこないのは、仕方の無いことだとは思う。女性独自の悩みかもしれないから。

 それでも、1つの思いが頭から離れない。

 俺はそんなに頼りない人間だろうか?

 寂しさの中に、少し怒りを覚えた。


「御剣~。飯、食いに行こうぜ」

 けど、昼飯を食うときは気が紛れる。

「ああ。行くか」

 達也の後ろには、2人のクラスメイトがいる。俺にとっては、クラスで出来た達也以外の友達。皮肉にも、姫と距離を置いたことが、この2人と俺の距離を縮まらせた。

 4人で、午後の授業のことを話しながら、学食へ向かう。

 と、一階の廊下で知らない女子生徒が会釈をしてきた。綺麗な子だ。

「あの・・・6組の神藤君だよね?」

 そのまま近づいてくる。

「そうだけど・・・」

 誰だろう・・・?リボンは青。同学年だ。

 でも、こんな子は知らない。

 黒く長い髪を靡かせる姿は、姫とは違う感じのお嬢様だ。それでも、姫と同じくらいの神秘的な雰囲気はあって、なんとなく社長の娘って感じがする。だから、これだけの雰囲気がある子なら忘れるわけがない。覚えているはずだ。

「御剣。知り合いか?」

「いや・・・知らない」

 聞いてくる達也に小声でそう答える。

 すると、目の前のお嬢様は、何かを思い出したように口を手で覆った。

「ごめんなさい。自己紹介がまだでした。私は、3組の藤枝飛鳥です」

「藤枝飛鳥だって?」

 達也が驚いたように、俺の横まで歩み出て、微かに声をあげた。

 そして、俺に耳打ちしてきた。

「おいおい!髪が伸びてて気づかなかったけど、あの飛鳥ちゃんじゃないか!なんで、お前が話しかけられるんだ!?」

「そんなこと知るか!いいから先に食堂行っててくれ!席がなくなる!」

「ぐっ!確かにそれはそうだが・・・分かった。席は取っておくが、後で説明してもらうからな」

 そして、達也達は足早に学食に向かっていった。時間的にそろそろ混み始めるからだ。

 視線を目の前の女子生徒に戻す。

 達也の反応から察するに、この藤枝って子も、それなりの子のようだ。

 でも、本当にこんな子は知らない。去年、同じクラスだった覚えもない。だから、話しかけられる理由も思いつかない。

「えっと・・・藤枝さんだっけ?それで、俺に何の用なの?」

 俺の問いに、藤枝さんはたじろいだ様子だったけど、決心したかのように胸の前で手を組んだ。

「あ。うん。えっとね・・・神藤君さ、今週の日曜日って・・・」

「いたいた!飛鳥~!学食行こっ!」

 会話を遮るように背後から甲高い声。

 振り返ると2人の女子生徒がいた。リボンが青だから、藤枝さんや俺と同学年だ。

 藤枝さんが、その2人に微笑みかける。

「ごめんね。ちょっと用事あって。すぐに追いつくから、先に行って席を取っといてくれるかな?」

「うん!了解~!」

 そして、2人は甲高い笑い声を残しながら、去っていく。

 甲高い笑い声。

 ・・・ひっかかる。あの笑い声、なんか聞き覚えがあるような・・・毎日毎日、強制的に聞かされているような・・・

 そして、浮かんできたのは電車の車輌。

 あっ!電車のうるさい3人組み!

 始業式の日から、ずっと同じ車輌で同じ様に騒いでいる3人のうちの2人だ!

 ・・・ん?待てよ。じゃあ、あの2人と一緒にいる黒髪の大人しそうな子は・・・

「藤枝さん。君って、電車登校で、あの2人と一緒だったりする?」

 途端に、藤枝さんの顔が明るくなる。

「うん!そうだよ!それ、私!気づいていてくれたんだ。嬉しいな!」

「ま、まあね・・・」

 実際は気づいてなかった。うるさいから、気になってただけで顔すら知らなかった。ここで会わなければ、一生思い出せなかったに違いない。

 でも、これだけ喜んでいる女の子を前にして、真実を伝えられるわけがなかった。

「で、藤枝さん。俺に用があるんだよね?俺達も早く学食に行かないと座れないよ」

 明るく微笑んでいた顔が、緊張を伴ったものに変わる。

「そ、そうだね・・・あのさ、神藤君って、日曜日は暇かな?」

 日曜・・・たぶん、暇だろう。異常な数の鏡魔発生以来、特に変わったことは起きない。待機するように言われている以上、何も出来ない。それに、何かあれば姫から連絡があるけど、今の様子じゃそれすら危うい。

 だから、休んでも問題ないだろう。

「うん。暇だよ。予定は何もないから」

 ぱっ!と、表情が明るくなった。

「本当に!?じゃ、じゃあ・・・私と遊びに行きませんか!?」

 顔を赤く染めながら、言い切った。

 それは、廊下を歩いていた生徒の視線が集中するほどの大きな声だった。

 その視線に、藤枝さんよりも言われた俺のほうが恥ずかしい気がしているのは確かだ。

「う、うん。俺で良ければ・・・」

 俺の言葉に首を思いっきり横に振った。首が飛んでしまうんじゃないかという勢いで。

「し、神藤君じゃなきゃ駄目なの!」

 こんな風に言われて嫌な気がする男はいないだろう。むしろ、かなり嬉しい。

 けど、話しているうちにかなり時間が経ってしまったらしい。頭上から、校内放送の音が流れてきた。

『時間になったから、いつも通り始めるよ~!今日のリクエストは、1年のミッキーさんからで・・・』

 放送部による音楽のリクエストだ。

「神藤君・・・携帯のアド、教えてくれないかな?もっと話したいけど、今は学食行かないと。お互い、友達が待ってるし・・・」

 昼の放送が始まったってことは、昼休みの3分の1が過ぎたことになる。飯を食うとなると、そろそろ限界だろう。

「うん。じゃあ、学食行きながら、交換しようか?」

「教えてくれるの!?あ、ありがとう!」

 携帯を手渡して、そのまま学食に向かう。

 藤枝さんがアドを打ち込みつつ歩いているから、どうしてもペースが遅くなってしまう。

 気づかれない程度で視線を右下に向ける。

 藤枝さんは、頑張ってアドを打ち込んでいた。時おり、打ち込みを間違えたことを表すかのように表情が変わる。

 ・・・なんか、新鮮な子だな。いろんな意味で楽しい。姫や理沙とは、違う感じの可愛らしさがあって、見ていて安心できる。

「うん?私の顔、なにかついてる?」

 視線がばっちりと合ってしまった。

「い、いや・・・何もついてないよ」

 ・・・マジで可愛い。そう思ってしまった。

 おどおどしている感じがするから気づかなかったけど、顔立ちそのものはかなり整っている。今は子供っぽいけど、落ち着きさえ身につければ、綺麗な女性になりそうだ。

「はい!終わったよ!今、私のアド送るからね」

 手を握られるようにして携帯を渡される。姫とは違う冷たくも心地いい感触に、思わず胸が高鳴ってしまった。

「じゃあ、アドは登録しとく・・・って、早いな。もう送ったの?」

 手の中で携帯が震えている。

「うん!なんか嬉しくて!」

「・・・そうか」

 今の俺は、にやけているに違いない。

 けど、なんか沈んでいた気持ちが救われるような気がして、藤枝さんに心の中で感謝をの言葉を送った。

 学食は、比較的空いていた。

 春先は、木の下で食べる生徒が多い。毛虫とかにめげないで食べている姿は、かなりたくましい。

「飛鳥~!こっちこっち!」

 2人で、入った学食の奥で、手を振る2人の女子生徒。

「あっ。私、こっちみたい。じゃあね!御剣君!あとで、メールするから!」

 笑顔を残し、俺の返事を聞かずに、あの2人のもとに行ってしまった。

 俺も、達也達を探す。

 ・・・御剣君、か。

 今まで、女子にそう呼ばれたことはない。藤枝さんにそう呼ばれると、なんか心地いい。

「御剣!こっちだ!」

 藤枝さんとは逆方向の奥から達也の声。

 そして、その4人席から、手を振りながら立ち上がる茶色い短髪。

 安田芳樹。

 芳樹は新しくできた友達の中では、一番よく話す。喋らないでいる時の顔は、かなり怖い。喋りかけただけで殴られそうだ。短く茶色い髪がボクサーを連想させるからかもしれない。でも、話してみると、かなり気さくだ。

 これを本人に言ったことがある。

 そしたら、こんなことを言われた。

『だったら、お前だって俺と同じさ。男子がお前に話しかけなかったのは、姫のこともあるけど、お前がいつも難しい顔をしてるからだ。けど、話してみると普通なんだよな』

 こう言われた。自分では分からないことなんてよくあるけど、難しい顔をしてるなんて知らなかった。

 それに、俺は、どちらかと言うと、新しい環境に慣れるのが苦手だ。どうしていいか分からない。だから、時間が解決してくれるのを待つ。それの繰り返しだった。だって、苦手なものは仕方のないこと。できないものはできない。無理なものは無理。もちろん努力はしてみる。でも、ある程度やって、できなかったら諦める。

 できないのに頑張っても時間の無駄だから。

「待ってたぜ。飯買おうぜ」

「おう。待たせちゃって悪いな」

 達也と玲人はもう買ったようだ。そして、食い終わってるっぽい。その表情から察するに午後の授業は間違いなく寝てしまうだろう。

「御剣。今日は、俺のおごりな。姫と別れて凹んでるお前へのプレゼント」

「おっ。サンキュー」

 別れてないし、凹んでるかどうかは別として、姫との買い物で金が無くなってしまったから、かなりありがたい申し入れだ。

 今考えると、俺は姫に金づるにされた気がしてならない。服を買った次の日に、距離を置きましょう、だ。パートナーとしての関係は続くだろうけど、姫の家から出される日は、そう遠くないのかもしれない。

「決めたか?」

 芳樹の声で、現実に引き戻された。

 ずっとメニューを見ていたから、そろそろ決めたと思ったんだろうけど、別の事を考えていたから、まだ決まっていなかった。

 学食待ちの列は、あとちょっとで俺と芳樹の注文までやって来る。

「じゃあ、カレーうどん」

 適当に言った注文が、姫と被ってしまった。

「ほい。280円」

 300円が手渡された。

 おばちゃんの前まで進み出て、カウンターに金を置きつつ注文する。

「おばちゃん、カレーうどん」

「ん」

 短い返事とともにうどんを熱湯に入れた。

 学食のおばちゃんは、必要以上に喋らない。だから、俺は、おばちゃんをけっこう気に入っている。いろいろうるさいのは面倒くさい。

「お兄ちゃん。今週は、綺麗なお姉ちゃんと一緒じゃないね。どうしたのさ?」

 話しかけてくるなんて珍しいな。

 綺麗な・・・姫のことか。やはり、あれだけの容姿にカレーというミスマッチだと、おばちゃんも覚えていたらしい。横で定食を頼んでいた俺はついでに覚えていたんだろう。

 おばちゃんには、どう答えようか?

 正直に言うと長くなるだろうから、適当にごまかすのが妥当だろうな。どうせ、姫は学食に来ないで、理沙と一緒に教室にいる。

「風邪ひいて休んでいるんですよ」

「・・・そうかい。ほい、カレーうどん」

 カレーうどんとおつりの20円を受け取って、芳樹を待ってから、達也と玲人が座っているテーブルへ向かう。

「あれっ?今日は定食じゃないんだ?」

 安村玲人が、不思議そうに聞いてきた。

 こいつは、姫と並ぶほどの秀才だ。体育を除いては。可愛い顔と全身から発する病弱そうな感じは、つい護ってあげたくなる存在NO.1らしい。達也情報の信憑性は高い。

「いつも栄養栄養って言っているから、定食しか頼まないもんだと思ってのに」

「まあ・・・たまには気分転換さ」

 なんでカレーうどんを頼んだのかは、自分でも分からない。もしかしたら、姫との昼食を無意識下で考えていたのかもしれない。

 姫との学校生活を失って、初めてその楽しさに気づき、寂しさも覚えた。

 と、達也が身を乗り出してきた。

「さぁ、御剣!藤枝さんと何があったのか話してもらおうか!」

 ・・・だから、達也は飯を食ったわけか。俺から話を聞くために。玲人も笑ってるし。

「いいけど、先に飯を食わしてくれよ」

 やれやれ・・・そう思ったけど、その反面、楽しく思っている自分もいた。

 そうだよ。今の俺には、こいつらがいる。それに、藤枝さんも。それだけで充分だ。それだけで・・・

 そう思っても、気分は晴れなかった。


『今日、一緒に帰れるかな?』

 俺の放課後は、午後の授業中に着た藤枝さんからのメールで始まった。

 達也達に、今日は一緒に帰れなくて悪い、と告げ、校門へ向かう。

 教室を出る時に、姫と理沙に挨拶をしたけど、返事は帰ってこなかった。やっぱり上の空って感じで、何も耳に入ってないようだ。

 怒りよりも呆れに近い気持ちを振り払うように、靴に履き替えて校門へと急ぐ。

「ごめん。待たせちゃった?」

 見つけた藤村さんは、壁に寄りかかるようにして空を見上げていた。

「ううん!全然待ってないよ。私も今来たばっかりだから」

 にこっと、人懐こい笑顔で迎えてくれた。

 でも、待ってないというのは嘘だ。廊下から確認した3組はホームルームが終わっていて、教室には数人しか残っていなかった。その様子から、終了して10分は経っていた。対して、俺達のクラスは10分ほど延長してしまった。つまり、藤村さんは、少なくとも20分は待っていたことになる。

 それでも、彼女は笑ってくれている。

「じゃあ、帰ろうか?」

「あっ。帰りに商店街に行きたいんだけど、付き合ってくれる?」

「ああ。もちろん」

 断る理由などなかった。家に帰っても寂しい思いをするだけだ。なら、藤枝さんと一緒にいたい。俺と一緒にいたいと言ってくれる子と放課後を過ごしたい。

「ありがとう!嬉しいな!」

 そして、2人で歩き出す。

 商店街に向けて横を歩く藤村さんは、幸せそうに微笑んでいて、見ている俺までにやけてしまう始末だ。

 そのままの笑顔で俺を見上げてきた。

「神藤君って、いつも同じ時間の電車に乗るよね」

「ん?電車?」

「うん。朝の。いつも私達と一緒だから」

「みたいだね。でも、正直言うと、俺は藤村さんに気づいてなかったんだ。ごめんね」

「ううん。謝らなくていいよ。話したことないんだから、気付かなくて当然だよ」

 ・・・そうだ。話したことはない。

 一度も話したことないのに、藤村さんは俺の名を知っていた。

「ねぇ。藤村さん。今まで話したことないのにさ、廊下で話かけてくれた時、俺の名前を知ってたよね?なんで知ってたの?」

 ちょっとだけ目を大きく開いて、俺から視線を逸らした。

「私・・・電車で神藤君を見かけるようになってから、ずっと気になってて・・・ 知らない? 神藤君って、女子の間で人気あるんだよ? だから、話したことなくても名前だけは知っている人多くて・・・ その人達から教えてもらったんだよ」

「そ、そうなんだ・・・知らなかった」

 女子の間で人気があるということよりも、藤村さんが俺を気にしていているという事実に動揺してしまう。

「ねぇ・・・神藤君のこと、御剣君って下の名前で呼んでもいいかな?」

「別に全然構わないよ」

「ほんとに!?じゃあ、私のことは飛鳥って呼んでくれると嬉しいな。御剣君が嫌じゃなかったらだけど・・・」

「嫌な理由なんてないよ。んじゃ、遠慮なく飛鳥って呼ばせてもらおうかな」

「えへへ・・・あっ!御剣君、今日の夕ご飯ってどうするつもりなの?」

「家に帰って適当に食べるつもりだけど」

 どうせ今日も一人で食べることになるだろう。姫は、部屋から一歩も出ないはずだから。

「だったら、どっかの店で一緒に食べていかない?私、一人暮らしだから、家で食べるのって寂しくて嫌なの」

「えっ?飛鳥って、一人暮らしなんだ?」

 意外だった。お嬢様っぽいから、メイドつきの屋敷にでも住んでいるのかと思っていた。

「うん。ちょっと家庭の事情で・・・」

「そっか。じゃあ、食べていこうか」

 家庭の事情なら聞くまい、と思った。飛鳥だって聞いてほしくないだろう。

 それに、家に帰っても姫に無視されるだけだ。そんな場所で飯なんて食べたくない。

「うん!御剣君って何が好きなの?」

 そして、その無邪気な笑顔に、飛鳥に惹かれている自分がいることを自覚した。


 それから、三日経った。

 その間も、飛鳥と遊んだり、ご飯を食べたりして、嫌なことを忘れられていた。

 だが、姫の家に帰ってくると、現実に直面しなければならない。

「・・・ただいま」

 家は、今日も電気も点いていなかった。

 でも、玄関に革靴があるということは、帰ってきているということだ。

「神倉さん!いないの!?」

 大声を出して、しばらく待っても反応なし。

 心に湧いてきたのは、怒りより悲しみと喪失感だった。

 何を悩んでいるか知らないけど、全然話してくれない。理沙にだけは話しているんだろう。そこには同じ女性だからという理由があるのかもしれない。

 でも、俺には話してくれない。いつも一緒にいるのに。傍にいるのに。

 自嘲的な笑みを抑えることが出来ない。

 ・・・だって、それはそうだろう?

 俺は天使の力だけを必要とされた存在でしかないんだから。それ以外はいらない。

 俺がここにいる意味も必要もない。

「なにやってんだ、俺・・・」

 帰ってきた家を出て、溜息とともに空を見上げる。

 そこあるのは月と星。

 ・・・自分の家に帰るか。

 ふと、飛鳥の笑顔が脳裏を過ぎった。

 気づくと、携帯を耳に当てていた。

『御剣君?どうしたの?』

 飛鳥はすぐに出てくれた。その声が心の隙間に入り込んでくる。

「・・・ごめん。ちょっと、駄目っぽい」

『えっ?駄目って?何が?』

「俺、必要とされてないんだ・・・必要だったのは、俺の力だけで・・・」

 俺は・・・俺は、一体何を言っているのだろう?こんなこと言っても意味がないのに。

 それも知り合って間もない、もともと話したこともない同級生を相手に。

『何があったのか分からないけど・・・私は御剣君を必要としているよ。だから、自分のことをそんな風に言わないで。ねっ?そんなの寂しいよ・・・御剣君には私がいるから。私じゃ駄目かな・・・?』

 携帯から聞こえる飛鳥の息遣いに、胸の高鳴りがどんどん増していく。

「飛鳥・・・俺もお前を必要としている」

『ありがとう・・・学校の近くに公園があるよね。今から、そこに来れるかな?』

「ああ・・・」

『そこに来て・・・私が御剣君を必要としている証拠を見せるから。だから、来てね。私、待ってるから』

 もう何もかも嫌だった。誰か俺を必要としてくれる人が欲しかった。

 飛鳥は俺を必要だと言ってくれた。

 そして、辿り着いた公園。

 ブランコに座って空を眺めている飛鳥を見つけた。

「飛鳥・・・」

 俺の声に反応して、微笑みを向けてくれる。

「大丈夫だよ。私がいるから。私が貴方を必要としているから」

 包みこむように抱きついてきた小さな体を放すだけの力は、もう俺にはなかった。

 飛鳥の暖かい感触に思わず泣きそうになってしまう。

「ありがとう。飛鳥。お前で良かった」

 より一層強く抱きしめられる。

 だが、なんか変だ。

 締め上げられているように抱きしめれている。ものすごい力。まるで、逃がさないと言わんばかりに・・・それに、締め付けが強くなるにつれて、寒気が襲ってくる。

「あ、飛鳥・・・なんか・・・」

「・・・貴方を必要としている証拠を見せるにも、それが邪魔なのよね」


 ぱきんっ!と、何かが割れる音。


 ほぼ同時に視界が明るくなった。

「・・・なっ!?」

 俺の体を赤白い輝きが覆っている。エーテルの輝き。それが溢れている。

 遮蔽奇跡を解除してないのに!

「あ、飛鳥。お前・・・ぐっ!」

 両手の骨が軋む。

「言ったでしょう?私は貴方が必要だって。さっき、携帯で御剣君は言ってくれたじゃない?私が必要だって。だから、その言葉通り、それを貰うわ」

 ゆっくりと俺の胸に埋めていた顔を上げる。

「・・・っ!」

 その目は赤く輝いている。

「お前、まさか・・・」

 信じたくなかった。

 現実は、どうして残酷なんだ?

 飛鳥が、そんな・・・

「ええ。そうよ。そのとおり・・・」

 妖艶に微笑む。そこに、俺の知っている飛鳥はもういない。

「悪魔よ。私は、人間じゃない」

「そんな馬鹿な・・・なんで、こんなことになるんだ。どうして・・・ 嬉しそうに微笑んだ姿も・・・恥ずかしがった姿も・・・あの笑顔も・・・全て嘘だったのか?俺を騙していたのか?」

「ごめんね。でも、これが現実なの・・・こんな風にお別れすることになるなんて意外だったけど・・・日曜日に遊びに行けなくて残念よ」

 体から何かが抜き取られていく感覚。

「や・・・止めろ。飛鳥。止めるんだ。どうして、君がこんなこと・・・」

 抜き取られる速度が上がった。輝きが弱まっていく。

「どうして・・・ですって?貴方に私の気持ちが分かる? 自ら望んで鏡魔に生まれたわけじゃない者の気持ちが。私は人間が良かった。エーテルを探すうちに、人間界に、人間に興味が出てきて・・・だって、楽しそうなんだもん。笑って、泣いて、喜んで、怒って・・・私達が滅ぼそうとしている世界の生き物は、こんなにも楽しそうに生きている。ああ。なんて羨ましいんだろう・・・そして、鏡魔から悪魔になれた日。自由に動ける体を手に入れた日。私は、エーテルを奪うために殺した高校生に化けた。それが、藤村飛鳥。私は、人間として生きたかった。だから、人間の姿を身に纏った。でも・・・ 私は、やっぱり悪魔でしかないのね。人間にはなれなかった。体がエーテルを欲するの。我慢できないの。悪魔としての本能が私の夢を砕いた。だから、自分に誓った。世界に誓った。エーテルを世界から消滅させれば、私は人間になれるって。私を苦しめる原因が消えれば、人間になれるって。だから、そのために御剣君のエーテルを喰らい尽くす。恨んでいいよ。でも、私の気持ちを少しでも理解して欲しい。 そして・・・ごめんなさい。御剣君」

 だが、俺を締め上げる黒髪の少女の肩は震え、微かに嗚咽も漏れている。

 ・・・飛鳥は、なんで泣いてるんだろう?

 俺からエーテルを奪えるのに、泣く必要なんてない。自分の夢のためにエーテルを喰らい尽くそうとしているのに、なんで泣いているんだ・・・

「飛鳥・・・どうして泣いているんだ?」

 俺の言葉に、飛鳥の顔が苦しげに歪む。

「・・・私だって、こんなことしたくないよ。悪魔であることを隠せるなら、人間のふりをして生きていけるのに・・・でも、私の体が呼吸するのと同じ様にエーテルを欲するの。我慢できない。自分じゃ、どうしようも出来ないの。私はもう人間を殺したくないのに・・・けど、殺したくてたまらないの・・・だから、お願いがあるの・・・」

 俺を締め付ける力は、もう既に弱まっていた。エーテルを奪われている感覚もない。

「御剣君・・・助けて。私を助けて。この呪縛から私を解き放って・・・」

 抱きついてくる少女の体から伝わってくるのは、誰かに救いを求める想いだった。

 ・・・そうか。飛鳥は、自分が悪魔であることに苦しんでいるんだ。ただ人間になりたいだけなのに。もう、そう願うことすら、飛鳥にとっては苦痛なんだ。

 この呪縛から、私を解き放って。

 ・・・もしかしたら、人間になりたいと願いながら悪魔として生きていくこと自体、限界なのかもしれない。

 飛鳥の息が荒くなっている。


「もう・・・自分を抑えられそうもない。貴方を殺したくてたまらないの・・・だから、早く・・・お願い・・・!」

「・・・分かった」

 俺が出来ることは1つ。

「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」

 エーテルを増大させる。

 輝きを右手に集めて、飛鳥を吹き飛ばす。

 飛鳥は空中で回転して、鳥のように地面に着地した。ダメージはないようだ。

 その顔には、妖艶な笑みが戻っている。さっきまで震えていた彼女はどこにもいない。

 悪魔としての飛鳥。人間としての飛鳥。まるで、2人の飛鳥がいるようだ。

「ふふふ・・・そうよ。やっぱり、私と貴方は敵なのよ!さぁ!始めましょう!」

 陽炎のように黒い輝きが湧き出てきて、飛鳥の周囲を円状に囲む。

 互角。

 そう感じた。おそらく、長期戦になる。

 自分の体に奇跡を施す。天使として高められた身体能力を、一時的にではあるけど更に上昇させる奇跡だ。

 が、それを施すので限界だった。

 飛鳥の周囲にある黒いものが球体に形成されていく。

「御剣君・・・覚悟はいい!?」

 音もなく黒い球体が飛んでくる。

「・・・くっ!速い!」

 互角という認識は甘かった。少なくとも飛鳥の方が強い。

 能天使としての力を解放し、青白い盾を創り出すことで、黒い球体を弾き飛ばす。

 が、弾き飛ばした後には霧散して、その場に留まり続けているため、周囲が黒く埋め尽くされ、何も見えなくなってきている。

「くっ。これじゃ・・・っ!?」

 右側面から、黒い霧を突き破って、飛鳥が突っ込んできた!

 とっさに両手にエーテルを集中させて、盾を形成させる。

「遅いよ!御剣君!」

 飛鳥の言葉通り、間に合わなかった。

 形成が不充分だったため、右手の一撃で盾ごと吹き飛ばされて、一瞬意識が遠のいた。

 それでも、なんとか倒れずに地面に着地して、態勢を整えた。

 飛鳥を探す。

「なっ!?」

 目の前に飛鳥。

「息してる暇なんかないよ!」

 顔への左手による手刀。

 何とか避ける。前髪が数本吹き飛ぶ。それを無視して、飛鳥の左腕を掴んで投げ飛ばす。

 飛鳥は転がりながら起き上がる。無傷だ。

 お互い、距離を置く。

 強い。鏡魔なんて比較にならない。時間を稼がないと、勝ち目なんてありえない。

「一つ聞かせてくれ」

「なに?」

「・・・なんで、俺に近づいた?」

 飛鳥の顔から表情が消えた。

「電車で貴方を見かけた時、驚いたわ。こんなにもエーテルを持つ人間は、初めて見たから。だから、近づいたの。貴方のエーテルを奪うためにね。でも・・・その目的は変わっていった。信じてもらえないかもしれないけど・・・ 朝の電車で、学校で、商店街で・・・御剣君を見かける度に、貴方に惹かれていった」

 にこっと微笑む。それは俺が知っている飛鳥の笑顔だった。

「私は、御剣君を好きだと思うんです。でも、私は人間じゃないから・・・だから、短い間だったけど、貴方と一緒の時間を過ごせて楽しかった。すごく嬉しかった。その間、私は人間として過ごせた。人間の女の子として過ごせた。ありがとう・・・」

 また黒い球体が現れる。数もさっきとは比べ物にならない。

「でも、これで終わり・・・さよなら!」

 全ての球体が一気に飛んでくる。

 でも、それを避ける必要はない。準備はもう終わっている。

「えっ・・・?」

 飛鳥の戸惑いが耳に届く。

 それはそうだろう。球体が俺までとの届かないのだから。

 球体は、俺の周囲に着弾していく。

「どうして届かないの・・・?」

 別の天使がいて、援護していると思っているんだろう。周囲を見回している。

 その隙をついて、突っ込む。

「しまっ・・・!」

 飛鳥が俺に視線を向けた時には、飛鳥の心臓部分に俺の両手が添えられていた。

「痛いだろうけど、我慢してくれ!」

 飛鳥の全身を赤いエーテルが包み込む。

 それと中和しあうように、飛鳥の体から黒い輝きが消えて、そのまま地面に倒れる。

「な・・・なんで、私の攻撃が・・・」

 もはや飛鳥に悪魔としての力は皆無に等しい。この一撃で、悪魔としての力を分解できたから。

「あれは操作奇跡だ・・・」

 操作奇跡は、文字通り敵の攻撃を操作できる。かなり強力な奇跡ではあるけど、やはりリスクも高い。応用奇跡の最高位に属するもので、発動までの時間が長く、その間は無防備になってしまう。

 だから、時間を稼いだ。この奇跡でしか、俺に勝ち目はないから。卑怯だとは思った。

 でも、飛鳥を助けたかった。

「ごめん・・・飛鳥。結局、俺は君を殺しことでしか、助けることが出来なかった」

 仕方なかった。今の俺では、これが限界だった。だから、最善を尽くした。だって、今の俺では、これが精一杯だから。

 抱き起こした飛鳥は、力なく微笑んだ。

「ううん。感謝してる。これで、私も楽になれる・・・ありがとう。それでね・・・私、1つだけ嘘ついてた。貴方に近づいた本当の理由。それは、御剣君なら私を殺せる力があると思ったから。悪魔は自分じゃ死ねないから。だから、天使に殺してもらうしかないの・・・御剣君じゃじゃくて、神倉さんでも良かったんだけど・・・彼女、この頃なんか変だから、御剣君に近づいたんだ。ごめんね。嫌な思いさせちゃって・・・」

「嫌な思いなんて・・・」

 飛鳥は気づいていた。姫が天使であることに。自分を狩るものが近くにいることを知りながらも、悪魔の能力を隠しながら、今まで人間として生きようとしていた。

「飛鳥・・・人間だ。君は人間だ。悪魔なんかじゃない。 確かに、君は、何人もの人間を殺した。 でも、こんなにも・・・」

 飛鳥の涙を拭ってやる。

「こんなにも暖かい涙を流してるじゃないか。だから、君は人間だ。そうだろう?」

 飛鳥の目から、さらに涙が溢れた。

「優しいんだね。御剣君は・・・ やっぱり人間として生まれたかったなぁ。 誰かを好きになることが、こんなにも素晴らしいことだなんて、思いもしなかった。ずっと御剣君と一緒にいたいのに・・・」

「飛鳥・・・」

「でも、私は、もうここにはいられない。だから、最後のお願いがあるの。聞いてくれるかな?」

「ああ。もちろんだ」

「電車で私が一緒にいる2人に、友達でいてくれて感謝してるって伝えてほしいの。悪魔の私と友達でいてくれた。嬉しかった。 だから、あの2人に今までありがとうって伝えてほしいんだ・・・」

「分かった。必ず伝える」

「ありがとう・・・」

 飛鳥の体が透け始める。

「私、もう行くね。ねえ・・・御剣君。私が、人間に生まれ変わって、どこかで会うことが出来たら、また遊んでくれる?果たせなかった日曜日の約束も・・・」

「当たり前だ。いくらでも遊んでやるさ」

 俺は酷いことをしているだろうか?果たせるはずがない約束をするのは酷いだろうか?

 でも・・・

 最後の最後まで、人間になりたい願っていた少女に、それぐらいの約束はしてあげてもいい。今まで、充分すぎるほど苦しんだのだから・・・

「えへへっ。嬉しいな・・・じゃあ・・・さようなら。今度こそ人間に生まれますように・・・」

 そして、黒い粒子が空を舞う。

「さよなら・・・飛鳥」

 空に向けて送った俺の言葉が届いたかどうかは分からない。

 もう、飛鳥は消えてしまっていたから。

「これは・・・」

 飛鳥がいた場所に、四葉のクローバーを象った綺麗なネックレスが落ちていた。

 四葉のクローバーは願いを叶えてくれる。

 飛鳥は、人間になりたいという願いを、このネックレスに託したんだろうか。

 それを拾い上げて、首にかける。

 人間になりたいと願った少女。俺を好きだと言ってくれた少女。

 俺は、その存在を忘れない。心優しき悪魔を忘れない。絶対に忘れない。絶対に・・・


 飛鳥を失ってから、一週間が過ぎた今日。

 学食へ向かう廊下で、あの2人とすれ違った。お互い微かに笑って会釈をする。

 良かった。大丈夫だ。立ち直ってくれてるみたいだ。

 あれは、戦いの翌日。

 この2人に飛鳥の想いを伝えたのは。

 いつもは賑やかな2人が泣くのを堪えて、俺の話を聞いていた。

 もちろん、天使だとか悪魔の部分は誤魔化した。飛鳥が急に引っ越すことになったということにして、彼女の想いを伝えた。

 2人は、唇を噛み締め、こぶしを握りしめて、泣くのを堪えながら俯いていた。

 俺は、心の中で謝った。

 ただのうるさい同級生だと思っていた2人は、こんなにも強い子だった。

 そして、話を聞き終えた2人は、俺に礼を言って、教室に戻っていった。

 飛鳥がどこにいったのか、全然聞いてこなかった。それに、そんなことは携帯で本人に聞けるはずだ。たぶん、メールも電話も応じてももらえなかったに違いない。

 飛鳥は、もう存在していないから。

 でも、2人は最後に言った。

 飛鳥はずっと私達の親友だから、と。

 そして、俺もその2人も、飛鳥の件から立ち直ってきた頃、別の問題が浮上してきた。

 姫と理沙が、とうとう学校に来なくなった。


 今日で3日目。

 その間にも、町に蔓延る鏡魔は、数をどんどん増やしている。

 俺が出来ることは、姫からの連絡を待つことだ。それが、絶望的だと知っていても。


 放課後。

 達也たちと駅前のゲーセンまで遊びに行くことになって、駅までぞろぞろと歩いている。

 久々に来たゲーセンは知らないゲームが増えていた。さっそく、達也が物色し始める。

「さて、何からやろうかなぁ~」

 俺もゲーセンは嫌いじゃない。むしろ好きだけど、今日は集中できそうもなかった。

 さっきから携帯が震えっぱなしで、うざったい。メールじゃなくて電話だ。

 しかも、登録してない番号だから、出たくない。俺は、登録した人間のデータは、一人として絶対に消さない。無愛想な俺には、友達はそんなに多くないからだ。そういう存在は大切にしたい。

 だから、この電話の主は知らない人間。それに、先にメールでも送ってくるのが筋だ。

「どうしたの?いらついているようだけど、もしかして姫のこと?」

 玲人が声をかけてきた。

「いや、知らない番号からの電話だよ。しつこくてムカついているだけ。ってか、お前まで、姫って。俺と神倉さんには、何もないんだよ」

 ・・・本当に何もないんだろうか?パートナーとしての関係以上に?

 ・・・分からない。自分ことなのに、いくら考えても分からない。

 ・・・分からないことなら、仕方ないか。

「いいから、玲人も楽しもう!」

 遊びに来ているのに、難しい顔をしていても意味がない。むしろ、周りを不愉快にさせるだけだ。

 ドラムを叩いている達也に近づき、その頭をドラムのように軽く叩いた。

「いてっ!?・・・あっ!タイミングがぁ。御剣か!?」

 それを見た2人が笑ってくれる。

 そうだよ。飛鳥はいなくなったけど、今の俺には、こいつらがいる。いてくれる。これだけで充分だ。

 もう姫と離れてしまっても、大丈夫だ。

 俺は、大丈夫・・・だ。


 結局、一番興奮したのは玲人だった。

「ふぃ~・・・楽しかったぁ」

 満ち足り様子で歩いている。

 それもそのはず。玲人は、ただのガリ勉ではなかった。やるゲーム全てがうまかった。

 俺達3人が、どのゲームで対戦しても一勝もできなかった。まぁ勝てないものは仕方ない。どうしようもないことだ。

 しかも、本人は当たり前のように平然としているから、マジですごい。

 と、また携帯が震えた。

 けど、すぐに切れた。今度は今までと違って短い。

 この短さなら、メールかな?

 携帯を取り出すと、また震える。液晶画面に、番号じゃなくて、名前が表示されている。

 水澤理沙の文字。

 急いで、かけ直す。

「もしもし、理・・・」

『馬鹿みつる!さっさと電話に出てよね! 姫が、電話に出ないって、めちゃくちゃ心配してるんだから!今すぐ姫の家に来て!大切な話があるから!今すぐよ!』

 調子が元に戻った理沙の声に、面食らいながらも、内容は全て理解できた。が、一方的に怒鳴られて、いきなり切られてしまった。

「どうした?」

 達也が、近づいてきた。

「理沙から」

 達也の顔色に心配そうな色が混ざる。

「なんだって?」

「大切な・・・」

 それより姫だ。今までの知らない番号は、姫だった。パートナーなのに、携帯の番号すら交換してなかったことに、今気づいた。

 近くに居過ぎたせいで、そんなことにも気づかなかった。

「達也、悪い!急用だ!帰らないと!じゃあな。芳樹、玲人。また明日、学校でな」

「おう。じゃあな」

「うん。また明日ね」

 2人とも、嫌な顔せずに、俺を見送ってくれる。心の中で、2人に感謝。

 人を掻き分け、姫の家へと走る。

 走りながら、複雑な気持ちになった。

 姫が俺を心配してくれていた。だけど、今更って感じもする。今まで、俺を無視しといて、都合がいいような気がしてならない。

 それに、大切な話ってなんだろう?

 たぶん、鏡魔のことだ。

 こうやって走る駅前にも、鏡魔がいる。

 ただ、その数が日を追うごとに、多くなっている。ひどい場所では、真っ黒になってしまうほどの数の鏡魔がいる。

 何か、天界から連絡があったのかもしれない。気を引き締めなおして、さらに走る。


「なに?その首のネックレスは?」

「・・・なんで、理沙がここに?」

 玄関で俺を出迎えたのは、理沙だった。意外なことに戸惑いつつも、玄関に上がる。

「いいじゃない。いても。それより、そのネックレスどうしたの?今まで、そんなのつけてなかったのに」

「・・・気にするな。ちょっとつけてみたくなっただけさ」

 このネックレスは俺の覚悟だ。理沙にも姫にも、飛鳥のことを言うつもりはない。天使として生を受けた2人は、悪魔である飛鳥を許そうとはしないだろうし、その想いも認めないはずだ。

 でも、俺だけは飛鳥を許したい。これから過ごす時間で、人間になりたいと願った悪魔の少女を許す覚悟を、このネックレスに込めているつもりだ。

 そして、飛鳥との短い思い出は、俺だけの心に刻んでおく。

「それよりも、神倉さんは?」

「リビングにいるわ」

 リビングの椅子には、疲れきっているような姫がいた。エーテルだから、痩せるなんてことはないんだろうけど、痩せてみえた。

 姫が、俺を見て少し微笑んだ。

「よかった。無事だったんだね・・・」

 久しぶりに聞く声に、胸が締め付けられた。その声には、俺に対する心配が込められていたから。嫌われたから無視されたんじゃないことに安心しながらも、姫に頭を下げる。

「・・・ごめん。電話でなくて」

 理由はなんであれ、番号を教えなかったのは落ち度だ。きちんと謝らなければいけない。

 俺の言葉を聞いた姫が、椅子から立ち上がって、近づいてきた。

「謝らないで。私だって、悪いんだから。パートナーの携帯番号知らないなんて、ありえないことよ。理沙が知っててくれて助かったよ。でも、本当によかった。何事もなく、帰ってきてくれて・・・」

 そう言って、抱きついてきた。その暖かく柔らかい感触に、全身が熱くなる。

 反射的に抱きしめ返そうとしたとき、理沙が、にやけているのが目に入った。

 姫を傷つけないように、ゆっくりと体を離す。ちょっと惜しい気がしたけど、それじゃ家に帰ってきた意味がない。

「神倉さん。大切な話って?」

 引き離された姫が、椅子に座って、と言ってきた。口調も顔つきも、すでに綺麗な戦う姫になっていた。

 やっぱり、鏡魔がらみ。

 姫を正面に見据える椅子に座る。

「服を買いに行った夜に、私が電話したヒミカを覚えているわね?」

「ああ。覚えているよ」

 隣エリアを担当している天使だ。鏡魔のことを相談するために、電話をかけた相手。

「その彼女が、堕ちたわ」

「なんだって!?」

 堕ちた。

 想像したくない現実だ。

「それに、ヒミカだけじゃないの。連絡を取り合っている天使のパートナーが、堕ちたという報告が、多数あるのよ。パートナーを失った天使たちは、失った者同士でペアを組んでいるけど、数が減っているのは間違いないの。おそらく、鏡魔の増大と関係しているわ」

 馬鹿な。複数の天使が一斉に堕ちた?

 天使として生まれながらも、神に反抗して、天界を追放された者。もしくは、自ら進んで悪魔と手を組んだ者。

 それが、堕天使。

 つまり、姫の言うことが真実なら、ヒミカって天使はもう・・・悪魔と同類だ。

「ヒミカが行方不明と連絡を受けたのは、かなり前の月曜日の早朝よ。それからずっと探していたわ。 探知奇跡は、ものすごい集中力を伴うから、集中力が削がれるようなことはできないの。だから、御剣には、不快な思いをさせちゃったけど、ごめんね」

 月曜の朝に言われたことは、奇跡のための措置だったのか。

 それでも、まだ納得いかない。

「なんで、俺にも彼女を探すのを手伝わせてくれなかった?俺は、パートナーじゃなかったのか。俺はそんなに頼りないか!?」

「えっ?いや・・・そんなこと・・・」

 と、いきなり左から頭を叩かれた。

「理沙?なんで殴る?」

 ・・・いや、この際、殴ったことなど、どうでもいい。

「ってか、なんでお前がここにいる!?」

 姫との会話を全て聞かれている。奇跡だの悪魔だの、真面目に話していては、おかしすぎる内容だ。普通なら正気を疑われる。

「いいじゃない。私がいても、問題ないんだから。ってゆーか、あんたは、本当に馬鹿みつるね~。姫は、あんたを頼りないなんて、これっぽちも思ってないわ。天使になりたてのあんたを心配して、奇跡を使わせなかっただけよ。

 みつるだって知っているでしょう?探知奇跡は、高濃度に集めたエーテルだけを飛ばして、素早く広範囲を行動するものよ。言わば精神だけの状態で、鏡魔や悪魔に見つかったら、どうするの? ヒミカを探す途中で、私や姫だって、何度鏡魔に見つかったことか知れやしないわ。その度に、なんとか撃退したけど。いくら才能があっても、戦闘経験が未熟なあんただったら、対応しきれずに即死ものよ。だから、姫は、ヒミカのことが落ち着くまで、あんたと距離をおいたの」

 そういうことか。だから、2人とも、学校で、ぼけ~っとしていたり、独り言みたいなのを連発していたんだ。別に俺を無視していたとか、そういうことじゃなかったんだ。

 ・・・ん?待てよ。それより重要なことがあるような・・・

 人間の理沙の言うことが、ものすごく理解できて、会話が成立するのはどうしてだ?

 そこで大変な事実に驚愕した。

「お前も・・・天使なのか!?」

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