第4話 つかの間の休息
雀の鳴き声で、目を覚ました。
なんて、清清しい朝だろう。こんなことでも、幸せを感じてしまう。
廊下の鏡魔を倒してから、4日目の朝がやってきた。
今日は、金曜日。明日は休みということもあって、学校の雰囲気もなんとなくそわそわする日だ。
一昨日の夜には、駅近くのデパートで鏡魔を1体倒した。昨日は、学校の廊下に3体の鏡魔を誘き出してから倒した。数に少し慌てたけど、マーカーは問題なく成功した。
でも、そのときに、一度のマーカーでは3体が限界だと知れた。ぎりぎりだった。たぶん、4体以上を相手にしたら、少なくとも1体は逃げられてしまう。
とりあえず、今日までで、5体の鏡魔を倒した。
けど、それ以外は、とりあえず退屈な日常に、幸せな日々に戻ることができた。
・・・ちょっと変わったこともあるけど。
1年のときと全く変わらない時間に登校して、クラスにある自分の席に座る。
右隣の姫はまだ登校してきてない。
2年生の生活が始まってから、いつも遅刻ぎりぎりで登校してくる。
たぶん、他人と接触することで、その人にエーテルが付着するのを避けるためだろう。
普段どおりに、左の理沙に挨拶する。
「おはよう。理沙」
「おはよう!みつる・・・あっ。今日も来たよ、あいつ。毎朝、ご苦労様だよね」
達也が俺の席に向かってきている。
「・・・ああ。まったくだな」
この4日間、登校と同時に同じことを必ず聞かれる。
「おはよう。達也」
「おはようさん。御剣。ところで、ほんっっっとうに、姫とは何もないんだな?」
分かってたとはいえ、同じことばかり聞かれると、さすがに腹がたってくる。
変わったことその1。
達也が姫のことで半端なくうるさい。
「だ~からぁ!何もないって!この前は、たまたま道で会って、目的地が同じ場所だっただけ。だから一緒に歩いてただけだよ」
このやり取りを毎朝。3日前に道ですれ違ったときのことを、まだしつこく聞いてくる。
「本当に?」
クラスの男子からも、俺の返答に耳を傾けている雰囲気を感じる。
変わったことその2。
全学年の男子から目の敵にされてしまった。
達也以外の学生にも目撃されてしまったから、そこから噂が広まったに違いない。
「本当だ。無駄な心配をするなって」
それでも、上履きに画鋲とか入れられないのは、姫のおかげ。その威厳が俺を護ってくれている。男子どもは、姫にチクられるのを恐れているのだ。
理沙が腰をあげる。
この動作をとる理由は1つ。姫が教室に入ってきたからだ。
「あっ!おはよう!姫~!」
「おはよう。理沙っぺ」
席に着いて、鞄の中身を机に入れ終わると、理沙との会話の合間を縫って、細い指で俺の机を軽く叩いてきた。
「私への挨拶は?」
・・・今日もか。3日連続で勘弁して欲しい。挨拶すると、クラスの男子から敵みたいに睨まれる。でも、姫に挨拶しないと、少なくとも半日は口を聞いてくれない。
クラスか姫か、二者択一。
「・・・おはよう。神倉さん」
挨拶すると、途端に姫が笑顔になった。
「おはよう。御剣」
その言葉に、男子からの刺すような視線。
変わったことその3。
姫が俺を名前で呼ぶようになった。
挨拶すれば、姫との関係が保てるのは嬉しい。でも、クラスからは排斥されているようで嫌なんだけど・・・まぁ仕方ないか。
世の中には、どうしようもないことは存在するものだ。
勢いよくクラスの前扉が開いた。
「お~い!座れ!ホームルームだ!」
担任の将軍こと郡山将司が入ってきた。朝からジャージで、春とはいえ上半身は半袖。寒いだろうに。去年の卒業式にも、ジャージで出席して、PTA会議で問題になったとか。
「いいなぁ。御剣は。なんで、御剣だけ。俺も名前で挨拶されたい~・・・」
俯き加減の達也が、席に戻ろうとする。
「本当に何もないからなぁ!」
その背中に、念を押しておいた。
「何がないの?」
姫が首を傾げながら、聞いてきた。
「べつになんでもないから。気にしないでいいよ」
この3日間で、姫が俺限定だけど人懐っこくなった。些細なことで質問してきたり、校内でも一緒に行動することが多くなった。
いつ、鏡魔が現れるか分からないから。
と、理由を語った。
けど、俺としては、必要なとき以外で一緒に行動するのは止めてほしい。
姫は、何とも思わないだろうけど、俺は男子からの視線がいたい。周囲からの殺気で、学食で昼飯さえまともに食えない有り様だ。
そして、今日の昼飯も一緒に食うことになるんだろう。
それでも、嫌な気分より楽しい気分のほうが勝ってしまうのは何故だろう?
・・・まぁ、なんだかんだで、俺自身が、姫とのご飯を楽しみにしてるんだろうな。何を食べるのか考えると楽しくなってしまう自分がいるのも事実だ。
「御剣?にやけてるけど、どうしたの?」
「ん?神倉さんの昼飯はなにかな~って考えてたんだ。またカレーうどんなの?」
「ふふっ。内緒」
「ケチ天使」
将軍が教室から出ると同時に、今年赴任してきたばっかりの武山先生が入ってきた。
げっ。一時間目は数学だった。もっとも苦手とする科目。まっ、仕方ないか・・・
授業に備え、机から教科書を取り出した。
今日の授業が全て終わり、2人で神倉家に向かって歩いている。
昨日の夕方には、服を取りに家に帰った。
母親は、姫への宣言通りに、帰って来いとか、そういう類のことを何も言わなかった。
ただ一言、全身全霊で頑張れ!とだけ言ってきた。それがなんか不気味で怖い。
「今日も、拡大奇跡の特訓?」
この3日間で、種類が尽きてしまうんじゃないかってほどの勢いでマスターしている。
それに、奇跡の中には、いつ使うのか分からないものや、用途が理解できないものもあって、覚えていて楽しいのが本音だ。
「今日からは、融合奇跡を中心にして特訓してみようかと思うの。けっこう拡大奇跡をマスターしたから、そっちはもう大丈夫だと思うから」
「そっか。これで、俺はまた強くなれるのか。楽しみだな」
「・・・うん」
俺とは対照的に、気乗りしてなさそうだった。強くなることで、塔矢と同じ道をたどると思ってるのだろう。
「大丈夫。俺は死なないよ。才能あるんだろ?だったら暴走だって止めてみせるさ」
「・・・うん!じゃあ融合奇跡の特訓よ」
嬉しそうな姫に、活力が湧いてきた。
そんなやりとりを続けているうちに、姫の家まで辿り着いた。セキュリティーには、俺もインプットされていて、認証させれば、姫がいなくても家に入れるようにしてくれた。
なんか同棲みたいだと思う。
でも、塔矢もインプットされてると聞いて、少しがっかりしてしまった。なんとなく、死者への嫉妬というものを感じてしまい、そんな思いを振り払うために頭を振った。
家に入り、与えられた部屋へと向かう。
この家は相変わらず何もない。増えた物は、俺の食料を保管するための冷蔵庫だけ。
部屋で、私服に着替える。制服でもいいけど、特訓時における気合の入り方が違う。
リビングへ降りると、制服姿のままの姫がテーブルの椅子に座っていた。
それを見て、少し怪訝に思った。
鏡魔を倒した日から数えて今日で4日間、神倉家にいることになる。
でも、姫の私服姿を一度も見た覚えがない。
そういや、夜寝る挨拶をするときも、朝起きたときも、制服姿だ。別に制服でもかまわない。姫にはよく似合っているから。
ただ、この家を見る限りでは、必要最低限なもの以外まったくないから、私服すらないのかと思ってしまう。
「あっ。着替えてきたんだ」
リビングに入ってきた俺に気づいて、椅子から立ち上がった。
「神倉さんは着替えないの?」
着替えのことに話題が及んだのを、絶好のタイミングと思って、何気なく聞いてみることにした。
「着替えるって・・・何から何に?私、制服しかないから」
「なっ!?」
姫と出会って以来の最上級の驚きを受けてしまった。天使と言われたときよりも、驚きは大きいかもしれない。
「な、なんでっ!?私服ないの!?道を歩いてる子が着てるような服、一着も持ってないの!?」
俺の勢いに気圧されるように、後ずさりしている。
「な、ないわよ。だって、制服以外の服なんて必要ないじゃない。それに、天界の地上管理部も、私服は支給してくれなかったし。だから、制服の夏服と冬服がそれぞれ2着と下着が何着かあるだけよ。わ、私はこれで、べつに問題ないから」
・・・問題大ありだ。
姫ランクの子が、お洒落を気にしないなんて、これこそ神への冒涜ではないだろうか。
そりゃあ確かに、これ以上可愛くなってしまっては、それはそれで逆に罪になってしまいそうだけど。
でも、姫だって天使である前に女性には違いない。それになんてたって年頃のはず。服を選ぶ楽しさを教えてあげたい。
「服、買いに行こう!」
有無を言わさないような口調で宣言する。
「えっ?わ、私の?」
きょとんとした顔で、自分を指差している。
「そうだよ。他に誰がいるのさ?」
「でも、私は学校で付き合う程度のお金しか持ってないよ。無くても生活できるから、最低限しか支給されてないの。それに御剣の特訓だってあるから、そんな買いに行く時間なんて無いし・・・」
膨れ上がった気持ちが一気にしぼむ。先立つものがなければ、何もできない。なんて諺があったような、なかったような。お金かぁ。どうにかならな・・・
どうにかなるじゃんか!
春休みバイトの貯金!
いずれ使うと思って貯めていたものが、こんなところで役に立つとは。確か、10万ちょい。これだけあれば、けっこう買える。どうせ、ゲームに消えてしまうんだ。なら、姫のために使われるなら、金だって本望だ。
「俺のおごりで買おう。それに、特訓ばかりじゃ息が詰まるよ。たまには遊んだりして、息抜きしたいし」
「特訓は、御剣の飲み込みが早いおかげで、1日ぐらいなら休んでも平気だけど・・・でも、お金出させるのは、御剣に悪いよ。服って高いんじゃないの?」
「気にしない気にしない。どうせ使い道のないお金だから。それに、神倉さんのために使われるなら、俺の金だって本望だよ」
「・・・じゃあ、お願いしようかな」
「そうこなくっちゃ。じゃあ、明後日にでも買いに行こうか?日曜だし」
「・・・うん。でも、買い物って初めて。なんかうきうきしちゃうな」
微笑む姫は楽しそうだった。それを見ていると俺も楽しくなってくる。今日の特訓もかなり捗るに違いない。
そこで俺は気づいた。
・・・明後日の買い物ってデートだよな?
生まれて初めてのデートであることに緊張を覚えた。
やってきた日曜日。
緊張のあまり、いつもより早く起きてしまった。これじゃ、遠足を楽しみにしている子供と同類だ。情けない。
今から2度寝しても中途半端になってしまうから、仕方なく起ききってない頭のままで1階へ降りる。
これが、理沙あたりなら緊張なんてしないだろう。付き合いが長い分、友達としてしか見れないから、気が楽だ。
けど、今日の相手は姫。普段一緒にいるとはいえ、デートと認識してしまうと、緊張は解けてくれない。
リビングの冷蔵庫から水を取り出して、一気に飲む。冷え切った水のおかげで目が覚め、部屋へと戻る。
ベッドの上に一番気に入っている私服と高校の制服を並べる。寝る前にどちらで行こうかと悩んだけど、結局決められなかった。だから、今から決めないといけない。
あと3時間足らずで、俺は街中にいることになる。もうあまり時間がない。
悩む。かなり悩む。実際に頭が痛くなるほど悩んだあげく・・・
制服にした。
決定打は2つ。
1つは姫が制服であること。日曜の町を制服で歩くのはなんか変だ。でも、姫にはそれしかないから、今日は必然的に制服になる。だったら、俺もそれに合わせるべきだ。2人なら、それほど変じゃない。予備校生にでも見られるだろう。
そして、2つ目が本当の決めてだった。
私服に自信がない。姫と歩くとなれば、それなりの格好が欲しい。ルックスで釣り合いがとれないんだから服だけでも、と思ったけど、駄目そうだった。
結果、制服になった。
ルックスは生まれついてのものだから仕方ないとしても、服を選ぶセンスだけは努力でなんとかしたい。
まぁ、それはいずれ解決できるはずだ。
制服に着替えて、どこの店を回ろうか考えると、重大なことに気づいて愕然とした。
女性服の店なんて知らない。昨日のうちに駅前あたりを下調べしておくべきだった。ごろごろしていた昨日が悔やまれる。
・・仕方ないな。ぶっつけ本番だ。今出来る最善を尽くすしか道はない。
とんとんっとドアがノックされた。
「御剣、起きてる?」
「うん。起きてるよ」
ドアが開くと、制服姿の姫が入ってきた。っても、制服しかないけど。部屋に入ってきた姫はなんかそわそわしているようで、せわしなく部屋を見回している。
「御剣。まだ行かないの?」
またとんでもないことを言う。いくらなんでも早すぎる。今は7時を少し過ぎたくらい。駅前にある店の開店はどこも10時頃だ。
「9時ごろ家を出ればいいよ。開店は10時だから。今から行っても早すぎるよ」
「そうなの・・・」
それでも、どうも様子が落ち着かないみたいで、忙しなく部屋を見回す。
「どうしたの?調子でも悪い?」
体はエーテルなんだから、そんなことないはずだけど、なんか様子が変に思える。
「その・・・ちょっと緊張しちゃって」
・・・なんだ。姫も俺と同じか。
そう分かると、俺のほうの緊張がほぐれた。下手に見栄はって緊張するより、自分に正直になったほうが楽なのかもしれない。
「だったら、もう行こうか。実は女性服の店なんて全然知らなくてさ。開店前に探してみようよ」
ベッドから腰をあげて部屋を出ると、後ろから姫が続いてくる。
玄関で靴を履いているときに、姫に肩を叩かれた。振り返ると、肩の真上に整った顔があって、胸が高鳴ってしまった。
「駅前の店なら、何件か知ってるよ」
「えっ?だって、神倉さんって買い物したことないんでしょ?なんで知ってるの?」
びっくりした。もしかしたら、昨日調べてくれたのかもしれない。
「実は、この街に来たときから、時間があれば駅前をぶらついてたの。そのときに、いろんな店を見つけて。それで、覚えてるの」
そういうことか。やっぱ、姫も女性なんだ。
「なら、適当な店でコーヒーでも飲みながら、開店まで時間潰そうか」
朝飯は高校生になってから、食べなくなってしまった。飯より睡眠が欲しかったから。
それに、体も朝飯抜きに適応してくれて、支障なく動いてくれる。
「でも、お金ないし・・・」
まだ、お金を心配している。整った顔立ちの割には、けっこう律儀なのかもしれない。まぁ整ってる整ってないは関係ないか。
「今日は、全部俺のおごり! だから、もうお金の心配はしなくていいの。神倉さんは遠慮しないで、買いたい服を買う!分かった?」
少しして、こくんと小さく頷いてくれた。
それが、すごく微笑ましかった。
「ちょっ!待って!速いって!」
姫の足取りが軽くて、追いつけない。その顔に満面の笑みがあるのは嬉しいけど、俺はちょっと荷物が重い。
「御剣が遅いだけよ。あっ!次はあそこにしよう!」
言い終えるとともに走り出す。
「って、おい!・・・マジかよ~」
俺の返事も聞かず、横断歩道を渡ったところにある服屋に入っていった。
これで、4件目。おそらく、あの店でも振り回されるんだろう。
1件目の恥らった姿が懐かしい。
最初に立ち寄った店では、初めての買い物にビビッてしまい店内に入れず、俺が半ば無理やりに先導して入った。店に入ってからも、服を選ぶのが全然分からず、俺セレクションで姫に似合いそうな服を試着させた。
『これ・・・私に似合ってるの?』
『いいっ!いいっ!問題なし!』
『・・・他のも着てみたいな』
頬を赤く染めた姿がたまらなく可愛かった。
なのに、それが今では・・・
「ちょっと御剣!早く早く!」
いつの間にか荷物持ちに降格してしまった。
横断歩道の向こう側から手を振ってくる姿は、それはそれで可愛い。
けど、周りから見れば、俺はただの荷物持ちにしか見えないだろう。それが辛い。容姿とか性格の格差を表しているようで。
姫を追って店に入る。
「いらっしゃいませ。こんにちは」
女性店員からの事務的な挨拶を受けながら、姫の姿を探す。
店の奥に見つけた姿は、3着ほどの服を持って、試着室が空くのを待っているらしく、そこの近くで立っていた。
「あっ。やっと来たのね。最初は、これ着てみよう思うんだけど。どうかな?」
他の試着着を腕にかけて、1着の服を広げて見せてきた。
水色のワンピース。
たぶん、これから来る夏を先取りした店側の用意したファッションなんだろうけど、今着るにはちょっと早いかもしれない。
でも、どっかのファッション評論家が『ファッションは我慢よ!』と言っていた。
だから、ちょっとくらい肌寒くても、我慢して着るべきなのかもしれない。
「うん。よく似合ってると思うよ」
本当に何を着ても良く似合う。素材が違うと同じ服でも、ここまで違うものか、と思ってしまうほどだ。俺、制服着てきて大正解。
と、手前の試着室が空いた。
「じゃあ、着てみるね。前で待ってて」
試着室の前で手に持った荷物を下ろす。
やっと身も心も落ち着けて、店内を見回すだけの余裕ができた。
綺麗でかなり広い店内。少ない客に従者のようにくっついている店員は、よく教育されているようだ。服を選んでいる客もマダムだとかセレブってオーラを纏っている。置いてある服も同じものが1つとして存在してないようで、数が少ない。この店は・・・
・・・やばい。今まで立ち寄った店で一番高そうだ。こういう服の並べ方って、一点物ってやつだよな。確かめちゃくちゃ高いってやつ・・・高校生なんかに買えるのか?
近くにあった服の値札を、何気なく見た瞬間に固まってしまった。
げっ!これが服の値段かよ!?下手したら安いアパートの家賃並だぞ!?これはもはや服ではない。金持ちや見栄を張る人間が買うようなブランド品だ。姫には悪いけど、1着で残りの金が全て吹き飛んでしまう可能性がある。もしかしたら、足りない。
「こんにちは」
突然の上品そうな声に振り返ると、若い女性店員が立っていた。姫ほどではないが、かなり綺麗だ。って、比べるのは失礼か。
「お連れ様、綺麗な方ですよね。まるで、この世の者とは思えないようなオーラをお持ちでいらっしゃって。女性の私からすれば羨ましい限りですわ」
「・・・はあ。そうですか」
この世の者とは思えない。
店員の言っていることも、あながち間違いではない。なんてたって天使なんだから。
「あなたも幸せな方ですね。あんな綺麗な彼女がいるなんて」
「えっ?」
・・・彼女?
何気ない言葉は、胸に突き刺さった。
・・・俺と姫の関係っていったい何なんだろう?今までパートナーとしてしか見たことがなかった。それは姫だって同じだろう。悪魔を倒すために、パートナーとして俺を選んだ。そこに恋愛感情なんて必要ない。必要なのは天使としての能力だ。
・・・友達なんだろうか?
でも、出会ってまだ4日。関係は、まだ顔見知りのクラスメイトだろう。それに、遊びに行ったり、何かを相談したりするほど親密な関係じゃないと思う。遊びに来たのだって、今日が初めてだし。そう考えると俺が女友達と言えるようなのは、理沙ぐらいだ。
・・・じゃあ、彼女?
いきなり告白されて、友達を飛び越えることだってある。でも、姫との関係はそんなんじゃない。それに、今までそういう対象として考えたことがないから、好きなのかどうなのか判断しようが無い。確かに姫の笑う顔は好きだけど、それは恋じゃない気がする。胸の高鳴りを感じないから。
「あの・・・私、何かまずいこと言ってしまったでしょうか?」
「えっ?」
店員が申し訳なさそうな顔をしている。
「お客様がお怒りになられたような顔をしていらっしゃるので・・・」
悩みが顔に出てしまったようだ。
「いえ、僕こそすいません。ちょっと悩み事があって・・・それを考えていたんです」
店員が、ほっとした顔になる。上級客ばかりが集まりそうな店だけに、客の機嫌を損ねてしまうと、なにかと問題あるんだろう。
「そうですか。ですが、彼女さんならその悩みごとを解決してくれるのではないでしょうか?」
・・・彼女、か。
「パートナーですよ」
「はっ?」
「僕と彼女の関係です」
こういうことで嘘はつきたくない。中途半端なことを口にすると、自分でも意識してしまって、関係が気まずくなる。
今の関係は、パートナーが一番正しい。
「そ、そうですか」
店員は、微妙に首を傾げていた。理由がわかんないって感じなんだろう。
「御剣、着れたよ~。開けるから~」
ワンピースの試着が終わったらしい。
「では、ごゆっくりどうぞ」
お辞儀をした店員が去っていくと、ドアの開いた試着室から、姫が出てきた。
「ど、どうかな?」
「・・・いい。マジで!いい!」
半袖から出ている二の腕は折れそうに細い。それに、見せられたときには気づかなかったけど、腰部分には帯があった。その帯で縛られて、サイズがはっきりしている腰も折れそうに細かった。ただ、全体的に細い体型なのに、胸はそこそこ突き出ている。体系から考えると大きいほうだ。
制服姿しか見てないし、今まで買った服でも、着痩せするタイプだと思ってたから、このワンピースにはかなり驚かされた。
「今までの中で一番、神倉さんに似合っているよ。絶対に買わないとな。でも、ちょっと後ろ向いてくれるかな?」
後ろを向いた姫の首筋あたりを見たい。確か、ここらへんに値札があるはずだから。
けど、金色の髪が値札を隠してしまって、見ることができない。
「ちょっとごめんね」
断りをいれて、髪を両脇によける。
値札は見えたけど、同時に姫がびくっと反応したのが分かった。
「ご、ごめん!」
女性に対する配慮が足りなかった。
考えてみれば、いきなり髪を触るのは失礼だ。髪は女性の命とも言われているもの。天使でも、それは変わらないに違いない。
姫が背中を向けたままで、首を横に振った。
「私こそ、ごめんなさい。人間に触られたのは初めてだったから、ちょっと驚いただけ。気にしないで続けていいよ」
続けるって・・・なにをだ?とりあえず値札は見れたから、もう髪に触る必要は無い。
・・・髪か?続けるって髪なのか?
久々の天然炸裂っぽい姫に、半ば呆れながら考えているうちに落ち着いてしまった。
「いや、もう終わったから。次の試着していいよ」
「うん。じゃあ、これ持ってて」
ワンピースを手渡してきて、ドアを閉めた。
さっき値札を確認したときに、残金でこれは買えるのが分かった。
それでも、俺が買ってるような服なら、余裕で数着は買える値段。でも、姫のためなら、これくらいの出費は惜しくない。
それに、こうやって買い物しているのも楽しい。昼食を学食で過ごす時間と同じくらい楽しい気分になる。
「終わったよ~」
今度はやけに早いな。
どんな服を着てるのかを考えると、にやけてしまう自分がいることに気づいた。
夕飯を食べるために入ったファミレスで、学校の話をしていて、その事実に気づいた。
そして、それを姫に言ってしまったのが間違いだった。
姫が、しゅんっと凹んでしまっている。
「御剣~・・・」
とにかく限りなく初歩的なミスだった。
「御剣~・・・」
個人店だから、高かったんだ。同じような服ならデパート内にだってあるはず。そこなら、もうちょっと安かったに違いない。
「御剣・・・・ごめんね。高い店ばかり見つけた私のせいだよね」
「ううん。神倉さんは悪くないよ」
そう。姫は悪くない。高い個人店を見つけてしまった姫が悪いんじゃない。天使なんだから、安いだの高いだのなんて知ってるはずがない。買い物が終わったあとで、安い店の存在に気づいた自分が馬鹿だったんだ。
それでも後悔は残る。
「はぁ・・・でも、もう少しお金があればなぁ。それか、もうちょっと服が安ければなぁ。2着目も買えたのに。残念だぁ」
たった一つの心残り。姫が欲しがっていた2着目の服が買えなかったこと。
服が買えないことに対する残念そうな顔と、俺に対して申し訳なさそうな顔をさせてしまったことが、俺の気分を重くしている。
「はぁ~・・・」
考えれば考えるほど凹んでしまう。
「で、でも、かなり多くの服を買えたよ。それに最後の店でワンピースも買えたし!これ、私に似合ってるんでしょう?」
どうにかして元気づけようとしてくれている。その一生懸命さが、たまらなく可愛い。
「うん。買った服の中で一番似合ってる。それを着た神倉さんを見てみたいな」
思ったままを口にしてみた。姫は、こういうことを言われると照れるはずだ。
ちょっといじわるな気がするけど、なんていうかそういう姿も見てみたい気分だ。
「そ、そうかな?」
案の定、照れている。それを見ると少しは元気になれた。男って馬鹿だなあ。こんなことで元気になれるんだからな。
なんて思いながら、下を向いて苦笑してから、顔を上げた。
と、姫が自分の顎を指で叩いている。この仕草するときは考え事をしているときだから、喋りだすまで待つことにした。考え事を邪魔するのは悪い。
と、笑顔になった途端、いきなりテーブル越しに身を乗り出してきた。
「御剣!」
「は、はいっ!」
突然の状況に、戸惑いながらも反応した。
けど、姫の顔が近い。近すぎる。姫の顔以外のものがほとんど見えない。こんなに近づいたのは初めてだ。さすがに照れてしまう。
姫は、そんな俺に気づいてないようで、純粋に目を輝かしている。
「今度は私から提案!遊びに行こう!もちろんワンピース着て!遊園地って場所があるでしょう!?そこへ行きましょう!それに、私のおごりで!お金なら申請すれば、天界の地上管理部が送ってくれるから問題なしよ。どう?御剣が嫌じゃなかったらだけど」
これは・・・デートだ!デートの誘いだ!
天使の姫からすれば、俺への恩返しみたいなつもりなんだろう。でも、俺にしてみれば、デートの誘い以外のなにものでもない。
重かった気分が一気に軽くなる。やっぱ男って馬鹿だな。
「もちろん嫌じゃないよ。じゃあ、お願いしようかな」
服を買おうと誘ったときと、まるっきり立場が逆転してしまっている。
肯定の返事を聞いた姫の顔が喜びで染まる。
「じゃあ、決定だね!」
にこにこと笑う姫を見て、俺も思わず笑ってしまった。微笑むのもいいけど、こうやって思いっきり笑う姫の顔は輝いている。
疲れが取れて、心が癒されるようだ。
「ふふっ」
突然の笑い声。
「どうしたの?」
なにか笑うようなものでも見つけたんだろうか?
「やっと御剣が笑ってくれた。私は、沈んでいる御剣より、そうやって笑っている御剣のほうが好き」
「あ、ありがと・・・」
好き、と言われたことにどう反応していいか分からずに、お礼をしてしまった。
姫も、平然とした顔をしているから、たぶん人間が言う好きとは意味が違うんだろう。
それでも、素直に嬉しかった。
けど、俺は姫が好きなのかと自分の心に尋ねると、返答は分からないだった。
まぁ分からないなら仕方ない。いずれ、時間が解決してくれる。焦ることはない。
と、俺達のテーブルの横に料理を持ったウェイトレスが来た。
「お待たせしました。まぐろ定食のお客様は?」
「はい。俺です」
目の前に料理が置かれる。
「カレーライスのお客様は?」
「あっ。わ、私です!」
姫が過剰反応をした。女性店員も顔には出さないけど、驚いているようだ。
姫は、どうも俺と理沙以外の人間は苦手みたいだ。理由は分からないけど。
店員が立ち去るのを確認してから、姫に話しかける。
「あれっ?カレーうどんじゃないんだ?」
姫が学食で食べる昼飯は必ずカレーうどん。
その姿を見て、幻滅する男子生徒はいない。逆に、魅力的だよなぁ、とさらに惹かれてしまう始末だ。
「残念でした~。そんなカレーうどんばっかじゃないですよ~だ」
そう言って勝ち誇りながら、うどんを啜っている。でも、まだ言い負かされたわけじゃない。なぜなら、切り札があるから。
「でも、いつでもどこでもカレー」
「むぐっ!?」
勝った!心の中で勝利宣言。清清しい気持ちで、飯を口にする。
と、姫が箸を置いて、俺を見てにやけている。初めて見る表情。まるで、悪だくみを思いついた子供のような・・・
「でも、いつでもどこでも定食」
「うぐっ!?」
痛いところを突かれて、今度は俺がむせてしまった。なぜなら、俺の昼飯は定食オンリーだからだ。栄養だとか値段を考えると、定食しかない。でも、カレーばっかの姫よりも栄養面で勝っている。
それに反撃しようと、口を開きかけたとき、
「う~ん。おいしい」
幸せそうに呟く姿に、言う気が失せた。
まぁ・・・負けでいいか。
まぐろを食べる。タレとマグロがご飯とマッチして口に広がっていく。今日の夕飯は格別にうまい。姫を見て、そう感じた。
食事を終えた俺達はファミレスから出た。
「う~ん・・・おいしかったね」
「ああ。うまかったな」
けど、もう金は無くなってしまった。
少しは残っているけど、これは非常用として財布に入れておかなくてはならない。
「じゃあ、帰ろうか」
姫の先を歩いて庇いながら、ごちゃごちゃした駅前を通り過ぎる。でも、人が多すぎて姫とはぐれそうになってしまう。
「神倉さん!ついてきてる!?」
街のうるさい喧騒に負けないように、声を張り上げた。
「う、うん!でも、ちょっと・・・!」
人混み、なにより人間が苦手な姫は、おどおどしながら必死についてきている。
けど、人を避けては次の人を避けきれず、その人を避けても次の・・・その繰り返しで、なかなか追いついてこない。
やっとの思いで追いついたときには、肩で息をしていた。
「・・・大丈夫?」
「ちょっと疲れたかも・・・」
「じゃあ、もうちょっとゆっくり歩くからさ、頑張ってついてきて」
さっきより速度を落とすと、いきなり右手から荷物が奪い取られた。こんな堂々と泥棒か!?と、振り向こうとした。
瞬間、右手に暖かい感触。
「こうすれば、はぐれないね」
姫の左手。
「あ、ああ・・・そうだな」
エーテルで構成されているとは思えないほど、暖かで滑らかな手触り。少しでも強く握ったら壊れてしまうんじゃって思うほどに繊細な創り。
まるで、本物以上に本物の手みたいだ。
彼女でもなんでないのに、姫と手をつないでいる。分かっている。はぐれないためだとは分かっている。
でも、高鳴る鼓動を抑えられない。
願わくば、手から鼓動が伝わらんことを。
そう思った途端、一際強く握られた。さらに、鼓動が高鳴る。たぶん、顔は真っ赤だろう。夜の闇に感謝。
そのままで、歩道橋を登り始める。
瞬間、違和感。
胸の高鳴りを気にしている場合じゃない。
背中を冷たい風が吹きぬけると同時に、かなりの眩暈も襲ってくる。
・・・鏡魔!?
最初の鏡魔を倒したとき、姫に教えられた。
索鏡を完璧に使いこなせるようになれば、体の変調、微熱や寒気や眩暈で、鏡魔の存在が感じられる、と。
これで、俺は索鏡を使いこなせていることになるんだろうけど・・・
しかし、こんなときに現れなくてもいいだろう!せっかくのデートが台無しだ!
でも、今は、鏡魔や悪魔と戦うのが俺の本来の生活。要するに、普通の高校生が送っているような今日みたいな生活は、束の間の休息に過ぎなかったわけだ。
気分を変えるために、空を見上げる。
満月。いい1日だったな。楽しかった。また楽しめる日は、遊園地まで無しか。
姫の手を少しだけ強く握り返して、離す。
そして、日常の終わりを口にする。
「神倉さん。鏡魔がいる」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます