第3話 決意
夜の学校は何歳になってもやっぱり怖い。
自分達以外の足音だけが反響して跳ね返ってくるたびに、誰かが後ろから歩いてきているような錯覚に捕らわれる。
ましてや相手は悪魔だ。幽霊やお化けの類よりも、かなり恐怖に襲われる。
今は、俺だけが赤い光の中に微かな青を混ぜながら輝いている。能天使の力である青白い輝きで、腹の痛みを堪えるためだ。
それに、警備員にばれたときを考えて、制服で侵入した。これなら、まだ言い訳できる。
今は、鏡魔を誘き出す最適な場所を探して、校内を歩き回っている。
体育館、校庭、保健室、音楽室、各クラスの教室、図書室・・・
窓ガラスが一番多くある場所を探さなければならない。
戦闘の舞台となる場所で俺が使う奇跡はまず2つ。
1つは、舞台まで鏡魔を誘き出すための拡大奇跡に属する誘導奇跡。
人間界では、人間の生還に使われる奇跡だ。もう生きていないだろうと言われていたにも関わらず、生きて帰ってこれたような事件には、天使のこの力が働いていることが多い。
もう1つは、応用奇跡に属する、鏡魔を鏡から引きずり出すマーカーと呼ばれるもの。
姫にも鏡魔を見えるようにしたあと、鏡の中から引きずり出して、なおかつ逃げ込まれないようにするためのものだ。
これは、鏡魔を実体化させるのではなくて、変質させたエーテルで鏡魔を包み込んで、鏡魔と鏡の波長を変えることで、鏡の中に逃げられないようにするものらしい。
拡大奇跡の特訓が終わったときにも、姫は俺の飲み込みの速さに感心していた。
でも、悲しい眼をしていた。
死んだパートナーだった塔矢って人の写真を見たときと同じ眼。
姫はまだ隠していることがある。
でも、それは時間が解決してくれる。パートナーとして頑張れば、話してくれるはずだ。
1時間かけて、学校を隅々まで調べて、下駄箱まで戻り、そこで、どこを戦闘の舞台にするか話し合う。
「音楽室ね」
姫は言い切った。
確かに、一番窓ガラスが多かった。でも、音楽室には、楽器が数多くある。
甘い考えと言われるだろうけど、学校の備品を壊してしまうかもしれないのはまずい。
俺は天使であると同時に高校生である。だから、昨日までの日常が終わってしまったとは言え、高校生活だけはまだ終わりたくない。
日常は、失ってから初めて気づける幸せ。
俺は、それを、自分の身をもって知った。
「神藤君は、どこがいいと思う?」
黙り込んだ俺を変に思ったのか、先を促してきた。
「そうだね・・・廊下がいい」
廊下なら、壊れるものは置いてないし、窓ガラスだって横長にある。これなら、鏡魔を見失うことはない。けど、なにより・・・
「廊下?」
「そう。壊れるものが何もないから。それに、あの鏡魔に殴られたのも廊下だし。だから、仕返しも含めてそこで倒したい」
俺を見つめたあとで、なぜか優しげな笑みをこぼした。
どうも、姫の様子が変わりつつある。始業式の日から比べて、表情が豊かになった。
「分かったわ。じゃあ、2階の廊下ね。行きましょう。そこで、誘き出しましょう」
そして、二階の廊下に辿り着いた。
達也に言われて、桜を見た廊下。鏡魔と遭遇した廊下。日常を失った場所。
全てはここから始まった。
と、後ろから肩を優しく叩かれた。
「私は教室に隠れてるから、鏡魔へのマーカーが終わったら、すぐに呼んでね。あとは、私の弓が片付けるから。大丈夫。神藤君ならできる。天使としての自分を信じて」
「ああ。ありがと」
姫が教室に入ったのを確認して、奇跡を発動する。夕方まで続けた特訓のおかげで、眼を瞑らなくても、集中してイメージをふくらませば、奇跡を扱えるようになれた。
自分のエーテルを限りなく薄く延ばして、円状に放出するのをイメージする。これで実際に放出されてるらしい。
薄くなったエーテルは鏡魔にも悪魔にも気づかれない。天使さえも気づけない。
ただ、一体の例外を除いては。
その例外が、俺のエーテルを奪った鏡魔。
あいつは、俺の波長を知っているから、感知したエーテルの波長をたどって、俺のもとまでやってくる。
あとは、ここで待つだけだ。
そして、奇跡発動から10分。
なんとなく鏡魔が近づいてきてるような気がした。姫に、エーテルが共鳴すると言われていたけど、この状態がそれらしい。顔は動かさずに眼だけで確認できる範囲を調べる。
・・・いた。
右方向の鏡の中から一人の男子生徒が歩いてくる。右腕が欠けながらも少し笑っている。
廊下に本体はない。鏡魔だ。
『久しぶりだな。人間よ』
全く警戒していない。俺一人で、姫がいないと思ってるんだろう。もしくは、おいしい餌が眼の前にいる喜びと、実体化できる興奮で、そこまで考えられていないのか。
まぁいいさ。俺にとっては好都合。
『少しはエーテルを使いこなせているようだが・・・付け刃だな。俺には通じない』
「さぁ?試してみなけりゃ、分からんさ」
『じゃあ・・・試してみるかい?』
鏡魔はゆっくりと近づいてくる。やがて、俺と向かいあえるだけの位置まできた。
誘導奇跡を終わらす。
すぐに、マーカーの奇跡を発動させると、全身が赤白く発光する。
『貴様!その力は・・・謀ったな!』
それを見た鏡魔が、顔に驚きを浮かべながら、逃げようと鏡の中で来た道を走り始めた。
・・・逃がすかよ。
手の平にシャボン玉をイメージする。
赤白く輝くそれを、鏡の中へと全力で投げ入れる。あとは自動追尾してくれる。
鏡魔が半透明なシャボン玉に包まれた。
それを確認して、広げていた手を鏡魔に向けて、握りつぶす。赤白く光っていたシャボン玉が白くなって、鏡魔を包み隠した。
これで、マーカーは終了。
「神倉さん!終わったよ!」
叫ぶと同時に、鏡魔が鏡の中から、実体化したように勢いよく転がり出てきた。
『ぐっ!?・・・くそっ!』
そいつは一度だけ俺を睨み、すぐに鏡に飛び込もうとした。けど、窓ガラスに跳ね返されて、それができずに廊下に倒れこむ。
『・・・殺してやる!』
悔しそうに顔を歪めると、左手を振りかざしながら、俺に向けて駆けてくる。それに、いつの間にか、指先が鉤爪のように伸びていた。
けど、奇跡を起こしている状態で見る鏡魔の行動は、全てがスローモーションだった。まるで、亀が歩いているように遅い。
遅い。遅すぎる。
教室から青白く輝きが飛び出してきて、弓を構える。俺の赤白い輝きとは比べ物にならないほどに溢れ出る青白い輝き。
『あの時の天使だと!?』
勝てないと悟ったのか、鏡魔は逃げ出すように俺と姫に背中を向け始めた。
「遅い。遅すぎるわ」
姫が俺と同じことを呟き、矢を放つ。
球技大会でピッチャーが投げるくらいの速さで飛んでいく。
この状態で、これだけの速さなんだから、実際はどれだけの速度が出ているのか想像できたものじゃない。
矢が鏡魔の左足に突き刺さる。
爆発。左足を消し飛ばす。
「えっ!?」
矢が炸裂した・・・?
矢は刺さるものだと思っていたから、面食らった。
「矢の奇跡よ。右手を吹き飛ばしたときは、イメージするだけの時間がなくて発動できなかっただけ。これが、矢の本来の力」
言い終えた姫が、弓に4本の矢を番えた。器用に指と指の間に一本ずつ挟んでいる。
鏡魔は、残っている左腕と右足で、窓ガラスの桟を頼りながら、逃げようとしている。
そこへ向けて、4本同時に矢を放った。
矢は周囲の風に歪められることなく、標的にまっすぐ飛んでいくだけの力があるの。
4大天使の説明を受けたとき、姫がそんなことを言ってるのを思い出した。
放たれた4本の矢は、1本も外れることなく、鏡魔に突き刺さる。
頭、左腕、胴体、右足。
『・・・くっそぉぉぉぉぉぉ!』
すぐに青白い爆発。爆発の青白い光が収まると、鏡魔はもういなかった。
姫の輝きが消えて、階段へと歩き出す。
「終わりよ。帰りましょう」
一瞬だった。たぶん、実際には1分もかかっていない。俺の補助奇跡も使わなかった。
「神倉さんって強いね」
俺も輝きを消すと、お腹の痛みは無くなっていた。エーテルを取り戻せた。
「・・・強くないわ。全然。私ぐらいの天使はどこにでもいるし、相手は悪魔じゃなくて鏡魔にすぎない。それに、私はまだ半人前だから、もっと奇跡を使いこなせるようにならないと」
ちょっとしょんぼりしている感じだった。
「でも、矢が爆発したのは凄かったよ。あれって使うのかなり難しい融合奇跡だよね?だから、俺は、神倉さんには強くなるだけの才能があると思うよ」
拡大奇跡のレクチャーを受けた時に、融合奇跡についても、とりあえず教えてもらった。
姫の矢は、風属性の矢に炎属性を融合させて爆発するようにしたものだ。
才能がある言われた俺も、融合軌跡までは全然辿り着かなかった。イメージしても能天使や力天使のようにうまくいかず、かなり時間がかかると判断するしかなかった。
だから、融合奇跡を使いこなせている姫にだって才能はある。今は半人前であったとしても、強くなれるに違いない。
俺の言葉を聞いた姫は、嬉しそうに顔をほころばせた。
「ありがとう。でも、あの力は、生まれる前に神から授けられた奇跡なの。物心ついた時には使えるようになってたから、特訓や4大天使をイメージする必要がないのよ。奇跡を起こせるだけの時間があれば、自分の意思で使えるから」
だから、私はまだ強くなれてない半人前、と、やっぱりしょんぼりして呟いた。
それでも・・・
「それだって才能だ。生まれついたものであっても、姫自身の力には変わりない。神だって、姫に才能があると判断したから融合奇跡を授けた。だから、もう自分を半人前とか言うの駄目だよ。そんなこと言ってたら、強くなれるものも強くなれない」
俺の言葉を受けた姫は、悲しげな色で彩られた目で、ずっと俺の目を見つめている。
・・・この目を見るのは、これで3回目。
1回目は写真を見つめてたとき。2回目は拡大奇跡の特訓のとき。そして、今。
「・・・神藤君もそんなこと言うんだ」
「えっ?なに?」
神藤君も?・・・も、ってことは、他の誰かにも・・・そっか。あいつしかいない。
長谷川塔矢。
確信した。おなじ眼差しで、3回も見つめられたのだ。気づかないわけがない。
「長谷川塔矢にも同じようなことを言われたの?」
「あっ。えっとね・・・うん・・・ 神藤君、塔矢と同じこと言ったの。もう、自分を半人前って言っちゃ駄目だからね。強くなれないもん、って。それで、つい塔矢のことを思い出しちゃって・・・ごめんね」
「・・・そっか。俺こそ、ごめん」
悲しいことを思い出させてしまった。今度からは、気をつけなければならない。
下駄箱に着き、靴に履き替えて外に出る。
空を眺めると、珍しく星がたくさん輝いていた。三日月で光が弱いおかげだろう。
星の光は、姫の奇跡の色に似ている。今にも消えてしまいそうな儚い青。綺麗過ぎる青。
唐突に、姫が消えていないか心配になった。
姫に視線を移すと、俺と同じように空を見ていた。けど、なんだか泣くのを堪えてるように感じられた。
校庭の真ん中辺りで、姫の歩みが止まる。
「塔矢もね・・・」
空を見上げたままで話し出した。
「普通に生きていた人間だったの。神藤君と同じように、天使の力を持っていた人間。 出会ったのは、この町に逃げ込んだ悪魔を追って、天界から連れてきたパートナーと一緒に中学生として潜り込んだとき。そして、悪魔と戦っている最中に当時のパートナーが殺されて・・・その悪魔は、応援要請で駆けつけてくれた天使が倒してくれたんだけどね。けど、パートナーを失ってしまっては、私は鏡魔とすら戦えない。今後を考えて、教室で途方にくれてたの。そこへ、塔矢が現れて、君は天使なの?と聞かれたわ。それから、ずっとパートナーだった。彼には、神藤君ほどでは無いけど、才能があったの。でも、人間に奇跡の才能があるのは、諸刃の刃になってしまう。塔矢は、学校で悪魔と戦ったときに、奇跡を暴走させてしまって、命を落としたの」
「・・・だから、俺にあまり奇跡を使うなって言ったのか?」
「ええ。塔矢より才能のある神藤君は、奇跡に飲み込まれて、死んでしまう可能性がかなり高いの。神藤君の意思に関係なく、4大天使からの力を引き出しすぎてしまって、暴走させてしまうから。だから、奇跡はあまり使ってほしくない」
そして、空を見上げたままで歩き出した。
「だから、私が強くなって、補助奇跡なしでも悪魔を倒せるようになるわ・・・でも、神藤君は、塔矢と同じことを言った。だから、神藤君もいずれ・・・私の傍で、誰かが死ぬなんて、もう嫌なのに」
そして、俯いてしまった。
・・・姫は、一人で苦しんでいたんだ。
誰にも相談できず、やっと出来た3人目のパートナーは、運がいいのか悪いのか才能があって、自分の目の前で死ぬかもしれない。
俺に出会ってから、ずっと悩んでいたんだろう。俺をパートナーにするべきかどうか。
「・・・塔矢は満足だったはずだよ」
「・・・えっ?」
あげた顔は、話がそれたことに戸惑っているようだ。それでも、構わずに続ける。
「なんで、長谷川塔矢は、屋上から逃げなかったと思う?」
「それは、悪魔と戦うため・・・」
「違う。君を護るためだ。塔矢は、姫を死なすことが我慢できなかった。だから、1人で戦った。君が、他の天使に応援要請するだけの時間を稼ぐために。そして、神倉さんは生きている。だから、塔矢は死んだことを後悔してないよ」
「塔矢が、そんな・・・」
今度は、俺が宣誓しなければならない。姫を好きとかそんなの関係ない。
姫は、俺のために強くなると言ってくれた。
その思いに応えなくてはいけない。
俺は、塔矢と同じパートナーとして、誓いをたてなくてはいけない。
「だから、俺も神倉さんを死なせはしない。誰よりも強くなってみせる。奇跡は暴走しないように頑張ってみるよ」
「・・・ありがとう」
姫のお礼に、笑顔で応えた。
やっぱり笑う姫は可愛い。
「さあ。帰って夕ご飯だ」
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