八話「クリス様に何をした」


 呪術科のSHRはほとんど怨喪羅奇先生が一人で何かを呟いておわる。

 ミタマとかばねがいつものようにSHRを終え、授業の準備をしながら雑談をしていると。

 ガラッ! と乱暴にドアが開かれた。


「お。梓ちゃん」

「ミタマ! あんたクリス様に何をした!」

 ものすごい形相の梓が教室にずかずかと入ってきた。

 誰も使っていない机にばんっと両手を叩きつける。

「何って。なんもしてないよ」

「嘘おっしゃい! そこのかばねが昨日の部活の時に何かをこそこそと渡していたでしょう! クリス様に!」


 確かに、昨日の部活が終わった後、かばねはクリスにマンガを貸した。

 誰にも見られないように細心の注意を払ったつもりだったが、しっかり見られていたようだ。

「えっと、それは……そのう……」

 かばねが冷や汗をだらだら流していると、梓がかばねにずいっと顔を寄せた。

「何を渡していたの!」

「ま、マンガです……」

 恐る恐るそう答えると、梓は一瞬ぽかんとした顔をしていたが、やがて得心がいったのかひとつ頷いた。


「なるほど……だからか……」

 ひとりで納得している梓に、ミタマがたずねる。

「クリスちゃんになんかあったの?」

「そうよ! 昨日、クリス様は生まれて初めて奉仕活動をさぼってしまったの!」

「ええ――!」


 驚くかばねに、梓はやれやれと頭を振る。

「しかも……クリス様が、あのクリス様が無断外泊をしてしまったのよ!」

「ええ――――!」

 かばねは驚くしかない。

「マンガを貸しただけでなんでそんな展開に……急に不良になっちゃったの?」

「かばねちゃん、どんなマンガ貸したの? ヤンキーマンガ?」

「ちがうよ! 女子校に入学した女の子が、先輩と姉妹の契りを結ぶという……」

「さすがかばねちゃん! 自分と同じ趣味の世界にひきずりこもうとするとは、やるね!」

「そ、そんな趣味はないし……たまたまだよ!」

「いいから聞きなさい! 行方不明になったクリス様がどこで発見されたか……わかる?」


 かばねは少し考え、ハッとして答えた。

「まさか……ら、ラブホテルとか……!」

「バカ! マンガ喫茶よ! マンガ喫茶で徹夜でマンガを読んでらしたの! ナイトパックで、朝までマンガを読み耽ってらしたのよぉぉ! みんなが大騒ぎして信者が総出でクリス様をお探しし、発見された時はジャージ姿で目にクマを作って……部屋にはドリンクのコップと、冷凍食品自販機のたこ焼きの箱と、大量のマンガが積んであったというわ……」

「マンガ初心者のくせにマン喫でオールとはクリスちゃんもなかなかやるね!」

「のん気な事言ってる場合じゃないでしょ! 信者のショックは計り知れないものがあるわ。そして事件の元凶となったのが……」


 梓はちらりとかばねを見た。

 かばねの顔が蒼白になっていく。

「わたしの貸したマンガ……?」

「それが原因とわかれば、信者達はあなたを殺すかもね……お気の毒に」

「全国一千万の信者が……? いやああ! ミタマちゃん助けてぇ! わたし、まだしにたくないよ……!」


 かばねは半泣きになってミタマにすがりつく。

 しかしミタマは平然としたものだ。

「だいじょうぶだよ。いざとなったらそんな奴ら皆殺しにしてやるし!」

「ミタマちゃんが頼りになりすぎて惚れる! でも皆殺しはやめてね……」

「そんな事よりクリスちゃんは大丈夫なの? 学校来てるのかな」

「一応登校はされているわ……でもすごく眠そうなお顔で……いつもと様子が違う事は誰からみても一目瞭然。昨日は授業中に具合が悪くなって保健室で休んでらしたというし……」

「ぎく」

 梓が保健室の事に言及すると、ミタマはあからさまに視線をさけて不自然な挙動になる。

「まさか……それもあんた達の仕業じゃないでしょうね!」

「ち、違うよ……! ね、ミタマちゃん」

「う、うん。違うよねー?」


 それもかばねの手紙が原因である事、ましてや手紙の内容に至っては絶対に知られるわけにはいかない。それこそマンガを貸すどころじゃない本格的な罪に問われかねない。

 露骨に怪しい二人の様子に梓がつめよってくる。

「何したの! 正直に言わないと……!」

「それより! クリスちゃんの様子が心配だね! 休み時間のうちにお見舞いにいこうよ!」

「駄目! あんた達は今後二度とクリス様に近寄らないで! やっぱりあんた達をクリス様に近づけるべきじゃなかった……! わたくしがついていながらなんて事!」


 嘆く梓を前に、ミタマはふと真顔になって言った。

「でもさー。クリスちゃん、マンガも読めないような生活ってかわいそうじゃない? 梓ちゃん、ドラえもん知ってる?」

「そりゃ、知ってますけど」

「そうだよね。でもクリスちゃん、ドラえもん知らなかったんだよ。今時どんな生活してたらそんな子に育つんだろう。普通に暮らしてりゃ名前くらい聞いた事あるだろうに」

「それは……でも、その分クリス様は困っている人たちを救って……」

「クリスちゃんの生い立ち聞いたんだけどさ。なんかクリスちゃん、そーいう風にしか生きる選択肢が無かったんじゃないかなってちょっと思った。もしクリスちゃんが、マンガなんて興味ありません! 色恋なんて興味ありません! 人助け以外に興味ありません! って人なら放っておくけどさ。クリスちゃん、普通にエロい手紙にどきどきしたり、マンガに夢中になったりする子なんだよ」

「エロい手紙……?」

「い、いや例えばの話だよね……! ミタマちゃん……」

「そうそう。んでね、クリスちゃん、マンガ貸してもらえるってわかった時すごいうれしそうだった。かばねちゃんがマンガ貸したのはいけない事なんかじゃないよ。もしそれくらいでダメになるようなら、元々無理があったって事だと思う。それに、クリスちゃんはそれくらいでダメになったりしないよ」


 そう言われてしまうと梓も冷静にならざるを得ない。

「そうかもしれないけど……みんな、クリス様が心配で……」

「あのさ、あんまり過保護にしすぎないほうがいいんじゃない? 温室で大事に育てた花ほど枯れやすいっていうじゃん。雑草の生命力が必要なんだよ。かばねちゃんなんて、合成着色料と保存料だらけのやっすい冷凍食品やらジャンクフードばかり食べてるけどこんなに立派に育ってるんだよ。ひとりでマンガ喫茶で休日をつぶすなんて日常的だけど誰も心配なんかしないよ。ほっといても勝手に育つよ」

「人をシーモンキーみたいに言わないでね……しかもわたしの休日の過ごし方をなんで知ってるの……?」

「確かに雑草といえば呪術科のあんたらはまさにそうだけど! でもやっぱりダメよ! 高貴な花は繊細な管理とまめな手入れがあるからこそ美しく咲くの。儚いからこそ一瞬の輝きがより際立つのよ!」

「じゃークリスちゃんにどっちがいいか聞いてみようよ。本人がマンガ読みたいって言ったらちゃんと読ませてあげてよ!」

「う……わかったわ。わたくしもクリス様の意思は尊重したいし。では今からでも……」

 と言って席を立ちかけた時、廊下からさらに足音がぱたぱたと響いてきた。


 開かれたままのドアから、クリスの取り巻き達が入ってくる。

「梓さん、大変――うわっ!」

 取り巻き達が天井から吊るされた干し首にびっくりして悲鳴をあげる。

「どうしたの? まさかクリス様の身になにか……!」


 取り巻き達は泣きそうな顔で叫んだ。

「そうなんです! クリス様がまた行方不明に――!」

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