七話「こんな子だけど悪い子じゃないの」


  保健室の扉をそうっと開く。

 どうやら保険の先生はいないみたいだった。

 ミタマとかばねは足音を忍ばせて室内へ侵入。


「クリスちゃん……いないね」

「しっ……奥だよ、たぶん……」


 保健室に置いてあるベッドのうち、奥のひとつにカーテンがかかっている。

 二人は顔を見合わせお互いにうなずくと、足音を立てないように近づいていく。


「…………んっ……!」

 押し殺したような声がベッドの方から聞こえてきた。


 再び足を止めて顔を見合わせる二人。

 衣擦れの音。カーテンを透かして見える影がもぞもぞと動く。


「……はぁ……ッ……!」

 吐息……だろうか。


 ミタマがそっとカーテンをめくろうとする。

 それをかばねはあわてて押しとどめた。手前にひっぱり、耳元に小声でささやく。

「や、やばい。これは本当に見ちゃいけないやつかもしれない。帰ろう!」

「なんで? 具合わるいのかもしれないよ」


 たしかに苦しくて息が荒くなっているのかもしれない。

 しかしこのもぞもぞ具合といい、吐息に含まれる甘い色といい……

「で、でも。寝てれば大丈夫だよ。……きっと」

「看病してあげようよ! 仲良くなれるかも」


 二人が押し問答していると、カーテンがシャッ! と開かれた。

 かばねがびくっと飛び上がる。

「……誰……?」

 クリスがカーテンの隙間からこちらを見ていた。

 大きく開かれた胸元、上気した頬、わずかに潤んだ瞳、乱れて頬にかかった髪……

 ベッドを軋ませて四つんばいの姿勢で身を乗り出す。

 妙に色気を発散する肢体にかばねは思わず顔が赤くなる。


「クリスちゃん! 保健室入るのが見えたからお見舞いに来たよ!」

 ミタマがしれっと言ってのける。かばねはクリスの顔をまともに見れずに目をそらす。

「あら……ミタマさん。ごめんなさい、何か話し声が聞こえたから思わず……お見舞い、ありがとうございます。ゆっくりお話するのは初めてですね」

 クリスはシーツを体に巻きつけたまま、ベッドの上に正座してぺこりと頭を下げた。

 熱っぽさの余韻を残したとろんとした笑顔と気取らない仕草は、いつもよりクリスを身近に感じさせる。クリスについていろんな人から話を聞いた後だと、この近さで話ができる事がありがたい事のようにかばねには思えた。


 が、ミタマはそんな事おかまいなしだ。

「クリスちゃん。最初に謝っておくよ。さっき教室に手紙をなげこんだの、あたしなの。そんで、手紙を書いたのはかばねちゃん」

 かばねがコキーンと石化したかのように硬直。

「まあ……そうだったのですか」


 クリスは頬を赤らめてちらっとかばねを見上げる。

「ちっ、ちち、、ちちちち」

 違う! と言いたかったのだが舌がまわらない。手がむなしく空気をかきまぜる。

「乳もみたいって。ごめんねクリスちゃん。かばねちゃんこんな子だけど悪い子じゃないの」

「違う! ミタマちゃん……! 呪うよ! いくらミタマちゃんでも……!」

「おお、かばねちゃんが本気だ。いいぞ、ついにやる気になったんだね!」

「そ、そんな事より……! 本題! 本題に入って……! ミタマちゃん……!」


 かばねは場の空気に耐えられなくなりミタマの背をベッド側へ押す。

 クリスの顔を見られずミタマの背に隠れる。

「そうだった。クリスちゃん、世界各地で奉仕活動? ってのやってるって聞いたけど、梓ちゃんも心配してたよ。無理してんじゃないかって」

 クリスはまだぼんやりとした顔をしていたが、ゆっくりと視線をミタマに戻す。


「梓さんが? そうですか。私は無理なんてしてませんよ。みなさんが喜んでくださるのは私の生きがいです」

 クリスはそう言ってにこっと微笑む。それだけで周囲が朗らかな気持ちになりそうな心からの笑顔だ。

「ふーん。それならいいけどさ。クリスちゃんっていつからそんな生活してるの?」

「物心ついた頃からです。私、捨て子だったんです。教会の前に捨てられていて、神父さんが拾って育ててくださったんです。神父さんもシスターもみんな良い人ばかり。幼い頃からみなさんの生活の真似をしていたら、いつの間にか世界中で奉仕活動をしていたのです」

 クリスの話を聞き、ミタマはほんの少し考えるそぶりを見せた。


「なるほどね。ところでクリスちゃん、さっきかばねちゃんの手紙見てどう思った?」

「み、みみミタマちゃん……! その話題は……!」

 かばねがミタマの口を押さえようとするが、手の甲をつねって追い払う。

「ええと……私、あのような刺激的な文章を読むのは初めてで……なんだか居ても立ってもいられないような変な気分になりました」

 クリスの目がミタマの背後に隠れているかばねに向けられる。


「クリスちゃん、マンガとか読まないの?」

「教会にはたくさん本がありますが、みんな固くて真面目な本ばかりでした。閲覧を許された書物以外は決して読んではいけないと言われています。世の中には誘惑に満ちた書物が溢れていますが、それらはイブを堕落させた蛇の果実だと……」

「えー。マンガも読んじゃいけないなんて信じられないなぁ。クリスちゃん、ドラえもん知ってる?」

「? 存じ上げません……」

「マジで! ドラえもん知らない人類なんていたの!」

「人類単位で見ればいると思うよ……ミタマちゃん」

「うーん。マンガも読めない生活なんてかわいそうだ。そうだ、かばねちゃん。いつもかばんにマンガ持ち歩いてるよね?」

「な、なぜそれを……! 先生には内緒だよ……?」

「それクリスちゃんに貸してあげなよ。ねえ、クリスちゃん。マンガ読む?」


 ミタマがそう言うと、クリスはぱあっと表情を輝かせた。

「え、いいのですか? みなさんには絶対に読むなと言われていましたがちょっと興味はあったのです。かばねさんさえご迷惑でなければ、是非……」

「う。もちろんわたしはいいけど……禁止されてるのに勝手に貸しちゃっていいのかな……」

「いいよいいよ。クリスちゃんも読みたいって言ってるし」

「じゃあ……部活の時にこっそり渡しますね……見つかると怒られるので気をつけてください」

「はい! ……やった! 初めてです。マンガ読むの」


 無邪気に喜ぶクリスをかばねは照れくさそうにちらちらと見る。マンガを貸すくらいでそんなに喜んでくれるとは思わなかったのだ。ちょっと嬉しくなる。

「よかったね! じゃあ、あたし達はそろそろ教室戻るよ。ブツの取引は放課後ね!」

「はい。私もちょっと休んだらすぐに教室に戻りますね」


 にこやかに手を振るクリスに別れを告げ、二人は保健室を出る。

 教室に戻る途中の廊下で、ふとかばねが気づいた。


「そういえば……あの手紙がただの悪戯だってちゃんと言ったっけ……?」

「書いたのはかばねちゃんとしか言ってないね」

「じゃあ……内容を本気にされている可能性が……?」

「あるね!」

 ミタマがぐっと親指を立てる。


「ミタマちゃん……責任……とってね……!」

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