21 『オーク 下』

 鬱陶しくて、固くざらついた地面に右拳を叩きつける。


 状況は最悪の一言。

 遂には怪我まで負って、息を吸って吐くだけでも魂の残量が目減りするように感じる。


 だが諦めてなるものか。死んで堪るものか。犯されて堪るものか。

 そんな意地だけで立ち上がった。


「クソ、ったれがぁぁあっ」

 

 全身に苦痛と喪失感を帯びていた。少女の体でさえ重くてならない。

 左肩からは幸か不幸か、はたまた失血のせいか感覚は鈍くなっていて、必要以上に行動を阻害したりなどしないようだ。

 ただ左腕は微動だにしないのは致命的なまでのマイナスであることは間違いない。

 力を込めるにも右腕の些細な力でしか出来ないというのだから。


 一応細腕ながら腕が繋がっているおかげか、平衡感覚も未だに健在なのは幸運と形容せざるを得ない。

 動ける。その事実が今、最も心の支えになっていた。

 

 ──まだ、終わっちゃいねぇだろ。活路はまだ、俺の前には残ってる。


 小鹿のように震える両足を鎮める時間も惜しいとばかりに、有栖は目前に迫るオークに対して踏み出す。

 無謀か。勿論、これは無謀に他ならない。

 だが蛮勇であろうと立ち向かわなければならない窮地がある、それが今だった。


 執念じみた瞳の輝きを見せ、臆せずにオークを睥睨する。



 ──こいつは、最大のミス・・・・・を犯した。俺に勝ちの目を見せる、決定打を。



 対するオークは、愉悦とばかりにニタニタと毅然とした有栖を舐め回すようにして眼球を動かしていた。

 余裕綽々の態度は現状が理解出来ている証だ。


 自分の力が弱者を蹂躙して、土砂の味を味わせていれば、誰しも慢心は避けられない。

 自尊心を満たす光景は愉快でしかない。舐り、優越感に浸る時間は美酒を口に含むように甘美だ。

 それがまるで周囲に持ち上げられていた何処かの誰かを見ているようで、酷く虫酸が走った。

 

 荒い呼吸ながら舌打ちをすると、有栖は目前に自らのステータス画面を表示させる。

 目に飛び込んでくるのはHP:16/120、MP:13/100という我ながら死に瀕した命の残量と貧相な能力値。

 何かの間違いではないかと一日中眺めていたこともある、見飽きた情報の羅列だった。


 しかし──これは悪手とも思える手である。

 敵対存在を前にして悠長に『余所見』をするなど以ての外なのは、常識的に考えれば判ることだ。

 

 遂に破れかぶれに成り果ててしまったのか──いや、違う。

 有栖は表記されたステータス画面を、人差し指を振ることによってスライド・・・・させる。

 その、眼前のオークに向かって。

 

「…………オォ?」


 途端、オークは不可解げな呻きを漏らした。

 ……モンスターにもステータス表記があるってなら、ステータス表示って概念がモンスターにも通用する・・・・ってことだろ。ならモンスターに対して俺のステータス表示を見せることも出来んじゃないかって思ったけど……この様子じゃ、ビンゴか。


 少なくとも、視界阻害と意中外の表示で怯ませる目的は達したようだ。

 効果を確かめる間もなく、有栖は重心を前へ移動させることによりフラつきながらも前進していた。


 当てが外れていた場合のことなど頭になかった。

 万が一にも、いや十が一にも見当はずれだったときは、そのときだ。

 生憎と有栖は頭がよろしくない。だからこそ大事な局面を博打で踰越することが出来る。

 頭が足りぬなら勘で補う。それが有栖の戦い方だ。

 

 無鉄砲にも見切り発車した有栖は、その甲斐あってかオークが狼狽えている隙を突き、その巨体の側まで難なく移動することが出来た。

 ただ追跡者と標的の置く間としてはあまりに近い。


 あわや十数センチといった距離で、有栖は唐突にしゃがんだ。

 別に急に銃弾が飛来してきた訳ではない。路上に転がる物を拾うためである。

 その目的の物・・・・をしっかりと右手に握り込んで、すぐさま背後へと走り出す。


 これで先ず──。

 好きで近付いたのではなし、早目の退却は最善だった。

 だがその間狼狽し続けるほど、オークも容易いモンスターではない。


「オオオオオォォォォ────ッッ!」

 

 背後から大音響が巻き起こり、こちらへと盛大な足音を立てて迫ってくる。

 ステータス表示による目潰しは克服されてしまったらしい。

 元よりそう長時間拘束出来るとは思い上がっていなかったが、非常に不味い。


 ──また、賭けになるのは拙い。


 健常だった頃ならいざ知らず、疲弊した有栖の足では簡単にオークに追い付かれてしまうだろう。

 更に一撃でも貰うことすら許されない。

 衝突や投石されれば言わずもがな、生死が危うい今、洒落でなく掠っただけで気絶してしまうのだ。

 地面に転げただけでも死ぬ可能性すらあった。

 そのため敵の一つ一つの挙動を警戒する必要があるのは、投擲で痛い目を見ている有栖は身に染みて理解している。


 ちらりと、有栖は駆けながら背後に猛然と追わんとするオークを見やった。

 彼我の距離は短い。


 逃げ切ることは先ず不可能だろうし、数秒経たずして有栖はオークの巨体に弾き飛ばされそうな手心なしの勢いがある。

 二度に渡る目眩ましで小賢しく動き回る有栖に腸が煮え繰り返っているのか。

 案外にも小物、猪頭は分かり易い。


 タイミングを見計らう間も空けず有栖は、口を使い右手に握る物の──砂に塗れたローションの容器の蓋を噛む。

 口内に砂利が入るのも構わずそのまま回し、容器ごとその内容物を後ろへとぶちまけた。

 透明な液体は果たして、オークの走り込む前へと水溜りをつくる。


 ……これが経年劣化してたり、地面が水分を即時で吸収するようなら俺の負け。七瀬と同学年の中坊共が持ち込んでた奴なら、あまり時間が経ってないのは明白だから……それなら俺の、勝ちだ。


 その賭けの行く末は────。






「オオオオオオオオオオ────ッ!?」







 一種怒涛とも言える音の洪水が、その賭けの結末を明確に表している。

 オークは見事に足元を取られ、豪快に転倒していた。

 前傾姿勢の全力で駆けたのも災いして、俯せになるように滑る。


 無論、その腹滑りの行き先は前方、有栖が走る方向だ。

 けれども駆け込む勢いの全てが、オークが倒れ込むエネルギーに変換されている。

 よってこちらへと滑る速度は殆ど有栖の歩行に要するそれと同等だろう。

 

 また突進の苛烈さが度を越していたせいか、胸部と岩肌とが衝突したあとからオークは痙攣するだけで起き上がろうとしない。


 気絶したの、だろうか。

 後頭部を打ち付けるならまだしも、それで気絶するなど如何な力で猛追してきたのか背筋が冷たくなる。


 だがHP見る限り、まだ死んじゃいねぇ。背後に倒れてくれるんだったら、まだオークの背中に刺さってる銀の剣が心臓を貫いてくれたんだろうが…………チッ!


 思考の中で舌打ちしながらも足は止めず、有栖は『オークの犯した最大のミス』へと手を伸ばす。


 それは有栖に大打撃を与えたモノ。

 だが同時に有栖へと勝利を齎す



 壁に突き刺さった聖剣エクスカリバー(仮)だ。


 

 

 史実の如く王の器を持つ者以外に抜けないことはなさそうだ。

 ダンジョンの壁面や床は異様な程に固い。

 こんな大空洞が地下にあって、地盤沈下しないのだから当然とも言える。

 だが知識がなくとも、白扉と閉じ込められた異世界人を想像すればそれは予想可能だ。

 白扉よりもダンジョンの壁床が軟弱であれば、そこから突破する方策は浮かんで当然だろう。その試行錯誤に集中しさえしていれば、殺し合いの泥沼に引き摺られなどしない。

 まさか思い浮かばなかったとは考え辛い。

 

 だからこそ、白扉を紙の如く引き裂いた件の剣も浅目にしか刺さっていなかった。

 それこそ、有栖でも引き抜ける程に。


 ──切れ味が鋭すぎるのもあるんだろうが、もう何でも良い。


 素早く有栖は右手で柄を握ると、それを片腕で引っ張り出す。

 今もオークの背中に突き立った銀の剣とは比較にもならない重量に顔を顰めたものの。

 歯を噛み締めて、渾身で──剣先まで、抜いた。


 その瞬間、腕への負担がのし掛かる。

 やはり剣を振り上げることは出来ないだろうが、それでも構わない。

 何故なら敵は、無防備にも地に伏しているのだから。


 右脇と胸の間に挟むようにして精一杯持ち上げ、気を失ったままなのだろう倒れたオークに近寄った。

 白濁した瞳は固く瞑られいる。

 醜悪だった顔は衝突の痛みで歪んだまま、度増しに醜く変貌していた。


 文字通りオークの目と鼻の先で有栖が佇んでいても、モンスターは反応を返さない。

 試しに蹴り込んでもきっと何も反応しないことだろう。

 もし目覚めると全て水の泡になるため、しないのだが。

 

 括れた首元で、剣先を持ち上げたのち。

 


「くたばれ……クソったれの化け物が」


 

 その言葉を誰も聞いたりなどしない。

 単なる、独り言だ。

 中指でも立てたい気分だったが、しかしながら左手は使えず、右手も塞がっているため断念した。


 そして有栖は剣から手を離し、重力に従って剣の切っ先がオークの首を貫く。

 更に駄目押しとばかりに、柄に体重を乗せて右手で押し込んだ。

 肉を突く嫌な感覚は殆どなかった。



 鋭利すぎる故だろう。

 吸い込まれるようにして肌を突き破り、そして─────。

 



 オークは、静かに絶命したようだ。

 その呼吸音は既に絶え、死亡したことはあきらかだった。

 



「けっ……終わるのは、地味って訳かよ。クソったれ……ど派手に爆死でも、しろってんだ……ぁ」




 それが確認出来ると小さくそう毒づいた。

 そしてよろよろと、物言わぬ巨躯の傍で尻餅を付く。


 こんな形でも腰を落ち着けると、虚脱感がここぞとばかりに襲い掛かってくる。

 身体中があまりに疲弊していた。

 オークに追い回された挙句、鬱日記を読んで、閉じ込められて、オークが聖剣を携えて登場して、左肩を斬撃されたのだ。

 何より長時間に及ぶ極度の緊張に、精神がかつてない程に弱り切っていた。

 

 ──そうだ。失血、早く止血しねぇと。

 すっかり頭から抜け落ちていたが、左肩の重傷は未だに放置されている。

 血は今現在溢れ出しており、いつ失血死してもおかしくない。


 視線を彷徨わせて、白ローブがオークの屍の向こうに落ちているのを発見する。

 傷口にあてる布地はあれが最善だろう。


 とりあえずそこへ、のろのろと這いずって向かおうとしたときである。

 

 ──何だありゃ。

 オークの死骸、その傷口部分である切り裂かれた喉元から紅色に塗れた何かが見えた。


 所々血液で汚れているが、それが極彩色の鉱物らしき異物なことは見れば察しがつく。

 本来は肉の部分に埋まっていたのだろう、


 あ? これは、もしかして。

 思い当たりがある有栖は、暫し躊躇したものの、思い切って指で触れた途端。


 それは消失し、このような文字列が有栖の視界に記述された。






 ────《LevelがUPしました》


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