22 『絶望と』

 レベルアップ。それはRPGでは欠かせない要素の一つである。

 この世界においてレベルアップとは、主にモンスターの内部に存在する結晶体に触れて起こる現象だ。

 つまり結晶との接触で、ゲームで言うところの経験値が得られる、と形容可能だろう。


 今まで有栖はモンスターと遭遇することなどなく安穏と暮らしてきた。

 ダーティビル王国ならまだしも、ダンジョンが存在しないミリス王国では最早諦めていたと言って良い。

 だからこそ予想外の初めてのレベルアップ表示には心躍らせたのだし、傷付いた我が身も一時忘れられたのだ。

 では、早速有栖の現在のステータスを覗いてみよう。

 


 〜〜〜〜〜〜〜〜


 アリス・エヴァンズ Lv1

 年齢:──

 種別:人類種


 HP体力:16/120

 MP魔力量:13/100


 STR筋力:12

 DEF防御力:15

 INT知力:10

 AGI敏捷:50

 DEX器用:25/100

 LUK幸運:40/100


 《アクティブスキル》

  【凡(すべ)てを見透かす心眼:Lv2/3】 射程:視界範囲内 魔力消費:なし

 視界範囲内の、精神を宿した者の心をる神託の力。

 また視線を合わせた者の過去を任意で見通し、粗筋を再生する。

 個の精神を構成する材料は、その者の過去の出来事に他成らない。

 過去を識ることは人の凡てを見透かすことと同義、其れは神の業に相応しき力。

 抱え込む隠匿はこの能力の前に等しく無力である、女神の澄み切った瞳。


 《パッシブスキル》

 【言語翻訳C】

 世界を移動する際に自動付与されるスキル。

 他世界の標準言語を、アリスが認識できる言語に自動翻訳する。 


 【虚飾】

 人の罪を司る伝承性のスキル。

 獲得した経験値は此のスキルに蓄積される。

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 傲慢と併合されていた旧き大罪。

 身の丈に合わぬ言動は、時として運命をも覆す。

 無論、大いなる代償も危難も抱え込むことと成る。



 〜〜〜〜〜〜〜〜



 ──レベル上がってねぇじゃねぇか、ふざけんなクソったれがぁっ! しかも『虚飾』スキルの隠れた文章が明かされたと思ったらこれかよ、クソったれなスキルじゃねぇか! 詐欺なんて最低だぞこらぁっ!


 あわよくば、オークを打倒した経験値で一気に十以上レベルアップしたら──などと期待したこともあって、有栖は燃え立つような怒りを覚えた。

 下手に希望を持ってしまえば、後の絶望が一層深いモノに感覚してしまう。

 人の夢と書いて儚いと読む。成る程、至言である。


 理不尽へと怒気を発散させようにも、『虚飾』スキルを殴ることは叶わない。

 周囲の物に当たり散らそうものなら敢えなく死んでしまう。

 実りは皆無とは言えオーク戦を経て、有栖は瀕死の重体なのだから無理は出来ない。

 だからせめて有栖は、小声で殺意を込め「糞神死ね」と罵った。

 理不尽である。


 しかし無為に時間を浪費してはならない。

 比較的清潔な白ローブを、聖剣で適切な長さに切り裂いて、傷口に巻いてはいるものの所詮は応急処置だ。

 徐々に血液は染み出し、僅かな有栖の体力も容赦無く削り取っていく。


 ──ともかく『虚飾』は絶対許さねぇ。けど、グズグズもしてられねぇ。聖剣も、もう持って歩けそうにない。ここに置いていくしかねぇのか。


 オークから剣を抜き、ローブを不恰好ながら裂く際に、死に物狂いで重量のある剣で無茶な扱い方をした。

 そこで有栖の貴重なアドレナリンは空になったらしい。

 虚脱感と喪失感が身体中を支配して、余計な物を持ち上げるだけの気概が残っていなかったのである。

 夢見たレベルアップへの失望という精神的な問題点もあるのだろうか。


 細腕を震わせながら壁に凭れるようにして、有栖は立ち上がる。

 片腕が使い物にならないものの、回収した群青のカツラはしかと右手で握っている。

 地上に戻って、また必ず神の子として返り咲く──そんな意地汚い有栖の心理が如実に現れていた。

 ミリスが既に有栖を利用する気満々であることは分かっていたが、それでも目標が必要だったのである。

 身に余る野心が、自らを奮い立たせるための目的が。


 派手に泥で汚した白のワンピースから覗く肌には、至るところに青痣と擦り傷が刻まれており見るからに痛々しい。

 ゴミ捨て場に廃棄された人形のような無様さがあった。


 ──失血が酷い。頭がクラクラする。早く、早くここから抜け出さねぇといけなくなっちまった。クソったれめ、オーク倒したのが無駄になっちまったじゃねぇか。


 厳密にはオークを打破しなかった場合、猶予も残らず追いかけっこの末に死亡していたろうから無駄ではなかった。

 寿命がほんの僅かに延びただけとも言えるが、現状打開へと進めるのは大きい。

 か細い道ではあったけれど、次に繋げられるだけで重畳と言えよう。

 そう言い聞かせねば、挫けてしまいそうな程に有栖の精神力は限界を迎えていた。


 岩肌にぶちまけたローションを、唯一の灯りである壁の青白い光を頼りに避けて、奥へと行く。

 目の当たりにした大の大人が口を噤んだ場所に何が待ち受けるかは知るまいが、それなりの覚悟を持って臨んだ。


 きっと、その先に希望があると信じて。

 

 

 ……――……――……――……――……



 ──気付くべきだったのだ。



 後悔して遅い事柄ではあるもののそれ・・に直面した際、有栖は後悔せずにはいられなかった。


 要因の一つは、オークの断末魔だ。

 モンスターを討伐する際、愚行と呼ばれるのは「安易にモンスターを殺傷すること」が一つ挙げられる。

 特にそれが自らの実力と同等以上のモンスターならば、一旦退くのが鉄則とさえ冒険者の間では広まっていた。

 何故かと言えば、命の危機に瀕すると獣の如くモンスターは『鳴く』のだ。

 無論、鶏でもあるまいし穏当な囀りなんて物ではない。

 断末魔、叫喚。それらは自らの危険を同種族のものに対して送る救援の知らせに他ならない。

 

 要因の更にもう一つは、完全にメフィレスの気配が消失したということだ。

 メフィレスと謎の少女の二人組が無防備に歩き回っていた──あのとき、有栖は知る由もないがモンスターは彼らの周囲からは遠退いていた。

 腑抜けていない、本能第一で動くモンスターを始めとする獣は直感的に強者の前に立ちはだからない。

 生存本能はダンジョンで生成されるモンスターにも確と存在するらしく、S級冒険者がいるだけでモンスターに遭遇する数も減ったという話はよく聞く話である。


 尤も、それらは有栖の認識外の出来事だ。

 絶対に気付くことは不可能な、もしもと考察する方が無駄な話でしかない。

 だが──こんな事態に陥らぬようにするには決して、見逃してはならなかった。



 詰まる所、その結果として。

 

 


「オオォォ……」

 

「グルルルゥゥ……」


「オォオオオオオ……」


「ォォォ……」




 あのオークの断末魔を聞きつけた、ダンジョンを闊歩していた同胞たちが駆け付けて来る訳だ。


「う、そ」


 理不尽ではなく、重ね続けた出来事の結末ではある。

 しかしそれらの因果を手繰る余裕もなく、有栖は愕然と頽れてしまう。


 それは丁度、残忍に殺害された腐敗した三人の生徒達の死体を通り過ぎて十字路のように分かたれた場所だった。

 ここに辿り着いた時、真っ直ぐに突っ切ろうと思ったものの、けたたましいまでの足音が近付いてくるのを聞いた。

 警戒は無論していた。だから音の方向を聞き分けて、モンスターと思しき足音がしない道へと、もしくは穴へ逃げ込もうと構えていたのである。


 しかし──二体程度ならまだしも、十字路の四方向全て・・・・・からオークが向かって来るなどと、思うはずがない。

 有栖は四体のオークが猛然と近付いてくるのを認めた瞬間、思考が消えた程だ。


 豚を更に醜悪に歪められた顔、舌舐めずりするとき覗く黒ずんだ歯。

 体液でぬらりと濡れた石色の巨体は有栖の体躯の二倍をゆうに凌駕しており、正面と右側から迫るオークは手に古びた剣と、半ばで折れた槍らしき武器を持っていた。

 

 白濁した瞳が四方の何処へ向けても輝き、全てが有栖を見つめている。

 憎悪の色はない。恐らくはこのオーク達は、有栖が仲間のオークを追い詰めた張本人とは毛ほどにも考えていないのだろう。

 様子を見に行く途中で、美味しそうな餌を見つけた。ただ、それだけしか思っていないに違いない。


「嘘だろ……」


 ばく、ばく、と心臓の鼓動が早鐘を打つ。

 一体を相手取って打倒するだけで、幾らの死線を潜り抜け、幾らの運を使い、幾らの怪我を負ったことか。

 あの怪力の化け物が、あの糞神に似た存在が、あの恐怖の象徴が、四体いるのだ。

 到底眼前の事実が現実とは思えなかった。

 オークは下級モンスターのため、沢山いるのは当然なのだが。

 

 ──か、活路、活路は。


 ショックで思わず膝を地面に付けた有栖は、放心状態から一転して思考を再開。

 視線を周囲に巡らせる。


 青白い不健康な色合いの光が照らす中、前後ろと左右には同程度の広さの道が続いている。大体、先ほどのオーク戦の場所よりも心持ち幅があり、普通自動車でも走行出来そうなほどだった。

 脇を通ることも容易いだろうが、そんな体力が残っているはずもない。

 

 地と壁には凹凸が見られるものの、穴へ飛び込む意味はない。

 有栖が退避するのに潜るに適切な穴は、身近に都合良く空いてなどいなかった。

 身を守るには大きすぎ、身を隠すには小さすぎる物ばかりだ。


 壁際とは言わず、道の真ん中にすら遺留品が幾つか転がってあるようだった。

 銀色の何らかの破片、割れたガラス玉、矢先のない弓矢、人骨と朽ちた腕……。

 使い所があるものは一つも見当たらない。

 ガラス玉を投げつけてオークを怯ませられるはずもなく、破片をどうしろと、弓もなく先端もない弓矢など単なる棒だ。

 白扉が以前あった可多理の屍周辺は、単純に出入り口だったために朽ち果てた人間が多かっただけのようだ。

 あのときは、場所が味方にあったのだと心底思った。

 ……しかし、今はそれもない。


 打開するに足る道具もない。

 片腕が動かせないことで、身一つ同然で動いていた有栖には──特別な武装も便利な道具も持ち合わせていない。

 聖剣は置いて来た。ローションは死に物狂いで投げたせいで使い切っており、あの場に捨ててきている。


 ──醜い豚顔が近付いてくる。


「あ、ぅぐ」


 ない。


 何もない。


 材料がない。


 手段どころか物自体がない。


 命乞いは通用しない。


 はったりも見栄えも無駄でしかない。


 勝ちの目は、あり得ない。 


 ゼロから一は生まれない──。



「……ぶったおす、今度だってまた……っ!?」



 士気を上げるため何か言葉を紡ごうと口を開いて、そんな虚ろな声音が出た。

 自分でも思わず息を呑んでしまう。

 気持ちがちっとも入っていない。


 自らを奮い立たせるには何時だって言葉が必要だった。だがそれは傲慢と思える程の確信に満ちた気概があってこそだ。

 その要素がない大口など負の意味でしか働かない。


 伽藍の言葉に意味はなく、寧ろ己が『恐怖』しているのだと自覚して衝撃を受けるだけだ──今の有栖のように。

 自分の無力さは知っていた。

 だが先刻打倒したのだから、四体くらいどうと言うことない。そう驕ったところで、どうしようもない現実が突き付けられる。

 これは、無理だと。

 

 前回はまだ敵は一体だった。役立つ物体は転がっていたのだし、何よりも有栖は五体満足で走り回り、自由に動けていた。

 だが今、疲労が堆積し、怪我も深く、アドレナリンも切れて、壁に寄りかかって立つのが精一杯なのだ。


 少女の身体では頑張った方だろう。

 数時間ほど、慣れない荒れた道を駆けずり回り、傷付きながらも逃げて転んで、精神を擦り減らしながら巨大な敵を倒して。

 けれども報われずレベルアップもなく、苦労と運があってようやく倒した敵が四体ほど数を増やし、道を塞ぐようにして現れたのだ。

 どう足掻こうとも、無意味な気がした。


 けれど思考を働かせようとして、有栖は幾度も幾度も同じことばかり確認する。


 道具はない、と。


 能力はない、と。


 退路はない、と。


 気力はない、と。


 希望はない、と。


 結果として、必ず最後には『手立てなし』の文字が脳内に浮かぶ。

 それを否定しようとかぶりを振って、また再び考え出し──思考が一巡する。

 空回りしていると理解は出来ていながら、それでも有栖は諦めずに考えた。

 

「……ちが、う」


 知らず、震えた声で出た。

 諦めないなんて、立派な言葉ではない。

 もはや有栖は恐怖を誤魔化すためだけに、考えたふり・・をしているのだと。


 死に抵抗するのでもなく、受容する。

 それは過剰なまでに死を恐怖する有栖が拒絶していたことだったのに。

 疲れ果てて、諦めて、選んでしまった選択肢。


 ──気付けば四体のオークが、有栖を取り囲むようにして立っていた。

 

 弧を描いた笑みは下衆に歪んでいて、矮小な有栖を見下ろしていた。

 お前は無力な子山羊に過ぎぬと。

 ただ欲望を吐き出されて、欲望のままに甚振られて消える命に過ぎぬと。

 悪意を隠すことなくそう、何処かの理不尽を体現する神に耳元で囁かれた気がした。


 反骨精神は瓦解し、精神自体も衰弱した今、有栖は「ああ」と思う。



 

 これが、絶対的な絶望なのだろう、と。

 



「…………あ」


 

 どうしようもなくそれを自覚した瞬間、へたり込んでいた有栖は違和感を感じた。

 度重なる緊張と弛緩の連続。

 加えて絶望と自分への失望が臨界点にまで達した今──つい、緩くなっていたらしい。


 びちゃりと、水が地面へと零れる音。

 股の間から漏れ伝わる液体が、下着を濡らし、太腿を浸していく感覚がする。

 初めは徐々に、自らの尻の下から黄金色のエキタイがじわじわと広がっていく。

 ぶらんと垂れ下がっていた左手にも、その黄金水が触れ、右手に握っていた大事なカツラをも黄金水は呑み込み汚していく。


 腿を始めとする足と手に温かい感触が触れ、刹那の背徳的な快感が襲った。


 そんな自らの無様な失禁を間近に見て、有栖は。

 

 

「…………あ、は、はは」



 空っぽに、笑った。

 場違いな開放感と、下着を濡らしてべっとりと身体に張り付く不快感、誰もいないとは言えある羞恥の感情、立ち込めるニオイは鼻腔を刺激して、目を背けようとも否応なく現状を認識させた──その結果だ。


 元男のプライドは粉々に砕け散った。

 誇りも自尊心も、全ては掃き溜めに散ってしまったのだろう。

 

 何故だか両方の瞳からも液体が頬を伝って、ぽたりぽたりと尿の水溜りへと落ちていく。

 悔しくて、悲しくて、折れてしまった衝撃できっと込み上げてしまったのだ。


 笑いながら、泣いていた。

 辛い現実と報われない運命は、めっきが剥がれ落ちた有栖の心に逆上すら許さなかった。

 肩を揺らして、痙攣するような笑みを浮かべて、嗚咽を漏らしながら、遂に認める。認めてしまう。

 


 ──俺一人なんかじゃ、こんなことしか出来ないんだ。



 目の前で立ち止まっていたオークが、地面に座り込む有栖を軽々と摘み上げた。猫のように襟首付近のワンピースを、だ。

 もがくこともしない。身悶えもしない。

 何もかもが無駄と十二分に理解しているせいで、動く気力も起こらない。


 もしかすれば無抵抗なら、殺されはしないかもしれない──などと本末転倒かつ後ろ向きで、低い志すら抱いて。


 オークは目の位置まで有栖を持ち上げると、有栖と比べて巨大な目と目が合う。

 欲望を貪る色をしたそれに嫌悪感が立つことない。ただ有栖は力なく笑う。


 暫くそうしていると、オークの口が弧を描いた。

 そのとき吐き出されるオークの呼気は排泄物をかき混ぜたような悪臭で、絶望に暮れている有栖も眉を顰める。


 それで微量に正気を取り戻した有栖は、しかし尚も抗うこともない。

 根本からプライドが挫かれてしまったのだ。


 不屈、反骨、往生際の悪さ。

 それらの有栖らしさは絶望に嬲られ、犯され、猟奇的に切り裂かれてしまった。



 ──ここで、終わるんだ。



 あっさりとした言葉。


 けれど、全てを終わりにする言葉だった。


 頑張った自分を棄て、闇に沈んでいくことを認め、流されることすら許容し、あまつさえ今までの行いを否定する言葉。


 そうして、透明な液体を瞳から溢れさせながら瞼を下ろした。


 これで閉幕──悟るようにして、諦めた。

















「【一撃にて屠殺する斬撃】────ッ!」




 そんな、懐かしい『友達』の声を聞くまでは。

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