19 『剣の行方』
迂遠な話をしよう。
学生というのは、思春期特有の物かは知れないが一般的に妄想癖がある。
中高生にありがちなのを挙げるならば、そうだ──学校にテロリストが侵入してきたのを自らが退治するだの、異世界に転生されて大活躍を演じるだの、ネトゲの中に閉じ込められる、が現代ではトップスリーにランクインするのかもしれない。
一貫して言えるのは、殆どが己の都合の良いような物ばかりだ、ということだろう。
しかしそれは確かに道理である。
わざわざ現実以外で虐げられ、傷付きたくないのだし、自分に甘い世界を空想するのは寧ろ健全なことだ。
それこそ少年誌に掲載されるトラブった漫画ぐらいに。
毎日が退屈で、平凡で、または辛くて、虚ろで、自分が結局端役の一人に過ぎないと知ってるからこそ人は妄想に浸る。
自分が主人公になれる状況を思い描く。
無論、それは顔に似合わずリアリストと評判の(ただし自分の心の中で)遠藤有栖なるクズ学生も同様であった。
それが有用に働いたこともままある。
思春期の思考訓練があったからこそゲームライクな異世界にも対応出来たのだし、オークの登場を予期したのもそのお陰だ。
何にせよ、イメージトレーニングは馬鹿にならないという話。
けれどもそれで慢心する者は、その範疇にない出来事に直面すると途端に面食らう。
これゼミでやったこと……ねぇよクソが、という具合に。
もし、食料も水分もなく、床には誰かの死骸が転がる洞窟に監禁されたら──などとマゾなことは想像したこともない。
何処の蒼崎裕也かと言う話だ。
だからこそ有栖は、この環境下で方針も立てかねているのであった──。
「詰んだ、出れない。略してつんでれってか……クソったれ」
溜息混じりに扉の前で有栖は座り込む。
二分ほど粘ったものの扉はやはり微動だにせず、結局諦めて休憩中という訳だ。
諦めるのが早過ぎな気もするが、もはや己のSTRでは不可能と身に染みて理解したのだろう。
賢明な判断と言えなくもない。
と、なれば次にすることは周囲の探索だろう。
ダンジョンの闇にはすっかり目が慣れて、寧ろ青白い光が眩しいくらいである。
これで探索は十分行えるのは重畳だが、桂木加多理や、名も知らぬ生徒達の屍がより明確に映るのは精神的に悪影響だ。
どうせ誰も助けになど来ないのだから、扉の前を陣取る理由もない。
早々に離れたいが、加多理の日記帳のように役立つ遺品が落ちているかもしれない。
淡い希望だがもしかすれば、何か脱出に役立つ物があるやも。
もっとも、加多理の日記帳を見る限りそんなものはないようだが。
──仕方ねぇ、捜すしかねぇか。
傍目から見ても大義そうに立ち上がる。
そして追い剥ぎ有栖ことがめつい少女は、死体から目を逸らしながら物品を探り出す。
加多理の死体はともかく、人骨や頭蓋にはそう多大な忌避感は湧きにくい。
特に想像力が自らの都合のいい方向にしか発揮されない有栖は、尚更遠慮がない。
「……結構あんな」
異世界人という先人達の──加多理よりも経年した様子の人骨がある、ということは加多理ら以前に同様の殺し合いがあったということは確からしい──道具は、様々だった。
半ばで折れた銀の直剣、何に使うのかくの字のブーメランらしき武器、端々がかびた焦げ茶の外套、硝子の割れたランタン、ひと昔のガラパゴスケータイの残骸、等々。
……これ遺留品なんだよな? 現代以外の物とかも落ちてんだけど。しかもローションとか誰が持ってきたんだっつーの。
砂塗れの容器を拾い上げながら、怪訝な顔をする。
どうにも遺品を眺める限りでは、学生に限定して召喚してはいなかったようだ。
ローション常備の学生などいないだろう、多分。
縄を常備するマゾ学生もいないと信じたい。
──クソったれ、使えねーもんばっかじゃねぇか。
一通り見たものの、結局有益そうな物は何も見当たらなかった。
何処かしら欠けたガラクタばかりで、現状有用か否か以前に使うことも出来ない。
毒づく有栖はその小柄な身体を壁に預け、次にすべき行動を順序付けて考えていく。
……実際、俺はどうすりゃいいんだ? 加多理の日記も、クローズドサークル物で出口見つけられないパターンのバッドエンドみてぇなもんだ。どうやっても出れねぇのは分かったけど、それじゃ俺が死ぬだけだし……やっぱ俺、詰んでんじゃねぇか洒落になってねぇぞ、クソったれがぁ……。
早くも行き詰まり、頭を抱える。
幾多もの人間が脱出し得なかった密室を、頭も品性も胸も貧しい有栖が脱出出来るはずがない。
それはこの世の理なのだった。
だがこのままでは指を咥えてメフィレスに発見、救助されるのを待つしかない。
それが最も楽な道だが、如何せん後がない。大人しくミリスへ降ったとしても碌な目に合わないのは明白だ。
メフィレスの胸中の発言を取り上げてもそれは自明の理。
加えて異世界人を『蠱毒』にかけた点でもミリスの非情な様子を有栖に直視させる。
だから今までのように「神の子だから俺は平気だ」で片付けられる瑣末事とは到底思えなくなった。
自分を偽る言葉の退路はもう、ないのだ。
四方八方の何処にも、有栖の味方などいない。
完全な四面楚歌に胸が塞がる、奇妙な寂寥感に有栖は歯を食い縛って堪えた。
俺は、一人で大丈夫なんだっつの……ッ!
胸の鼓動による共鳴現象で、どうも未だメフィレスが遠方を彷徨いている様子が朧げに判る。
それに胸を撫で下ろしていると、ふと一つの可能性に思い当たる。
──確か、最後辺りに加多理達はダンジョン奥の先公だけが覗いてた道、を目指してたんだよな。結局辿り着けなかったみたいだが……そこ、目指すのもアリか。多分、読んだぶんじゃ、そこ以外に怪しい場所ってのもねーしな。先公の言い分じゃ、やばそうなトコみたいだが……まぁ、行かねぇと分からねぇよな。先公か逃げ出さかったこと考えると、出口じゃねぇのは明らかだけど。
加多理のときとは違い、殺し合いの最中でもなし、楽に到達出来るはずだ。
ともかくそこ以外に有栖にアテがあるはずもない。
何にせよ向かってみるかと、とりあえずの方針を立てると、壁から背を離してダンジョンの奥へと歩き出す。
右肩辺りには先刻の逃走の痺れが残っているが、動けない程のものでもない。
さて、このように有栖が奥の探索へ向かおうと、歩を進め始めた時だった。
──切り裂かれる。そんな音がした。
「あ?」
有栖の鼓膜が捉えたのは、鋭利な異音だった。
余計に音を鳴らさぬ、刃物が紙を割くような、風を切ったような些細な音で。
血で穢れた頑強な扉が、斜めに闇色で切断されたのである。
「……は?」
そして半秒後、痰が喉に絡まったようなノイズ混じりの雄叫びと共に二度、三度、と豪快な斬撃が扉を襲い。
扉はあまりにもあっさりと、打ち破られてしまった。
異世界人達の数多の攻撃を浴び、耐え切った扉だというのに、だ。
──なん、何だってんだクソがぁッ……!? な、何が起き……!?
予想外の出来事に動揺する小物こと有栖。
慌てて身体を反転させつつ、後方へと後退り、視線を扉があった方向へと向ける。
勿論そこから顔を覗かせるのは希望、などでは決してないだろう。
有栖もそれは重々承知していた。
このダンジョンに希望などあるはずがないと、悲観的にも有栖は認識している。
しかし──しかしだ。
「まじ、かよ」
零れ落ちたのは震えた声だ。
様々な異世界人達の切実な思いをぶつけられた扉を粉砕し、姿を現したのは大きな影。
豚を連想させる下劣で醜悪な顔。
……それは、二度と相対したくなかった相手だ。
頭部に毛はなくつるり、としていて。
……それは、百人の有栖が一斉に立ち向かったとしても一瞬で肉塊に変えられるだろう相手。
白色に濁った双眸は、立ち尽くす矮小な有栖を早々に見つけると、にたり、と歪む。
まるで獲物を見る蛇の目だ。
まるで──何処かの俗に塗れた神を思わせる、背中を舐られるような嫌悪感を催す瞳。
いや、違う
ヒトを性的な目でしか見ていない──。
「ヴ、ァ、ァ………オォオオオオオ────ッ!!」
──本日二度目の、オークだった。
ぬるりと光沢のある皮膚、肥大化したヒトガタの巨体、腰に巻かれた枯れた色の布切れを纏うのみの全裸が生理的嫌悪を与える。
しかし有栖の視線が引き寄せられたのは、そのどれでもない。
オークの手には──粗野なオークに似つかわしくない、絢爛な飾りがついた宝剣が。
きっと幾十もの異世界人が破壊出来なかった隔離扉を容易く裂けた所以は、それによるものだと有栖は悟る。
その剣は金銀をはたいてようやく手に出来そうな至極の一品。
何処ぞの王子が腰に収めていそうな剣を、しかし有栖は何故か見覚えがあった。
違う、覚えがあるどころではない。
このダンジョンにそれを持ち込んだのは、他でもない有栖本人なのだから。
「俺の、聖剣……まさか扉を開けるために武器探してきたっつぅのかよ」
別に有栖の私物ではないのだが、気分的にはそうらしい。
盗人猛々しいとはまさにこのこと。
しかし一々有栖に突っ込んでいる暇などあるはずがない。
勇者オークの爆誕に慄いている有栖は、必死に思考を回しているのに忙しいのだ。
唐突な天敵の登場に身体が凍っていた。
一度は逃げ切ったことはある。
しかし前回は運に助けられたも同然だ、同じ偶然がもう一度起こるかは怪しい。
否、それ以前にこの先は袋小路。
ここに逃げ道など、一つとしてないことは手記から知り得ていた。
加えて、休息は取ったと言え数十分程度でHPが回復するはずもない。
吹けば飛ぶ有栖の命の灯が、今は放置して消えそうなまでに減少したままなのだ。
投石で打撲痕が残る右肩と、右腿も痺れが未だ残っており、身体中には虚脱感も拭いされてはいない。
平時においても勝ち目が皆無に等しいというのに、不調であれば最早勝ち目はマイナス突入間違いなしだろう。
窮地。
背水。
死に場所。
形容する言葉はどれも絶望的な物ばかり。
しかし、小さく零す。
「……やってやるよ」
言葉を噛み締めて、有栖は眼前の余裕綽々の『敵』を睨み付ける。
少女の体格の何倍もある化物を、果敢に。
続けて、少女の身体に合わない絞るような低い声で。
「……ここで、手前ぇを倒す」
なんと、実に威勢の良い呟きではないか。
まるで有栖が何か策を持っているような台詞だが、やはり策など一つとして持ち合わせていなかった。
当然だ、一瞬でそこまで頭は回らないからこその有栖なのだから。
無論、本当にオークを打倒出来るに越したことはないのは確かだ。
狭い道幅と残存する有栖の体力を鑑みればこれ以上逃げ回るのは得策ではない。
一度目のオークとの遭遇で全力疾走かつ軽傷とは言えども負傷したのだ。
それで逃げ続けてもジリ貧なのは明白である。
つまり逃走の選択肢は消失していた。
だからこそ闘争の道を選択するのは必然であるのだが、わざわざ口に出したのは理由がある。
妄言? 否だ。
はったり? 否だ。
破れかぶれ? 否だ。
無意味な誇大台詞こそ──有栖の本領を発揮するための『スイッチ』なのだから。
直後に脳が切り替わる感覚。
火が点いたように熱く思考が回転する。
それは今までの比ではない。
命懸け、目に見えた『死』、塞がれた逃げ道、恐怖と嫌悪感を与える敵。
それら全てが有栖の焦燥感を煽っていたおかげだろうか。
久々の感覚に、はたと思い出す。
神の子となる以前、口先で『傲慢』の少年を下したことを。
カツラもなく、『虚飾』もなく、エヴァンズの名が重要な物とも知らなかったあのときを。
怠惰を貪り、忘却していた。
叩く大口が大きければ大きい程、有栖は生き延びるため必死に、そして賭けであろうと大胆に行動を起こすのだと。
それは誰にでも真似出来ないモノだ。
神の子に収まって失っていたモノだ。
──そうだ、俺は。
有栖の真の長所は、虚言で謀ることではない。
磨かれた演技力でもない。
ましてや忌み嫌う神に勝手に作り変えられた、絶世の顔貌であるはずがない。
そんな副次的な物などではなく。
大口を現実に変えようとする行動力が、真に誇るべきの自分の長所なのだと。
ほんの少し、判った気がした。
──だから、もう一度口の中で唱える。
一つとして対抗策も立てないまま、有栖は口端を吊り上げて。
意気揚々と大口を叩いた。
「ぶっ潰してやるよ……オーク退治だ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます