18 『手記 下』
──こーくんが、人をころ、殺した……。
辺りに満ちた暗闇の中で、一人の少女──桂木加多理が膝を付きながらシャープペンを走らせる。
片手に持った手帳に、暗澹とした自らの内面と全ての経緯を写していく。
それは最早、彼女の中で一つの儀式と化していた。
現状で正気を保っていられる一因はきっとそのおかげだと彼女は思っている。
吐露出来ない感情を連ね、ただ只管に心情を綴ることの提案は、彼女の一方的な想い人である山口達平によるものだったが──なかなかに良いものだ。
作文が苦痛でしかなかった加多理でも、日記を記すことがこうも息抜きになるのは加多理自身不思議だった。
一通り書き上げると、息を小さく吐く。
絶望的な状況下での娯楽、かつ安心感を得る方法は、一歩退いて纏めるこの作業が最も適していた。
これしかない、という言い方も可能だが。
暗いばかりの洞窟に娯楽など粋な物体が存在するはずはない。
人との会話も娯楽だが、誰かと言葉を交わすことにあまり彼女は積極的ではなかった。
裏切られるか否か、と気を張るのももう疲れていた。
「……加多理。また、書いてたのか」
「たーくん。そっちは大丈夫だった?」
「ああ……誰も来ちゃいない」
「なら、よかった」
囁き声で事務的な内容を話し掛けてきたのは、泥で汚れた黒一色の男性用学生服を着た山口達平だ。
前ボタンは留めておらず、切り裂かれた痕が至る所に散見される。
異世界へ来るまでは胸を高鳴らせていた彼の声も、今の彼女は言葉少なく応じるだけだった。
恋愛に現を抜かす余裕が消えていた。
常に張った緊張感で窒息してしまいそうで、そちらばかりに意識が向いてしまう。
加多理のそんな様子を見て俯く達平。
彼に代わって、加多理の横からハスキーな声音で心配を露わにした口調で、
「……かたりちゃん。つらいなら、寝たほうが」
「平気だよ、わたしは。さーちゃんが眠ってて。水魔術は大事なんだし、MP回復してないとダメだよ」
「でも」
「良いから。ちょっと考え事してただけだから」
さーちゃん。つまりは加多理が親友と思っている、田口佐奈という女子中学生としても小さい体格の少女である。
肩辺りできっちりと切り揃えられた黒髪、気も小さく本好きな、絵に描いたような日陰者。
そんな彼女と性質が真反対の加多理が親しいのは、しかしそうドラマチックな事情はない。
クラスの誰とでも別け隔てなく会話する加多理は、クラス内でも言葉少ない佐奈とも交流を持ち──単に気が合ったというだけだ。
特異な出会いなどそうはない。
彼女らはそんな『普通』のレールの上を歩いてきたのだから。
何にしても目が冴えて仕方ない。
眠気は、今朝から今に至るまでの事態の急変でとうに吹き飛んでいた。
そう。加多理の幼馴染みにして虐められっ子だった七瀬黒が、虐めの実行犯かつ主犯だった竹内忠成を殺害してから──。
……何で、こんなことに。
加多理は瞳を強く瞑り、思い出したくもない『悪夢』の光景を封じ込めようとする。
──洞窟内に響き渡る狂笑。
──血塗れの幼馴染み。
──影に横たわる死骸。
──全てを目の当たりにした加多理達に向けられた、七瀬の憎しみの篭った目。
『次は、お前等だ』
失笑するように、にへらと相好を崩す彼の姿は……まるで自らの仇を睨み付ける如く。
幼少の頃から一緒にいた加多理も、初めて見た。
その殺気を秘めた幼馴染みの双眸に背筋が凍ったのは、彼女の記憶に鮮明に刻み込まれている。
「……加多理。お前、七瀬くんと親しかったんだろ? 彼、あんな精神状態だったのは何か心当たりがあるのか?」
「竹内くんに虐められてた、みたい。わたしも昨日見たのが初めてだった……少し、突然すぎる気はするけど、多分それが原因、かな」
「虐めのこと、今まで知らなかったのか?」
「噂だけ、でも本人は違うって言ってたからなし崩しで見逃してきちゃった……。たーくんは?」
「俺もだ。──あのとき、無理矢理にでも暴いて止めていればこんなことはなかったのか、くそ」
悔恨を滲ませる様子で達平は目を伏せた。
加多理はしかし対称的に立ち上がる。
今何を後悔したところで、その全てが遅すぎるのだ。
無意味な感傷を抱くのは、やはり無駄でしかない。
……そんな風に割り切れたら、良かったのにな。わたしには、やっぱり……出来そうにないみたい。
あまりのストレスでか涙が頬を伝う。
後悔から逃走する方法は克服と忘却以外に有り得ないのだ。
※※※
──四日目、七瀬が竹内を殺害した場所はクラスの皆が寝床にしていた場所から数分道なりに進んだ位置だった。
とは言え、秘密裏の殺害ではなさそうだ。
うつらうつらしていた数人が、誰かの言い争う声を聞いた覚えがあるらしい。
ただ最初にその光景を発見したのは、朝に催した武田という女生徒のようだった。
怒鳴り声と哄笑で目を覚ました彼女が、ふと思い立って様子を見れば──だ。
彼女の悲鳴で、加多理他クラスの殆どがその場に駆けて行き、その光景を目にしたのである。
凄惨な現場を前に、数秒の絶句の後に巻き起こったのは耳を塞ぎたくなるような混乱。
七瀬に襲い掛かる者、一目散に逃げる者、呆然と立ち竦む者、そして何のつもりか突然にその者達へと攻撃を加える生徒もいた。
この事件を発端にして、遂に平穏が打ち破られたのだ──殺し合いが、始まったのだ。
元より起爆剤は存在していたのだ。
出口の見えない極限下、水は確保出来たが空腹を紛らわすのは単なる中学生には苦であり、そこから這い出る可能性を持つのはミリス側の「殺し合いに生き残る」こと。
待てども待てども探索組は帰還せず、苛立ちと焦燥感を煽る軽い飢餓に、数人がどこか限界を迎えたのだろう。
抑制されていた人殺しを解禁させられたことで、それが暴発、誘爆し、七瀬だけではなく生徒の命を狙う人間が生まれた。
──そして、スマフォで確認するところの、現在こと四日目の夜半に至るまでの話だ。
加多理は命からがら逃げ出し、オロオロとしていた佐奈を連れ出して洞窟を駆け回った。
スキルだろう、空中か生えた幾つかの刃が辺りを無差別に斬りつけ、煌々と輝く炎を撒き散らされ、切っ先が針の如く細い槍が直線上に闇の向こうから飛来する──そんな地獄絵図を必死の形相で潜り抜けた。
無論、無傷で済むはずがない。
極細の槍に右の二の腕を貫かれ、刃には制服ごと皮膚を切り裂かれ、灼熱で髪を焼かれてしまった。
連れの佐奈は左足の腿と左肩の脱臼が目立つ負傷だろうか。
移動に難がある負傷箇所だったものの、そこは加多理が肩を貸しながら逃げ切った。
これでも天運が味方した結果だ。
本来ならば逃走の足を撃たれて、銃火場の最中で蹲る羽目になっていただろう。
『おい、加多理! これは何の騒ぎだ!?』
そうして逃げ回る間に、加多理達は帰還してきた探索組と遭遇した。
彼らもこの騒ぎに懐疑を抱いていたようで、切羽詰まった加多理の纏まっていない説明でもあっさりと話が通じたのは重畳。
もっとも、依然として戦闘の余波の攻撃がここまで襲い来たことが説得力を持たせた気がするが。
説明を終えると、七瀬戦へと加勢しに走る組と、先生を始め救助をする組に分かれて各々行動を始めた。
探索組のメンバーは運動神経の良い仲間思いの男子が多かったせいだろう。
逡巡もない、迅速な行動だった。
ただ加多理は、
山口達平は彼女に付き合って、今尚共にいるという訳だ。
※※※
「……別に、わたしとさーちゃんだけでも良かったのに」
「女子二人に任せてやれるか。七瀬くんとか錯乱した人を鎮めるなら、あいつらだけで十分だろうし。……けど、こっちはそうもいかないだろ?」
「それは、そうだけど……その、ありがと」
そして、現在。
睡眠休憩を終え、再び目的に向けて三人は慎重に動き出す。
小声でやり取りをしながら、加多理が一歩先行して様子を窺い、達平は佐奈に肩を貸しながら暗闇の奥へと進んでいく。
それはとある指針を立てたためだ。
──すなわち。
「……ミリス王国と取り引きするために、殺し合いの目的を探る、とかよく考えたな」
「考えたのは佐奈だけどね」
「……だって、みんな助けたい、から。でも見つかるかどうかは……」
自信なさ気に佐奈は語尾を下げる。
この発想は、出会した探索組の「奥も白の扉で遮られている道もあったり、他は全て行き止まりだった」という絶望的な報告から生まれた。
これで洞窟から出る方法は、最早ミリス王国の言う「殺し合いの勝者だけ」ということに確定してしまった訳だ。
そのため七瀬の凶行がなくとも探索組の報告で、遅かれ早かれ殺し合いの勃発は避けられなかっただろうと想像する。
しかし、だからとその流れに身を任すのは良心と道徳心が許さない。
正攻法で脱出が不可能ならば、邪道を行くまでだ。
そこで佐奈はミリス王国との取り引きによって、殺し合いを中止させられる可能性を提案したのである。
例えば、ミリス王国が望む殺し合いの
この殺し合いを強要したミリスには、必ずその見合うだけの重大な理由がある。
成就されるべき、大事な本望が。
それを見抜き、それに沿わない行動さえ出来れば、交渉の余地が生まれる……かもしれない。
バトルロワイアル物の定番では「実はこの洞窟内部にカメラや盗聴器が密かに仕掛けてあって、物好きな金持ちが趣味で覗き見して賭けをしている」らしいが。
取り敢えずそれだと仮定して、洞窟の影の部分に触れたり、目を凝らしたりして隅々を探し回る。
だが、そんな甘い見通しが通用するはずもない。
「……まぁ、ファンタジー世界じゃ探す意味ないよな。魔法かなんかで隠されてたら終わりだしな」
「探してすぐ言って欲しかった……もう色々歩き回ったのに」
「す、すまん、加多理」
「それにしてもこの洞窟、本当になにもない……手掛かりなんて、あるのかな」
佐奈の呟きは、加多理の気持ち──おそらく達平も──を代弁するものだった。
果たして首謀者達が、この空間に些細な隙でも見せるだろうか。
可能性は元から少ない、と見積もってはいたが落胆せざるを得なかった。
だいぶ奥まで進んだが、未だに収穫はゼロ。何らかの怪しい物もなければ、撮影機器の役割を果たすような物もない。
探索組だった達平も「ざっと大体確認しただけだけど、それっぽいのっつったら──そう言や、最奥にあった一箇所は先生だけが入った道があったっけ」と発言している。
本命は、その道の先のつもりだ。
教師がミリスと通じている可能性を捨てていないのもあるが、
よって道すがら、途中に他の手掛かりがないかと目を皿にして探し回っている訳だ。
もっとも、全く見つからず、加多理は他のアプローチを考え始める次第だった。
そして一つ、気掛かりなこととして。
「たーくん」
「分かってる、静かすぎる、よな」
暫く前から辺りは静寂に包まれていた。
戦闘音のような轟音が絶えてから一時間は経っている。
七瀬は取り押さえられたのか、それとも想像したくはないがその真逆か。それに便乗して殺し合いに乗った生徒はどうなったのか、それとも否か。
別行動が祟って現状が不明瞭なのは、仕方ないと妥協するしかあるまい。
ただ自ら選んだ方法を信じるしかない。
これを信じる以外に、彼女達が縋ることの出来る目的はないのだから。
そうして歩いていると、見たくもない光景に出会すのも不思議な話ではない。
変わり果てた級友の姿を目にする。
腹が抉られた見知ったクラスメイト。
岩盤に顔面から叩きつけられた隣席の、お調子者だったクラスメイト。
腕が引きちぎられ、悶絶してか目を剥いたまま息絶えたサッカー部のクラスメイト。
皆、数日前までは笑って、馬鹿話をしたり、先生陣の真似をして、おどけていた。
女子が思わず引くような下ネタや、クラスの誰と付き合いたいだの、他クラスの誰かがどんな馬鹿をしただと──そこに、こんな死の影なんて何処にも見当たらなかったのに。
それが、こんな。
「ぅ──ぁ」
あまりの死に様に、佐奈は耐え切れなかったのだろう吐瀉物を地面にぶちまけていた。
加多理はただ呆然と、これが現実の出来事だとの実感すら湧かなかった。
ただ一人、達平は怒気を漲らせた様子で歯を
「大門、田代……ユウ、嘘だ、嘘だろ、んなこと──くそがァ! 何で、何で、俺らがこんな……っ!?」
「たーくん、落ち着いて……」
「落ち着いてなんかいられるかよ!? 加多理は何とも思わねぇって言うのかよ! こんな、殺されてんだぞ! こいつら、殺されて────」
「悲しいよ、当たり前じゃん! ……でもさ!」
行き場のない憤慨で加多理を怒鳴る達平に感化され、加多理も状況が頭から吹き飛んでいた。
静寂は二人の不毛な言い合いに打ち破られる。
自分でも見当違いの相手に無駄な言葉を放っていると、判っている。
それでも込み上げる無力への、理不尽への憤りを吐き出さずにいられなかった。
そうやって無駄な言い争いの最中だった。
「き、君達。静かに、静かに……!」
「ッ、慎也先生……?」
意外な人物の登場に、思わず加多理は口を止めて、仲裁をしに来たであろう男性の方へと視線を向ける。
そこには、閉じ込められた生徒のうちで唯一の大人──担任教師の中西慎也が息を切らせながら小走りで、
「早く場所を変えよう、七瀬くんが来る前に」
※※※
「ここなら、大丈夫だろう……」
「あの、先生……」
「まぁ、待ってくれ。君たちも聞きたいことがあるのは判ってる……ただ少し、声を」
「あ……す、すいません」
うっかり声の音量が狂っていたと今更ながら気付き、加多理は自重して押し黙る。
先程の場所から如何ばかり離れた、一見見辛い影の部分に四人は集まった。
そのうちの慎也教師は四十代後半で、白髪混じりの黒髪の数学教師である。
他の厳つい先生陣よりも、物腰柔らかだが反面、気弱で頼りなさそうに見える、というのが生徒間での共通認識だった。
多分それ洞窟内での行動的に、的を射た評価であるように思われる。
「まず、俺たちに聞かせて下さい。俺らがミリスの目的を探ってる最中から──今までのこと。結局、七瀬は──」
「……無理、だった。誰も七瀬くんに勝てなかった」
「う、嘘ですよね? だって一人相手にあんな……」
動揺した様子の達平の言葉に、ただ慎也は小さく首を振るだけだった。
半ば予想はしていたがやはり生徒達は粗方、七瀬によって殲滅されたらしい。
如何なる攻撃もまるで通用せず、圧倒的な力で捩じ伏せられたのだ、と。
殺し合いに乗った生徒だろうが、命乞いをする生徒だろうが、無差別に片端から殺し回った結果──最早、数人を残すのみとなってしまったという。
加多理は慎也の説明に対し、達平と違いそこまで驚かなかった。
クラスメイトの惨い死体を発見したときから、薄っすらと予想し得たことだからだ。
佐奈は一人で歯噛みして、黙ったままだ。
現状について話し終えると、今度は慎也から口火を切る。
「それで……ミリスの目的の手掛かりは見つかった、ことはなさそうだね」
「慎也先生は、わたしたちが知らない情報とか何か持ってませんか?」
駄目元で加多理が口にすると、
「……実は、一つ知ってる」
「…………はァ!?」
唐突な慎也の告白に目を剥いたのは、加多理ではなく達平だった。
話を聞く限り、それは召喚された当日のことだったらしい。
異世界人の恩恵で強力な聴覚系のスキルを所持することとなった慎也は、試しに発動して……完全な偶然で知ったようだ。
そしてそれを頼りにミリスの召喚士と話し合ったものの──結果は見ての通り。
ミリスの目的の前提として、どうにも人の魂とは魔力と呼ばれる物の塊らしい。
そのたも生徒達を殺し合わせることで、魔力を短時間で大量に収集し──彼らミリスが信仰する、タウコプァ・エヴァンズ神の
それこそが慎也が初日掴んだ目的だ。
異世界知識に乏しいため、それがどのような意味を持つのか不明瞭だが……ともかく、交渉材料を加多理達が用意出来る物でもないのは明白だった。
度重なる気が立っていた達平が、
「お前……そのこと知っておいて、俺たちに無駄骨折らせたっつーのかよ!」
「すまなかった、責任は、こっちにある」
尤もな怒気を漲らせた声にも、反論もせずに項垂れる慎也の姿は何処か哀れに思えた。
未だ中学生の生徒達に関わらせまいと背負ったものの──無駄だったのだろう。
異世界で現代人はあまりに無力だ。
立場、権力、交渉材料、どれもが不足しているのだし、そもそも基準すら判然としないのでは如何しようもない。
慎也の失態とまで責められる物ではない。
たとえ誰であったとして、洞窟行きを阻止出来たとはどうしても思えない。
目的を秘密にしていたのも、きっと生徒達は希望を無闇に奪って絶望させないためか。
人は何かに没頭していれば辛さを忘る。
時間稼ぎをして、一先ず脱出方法を考案する──それが慎也の狙いだったのだろう。
ただ予想外にも、早期に殺戮が開始されてしまったため無意味と化したようだが。
だが達平には隠し事をされていたこと、その事実が許容範囲を超していたのだろう。
慎也を睨み付けながら、
「……あと一つ、聞きます。先生、この洞窟の奥の道に何があったんだ?」
「そんなものじゃないよ、見ない方が良い」
「だったら、何があったかだけでも教えて下さい。わたし達に、全部教えて下さい。今は、何でも必要なんです」
「それは、────」
慎也は顔の皺を深めながら、言い淀んだ。
数秒の間、妙な間が空く。
疚しいことがあるか否か、加多理に読心能力はないことが口惜しい。
そして。
ようやく、また慎也は神妙な面持ちで口を開いた。
「ご、ばぁ……!?」
吐き出したのは、血塊、呻き。
一瞬にして苦痛に満ちた顔に変貌した、自らの担任教師を──加多理達は呆然と見つめることしか出来なかった。
視線が勝手に動く。
異常は、すぐに見つかった。
彼の腹部から、手が生えている。
「見つけた」
おぞましい、声だ。
喉が涸れた、濁った声。
慎也の腹部から突き出た、血塗れの右腕。
それが引き抜かれると、事態を把握出来ない慎也は為す術もなく地面に沈む。
その背後から現れたのは──。
「見つけたぞ、
そんな七瀬黒の、歪んだ笑みだった。
※※※
──そうして、その末路だ。
逃げて、逃げて、逃げて。
達平は【雷光と長月をなぞれ銀刀】で呼び出した刀で立ち向かったものの、その一切が通じず、最期にその刀ごと折られ胸部を穿たれて死んだ。
転んで、逃げて、倒れて。
佐奈は水属性の魔術である【吹き轟く流水】で不意を突いて七瀬に直撃させたが、まるで意に介されず、そのまま髪を掴まれ、壁に何度も頭をぶつけられて死んだ。
泣いて、怖くて、それ以上に無力感に苛まれて。
そうして、残ったのは加多理だけ。
──背後に迫る七瀬から逃げ続けていた。 けれど彼女は命を、もう悟ってしまった。
逃げられないことを。
自分ではこの理不尽と『運命』に対抗出来ないことを。
だから、叶うかも怪しい願望を彼女はシャープペンで綴る。
他力本願だなんて格好悪い、だが構うものか。
こんな酷く残酷すぎる『運命』を打ち破るなど、自分では力不足にすぎる。
書き殴り、思いの丈を並べ……最後のページを書き終えようとした。
突然横合いから強烈な衝撃が身体を襲う。
どうも軽く蹴られたらしいが、加多理の身体は宙に浮き──数メートル先の地べたへと墜落。
受け身さえ取れなかった。
鈍い痛みが右肘から広がっていく。
「ぁ──ぐ」
「最後の一人が君なんて、僕も運が良いな」
緩慢な足音に反応して、加多理は力を込めて微弱に震えながら首を回す。
無論こちらに歩み寄ってくるのは、虐げるような笑み、背筋に鳥肌が立つような気持ち悪い、にやついた笑みの少年。
おかしな話だ、と加多理は状況と似つかぬ感想を持つ。
今の今まで七瀬の笑い方に、ここまで負の意味を感覚したことなどなかったのに。
彼が人殺しになって変わり果ててしまったのか、加多理の見方が変わったのか。
何だか酷く悲しくなって、憎たらしくなって、結局頭が真っ白になった。
そんな加多理に対して、七瀬は勝手に話し掛けてくる。
日頃の彼からは想像出来ないようなハイテンションかつ、粗暴な口調で。
まるでこれでは
だからだろう、眼前で親友や想い人を呆気なく殺害されても憎悪すら湧かないのは。
「そう、そうだよ悪いのはお前だ。味方面しやがってホントは竹内の奴とグルだったんだろ? 僕を目の前で絶望させるために僕の目の前で裏切るつもりだったんだろ? そんなことさせて堪るか、僕は変わったんだ異世界に来て、ああ、この『傲慢』があれば、僕は誰にも、誰にも……ひ、ひっひひひ」
──何の話だろう? わたし、そんなことしてないのに。グルとか、何の話……?
謂れのない所業を捲し立てる七瀬に、内心加多理は首を傾げる。
だが、どうすることも出来ない。
既に手足は糸の切れた人形のそれのように微動だにしない。
五日間の体力消耗、友人達の死による心労、食物が喉を通らない日々で身体を酷使し続けてきたせいだ。
口を開けることすら億劫でならない。
「──定義する。元幼馴染みを殺すことは、昔の僕に対する『傲慢』だ……」
彼の声が遠くに聞こえる。
ただ彼女に出来たのは、手帳と自らが生成した
「死ねよ、裏切り者」
──そうして、また一つ命が失われ。
──彼女の魂は、
・・・
もし。
もしも、誰かこの日記を見て、わたしの、わたしたちのことを知った人がいるなら。
どうかミリス王国を、滅ぼしてほしい。
わたしたちだけじゃなくて、他の召喚された人もこんな目にあってるみたい。
みんなタウコプァって神様の生贄になったんだ。
わたしたちは神様の餌じゃないのに。
わたしたちは人間だ。
すれ違ったり、傷つけたりするけど、本当にそこまでされる……んて、ない。
こーくんも悪いし、竹内くんだって本当に悪……ど、こんな最期じゃなかったはずなのに。
こんな殺し合いなんてさせるミリ……ゆるさな……
だから、誰か。
わたした……の救世主になって……
……――……――……――……――……
……最後の文章は、所々歪んだり、文字が雑すぎるあまり読み取ることは困難だった。
だがこうして、有栖は日記を読み終えた。
胃もたれしそうな程、意外に重い内容を。
この後『傲慢』のスキル所持者である七瀬黒、それがダーティビル王国でブラついていた有栖と敵対することになるのだろう。
つまり、ミリス側が提示していた「殺し合いに勝利出来れば、元の世界に返す」約束は当然のように虚言だったのだ。
救いなど、何処にもない。
結局、ミリスに召喚された時点でかの異世界人達は詰んでいたのだ。
友人に殺されて死ぬか、ミリスの駒に成り下がるか。
中学生には酷で、あまりにも惨すぎる二者択一であった。
書かれた最終ページは、他の乱れた字よりも荒々しく、力を込めすぎて途中で芯が折れたのか鉛粉が散らばっており、字が濃ゆい。
彼女の怨念が、鬱憤が、滲むようだった。
これが桂木加多理が最期に書き残した物。
死に瀕した彼女が、願ったドス黒い希望。
これを直に読んだのが、感性が豊かな者ならトラウマ物だったろう。
ヒトの暴力的なまでの感情が視覚に訴えかける、必死に書き殴られた文は目に毒だ。
それが意中外の物なら尚更。
最後にかゆうまって書いてあるオチだったら、日記帳を引き裂いて、燃やしてやろうと軽く思っていた有栖。
どうもこいつは未だにゾンビの影に怯えていたらしい。
伊達に現代のホラーゲームを憎んではいないようだったが、そのせいで大ダメージを喰らうことと相成った。
だが読了した感想と言えば。
「────誰が、救世主だ。クソったれ。こんなモンで助ける馬鹿がいるかよ」
思春期の病気も大概にしやがれってんだ、最後に同情誘おうとしてもそうはいかねぇぞ。こんなの、俺にも誰にも関係ねぇ話。んなこと、聞く奴はマジモンの馬鹿だろうな。
極め付けに、うぃひひ、と口角を上げた。
彼女にしては、少しぎこちなかったが。
日記の願いを真に受けないのは、有栖は自分優先のクズだから──というだけではない。無論、それも重大な一面だが。
そもそも今の有栖の状況が危険なのだ。
他人よりも先ず保身を思考するのは、クズには及ばない、実に常人らしい行動である。
有栖が行動すると何でもクズな所業に見えるのは、間違いなく日頃の行いの結果なのだから……つまり全て有栖が悪い。
加多理を罵倒したのは、流石に笑えない下衆としか言いようがないが。
……まぁ、役に立つかもしれねぇし一応持っとくか。
有栖はその古ぼけた印象の手帳を、先程拾った宝石と同じポケットにねじ込む。
情報はミリス側を告発する加多理の日記によって予想以上に得られた。
頑強な白色扉に遮られたこの場所が、異世界人の『蠱毒』を行う隔離会場であること。
加多理、七瀬以前にも何度か『蠱毒』が行なわれていたこと。
『蠱毒』を行う理由が、特定の場所で大勢の強者が死亡することで魂──濃密な魔力をミリスが得るためということ。
しかしそれは何のために。
神聖ミリス王国は、膨大な魔力で一体
恐らくそれは『神の贄』という言葉に関連する
──今考えても仕方ねぇか。取り敢えずここにダンジョンからの出入り口はないのは分かったし、オークが怖いけど出るしかねぇ。
そして加多理の死体と、続く闇の向こうからは背を向けて白の扉へと視線を向ける。
扉はぴしゃりと、完全に閉じていた。
「あっ」
白色の扉がオートロック的な物だ、と有栖はオークが打ち破れなかったことを根拠に考えた。多分それはあっている。
加えて加多理の日記に目を通すと出入り口は開かなかったと確かに記述されていた。
すなわち、唯一の出入り口である白の扉は内部からでも開くことは叶わないのでは。
詰まる所、有栖はこの場所に──。
そこまで思考を回し、顔が段々と青褪めていく心地がする。
居ても立ってもいられず、扉の間近まで寄り押し引きを繰り返す。
「まさか……っ! 嘘だろ……」
そのまさかであり、嘘でもなかった。
扉はビクともせず、餓死行き直行コースなのは明々白々。
事態を実感させる言葉が、呆然とした有栖の脳内に反芻される。
──閉じ込められちまった。
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