14 『短い冒険』
──足を踏み出すと、白い靴と砂利との摩擦音が洞窟内に響く。
異世界に召喚される以前にも味わったことのない新鮮な感覚に、有栖は一人謎の高揚感を得ていた。
それも無理はない話だ。
異世界の地に立ってから初の探索なのである。
元男の有栖の感性は、長年の希望であった『冒険』という言葉に胸躍っていた。
「さぶっ……」
周囲は陽の照った地上よりも肌寒い。
鼻腔にも冷気が流れ込み、妙に意識が研ぎ澄まされていく感覚が心地良い。
漂う謎の生臭さすら、これも味かと錯覚を覚え始めるワクワクさんこと有栖。
車道くらいの横幅がある両壁が淡く光るのを横目に、一本道を歩いていく。
──先程まで有栖は居た堪れない恐怖を感じていたのではなかったのか。
一転した有栖の態度については、数分前まで話を戻す必要がある。
……――……――……――……――……
つい数分前まで有栖は、助けを請おうかと頭上に向かって大声で叫ぼうかと考えていた。
落下してきた穴は当然有栖がよじ登れるような高さになく、落下中にも分かったが、目を凝らしても地上の光は一筋として見えない。
登り下りのためにか垂れ下がっていたロープは、穴の途中で切断されたらしく緩衝材の近くにとぐろを巻いていた。
ロープの両端の切断面は解れた様子がないため、きっと鋭利な刃物で意図的に切ったのだろう。
何故なのかは全く理解できないが。
よって地上に戻る術が他に思い当たらず、救助を呼ぶことに決定しようとしたのだが──有栖はふと思い止まった。
その理由の最たるものは有栖らしく、外聞である。
偶然穴に落ちて自力で登って来られないなど間抜けた話だ。
神の子であり、また壮絶な実力者という超人を演出していた者とは思えぬ醜態を見せつけて良いものか。
自分が身近に知る強者のフィンダルトならば、何事もなかったように飛び上がって戻ってくるだろう。
強者とは自らの力で切り開く者のことを言うのだと、有栖は確信めいて思う。
こんなことで一々、四ノ目機関の手助けを必要とするようでは決して『強者』ではない。
となれば、他の方法を思索しなければならないのだが有栖はそうしなかった。
先ず有栖がしたのは──自らに都合の良いシナリオをでっち上げることだ。
例えば……有栖はこの洞窟の存在を調査するために落ちた、という設定にする。そして侵入者の狙いが宝物庫であると即座に看破して、迅速に宝物庫を発見し、ついでに洞窟まで降りてみた──ということにするのだ。
このシナリオに沿って演技するなら、単に有栖を捜索に来るであろう四ノ目機関を待っているだけで良い。
楽で、何より別の策を考えて更にそのための言い訳を作るのが面倒なのだった。
ただ懸念があるとすれば『この洞窟と繋がっている事を知ったのは、実はマズいのではないか』ということだけ。
──いや、でも四ノ目機関の誰の記憶にもこんなことはなかったんだし……それに俺は神の子なんだし、無下にはされないに決まってる。神の子っつうのは、空気読まずに大体ダイス教の教典通りの行動をとっても良い、良いんだ。
褒められこそすれ「知られたからには……」的な展開はまさかあるまい、ないはず。
四ノ目機関の誰もがこの部屋の存在を認知していなかったのだし、ジルコニアにも特段人目を憚かるような計画を心眼で見つけたことは一度としてなかった。
つまり彼らは潔白で、何の裏もない聖職者に間違いない。
たとえ何者かの黒い計画の一端だったとしても、枢機卿のジルコニアがこちらには付いているのである。
そして大事な面会を放り出してまで真実を暴くその姿は、ダイス教の『虚偽を許さない』という一節に符合して、神の子の面目も保てるのだ。寧ろ支持率は向上するに違いないと下衆っぽく笑ってみる。
大丈夫だ、正義はこちらにあると保身的なことを必死に言い募り、精神を安定化させた。
しかしナタリア達が自主的に救助に来るまで、暇を持て余す訳である。
だから現在、暇つぶしに辺りを散策している最中の有栖だった。
元来、有栖は好奇心の塊。
そのせいでダーティビル王国でも面倒事に首を突っ込んでしまったりしたが、未だ懲りていないようだ。
これまで、降り掛かるそれらを全てを挽回してきたからだろうが。
……――……――……――……――……
「……ここ、もしかしてダンジョンか?」
足元が岩肌めいて悪路であることに顔をしかめながら、ポツリと独り言を漏らす。
散々煩わしいと思っていた周囲の雑音が、ここに来て恋しくなったのかも知れない。
──んなことはない。ねぇから。
去ったサヴァンが残した書物には、ダンジョンについての記述がある物もあった。
趣味と興味からそれに目を通していた有栖は、見回しながら徐々に確信を強めていく。
自然発光する壁面は十分にその証左であり、ただの洞窟でないのは明白だ。
──ってこた、ミリスにダンジョンがないっつー認識は正しくなかったってことかよ。けど誰の心にも淀みがなかったことを考えると、これも知られざる真実だったってことか……未知の発見、良い響きだ。
ずんずんと進みながら、有栖は物珍しさから薄暗い場所を覗き込んだりする。
一直線とは言え、距離が足りず分かれ道と形容するに値しない窪みはそこら中にあるのだ。中には、有栖でも入り切らないような穴ぼこまで。
RPGでは道具の取り零しがないよう、執拗に辺りを歩き回る性格の有栖だ。
有栖の場合は慎重さではなく、単なるケチな性分と好奇心から来るものだったが。
「分かれ道……」
暫く歩くと、三叉路に差し掛かる。
大雑把に道の方向を区分するとしたら、右側、真ん中、左側となるだろう。
右側の道は急勾配の地面の上にあり、真ん中の道は下り坂で、左側の道は今だがまでの道にそのまま繋がっている。
……ダンジョンなのに、最後まで一本道なはずねぇわな。
少し足を止めた後、意を決して右側の道へと向かう。
馬鹿と煙は何とやら、有栖は高い方を選択したのである。
履いた靴のヒールこそ高くないものの、普段では坂道にも遭遇しないため登るのに苦労した。
幸いだったのは、身を重くする装飾品を付けていなかったことだろう。
有栖の装身具は白ローブと、中に着込んでいる同色のワンピースドレスのみ。重量のある剣を持ち歩けるほどの筋力はないため、あの剣は暗がりに隠していた。
後々、尤もらしい理由を付けて回収する腹積もりらしい。
実にみみっちい。
傾斜のある地面を這うように登ると、更にその先にもまた道が続いている。
先刻までのより洞窟天井が下がった所のようで、通路としての意味合いが強い坑道を連想させた。
少し歩くだけで、脇道が一つ二つ何処かへと伸びているのを認めた。有栖の肩幅より僅かに広い程度の、まるで小路地のような道だったが深追いは止めておく。
その理由として。
──マジ迷路って感じだな、こりゃ。……別に俺は方向音痴じゃねぇけど、そろそろ進むの止めた方が良いよな。別に俺は方向音痴じゃねぇけど……流石にモンスターとか出てきたらヤバいし。
「よし、戻るか」
チキン有栖は怖じ気ずいていた。
確かに未知の探検とは男子一般の胸躍る言葉ではある。しかし臆病者の場合は我武者羅に走っていると、不意に我に返って恐ろしくなるときがあるのだ。
ちょうど、夢から醒めてしまうように。
迷宮を冒険する昂揚感から醒め、現実をそろそろ直視し始めたのだった。
それにしても早過ぎやしないか。
取り敢えず引き返し、落下地点とあまり距離を空けないようにしなければ。
そう思って、早々と踵を返そうとした。
そのときから、微かな違和感があった。
例えるならそう、有栖が面会前に感じた緊張感を心の器に流し込んだような。
洞窟内部では無論、その要因はない。
だがそれは段々と胸にのし掛かり──。
────圧迫感。
圧迫、圧迫、圧迫、圧迫、圧迫、圧迫。
まるで心臓を圧し減し潰し、握られる錯誤を味わう。
急激に増加していく胸部への異常な圧力。
その現象に、込み上げる
「なぅ、ぐ……ッ!」
堪え切れず、小さく呻きを漏らす。
華奢な身体はいとも容易く崩れ落ち、へたり込むようにして尻を付く。
ひんやりとして、尚且つ荒れた硬い突起物ばかりの地面は少女の柔肉を突く。
有栖の敏感な肌には刺激が強いものの、そちらを気にする余裕はなかった。
不意を突くような身体的苦痛には有栖と言えども流石に弱い。
──んだ、いきなり……っ!?
唐突すぎる容態の急変に目を回す。
前兆は一切なかったはずだ。
無論、持病など健康優良児の有栖にある訳がない。不良品なのは中身だけだ。
だからこの異常は自然的なモノではない。
そして、この感覚は断じて有栖にとって
この胸に灯る『郷愁』を、知っている。
「──アリス様! 何処にいらっしゃいますか、どうか御返事を!」
違和感に思い当たろうとした途端、木霊する女声ではっと外界へ意識を向ける。
洞窟という空間では反響して聞き取りづらくなるものだが……確信した。
これはお惚けナタリアの声音に違いない。
もうついたのか! きた! メインナタリアきた! これで勝つる──などと外国語を巧みに使いながら、テンションを上げる。
丁度良いタイミングの救助に、有栖は紛れもない自らの幸運に感謝した。
ステータスの低数値の中で割と高いのは伊達ではない。そもそも有栖は神に愛される少女でもあるのだから当然ではあるが。
欠片も羨ましくない。
「アリス様! 御返事を!」
ガウスらしきドスの利いた声も、辺りに響いている。有栖の警護を任されていた四ノ目機関は、おそらく総出で来たのだろう。
ナタリア、ガウス、後もう一人。
──とと、こうしてる場合じゃねぇな。
胸への圧力は依然とあるものの、安堵がその苦痛を和らげる。気がする。
その隙に神の子としての意地で立ち上がって、有栖は自らの着衣を整えた。
自らを超人と振る舞う有栖は、四ノ目機関の誰にも弱みを見せる訳にはいかないのだ。
臀部の服に付着した土を払い落とし、表情を怯えていたそれから、毅然としたモノへと変える。
習慣と化した『優雅に見せ掛ける演技』は如何なる場合でもクオリティの劣化はない。
こんなモンか。じゃあ俺は予定通り見回ってる風で演じるか……。
唾を飲み込み、口を固く結んで、圧迫感を必死で堪える。
先刻から有栖が返事をしない所以は、威厳の面でもだがそのせいでもあった。
勿論有栖が歩き回るだけの余力もやる気もないため、結果的に微動だにしない。
他人に発見されるまで待つ姿勢だ。
酷い他力本願だった。
ただそう呆と立っていれば、瞑想するように五感が鋭敏化されていく。
視界にはやはり不健康そうな青白い光と岩盤ばかりで、鼻を突くような臭いが蔓延している。
鼓膜に届くのは、何処からかそよぐ微風、些か乱れた己の呼吸、段々と大きくなるナタリアとガウスの声、響く幾つかの足音。
ふぅ、と息を吐く。
もうすぐ小さな冒険を終える寂しさと安堵とが混ざったような感情が渦巻き──
──あ? 何かおかしくないか?
呼吸を一瞬止め、駆け抜けるように思考が過る。
このダンジョンにおいて、有栖自身が出す砂を踏み付ける音と、ナタリアたちが声を発する以前では殆ど無音だった。
だからそれは、
ナタリア達が足音など立てるだろうか。
城内では【蒼き乙女は影を歩まず】のスキルをわざわざ使用してまで、無用な音を立てなかったのに?
悪路を移動する際に役立つそのスキルを使用しないことが、はてあり得るだろうか?
そもそも足音は緩慢で、駆ける様子が一向にない。信者達ならば必死に捜索するはずだろう。
今更ながら違和感だらけだ。
……不安が迫り上がってくる。
──不穏が迫り来る。
そんな躓きを経たせいだろうか。
有栖は、ようやく思い出す──この『圧迫感』の正体を。この感覚の正体を。
それと同時に、ほんの僅かな
そいつはきっと、一向に有栖が返事をしないため、既に遠くへ進んだと思ったのだろう。
比較的近場で冒険を中断した、意気地なしに聞こえる音量だった。
「…………くっ、けけ、矢張り廃棄物なのだな。語彙が単調だ、此れでは早々に勘繰られる。急がねば、アリス・エヴァンズが
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