9 『前準備』
「そう言えば……先ほどメフィレスと相対した際、ふと疑問に思ったのですが。貴女は確か、ダーティビルのとき獲物はレイピアでしたよね? その長剣、舐めプですか?」
「……? ナメプ、とはどのような言葉かは寡聞で聞き覚えはないが、僕の本来の武具はこの剣だ。ダーティビルの前の仕事で、これを破損してな。暫く修理を頼んでいた」
「ああ、ではあのレイピアは貸与された物ですか。納得しました──それはそれとサヴァン、一つお使いを頼みたいのですが」
「ああ、はい」
その日の午後に有栖は不思議そうな顔をするサヴァンを呼び止め、紙切れを渡す。
「この紙に書いてある物を即急に用意して、私の元に持ってきて下さいね」
「承知した(生活品、魔石、果物、御守り……何故にこんなものを要するのか、聞いた方が良いだろうか?)」
「特段、気にする物でもありませんよ。殺風景な部屋のインテリアに使いたいだけですし」
「(常人とは懸け離れたセンス……ではなくて!)アリス様、唐突に心読んでくるのは止めて頂きたい……あと、僕は貴女のことを決して貶した訳ではないので……その」
「私はそう狭量ではありませんよ、見逃しましょう」
予定外に変質者が出現したりしたが、本来なら有栖にはそんな物に関わっている時間も惜しいのだ。
なにせ差し迫った問題として、二日後に控えた会食がある。
無論、美味しい物を食ってさよならするだけのイベントではない。
参加者は皆敬虔な聖者やミリスの上役であるとは言え、腹の探り合いや野心家の貴族連中はゼロと言い切れないのだし、容易く面倒ごとに呑まれる確率は寧ろ高い。
当然ながら神の子の奇跡、神の常人ならざる力を見せる場面があることだろう。
……そうなったとき、今の俺は道具もないわ、技術もないわ、魔術の才能もないわ、で爆死するのは死んでも嫌だ。つーか、死ぬから嫌だ。だから道具集めて小細工しねぇとな。折角、俺もミリスとかダイス教の本読んでるわけだし、そっから利用しない手はねぇ。
画策する有栖は黒い笑顔を浮かべているのだが、他者から見れば天使の微笑みにしか見えない。
これはもう詐欺のレベルだろう。
それに見送られサヴァンが出て行くと、独りきりとなった有栖は一つ嘆息をした。
寝台に飛び移る元気もなく、だらしなくカーペットの上に身を横たえる。
床に素肌を晒してはいないため眼が覚めるような冷たさは感じないが、何だか心が落ち着く。
それはきっと、見下すより地面を這いずる方が有栖にはお似合いだからだろう。
と、その話は置いておこう。
カーペットの模様の一点を見つめて、呆としながらも脳内を整理する。
ここまで有栖が疲労している所以には、『強欲』との対話──対話と言って良いのだろうか──改め、独り語りに付き合った精神的な疲労もだが、二日後からの前途多難さがあった。
サヴァンに買い出しを頼んだ道具で狙った現象が起きるか否か、それは本の内容の正否で決まる。
加えて、それが正しかったとして看破されない保証は何処にもない。
……しかも、まだ俺にとっての厄ネタは飛び切りのがあることも分かったしな。
──神聖ミリス王国。
東側が宗教国家でありながら西側の王権と奇妙な協力関係をとる歪な国。
国王と教皇の権限、権力は共に同等、しかし無意味に足を引っ張り合うことがない理由がある。
その上の権力を持つ絶対不可侵の『神』が確固として存在するからだ。
これは比喩でも何でもない、事実としてそうなのだ。
タウコプァ神と
言ってしまえば、ミリスの中央に築かれたサルガッソ宮殿はそれを安置するためだった。
よって教皇も王の手元にないよう、大河の真ん中の孤島をその場所に選択されたのだ。
国の大事で神の御言葉を賜る機会がない限り、本来ならばこの場所は絶対不可侵である。
そんな神聖たるそこに、今は使用人やジルコニア、そしてメフィレス等々の東側の人間がいる。
恐らくは西側の王権派の人間もいるだろうが──このような事態に陥っているのは、当然。
「俺のせい、か。んな神聖な場所を居住地にして良いとか、神の子じゃねぇと駄目だもんな」
使用人の寝室もあったがそれは宮殿の立地が、頻繁に出入りさせない類いだから特例だろう。
舟で一々往復するのも面倒だし、それならば住み込ませた方が良いという判断か。
サヴァンの書庫の件は少し引っかかるが、後で尋ねてみることにしよう。
特に重要なことでもないため、今は放置しておくが。
そうだ、本当に大事なことは別にある。
──つまり因縁の神、もしくは有栖と同じ顔貌をした女神と対話するかもしれない、ということだ。
タウコプァ・エヴァンズという名が陵辱神の物ではないため、きっと本当のタウコプァ神と初めてお目見えすることになるのだろうが……ここに、どうしようもない問題が立ち塞がる。
……本物は俺が神の子だってのが『嘘』だと知っている。
有栖を神の子に仕立て上げる企画制作は全て、あの変態神が勝手に行っているのだ。
何の関係もないタウコプァ神が話を合わせてくれる確証はゼロ、間違いなく断罪される。
公衆の面前で八つ裂きにされるところまで想像して、有栖は悶えながら頭を抱えた。
クソったれ、何で俺がこんな目に遭わなくちゃならねぇんだファック糞神! こんな善良な俺が何をしたっつうんだ! 最近何もしてこねぇから結構、俺も安心してたのに!
具体的には、散々人を見下したり、神を侮辱したり、神の子と騙り続けて裕福な生活を満喫していたり、あたかも自分が強者のように振る舞い、あまつさえ過去にはミリスの精鋭を先導して、国家を混乱に陥れたりしていた。
箇条書きすると、まるで紛れもない大悪人である。
であれば、報いも仕方がない──などと浅ましい有栖が思うはずがない。
「……乗り切ってやる」
ぽとり、と零れた言葉には有栖の憤怒、反骨精神、哀切、全てが詰まっていた。
苦難はでき得る限り避けたいのが本音だが、退くに退けない、だからこそ。
乗り切り騙し切り、そして今の地位にしがみついてみせる、と。
第一の山場を前にして、有栖はそう欲望塗れの決心を固めた。
右拳を精一杯に固めながら、
「あの、神との対話魔具、ぶっ壊してやる」
有栖は根本的に脳筋であった。
その無駄な筋肉を他の部位に分けられれば良いのだが。
会食までの間にできることは、自身の知識を増やすことだけだ。
今更筋トレしたところで無駄でしかない。
よって有栖は昼夜を通して読書漬けで、元の世界でもこんなに長時間目を通したことはなかった。
実際に有栖は頭痛と吐き気で半グロッキー状態である。
けれども有栖は努力を惜しまずミリスとダイス教の知識を蓄え続けた。
死に際に瀕すると途端に必死で、勤勉と努める有栖は褒められるに値するだろうか。
そもそも本格的に露見する疑い出るまで、ずっと怠惰を貪っていた自業自得なのだが。
身につけるべきことは山積していた。
粗相のないようミリス流の礼儀、食事のマナー、またダイス教の教義に反しないようその勉強も。
今に至るまで徹底的に話題を避けてきた、貴族との立ち回りや、注意すべき貴族間の関係をサヴァンから教授してもらった──避けてきた理由は、複雑そうだし汚そうだし面倒臭そうというモノ。
元高校生としては妥当な思いではあったが、今となれば我儘を言っていられない。
二日でこれを為す密集度合いは、計画性の乏しい小学生の夏休み最終日を連想させる。
徹夜は当たり前、地獄の二日間であった。
少女の身体が恨めしい。
体力もなく、虚弱体質一歩手前で、睡眠時間を削ろうものなら目眩や、貧血を起こしかける。
どうせ作り変えられるのなら、イケメンムキムキマッチョマンが良かった、と愚痴を零しながらも────その日を、迎える。
……――……――……――……――……
会食当日、晴天に恵まれ、早朝特有の少し肌寒い小風が窓から吹いてくる。
まだ日の斜光は青く、日本時間ではきっと六時かそこらだろう。
既に住み慣れた、有栖にあてがわれた一室にて──新しい朝日の光を浴びながら。
「と、これで着付けは完了だ。アリス様、着心地は如何だろうか?」
「苦しゅうないです──サヴァン、この服装は私に似合っているでしょうか」
「……とても。一介の騎士である僕には、形容する言葉が見つからない程に」
「お世辞が上手いですね。まぁ、悪い気はしませんが──正装をした人に言う台詞ではありません」
自らも映る姿見を前にして、有栖は軽く口元を隠しながらころころと笑ってみせる。
姿見には、二人の女性が映っていた。
一人は、感嘆したように口が些か開けているサヴァン。
使用人の扱いだったとは言え、彼女の本質は有栖の護衛であるせいか、今日はメイド服ではない。
ダイス教のイメージカラーから派生して、世間一般で正装の色とされる白色を基調にした──燕尾服に近い服装だ。
異世界の常識でも男装に当たるモノらしいのだが、サヴァン曰く、「僕は女である前に騎士だ。場を弁えなければなるまいし、何より僕が女性服を着たら……恐らく後々、八騎士の連中が囃し立てる」と、苦虫を潰したような顔をしていた。
そしてもう一人は──天の使い、と形容せん美貌と、可憐さを惜しげもなく晒す少女。
紛れもなく神が造形したあどけない顔形、艶めいたウルトラマリンの長い髪、穢れを一切感じさせない純白の神官服──のようなモノだ。
有栖のために特別に誂えたらしく、正式な呼称の仕方は『聖衣』だろうか。
服の前方に描かれた正四角形を象る模様には、ふんだんに金箔が使われているものの、他の部分に白以外の彩色はない。
袖が少し余っており、足元も全てが隠れてしまうような大きさで非常に歩き辛い。
寸法を間違った訳でなく、単純にこの加減がこの服の正しい着方のようだった。
中世の無駄に長いドレス的なアレだろう。
全く変なファッションだ……と文句を吐き出したい有栖は、被り物の位置を改める。
無論、それはカツラの話ではない。
有栖の頭にはカツラの上に、三十センチ程の高さがある帽子が乗っているのだ。
これも聖衣の一部らしく、正方形をなぞらえた金箔の模様がある。
何より、重い。
……亀みたいな仙人の下で修行してる気分だクソったれ。
そう毒づくも、そろそろ時間だ、と有栖はサヴァンの方へと振り向きながら、
「言った物は?」
「準備しておきましたが……」
「なら、良いのです」
訝しげな彼女の視線を黙殺しながら、有栖は出発を告げた。
──気合い入れて行くか、俺の生死は今日左右されるんだ。
「それでは、会場に参りましょうか」
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