10 『華美の宴 上』

 一フロアだけだった行動範囲の外に出るのは、何気に初めてであった。

 真夜中にジルコニアと遭遇した大扉を、今度は堂々とサヴァンが開け放つ。

 その先には当然、見覚えのある石造の立方体な作りをした小部屋だ。

 奥には、思い出すと寒気がするような幽霊達が上って行っていた階段が上下に続いている。

 

 あの夜に明かりの役割を果たしていた、松明の形状をした照明器具に炎は灯っていない。

 しかしその割には窓がないため、少し薄暗い。 

 有栖は左右の壁に設置されたそれらに指差して、 

 

「……この照明、本物の松明なのですか?」

「まさか。それは魔石燃料の単なる照明器具だ。飾りだよ」

 

 事もなげにサヴァンはそれらを一瞥する。 

 魔石、という概念は言ってしまえば『特殊な石に魔術を込めて作られる、携帯用魔術発動石』だ。

 例えば、石に【灯火】の魔術を込めたとすると──魔術を行使せずとも、石に念ずるだけで【灯火】の効果を発現させることができるのである。

 その場に魔術師がおらずとも、魔術の効果を現出できる──それは非常に有用な技術だった。

 異世界では専ら、手榴弾や武器として扱うことは勿論、市場にも生活必需品として出回っている。

 風呂の文化などが市井に根付いたのも、水属性の魔術を込められた魔石が安価で手に入れられるからなのだろう。

 魔術文明の利器って奴だな。魔術が使えねぇ奴でも、擬似的に再現できんだ。

 

 有栖は「ふむふむ」と頷きながら、部屋を通過する。

 だぶついて余った裾が、ざらついた床に擦れて歩き難いことこの上ない。

 貧弱な筋力では、まるで囚人のように足首に鉄球でも付けられているかのようだ。

 無駄に馬鹿長い帽子のせいで、首の負担も深刻である。

 ……このデザイン考えた奴誰だよマジで。俺の了解とか取れよ、俺の首とれたらどうすんだよ!

 デュラハンのような暴言を吐きつつも、澄まし顔は崩さない有栖だった。


「……それはそれとして、もう一度尋ねますが準備は万端ですか?」

「ああ、既に仕掛け終わっている。合図して貰えれば即時発動可能だ……が、何故あのような真似を?」

「最初から言っていますが、サプライズですよ。だから、私が許可するまで秘密ですからね?」


 そしてサヴァンが先行しながら二人は石造りの階段を上っていく。

 螺旋階段のようにぐるぐると渦を巻く構造になっているようで、見上げれば階段の行く末が見える。

 そう遠くはない。

 久方ぶりとなる高低差のある地形の移動で、若干体力を減らす有栖はほっとする。

 有栖の住処だったフロアは五階建ての宮殿でいう四階に当たっていた。

 本来なら最上階に神の子である有栖を宿泊させられるところだったのだが、上手くいかない事情がある。

 最上階の五階は、特別な一部屋を除き、細かい部屋割りがなく一面大ホールとなっているのだ。 


 ──そして、そこが此度の会食会場である。


「……アリス様。この会食が終わったなら、大事な話がある」

「露骨な死亡フラグを言わないで下さいよ。縁起でもない」

「──大事な、大事な話なんだ」

「?」

 

 硬い口調のサヴァンはそれ以上告げず、黙々と上へと行く。

 奇妙な様子の彼女に、心眼を咄嗟に発動してみたのだが(契約違反だというのに馬鹿な事を)だの(僕は騎士。【熾天の七騎士】の一人だ。信用を落とすような事など避けて然るべきのはず……だが……)という実にならない葛藤ばかりが思考を埋め尽くしていた。

 事情を今聞くかと思ったが、既に遅い。

 

 

 最上階が、もう眼前に迫っていたのだ。

 

 

 ……――……――……――……――…… 

 

 

 有栖が階段の最後の段を踏んだとき、異様な静寂が辺りを包んでいた。

 階段の終端は大ホールの中央にそのまま繋がっているため、会食会場入りを既に果たしたも同然なのだが。

 普通、パーティは談笑やらして騒ついているはずなのに──何も聞こえない。

 学舎の体育館を思わせる広さの大ホールは、豪華な飾り付けなどはなかった。

 多数の円形テーブルと、ダイス教の建物特有の真白な壁面と天蓋。 

 だが不思議と殺風景な感じはせず、派手では決してない、静粛とした佇まいを漂わせている。

 

 あら、と有栖は狐につままれた気分できょとんとする。

 肥大化した自信過剰の塊たる有栖は、自分が姿を見せれば「わーきゃー」ちやほやされることを想像していたのだ。何だこいつ。

 シュミレーションとは違う反応に有栖は拍子抜けと共に落胆した。

 取り敢えず周囲の情報を拾おうと、視線だけで大ホールの現状を見渡す。

 が、その瞬間。この場の有栖は半分フリーズした。

  

 最高級だろうシックな純白の絨毯の上には、料理を乗せたテーブル以外の物体が大量に転がっていた。

 いや転がっているという無造作な表現では不適格だ。

 乗っている、置いてある──そのような表現が相応しい物が数十ある。



 それはまるで、いやまさに、人の五体投地であった。

 

 

 ダーティビルで神の子宣言した際も、あの白ローブ達は五体投地していたことを不意に思い出す。

 ダイス教において最大の敬意を表す方法は五体投地なのである。

 十中八九、異世界人から流入した仏教の影響だろうというのは容易に想像できた。

 勿論、有栖もその知識は二日前から徹夜で脳に叩き込んだ勉強で分かっていた。 

 

 しかしこれに関するチヤホヤされたい有栖の反応は、うわぁマジかよ、である。

 まぁ無理からぬ話だ。 

 全員が純白のローブを被る数十名の見知らぬ男女が、微動だにせず静止して土下座中。

 初見なら不気味で怖いのだし、宗教心の薄い有栖としても気持ち悪くて敵わない。

 

 それでも有栖は慈愛の目──実際には冷めた目──を向けながら、ホールの前方へと歩を進める。

 どうも五体投地の人の群れは、前方にある舞台までの道を示すように自然と空いていた。

 だから有栖はただ、当然といった面持ちで人の平伏した間を通る。

 

 清く優雅に、貞淑さをあたかも持っているが如く、緩慢と。

 誰一人有栖を見る者がおらずとも、手は抜かず、視線は彷徨わせない。

 音は立てず、それでいてしっかりと踏んで進む。

 五体投地の状態でも、有栖の足元を覗き見ることは可能だ。

 それが不敬だとしても取り締まる者も、皆仲良く地面に伏せているため誰が見ているか判らない。

 よって堂々と、計算尽くで気丈な神の子を演じた。 

 

 耳を澄ましていると、嗚咽交じりの小声が耳朶を打つ。

 

「……御目見得した事、神に感謝を……ッ」

「……私は幸運だ…卑小な私の生の内に、斯様な方を見られるとは……」

「……ああ、我らの満願成就が天から降ってくるとは神の御意志か……」


 うーん、俺の想像してたアレと違うけど尊敬されてるんなら悪い気はしねぇぞ、うん。

 辟易しながらも自分を納得させながら、果たして有栖は舞台に辿り着く。

 大ホールの前方には一メートルは高低差のある舞台──壇がある。

 

 そして、と。

 有栖は、壇上の奥の二十ほどの大理石で作られたかような白色の階段を見上げた。

 そこの先にやはり穢れなき純白の巨扉が、圧倒的な存在感を放っている。

 ──あれが、神と対話する魔具が置いてある部屋への扉か。へけっ、質屋に売ったらどれぐらいだろうな。

 

 それで視線を切ると同時に、頭を切り替えて為すべきことに集中する。

 舞台脇の緩やかな段差を上ると、壇の中央へと迷わず行き、向き直る。

 高みから大ホールと這い蹲る人々を一望する気分は有栖的に「最高」の一言だったが、何時までも悦に浸ってはいられない。

 厳かに、張り上げるのではなく、良く通るような声音で、


「──どうぞ、面を上げて下さい」

 

 威厳ある命令口調も考えたが、ダーティビルでは丁寧語で宣言をしてしまった。

 統一しなければキャラブレだと信奉者に叩かれかねない。

 万が一にでもその可能性を潰すために、有栖は公的な場においても丁寧語を心掛ける。


「私の初の目見えとなる方もいらっしゃるでしょう、改めてこの場で挨拶を。……アリス・エヴァンズと申します、偉大なるタウコプァ神の子です」


 とりあえずこういう挨拶に、偉大とか付ければ万事解決と思っている有栖。

 経験と語彙のなさが如実に表れている。

 しかし平伏していた聖者と貴族達は、一言も聞き逃すまいと顔を上げながらも耳を澄ましていた。 

 有栖の言葉選びは単純だったが、神の子の威厳と気品、溢れ出る高潔さによって見事にカバーされているのだ。  

 

「此の度、私と見えたいという方々が斯様な催しを開いて下さって……ありがとうございます」

 

 ダイス教曰く、謙虚であれ。何者であろうとも感謝の気持ちを忘れるなかれ。

 教えに従い、有栖は腰を折っておもむろに頭を下げる。

 

「私は神の子、救世主として生まれ落ちた身。ですが歳浅く、ダイスの教えについて修行が足りておりません……至らない所もございますが今後とも宜しくお願い致します」

 

 露骨に予防線を張っていく姿勢。

 万一下手を打っても多少なりとも大目に見てくれるように、歳を話題に上げる。

 何と小狡い。


 

「この私の自己紹介と、最後に私が少しばかり力を使って、会食開始の音頭とさせて頂きます。聖典曰く『汝、火を以って喝采せよ』です。────【灯火】」

 


 ──それは、爆裂であった。



 有栖が手を挙げた瞬間、少女の背後から巨大な灼熱と眩いばかりの閃光が迸ったのだ。

 橙色と真紅が爆発的に壇から発せられる。 大ホールの端に寄る者には、球形の巨大な『火の玉』に見えたことだろう。

 大ホールを席巻するのは轟音と突風。 

 テーブルは無論食事まで纏めて舞い上がりそうだったが、半球状の薄緑の膜──風除けの魔術のようだ──が防御している。

 誰か、食い意地の張った聖者でも紛れ込んでいるのだろうか。


 それはともかく、不可解な点がある。

 初級魔術【灯火】は説明文の通り、しょっぱい炎を出す魔術に過ぎないはず。

 だが現出した現象は『爆発』だ。

 似ても似つかぬ不一致はしかし、一つの憶測に繋げることができるだろう。


 威力が規格外すぎて【灯火】が凄まじい爆発を起こした。

 すなわち「今のは上級魔術ではない、初級魔術だ」という奴だ。 


 鼓膜が割れんばかりの音に耳を塞ぐ者はいない。

 不逞な輩の襲撃だ、と勘違いして臨戦態勢になる者もいない。


 ただ、あまりにも凄絶な想像に呆然とする者ばかり。

 ただ、その可能性が高いと目して圧倒される者ばかり。


 皆は身体も吹き飛びかねない豪風を堪えながら、尊敬と羨望を一点に集めていた。

 その所以は一つ。

 

 

「それでは、開幕です」

 

 

 風に舞う純白の帽子、その持ち主の少女の聖衣は荒ぶ強風に煽られている。

 

 そんな只中、逆光で影になった少女の二つの瞳が──カッと絢爛な黄金色に輝く。

 

 淀みが一切ない言葉は少女の心を表すように澄んでいて。

 

 猛る火炎を物ともせず直立している姿は頼もしくて。

 

 胸を張りながら動揺一つ見せない少女は、まさに神々しく凛々しい姿──。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──ああも、めっちゃ背中熱い熱い熱い! 死んじゃう、死ぬ! 死にたくねぇ!

 実際にはこんなことを思っていようと、心眼なき他人に読み取れるはずもない。

 ちなみに有栖は現在、HP体力:67/120 

 控えめに言って、まだ半分。

 辛辣に言って、何で自分が計画した演出で半分死んでるの?

 何故に開幕から自殺に走っているのか。

 何故に爆風に耐え切れているのか。

 そもそもHP67で気絶しない物なのか。

 

 そこには大体、有栖なりの考えがあった。



 ……――……――……――……――……

 

 

 さて、ここで有栖の手口とこんな暴挙に出た理由を解説しておこう。

 勿論ちんけな有栖が大魔王のような魔術を習得した訳ではない。

 子ども騙しの、単なるまやかしだ。


 時系列で遡るとすれば、サヴァンにお使いを頼んだときが最初に当たる。

 あのとき有栖は「神の子の力を見せつけるイベント」を警戒して、何とか上品で派手な誤魔化し方を探っていた。

 話題逸らしや、心眼でその兆候を把握しながら逃げ続けることも考えたが──いつか誰かが疑念を持つのは避けられない。

 実力をいつも見せないことは、実力が『ない』とほぼイコールだ。

 であれば、時折その実力を見せつけることが肝要である。

 眼前で奇跡を起こせば有栖を偽物だと看破される恐れはぐっと低くなり、信仰も厚くなるだろう。

 また自発的に行動を起こし、不意な状況下での力見せつけイベントを回避できるはずだ。

 そう、きっとおそらく、そうだったら良いんじゃないかな。

 その推測に推測を重ねた結果もう根拠が行方不明の下に、開幕から無茶したのだった。

 

 だがレベルもない、魔術の習得も芳しくなく、才能の欠片もない、おらこんな身体やだと歌い出したくなるほど、有栖の能力は手詰まりだった。

 そこで目を付けたのは魔石である。

 存在自体はダーティビル王国の頃から認識してはいた。

 王国派にジャラ達と与している間、風呂の原理を尋ねた覚えがある。

 けれども手に入れる機会がなく放置状態だったのだが、今回サヴァンに買いに走らせて入手したのだ。

 

 魔術に見せかけたいのなら、魔術を擬似的に再現できる魔石を使えば良い。

 それも大量。二、三十個の魔石を一度に発動させて、強大な魔力量による魔術と錯覚させる。

 

 種を明かすまでもなく単純な手だが、案外とバレないモノだ。

 大きな理由は二つ──一つは、こんな場面でそんな真似をする馬鹿などおるまい、という常識。

 二つ目は、いつもの神の子という名前、加えてダーティビル王国での強者アピールの情報が伝播しているため「強者がこんなところでハッタリ使う訳がないとほとほと呆れるばかりだが、どこもおかしなところはない」という先入観を利用した簡単な詐欺。

 仕掛けと仕込みは、サヴァンに心眼を使用しながら頼んでおいた。

 年頃の少女っぽく上目遣い、素朴さが出るように

 

「ええ、サプライズですよ。実は私、魔術は体術に比べて不得意なのです。皆さんを惹きつけるような演出をしたい……でも体術だと派手さに欠けると思いませんか? 暴力的ですし……何より、手加減ができずに一撃で風船みたいに破裂させたらそれもう死神の子とか呼ばれますし。ですから! その、魔石で爆発とか起こすのは」

「…………分かった。僕も協力しよう(結構えげつないなアリス様……)」

「あ、ありがとうございます。あとそれと、もう一つ頼みがあって……このことはその、内密に」

「ああ承知している。約束だ、絶対に守る(アリス様の心延えだ。その種明かしを僕がするのは道理ではない)」

 

 やったぜ。 

 と、まあ力技で上手く共犯関係に持ち込み、遠回しな脅迫でミリス上層部への密告を事前に塞いだ訳だ。

 それにしてもサヴァンも子ども好きなのか扱い易くて助かる。

 事前から有栖はサヴァンを上手く操縦するため、高慢ちきな言動の合間に子どもっぽい演技を挟んでいた。

 それで彼女に有栖の性格を「横暴な面もあるが、普段は如何なる時も冷静で、不意の出来事にも動じず、正義を為す神の子たる尊敬できる人間。ただ性根は天真爛漫な少女」と思い込ませるためだ。

 実際には有栖は真逆の人間性だが、世の中知らない方が幸せなこともある。

 

 爆風対策は【風除けの御守り】という魔具による物だ。

 これもサヴァンに所望した道具の一つである。

 形状は、ボロ切れを縫い合わせて出来たみすぼらしい巾着袋だ。

 無論、その中身の小指半分の大きさの木っ端が【風除けの御守り】の本体である。

  

 〜〜〜〜〜〜〜〜


 【風除けの御守り】

 風の精霊シルフィードの加護を得た木片。EE級魔具。

 シルフィードと交渉し、加護を得た物質ならば木片で無くとも風除けとして成り立つ。

 シルフィードは天真爛漫で、精霊の中では交渉し易い事もあってか精霊術師見習いの貴重な収入源である。

 だが飽く迄、市場に流れる九割は所詮見習いの練習品のため質の良い物は珍しい。

 錬磨度合:14/100


 〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 サルガッソ宮殿は言わずもがな、サヴァンが雇われているダイス教の神殿から物を拝借するのはリスクが大きかったのだ。要らぬ嫌疑が生まれてしまう。

 よって市井に買いに行かせたのだが、やはり練磨度合が劣悪だ。

 サヴァン曰く、これでも上質な部類らしい。

 今まで何気に王族の物しか扱ったことのない有栖には驚きであった。

 練磨度合の目安は、剣で例えるとおおよそ二十までがなまくら、五十まででようやく凡百、八十に届くと名剣とサヴァンが得意げな顔で語っていた。

 つまりこの魔具の出来は下の下という訳だ。

 

 そのため風除けが完璧に作動せず、帽子は飛ぶわ、服は靡くわ、姿勢を崩すまでにはHPはごっそり減るわと散々だったのである。風で瀕死の人類とかどうなっているのだろう。

 ただそのおかげで迫力は増したのは怪我の功名と言わざるを得ない。

 実際のダメージを被ったおかげで、迫真さが増したのではなかろうか。

 

 無計画と言っても差し支えない有栖の計略は、何故か成功してしまうのだった。

 ミリスにおける神の子補正が利き過ぎである。

 

 

 ……――……――……――……――…… 

 


「誠に素晴らしい開幕の御言葉で御座いました……」

「ジルコニアさんですか、身に余るお褒めの言葉ありがとうございます」

「いいえ、そんな御謙遜を」

 

 つるりとした清白の杖を突きながら、ジルコニア・ヨグ・ペトロフは曲がった腰を更に折り曲げた。

 とりあえず有栖は和やかに微笑んでおく。

 

 開幕後、蟻の巣に角砂糖を落としたように有栖の元へ人々が群がった──それこそ参ってしまう程に。

 揉みくちゃにされるような粗野な態度ではなかった。

 しかし上流階級らしく、上品に数十人から迫られると流石に困惑する。

 賑やかになったのは何よりだったが、付き人ポジションのサヴァンが生憎と視界にいない。

 クソったれ何で肝心な時にいねぇんだよ、と舌打ちしたい気分に駆られていた。


 そんな危地にて、混乱を諌め、沈静化させたのは教皇を除くと最高位の地位にある枢機卿ジルコニアだったのである。

 形式ばった混じり気のない白のローブ姿、人の良さが垣間見える顔つきは実に聖職者たらんとしていた。


 ……何の用だろ、別に人払いしたかっただけって訳じゃあなさそうだが。

 有栖の疑念は的を射ていたようで、ジルコニアは声を潜めて、


「少し、宜しいですかな……?」


 と、人目を憚るように耳打ちをしてきた。

 

「何でしょう?」

「……既にメフィレスの事は聞き及んでいるかと存じます。奴の勝手を許した我々に非が全面的に御座いました事を陳謝致します……まっこと申し訳御座いません……」

「頭を上げて下さい。彼も悪気があったのではないでしょう」


 あったのは所有欲だけだったが。


「なんと寛大なる御心遣い……感謝致します」

「彼の処分は如何に?」

「謹慎と研究費の削減で御座いますが……」

「それはそれは──うちの従者が大変な迷惑を。私は諌めようとしたのですが、報告しなければと言って……」


 白々しい奴だ。

 内心で満面の笑みを浮かべている癖に。


「いえ、其処まで慈悲を御与えになるのは……彼もダイス教を信奉する誇り高きミリス人の一人。無作法な態度は己から改善するでしょう。後一つ、御伝えする事が御座いまして──」


 そうジルコニアが話を変えようとした丁度そのとき、有栖はさり気なく近付いてくる三人の白ローブを察知した。

 頭巾で顔も隠れており、無論ローブの上から身体のラインを想像することもできない。

 ただ分かるのは、端の一人が大男ということくらいだ。


 ……誰だぁおい、お話中なんだけど? 空気くらい呼めや無礼者クソったれ。

 クソとか言っている者に礼儀をどうこう咎められたくはない。


 視線を向けると「失礼ながら、御挨拶が遅れました」と、先頭の一人が急に口を開く。


 なんだこいつ、って、あり? すっげぇ聞き覚えのある声だな、と三人組に対する不信感が最大に達する。

 その一方でジルコニアは「その……」と言い淀みながら話を戻し、


「御伝えする事とはこれの事で御座いまして……彼ら四ノ目シノメ機関の回復と、ダーティビル王国での彼らによる度重なる無礼を働いた、その謝罪をばと」


 ん? まさかこいつら──。

 有栖の悪い予感は、概ね的中していた。


 三人組のうち一人がこう、女声で自らの素性を明かす。



「私、ナタリア・サザンニカと申します。右の大男、円らな瞳がチャームポイントな彼はガウス。左は、雑魚なのが特徴のライネス。我らはダイス教団の四ノ目機関という所属で、主に裏方の仕事に従事しています。アリス様とは、ダーティビル王国でお会いして──『保護』させて頂きましたが覚えていらっしゃるでしょうか?」



 ああ、俺はできるだけ忘れたかった。

 悲嘆に暮れる有栖は、眼前の彼らの正体が──ダーティビル王国で大暴れし、有栖が戦力として利用し、最終的には少女誘拐まで行った輩だと理解してしまった。

 テンションが大幅ダウンした有栖が、胸中で溜息を繰り返す。

 だが更にジルコニアは、ナタリアの言葉を一旦切って殊更に悪いニュースを告げた。

 


「アリス様。此れで四ノ目機関の主要三人の傷が癒えたので……代理として従者を務めていたサヴァン卿の任を解き、此れからは本来その役割をする筈だった彼ら三人を従者に就かせますので……何卒宜しくお願い致します」



「え?」

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