31 『神の子の聖誕日』
王宮の門、その正面に建造された即席の式場は惨状を呈していた。
耳を裂くような叫喚と怒声、混乱と憎悪の坩堝。
野卑な冒険者は白ローブの者達に襲いかかり、巻き込まれた者は逃げ惑う。
時折走る閃光は、白ローブの者達の魔術だ。
それと共に屈強な大の男も吹き飛ばされ、即席の建物の壁を粉砕する。
華々しい式を彩る飾りつけは、無数の靴に踏まれて土泥に塗れて汚されていく。
その無残な状況で、深青色のローブを纏う柳川明美は一般人の誘導を最優先にしていた。
持ち前の活発な声を張り上げ、危険なこの一帯から避難させるため魔術を行使する。
「こっちですっ! 皆さんはこっちの北方向の道にっ! ちょっとあなた達! 東方向のラバ川には行かないでっ! そっちじゃなっ──ああもう【燃え盛る火焔】!」
惑乱した一部の民衆が明美の忠告を無視し、東方向の街道に走る彼らの行く先に炎弾を射出。
爆炎を炸裂させ、彼らの動きを封じて首根っこを捕まえて避難経路に連れていく。
大人を運ぶのも可能だったのは、レベルアップで上昇したSTRのおかげだ。
「ほらっ、安全なのはこっち! ゴーゴー!」
道端で彼らから手を離すと、へたり込んだため急かして蹴りも入れる。
手荒な手段だったがこうでもしない限りパニックの人間を動かす術を知らなかった。
一応、半狂乱状態ではあったが効果もあるのだ。
飛び上がって避難民達は指し示した比較的安全な街道へと走り去っていく。
それを見て一安心するが、そうも言っていられない。
断続的な爆音は会場から地鳴りのようにしている。
「……う、うちも、そろそろ援護に入らないと」
状況的に正しい、今後の目的を口に出したが怖気ずく。
修羅場を経験している訳でもない、元一般人がどうしろと言うのか。
──うう、アルダリアさんこんなの聞いてないんだけどっ!?
途方に暮れかける明美へ、戦闘音に掻き消されないためか大声で声をかけてくる男がいた。
「避難誘導は俺達がやる! ヤナガワは援護射撃に入ってくれ……! 俺も限界だ……」
「ロリコン冒険者さん!? その傷っ!?」
革命派に属していたBB級冒険者の男は、右肩から鮮血を流しながらこちらに歩み寄ってくる。
ちなみに彼はサラの食堂の常連で、有栖を甚く気に入っている男だ。
元より小児愛好家という彼の噂は明美も耳にしており、そんな呼び名と相成った訳である。
本当の名前は覚えていない。
ロリコン冒険者は苦痛に歪む顔を、無理に笑わせながら、
「死にはしない、平気だ平気。……アバズレに人生の幕下ろされるなんて堪ったモンじゃねぇ、俺の最期は超美幼女、もしくは美少女にって決めてんだ……! 死ねっかよ」
「こんな状況なのにいつも通りっ!?」
「馬鹿めやはりババアか」
「ババ……!?」
「こんな状況だからだろうが。信念でも夢でも口にしてねぇと、ブルっちまいそうなんだよ」
ダンジョンで命懸けを日頃体験している冒険者が、弱音を吐くほどの劣勢。
アバズレ呼ばわりする男に一言ぶつけたかったが、そのような余裕もなし。
避難民は未だ大勢、この場に残っている。
白ローブ対、冒険者プラス騎士と魔術師のアルダリアに味方する派の争いは白熱する一方。
ただしこちらが力に圧倒されているのだが。
聖職者達こと白ローブ達は、歩を進めるのを止めない。
突撃し、魔術で砲撃し、集団で相対しようと無意味に等しい。
──空中に散り、白装束に色を付けるのはこちら側の真っ赤な血だ。
無双。
異常なこの戦力差であしらう彼らは、そうとしか思えない。
そもそも、果たして彼らの足止めもできる者がこの国にいるのだろうか。
今、雄叫びを上げて無謀にも突っ込む軽装の男がいる。
確かA級の冒険者で──結構皆のサイフとして扱われていた人だった。
ちなみに有栖にも見覚えのある男ではある。
『傲慢』との対峙のあと、祝いの席で弄られていた冒険者Aなのだ。
もっとも有栖が彼のことを覚えているのかは謎だが。
「おおおおぉぉぉ──!」
「ですから、意味など無い繰り返しは芸も有りません。出直しなさい【蒼き乙女の素肌は高貴也】」
「神聖なダイス教聖職者に野卑の者が触れるなど、二万年ほど早いのです」
詠唱される魔術で、無造作に男は弾き飛ばされ石畳を派手に転がる。
咆哮は悲鳴に変わり、その男は全身に擦過傷を付け地べたに突っ伏し、動かなくなった。
……こ、こんなのうちが行っても、どうしようもない。けど。
周囲の赤ん坊の泣き声や、鼻腔に充満する焼けた匂いを糧に歯を噛みしめる。
見てみれば、盛大に祝われるはずの式場には炎が燃え盛っていた。
誰かが放った火炎魔術を受け流され、着火したのだろう。
炎が煌めく破片だらけの式場は、王族が登壇する壇を残して阿鼻叫喚の地獄絵図。
震えて動けない者、逃走の機会を窺っている者、泣き出した子ども。
怪我をして立ち上がれない者、既に気絶した者、息絶えた者。
見るに堪えない光景に、明美も足が固まってしまう。
いっそ逃げ出したい。
異世界人で補正があるとは言えど、有栖ほど図々しくもなく、裕也ほど変態でもない。
柳川明美はごく一般的な高校生だ。
今にも恐怖で崩れ落ちそうな足を、必死に励ましているだけの。
アルダリアによる指導で何とか後退りはしていないものの、ただそれだけだ。
明美には既に、他の地域に逃走して生き抜けるだけの力量はあるだろう。
魔術師はどこでも重宝される人材と聞いている。
だから無理にここで絶望に立ち向かう必要性などない。
寧ろ尻尾を巻いて逃げた方が未来は明るそうだ。
……けど、けど。
きっとここで背を向ければ、自分は絶対に後悔する。
死ぬまでこの情景がしこりとなって心を巣食うに違いない。
一生罪悪感を背負って歩くか、ここで損得勘定を捨てて綱渡りをするか。
それを天秤に掛けてふと、思う。
あの心優しい幼馴染みならば決して、目の前の困っている誰かを助けるだろうな、と。
劇的な出来事もなかったけれど、平穏な毎日で培ってきた信頼できる彼に想いを馳せて。
決断する。
「ここで逃げてちゃ、うちは裕也に顔向けできないよね……っ!」
明美は漆黒に光沢を放つ杖を握って火中へと飛び込んでいく。
無鉄砲にして無策。
良心によって生じた愚行。
淡い想い人への思慕を糧に起こした善行。
しかし何処までも一般人の彼女は、他の追随を許さぬ強さを誇る聖職者達に一歩、踏み出す。
これがただの時間稼ぎでも、倒す気概で挑む。
当然、彼女はたかだか数秒のために傷つき運が悪ければ死亡するだろう。
だが、それこそが最善なのだと信じて。
──そんなときだったか。
「どうか皆さん! この私に注目して下さい!」
張り上げられた声で、明美ははっと周囲を見渡す。
この場に似つかわしくない可愛らしい声音。
脊髄反射で当たりをつけた場所に、果たしてそれらしい可憐な小さな体躯の少女はいた。
明美も既視感のある、優れた外見の少女が。
「え……っ!?」
王族が登るはずの壇上に、だ。
確かその行為は、投獄される程の無礼であったはずである。
明美の思考の通り、非常識だ何だと少女相手、そしてこの現状にも関わらず罵声が飛ぶ。
しかしそれは少数なようで、少女に言葉も出ない者が大半のようだった。
そう、異常なことに戦闘音が消え去ったのだ。
先刻までの喧騒が嘘だったかのように、静寂が満ちる。
敵味方関係なしに戦闘を止めた少女は、明美から見ても凄まじい。
雰囲気が、違う。
悪ふざけや無知のそれで登壇したのではない、と瞭然に分かった。
実に真剣で、どこか強者の持つ圧力を全身から発しているかのようだった。
……あ、あの子、うちらと一緒に召喚された子?
見入っていた明美が一テンポ遅れて気がつくと、しかし首を捻る相違点が一つ。
髪の色が短く切られた綺麗な黒髪から、佳麗な群青の長髪になっているのだ。
目を丸くしている明美の他の──呆然とする白ローブ達が視線を彷徨わせ、
「い、いや。そんなはずはない……そんな、このような奇跡が……ぁ」
「あ、あの少女は前に調査するよう命ぜられていた……」
「いえ私のせいでは、私の職務怠慢のせいではありません、そう錯覚です。会ったなどという事実は無根で、決して」
「あら、貴女方には私もお会いしたことがありますよね、そこの、ダイス教の方々」
沈黙の空間では内緒話も相手に届く。
律儀に返事をした有栖に、慄くように口を噤んだ白ローブの者達は不可思議だった。
先ほどまでこちらを蹂躙していた彼らが戦慄する人間なのか。
だとすれば、あの少女は何者なのか。
壇上の少女はそれを見透かしたかのように、
「私の正体でしょうか? そちらの、聖職者の方々は勘付いていますでしょうが──良いでしょう、開示しましょう」
炎が揺らめく中、微笑む少女の瞳は美しい黄金色に変わり。
明美の手元──否、この式場にいる全員の手元に少女のステータスが送られた。
〜〜〜〜〜〜〜〜
アリス・エヴァンズ Lv1
種別:人類種
〜〜〜〜〜〜〜〜
「アリス……?」
同級生に似た名前の男子生徒がいた、と明美の思考を過る。
そしてHPもMPもLv1に似つかわしくなく、非常に高いためやはり強者のようだ。
と、明美が思ったのはそれくらいのものである。
しかし周囲はこのステータスを散布された瞬間から、爆発的に熱が増した。
物理的な熱ではない。
高揚感、彼らの興奮度合いが激しく上昇しているようだった。
一般人は子どもでない大人ですら当惑したように喚き立て始める。
冒険者からも、口々に「エヴァンズ様?」と言う言葉が漏れ聞こえてきた。
人によっては何らかの一説を口にし、またある人は跪く。
白ローブ達に至っては、少女に対して五体投地で最大の敬意を示していた。
彼らは仏教だったのかと愕然となる。
どうせこれも異世界人の影響で流入した文化だろうが。
ただ畏敬の念を示す周りの反応に知識のズレを感じる明美は決心して、
「あ、あのっ! 結局あなたは誰なん、です──」
「この無礼者が! エヴァンズ様の名を継ぐお方に何を言うか!」
物凄い剣幕で叱責したのはアリスではなく、白ローブの一人だった。
土下座の姿勢の人に怒鳴られる新体験におろおろする明美である。
どこまでも普通な彼女は、突然の展開に頭が追いついていなかった。
加えて、異質なローブ集団だけでない視線の集中。
なんと、式場の全員が同じようにこちらを見ているのだ。
……え、え、え、何? うち、もしかしてとんでもないことした?
恐ろしい視線に涙目になりかける。
すると壇上の少女が「では、宣言しましょう」と取り直し、
「私、アリス・エヴァンズは神の名を継ぐ、神の子どもです」
……突飛なカミングアウトに明美は咄嗟の言葉も出なかった。
自信に満ちた声音と、その美貌。
真面目な表情で陽の元に晒された少女は、まさしく女神のようだった。
白ローブを始めとする皆は俄かにどよめいていた。
「やはり」と口にする者が目立つが、少女に目を奪われている者が殆どだ。
皆、この少女に見惚れているのだ。
アリスから発せられる底知れなさと神々しさ。
明美もその言葉の説得力と、周りの反応で無意識のうちに納得してしまう。
……彼女自身もすっかり術中に嵌っているが、詐欺のセミナーを見ているようだ。
そしてアリスは一転して厳しい顔を浮かべると、
「ただ──私は悲しいのです。今まで聖職者である貴女方を監視していましたが、何たる非道を働いているのでしょうか! 布教と利益を最優先にするのは結構でしょうが、私腹を肥やし、他国を乱し、外道の肩を持つとは言語道断です! 神に仕える者が何たる無様ですか!」
「そ、そんなつもりでは────あ、いや」
感情的に糾弾するアリスの言葉に、白ローブの一人が言い淀む。
そしてその後すぐに、顔を歪めて否定する。
思わず口を挟んでしまったという、自分の失態を打ち消さんとするかのようだ。
時既に遅く、幾つもの彼らの仲間からの視線が突き刺さっていた。
「何故、ここで貴方がエヴァンズ様の言葉に口出ししているのです?」
「あ、そ──それはっ!」
「私達が聞いた限りでは、ミリスがダーティビルに手を貸す理由は、卑怯な手でダイス教を貶める革命派を迎え撃つこと──でしたよね? まさか金が貴方の懐に入るなどといったことはありませんよね?」
今の話はどういうことか、とそう詰問したげな目。
どうにも此度、神聖ミリス王国がダーティビル王国政府側に付いたのは何か事情があるらしい。
そしてそれに関わっていた男を告発した、という現状のようだ。
アリスはまるで全て見透かしているかの如き言い振りで、
「私に、嘘は、吐けませんよ?」
「──ッ!? その瞳は、やはり……!?」
「ええ、第一王女カナリアと手を結び、多額の『布施』を貰っていたようですね。ああ、そして手柄に応じてダーティビル王国の貴族位すら受け取ろうと、成る程。ダイス教の布教活動を浸透させる名目でミリス王国からも逃げ出そうとしていたことも全て、お見通しです……しかし気付かなかった聖職者の貴女方も同罪! 厳罰は覚悟しておくことですね」
ぱくぱくと口を開閉する白ローブの一人──男性だろうか──は、愕然としている。
仲間達からはいっそ、憎悪の視線が間近から向けられていた。
彼のただならぬ様子だとアリスが語った内容は真実のようだ。
それを他愛もなく見透かしたアリスは、外面では奢るでもなく超然としていた。
だからこそ底知れない雰囲気を醸す。
一層少女への畏怖が強まったのか、またしても会場が静まり返る。
見計らったようにアリスは身振りを駆使し、
「しかし、私も鬼ではありません。そちらの彼も根が善良なのは見通しています。ただ些か、悪辣なる者どもの卑怯な甘言に操られてしまった。ひとえに貴方が悪い訳ではありません。ええ、神は視ておられます。連帯責任で破門というのも情けがありません。──ですから、チャンスを一度授けましょう」
「……それは如何な事でしょうか?」
温情の言葉に反応したのは、白ローブのうち矢面に立っていた女性だ。
誰かの呼称を引用するならば、会話がドッチボール大会になる『心眼』殺しの人、だろうか。
現在はきちんと会話のキャッチボールをしているが。
真面目なときは真面目なのだろうか。
そして女性の相槌に、アリスは厳かに告げる。
「過ちを犯したのでしたら、それに報わねばなりません。正しい道へ向かわねばなりません。幸いなことに、趨勢は未だ決しておりません──でしたら、我々の指標はただ一つ」
一呼吸置いて、
「第二王女アルダリア。彼女らへの支援、つまりは革命派の支援を行います。──そして甘言を囁き、信徒を誑かしたサーディ王と第一王女カナリアに、正義の鉄槌を下すこと。我らダイス教を侮辱した末路を、その卑劣に満ちた者の末路を、彼らに見せつけようではありませんか!」
──紛れもない聖人の言葉、そして集団心理によって応じる声は肝心の白ローブ達よりも多く、そして大きかった。
アリスの背後の炎は揺らぎ、真摯そのものの少女の顔の陰影が濃く見えた。
どうしてか明美には、少女の顔が笑って見えたのだが。
それが錯覚だったか否か彼女は知る由もない。
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