9 『遭遇』

 さて、有栖が昼時にサラの食堂を訪れたところ、席についていたジャラが手を振って迎えてくれた。

 それを見て入り口から一歩踏み出すと、食堂内の好奇の視線が一斉に有栖へと向けられる。

 ざわつくように声を潜めて交わされる内容は、勿論出る杭を打つものが多かった。


「……おいアイツ。昨日姉さんと話してビビんなかった魔術師だぜ」

「……ちっこいな、女か?」

「……初級魔術師の癖にな、異世界人に対抗できる姉さん達と会うとか」 

「……いや、俺には分かる。あれは女だね、ローブ下の細くて形の良い足、間違いない」

「……生意気だよな」

「……お前って気持ち悪いやつだな」

「……姉さんとジャラのレベルに辟易しない分、あの見た目ですげぇ剛胆だよ。好みだわ」


 悪意のある視線の中に、奇異な視線を感じる。

 クソロリコンめ。

 有栖としては生理的に受け付けないため、足早にジャラの元へと行った。


 そもそもフィンダルト達に話を聞かれただけで、どうしてこうまで言われなければならないのか。

 俺、別に調子に乗ったことやってないよなと、珍しく正論を愚痴る有栖だった。

 それと比べジャラは昨日と全く変わりない笑顔で、テーブルについた有栖に挨拶をしてくる。


「おはよう、今日も快晴で嬉しくなるね! それで昨日の返事はどう?(無茶な頼みでなければ俺も嬉しくなるんだけど)」


「はい。この街の外で、私を保護してくれるところ紹介して頂きたいのですが────」



 ……――……――……――……――……



 結論から話すと、ジャラには街の外に知り合いがいないそうだ。

 案外寂しい奴だな、と有栖(友達は数人のみ)がブーメランを放っていた。

 用事で留守にしているフィンダルトも、『心眼』で見た通り元孤児であるため身寄りもないらしい。

 あてが外れた有栖は意気消沈したものの、ジャラには代わりに街を案内させることにする。

 流石に世間知らずのまま街を闊歩するのもどうかと思われるし、せっかく異世界に来たのだ。

 楽しまなければ損、というものだろう。


「それで何処へ行くんだい? 冒険者ギルド? それともお勧めの鍛冶屋とか武具店とか?」

「ダンジョンに、と。私、まだここに慣れていなくて……一度見てみたいなと」


 サラの食堂を二人で後にし、まずメインストリートを道なりに進み──ドーム状の建物へと辿り着いた。


 それはダンジョン、正式名称は国立ワーナバーダンジョンと言うらしい。

 この街ではもっぱら、王都ダンジョンや単にダンジョンと略称されている。


 近くに見ると、半球の表面は凸凹が目立ち、ドットで組み上げたようである。

 やはりそこの出入り口は一つしかないようで、すれ違う人が窮屈そうに出入りしていた。

 朽木色をしたその建築物には、続々と冒険者と見られる数人がパーティを組んで入っていく姿が見えた。


「説明するとしたら──そうだね。このダンジョンは、ダーティビルの王都の冒険者の生命線みたいなモノだよ。勿論、下層じゃ何が起こっても不思議ではないから、冒険者ギルドで登録された人以外立ち入り禁止。ダンジョン内の物品を売る商工業なんかの人は、個人的に冒険者から流してもらったりだとか、特定のギルドと契約を結んだりとかね。切羽詰まってたり、なりふり構っていられない一般人は、冒険者ギルドの依頼板に張り出したりとかしてる感じ」 


 そしてダンジョンに茂る草木は、地上にはない特殊な効力を持つ物も多いため需要があるらしい。

 そのため冒険者になる者も増加の一途を辿り、ダンジョンを支配下に置く街の人口割合で冒険者が四割程度も占めるという偏りぶりである。

 勿論誰でも冒険者に成れる訳ではない。

 身元は明瞭は当然として、一ヶ月に一度試験を行ってそれに合格した者のみ成ることができるそうだ。

 有栖は住所不定無職で、なおかつ貧弱なため四方八方どこを見ても合格する目は見当たらない。


 有栖とて元は男の子である。

 男の姿だったら、何としてでも冒険者になってダンジョン探索しているはずだったのに。

 やるせなさが募り、口癖のように糞神死ねと念じた。


 有栖は自身の内情を表情から漏らさずに、気分を払おうと視線をあちらこちらへと向ける。

 ダンジョンは引っ切りなしに冒険者を排出し、ダンジョン前にある広場に流れ出す。

 広場は円形で、だだっ広い空間でベンチが数個ある程度だ。

 ジャラは相変わらずの笑みを浮かべつつ、眩しそうに辺りを見回していた。


「うーん。生誕祭近いから、人も増えて盛況みたいだし俺も嬉しくなるな!」

「生誕祭?」


 ジャラに習って見回してみると、広場のあちこちに木の板が置かれている。

 半分組み上げられた屋台の骨組みなども散見され、祭りの準備をしているようだった。


 生誕祭とは耳慣れない言葉だと思ったが、アルダリアに教えられたと思い出す。

 ちょうど三週間後に、ダーティビル王国の生誕祭が開催されるらしいのだ。

 なんでも、国を挙げての大規模な祭になるそうだ。

 王都であるこの街では花弁が舞い、屋台も出され、パレードまで行われると言うのだから、見てみたい気持ちもある。

 

 ──そんときにゃ俺、いないだろうけどな。ま、どうせ祭りなんてリア充がイチャイチャするだけなんだから全然悔しくないわー。全然悔しくないわー。

 元の世界において、祭日当日は家でネット三昧だった有栖は見栄を張った。

 心の中だけで虚飾することほど無駄なこともないのだが。

 

 気でも紛らわせようと、有栖は広場の冒険者の外見を眺めた。

 赤髪で短剣使いの若者、頭が禿げ上がっていて小太りの甲冑を装備した男。

 編まれた青毛を揺らして飛び跳ねる六歳ほどの少女、そこに駆けていく保護者らしき男。

 真紅のローブを纏った筋骨隆々の男魔術師、そして妙に静まり返った広場の向こうから。



 黒目、黒髪の少年が────。



「ちょっと……走ってくれたら嬉しいな(黒髪だって……?)」 


 はっと有栖がジャラに視線を向けると、腰の短剣に手を掛けて唐突にそんなことを言った。



 ──黒髪は異世界人の最大の特徴だ。



 アルダリアの言葉が、有栖の脳内を駆け抜ける。


「早く!」


 吠えるジャラに有栖は従おうとしたが、全てが遅かった。


 ──体が、動かねぇ……!

 畏怖によるものか、それとも誰かから何かしらの干渉をされているのか。

 一気に混迷の淵へと追い詰められた有栖は、地団駄を踏む。

 

 周囲の人間も波を打つように次々とその男へ視線を動かして、紛れもなく全員が息を呑んだ。

 しかし一目散に逃げ出す人間は、一人としていない。

 まるでその場に縫い付けられてしまったかのように、誰一人として動こうとはしない。


「あれっておい……まさか」

「馬鹿、んなワケねーだろがよ、墨でも被ったんだろーがよ」

「いやでも、そうだよな。レイフォンド公国とも停戦協定結んだって話だし、ただの人か」

「つまり人騒がせってこと?」 

「なーんだ、驚いて損しちゃった」


 一転、呑気にも冒険者達はざわつき始めた。

 安堵の溜息をすると同時に、人騒がせな少年に対する憤慨を囁き合い、野次を飛ばす。

 緊張感のある顔をしていたのは、見渡す限り有栖だけであった。 

 ジャラは依然と笑みを湛えてはいたものの、この場で唯一、徐々にその少年へと近付いていく。


「ねぇ君、何者?」

「……【傲慢】」

 

 その十代半ばに見える旅衣を着た痩せ身の少年は、顔から陰気さが見え隠れしている。

 一見、一山いくらの根暗そうな一般人にしか見えない。

 黒髪、つまり異世界人と思われる少年は、酷薄に歪んだ顔で訥々とつとつと語り始める。


「殺戮者っていうのは、命の尊厳を冒涜する『傲慢』だと僕様は定義する」

「え?」

「だから僕様は、ここにいる全員を殺害しないといけない」


 警戒がピークに達したのかジャラが遂に剣を抜きかけた途端。


「ご、ぁ」


 彼の口から、呻きと血飛沫が迸った。

 自らを傲慢と名乗った少年は、抜刀しかけたジャラに先んじて彼の腹部に拳を叩き込んだらしい。

 

 ジャラは、広場を派手に転がり有栖の視界外に吹き飛ばされていった。

 

「ア、ハハハハハハ……ハ! 僕様を、止めようとするからこうなるんだよ」  

 

 しんと、一瞬で静まり返った広場に少年の哄笑が響く。


「皆そうさ。【傲慢】の僕様に、勝てる奴なんか誰一人いないってのに……ハハハ……ヒ」


 有栖は瞠目しながら、小さく体を震わせた。

 何だこの厨二病は、と。

 そうも状況とは乖離して、有栖の頭の調子については平常運転らしい。

 

 だが彼は異世界人、しかも裕也達ではない手合いだ。

 無論、仲間ではないし、手加減するような精神を持ち合わせているようには見えない。

 この場にいる者を害しようという敵意があるのは、誰の目から見ても明確だった。

 その対象に自分も含まれているのだと認識して、有栖は唾を呑み込んだ。

 そのとき不意に気がついた。


「……動ける」


 密かに手を開いて閉じて、自分が先ほどの硬直を抜け出したことを確かめる。


 しかし他の人間は違うようで、誰も逃げ出そうとも立ち向かおうともしない。


 耳障りなまでだった周囲の声すらも、遠くに聞こえるのみだ。


 加えて、あの少年は一人ひとり拳で広場の者を吹き飛ばしていく。

 大量の血反吐を撒き散らしながら、中空を飛ばされて。

 拳の威力で四肢のうちいづれかが、奇妙な方向に折れ曲がって。

 痛切な悲鳴は、殴られた瞬間にだけ。

 あとは虚しく静寂に響くだけだった。


 そんな惨状が、真っ直ぐこちらとの距離を詰めてきている。















 ──最悪だ。

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