8 『一方、王宮では』

 蒼崎裕也は瞳を閉じていた。

 ドクリ、ドクリ、と心拍をこめかみに響かせながら、時を待っていた。

 逸る気持ちは剣の柄を両手で強く握ることで紛らわせる。

 前方から徐々に近付く足音に神経を集中。

 一歩、一歩、その地面を踏む重い音はその生物の巨大さを如実に伝えてくる。

 そして音は一旦途絶えると、加速するように回数が多くなり──音量も段々と大きくなって。


 今だ。

 裕也は目を見開き、構えていた剣を眼前から猛進してくる一角獣に向けて振るった。

 しかし距離はまだ遠い。

 突進する一角獣は十メートル先だ。

 刃渡り一メートル半の両手剣では、今振っても届かない。


「【一撃にて屠殺する斬撃】!」


 裕也は声を絞り出して、虚空を斬りつける。

 すると、振った切っ先の軌道をなぞるようにして白閃が一角獣に向けて飛び出した。

 白閃の煌めきは、襲い掛かる獣を正面から一刀両断。

 血潮が飛び散り、内部から青白い結晶が見え隠れする獣の死体が芝の上に転がった。


 ──これで、百体目……目標達成か。

 それを確認したあと、裕也は両手剣を地面に突き立ててへたり込む。


 空には既に太陽が遠方の山から顔を出しており、現代の時間にして午前七時を回っている時間帯だ。

 ここは普段騎士の屋外鍛錬場らしいが、昨日からその甲冑の戦士達をただの一人も見掛けない。

 裕也のために貸切にしているのだろうか。


 二時間ほど前から裕也は、ここで演習という体で調教されたモンスターを切り裂いていた。

 座学は柳川明美とともに、昨晩までには満了したのだ。

 今、明美は別の場所で魔術師としての訓練をしているらしい。

 彼女は平気だろうかと心配だが、この場所から動くことは『魂塊』で制限されている。

 そのことに屈辱と快感を覚える裕也は、間違いなく異常者であった。


 ──そう言えば、俺達と異世界に来たあの子は……いや、大丈夫だったか。

 あの少女が昨日の早朝に、戦力外ということで保護されたと裕也はアルダリアから聞いている。

 そのことに一先ずの安心感を持って、荒い息を鎮めるために大きく深呼吸をした。

 望まぬ戦闘を少年少女が強いられるのは、裕也としても許せないことだ。

 理不尽は、それを楽しめる者だけに与えられるべきだと彼は思う。


 ゆっくりと思考する裕也を、邪魔する声が一つ上がった。


「……見事だ。異世界人とは言え、こうも早く戦闘に慣れるとはな」


 感嘆したような凛々しい女声だ。

 裕也がそちらを向くと、アルダリア・フォン・ダーティビルがこちらへと歩み寄ってきていた。

 それに少し警戒しつつ、裕也は非難の色を滲ませた声音で、


「昨日から何度モンスターをけしかけられたと思ってんですか、俺に『魂塊』まで使って」

「済まない。習うより慣れた方が良いだろう、とな。レベルは上がったか?」

「おかげさまで。六上がって、今レベル十二です」


 素っ気なく言い放ち、裕也は意地で剣を杖代わりに立ち上がる。

 裕也はこの女性を好ましく思っていない。

 無理に異世界召喚されたのは、裕也としては諦めている。

 無論元の世界に未練はあるが、今それを吠えたところで帰還することはできないと分かっているからだ。

 元の世界に残してきた友達や家族を思い出して、辛くはある。

 もう、会えないのだから。

 だがそれよりも、利口にこの環境に適応した方が合理的だと考えた。

 だから好ましく思わないのは、そういうまともな理由ではない。


 ──簡単に謝らないでよ。理不尽な苦境に晒された興奮を、どうしてそんなので冷ますんだ。


 密かに憤慨する裕也は、重度のマゾヒストだった。

 その特殊性癖は前からあったものだ。

 元の世界でそう目立つ出来事もなかったため隠蔽できていただけで。

 温厚で思いやりがあり、スポーツ万能で顔も良いナイスマゾとは誰も予想できなかったのである。



 ──いやしかし待てよ蒼崎裕也。俺の興奮を上げて下げ、上げて下げる……これはまさか意図的! Mの俺を弄んで愉しんで──アルダリアさんって、そんな高度なテクニックで俺を甚振っていたのか!? 



 そう考えて、裕也は高揚感に打ち震えた。

 新境地を発見し、愉しみが増えた──その恩師アルダリアに裕也は敬意を表す。

 さん、では敬意が足りない。

 アルダリアはわざと親切なことを言って、マゾヒストを甚振って愉悦している。

 であれば、その裏にある真意を読み取るのだと、裕也は真剣にそう思った。 


 きっと「異世界で理不尽なことに遭わせようとする吊り目の美人」というシチュエーション。

 そして「新しい考え方をもたらした師匠」という勘違いが引き起こした、アルダリアにとって災厄の好感度上昇である。

 裕也の神経は常人では計り知れなかった。

 アルダリアは彼の異常に気が付いたらしく、若干表情を渋めつつ、



「お、おい……蒼崎裕也、どうかしたのか? その、体が震えているようだが」 

「いいえ、俺はどうともありませんよアルダリア様」

「さ、様? いや、従者でもなし、様は付けなくて良いのだが。本当に大丈夫か? 少し休憩でも……」 

「分かっていますよ──もう百戦、戦えってことですよね? はぁん! なんて酷い」

「ま、待て! 良いから待て。その気味の悪い鳴き声を止めて、一旦落ち着いてくれ」

「鳴き声? 俺にとってはその言葉こそが御褒美でしかないということにアルダリア様は気付くべきだ」

「本当に待て! 私は君が言っていることの半分も理解出来てな──」

「待てと言われたら犬の鳴き声でもするのが礼儀って俺聞いたことあります。わ」



 ──その後、裕也は『魂塊』によって無理矢理部屋で休むように命じられた。



 ……――……――……――……――……



「異世界人と言うのは、ああいった奇妙な手合いが多いのか……?」


 一人深刻そうに呟くのは、気疲れして体調不良のアルダリアである。

 朝日が差し込む長い廊下を歩きながら、先刻の蒼崎裕也の豹変ぶりを思い出してふっと溜息した。

 もう一人の柳川明美の方は、高いテンションが常時続くという点を除いて普通なのだが。

 このような調子で大丈夫なのかと、アルダリアは自責の念に囚われる。

 他国の異世界人は次から次にと召喚していると風聞に聞くが、一体如何にしているのだろう。

 この調子では胃に穴が空きそうな気さえしてくる。


 頭が重い。

 二日前から一睡もしていないことも、その要因の一つに違いなかった。

 それが何故かを自問して、昨日の早朝に見送った少女のことを想起して頭を抱える。

 年端もない少女を、脅迫されたとは言え知らぬ土地に放り出してしまったことに罪悪感を覚えていた。

 異世界から召喚されたため土地勘もないだろうし、あの外見の良さで好事家の標的になるかもしれない。

 母親のように心配事をするアルダリアだった。

 だが無理にでも止めるべきだっただろうかと言えば、


「いや、駄目だ。それだけは駄目だ」 


 アルダリアは首を振って直ちに否定した。

 あのおぞましい男に自分の憎悪を知られるのはまずい。

 少なくとも、三週間後にある『生誕祭』までは。


 そうこうアルダリアが苦悩している間に、自室の扉の前へと辿り着いた。

 後悔しても始まらない。

 とにかく仮眠でもとりたい、と彼女が扉に手を掛けたときであった。


「た、大変ですアルダリア様!」 

「廊下は走るなと毎度言っているだろう──どうかしたのか?」 


 がちゃがちゃと腰回りから金属音をけたたましく鳴らして、下男が慌ただしく駆けてきた。

 彼はアルダリアが独断で雇った男だが、こういう嗜みがなっていないのは矯正したい。

 姉妹からは、使用人を換えるように言われているのが地味に心に痛いのだ。

 それにしても、彼が大慌てするほどの要件とはなんだろうか。

 息咳切らし、アルダリアの側までくると彼は必要以上に大声で話し出す。



「街の守備隊からの報告で……王都南方の関所を破って、出身不明の異世界人が乗り込んできたとのことですッ! 後続の兵や異世界人はおらず単独な模様!」

「──何だと!?」



 こうしてアルダリアは、一睡もしないまま召喚三日目に移行する。

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