7 『一日の終わり』

「だぁぁ──疲れた」


 ランプの仄かな光が灯る小部屋。

 そこに窓際に設えてある、安っぽい木製の寝台に有栖は身を投げ出していた。

 サラの食堂を出た後、有栖は隣に店を構える宿屋『木々の揺り籠』へと直行、アルダリアから受け取った金で支払いを済ませて、割り当てられた十八号室のベッドに転がっているという経緯だ。

 室内は少々手狭な空間で、小テーブルと着衣かけ、そしてベッドと最低限の家具だけが設置されている。

 ローブを着衣かけに、そして手が痺れてしまうくらいに重量がある荷物はテーブルに乗せていた。

 部屋が、王宮と比べると貧相なのは当然だったが、居心地自体は悪くない。

 ゴテゴテとした装飾がない分、寧ろ良いくらいだ。


 俺って感性が庶民的だなぁ。

 俗に塗れたとも言う。

 ともあれ、ひとまず一息つけたのは重畳だ。

 朝からの行動を振り返っても、特筆すべき芳しいイベントもなかった。

 チームリーダーを捜索する高レベルの冒険者二人と約束して、宿に到着しただけである。


 ──ジャラとの約束は……まぁ、街の外で俺がお邪魔しても良いところを紹介してもらう、で良いよな。信頼できるかどうかは『心眼』で見分けられるし。

 アルダリアに頼むのが億劫だったのは、今後有栖が生活する場所が知られることだった。

 彼女が洗脳されるかして暗殺者を送り込まれた場合、太刀打ちできないからである。 

 戦闘能力が一般男性ほどあれば、まだレベルを上げたりとかで頑張ろうと思えるだろうが。


「これじゃ、頑張る前に諦めた方がマシだわな」


 有栖は自身のステータスを再度確認しながら、むしゃくしゃして頭を掻き毟る。

 レベル上げ。

 それは有栖にとっては難易度が高い行為の一つだ。

 手っ取り早くレベルアップをするためには、モンスターを倒すことだ──とアルダリアに教わった。

 モンスターは、ダンジョンから生まれ出でる異形の化け物の総称だ。

 当然生息地はダンジョン内だが、国や街などで管理していないダンジョンから湧き出たりして地上にも出没したりするらしい。

 それらを討伐するとゲームで言う『経験値』、その結晶が体内から見つかるそうである。

 結晶に触れればその人物の経験値が溜まり、上限を満たせば晴れてレベルアップが可能になるのだ。

 そのまま、RPGのようなルールだった。


 しかし有栖のステータスは少女並み。

 昨晩、アルダリアに「ステータスがほぼ三十に満たない人はモンスター倒せますか」と聞いたところ、


「無理だな。逃げ回って、ゴブリンに殴殺されるのが関の山だろう」


 その言葉をアルダリアから聞き及んだときから、有栖はモンスター討伐を諦めた。

 罠に嵌めれば別かもしれないが、下級悪魔のゴブリンでは打倒できたところで経験値は微々たるものだ。

 ハイリスクローリターンなど博打にしても旨みがなさすぎる。

 黒髪を乱して、有栖は吐息をした。


「ダンジョン、冒険者ときて……どうして俺は醍醐味の戦闘を封印しなくちゃいけねぇんだよ」


 ただ有栖には、自身のレベル以外にもレベルの概念があるスキルを所持していた。

 言わずもがな『心眼』である。

 上限としてレベルが三までだが、自身を強大化できないのであればスキルを伸ばすのが妥当だった。

 有栖としても、最低限の自己防衛の力程度は欲しい。


「レベルが上がったら、何だろ。目からビームとか、攻撃性能が高い能力を付けてくれねぇかな」 


 ロマンを語る有栖は、何処かピントの外れた望みを抱いていた。

 そもそも『心眼』のスキルレベルは、一体如何にして上昇させられるかが不明だ。

 同じスキルの相手と合成すれば良いのか、それとも『心眼』を執拗に使い続ければ良いのか。

 後者を試そうと、何度か連続して『心眼』を起動してみたところ、


「痛ッ……いてててて! おい何だこれクッソ!」


 目の奥が突き刺されるような痛みを感じ、慌てて有栖は『心眼』を解く。

 金から黒目に戻った途端、その鋭い痛みは消え去ってしまう。

 どうやら短時間に連続使用すると、MPを消費しない代わりにペナルティが痛覚に訴えるらしい。

 説明欄仕事しろ、と涙目で毒づいて目元をベッドのシーツで拭う。


 ──保留だ、保留! あんの糞神、レベルの上げ方くらい教えろってんだ全く。

 いじけた有栖はベッドから飛び降りて、テーブルに置いた荷物を弄(まさぐ)った。 

 食料や、財布代わりの袋を除けて取り出したのは小振りのナイフである。


 自身に筋力がなくても、武器があれば話は別だ。

 有栖は、柄を自身の物とは未だ信じられない幼く傷一つない手で握った。

 軽い。

 肉切り包丁より一回り小さい自衛用のナイフは、緊急時に戦うための頼りない対抗策だ。

 刃は鋭く研がれているため、シーツに切れ込みを加えることもできるだろう。

 追加料金払わされそうだから試さないけど、と有栖はナイフを持つ手を下ろした。

 逆を言えば、追加料金プライスレスならしていたに違いない。

 良心的ではなく金銭的に判断する有栖であった。


「……そういや、武器にもステータス表示があるって言ってたな」


 徹夜でアルダリアから聞き出した情報をふと思い出し、手元のナイフに視線を戻す。

 感覚的には、自身のステータス表示を出すのと同じ要領らしい。

 ──つまり状態を確認するって感覚ってことだよな。

 淡い照明の光を鈍色に反射するナイフを見つめ、有栖はそのように念じてみた。


 〜〜〜〜〜〜〜〜


 【銀狼の小刀】

 体毛と牙が銀製であることが特徴の銀狼、その牙を加工して研磨されたC級武具。 

 硬度は銀と遜色無く、非常に軽量のため盗賊や冒険の際の小道具として広く使用されている。

 錬磨度合:81/100


 〜〜〜〜〜〜〜〜


 おお。マジで出た!

 今に至るまで試行する機会を失っていた有栖は、その表示に胸躍らせる。

 錬磨度合という数値が、なかなかに高い。

 アルダリア曰く、錬磨度合とは鍛冶師の腕によって左右される「その武器が優れている度合い」ということらしい。銀狼の小刀が大量にあるうちにも、なまくらか業物かが存在する。錬磨度合がゼロに近ければ近いほどその武具の出来は悪く、百に近ければ近いほど出来が良いようだ。

 有栖が持たされたナイフの錬磨度合は八十越えで、これは非常に高い部類だろう。


 一頻りナイフを弄ったあと、バッグへと仕舞っておいた。

 紛失したら大変だ。有栖が本当の無防備になってしまうのだから。


「この際、残り財産も数えとくか」 


 巾着袋を鷲掴み、ベッドへと移動して中身をシーツの上にぶちまける。


 このダーティビル王国は、貨幣が六種類流通しているらしい。

 価値が高い順に、金貨、小金貨、銀貨、小銀貨、銅貨、小銅貨。

 日本円に換算したかったが、比較方法が分からないため諦めた。

 相場の「そ」の字も知らぬ有栖には至難の技である。


 袋から吐き出した貨幣は、小金貨二枚、銀貨と銅貨が七枚、小銀貨と小銅貨が十枚ずつだ。


 サラの食堂のランチで小銀貨一枚だった。

 明日明後日に食い扶持に困ることはないだろう。

 ──それでも、これが尽きる前に仕事も見つけなきゃだしなぁ。

 仕送りを止められたニートの気分だった。


 それも引っ括めて、明日ジャラに尋ねることとしよう。

 『心眼』の力で詐欺師をやる、という考えも浮かんだが後回しにした。

 切羽詰まれば手を出すだろうが、今は進んで裏の仕事に行くこともない。

 バラ撒いた生命線を掻き集めてバッグに戻したとき、


「ふぁ──ぁ、ねっむ」


 と、大きな欠伸をして、開き難くなった両瞼を擦った。

 この体は夜となると非常に瞼が重くなって困る。


 窓の外に視線を向けると、すっかり帳が下りた街が見えた。

 窓から大通りを見下ろすと、点在する明るい店──飲食店、正確には酒場だろう──から出てきて、千鳥足で行き交う人々の姿が多数見受けられた。

 耳を澄ませば、遠くに喧騒が聞こえる。

 隣のサラの食堂も、今頃は酔っ払い達が騒いでいるのだろう。


 ──ジャラとの約束の件もあるし、滞在期間一日伸ばすか。

 それだけ決めて、ベッドに倒れ込んだ。

 明日も無事に過ごせるようにと、そう願いながら。
















 その日の夜、神の長々したフェチズムをノンストップで聞かされる夢を見た。

 翌朝、寝汗びっしょりで飛び起きたのは言うに及ばない。

 また、異世界三日目最初の有栖の言葉が「糞神死ね」だったのも言うに及ばないことだった。

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