10 『傲慢 上』

 有栖は、身動きを意図的に止めて思考する。

 ──マズい。糞神に腕切られたときみたいに、特大にマズい。


 舌打ちをしたかったが、止める。

 辺りは少年の笑い声が木霊するばかりだが、それ以外の物音は遥か向こうだ。

 そこで無闇に音を立て、死に急ぐのは馬鹿らしい話だった。


 加えて、この広場の全員が身動きもしない。

 そのため、唯一動けるだろう有栖は目立つのを恐れて事実上身動きを縛られていた。 

 後先考えず逃げ出せば、最優先の目標として有栖が真っ先に始末される可能性が大だ。

 切迫感に苛まれながらも、極力落ち着いて状況を確認する。


 迫る脅威は、円形状の広場を闊歩する【傲慢】と名乗った根暗そうな少年だ。

 擦り切れた旅衣の彼は大笑いしながら、マネキンのように直立する人々を拳で撥ね飛ばしていく。

 無防備の冒険者は派手に怪我を負い、地面を転がされた彼らは微動するだけでとても無事には思えない。

 有栖が一撃をもらえば、間違いなく死に至るだろう衝撃だ。

 絶対にそれは避けなければならない。

 とは言え、闘争も逃走も自殺行為に他ならない。

 しかしこんな場所で、こんな唐突に、理不尽に殺されるのは死んでも御免だった。 


 対して有栖の装備は心許ない。

 服は防御力ほぼ皆無のローブと、面倒だったため昨日の服と同じ物を中に着ているのみ。

 ポケットには、召喚当時に握り潰した神からの伝言が一つ。

 提げている肩掛けバッグには、宿場に置いてきた着替え一式以外がそのまま入ったままだ。

 その内容物で現状役立ちそうなのは、ガーゼと包帯、なけなしの金銭、そしてナイフふた振りだろう。


 命乞いしながら金を投げつける案は早々に却下された。

 戦闘能力があるものと言えばナイフだけだ。


 ──ナイフ。……クソっ、『心眼』で物の死の線が見えてたら……。

 残念ながら、有栖は多重人格者でも和服が似合う美人でもない。

 単なる、黒髪少女の姿をしたチキンな元男子高校生だ。

 たらればを言っても無駄でしかない。


 それはともかくとして、だ。

 どんな特殊技能を使うか得体の知れない相手に、チンピラよろしく切り掛かるのは死亡フラグだろう。

 一秒も経たぬ合間に瞬殺されるのが目に見えるようだった。

 とりあえず、あの少年の能力が判明しない限り有栖には『死』が付いて回る。

 安全マージン内で動きたい有栖としては、『心眼』でステータスを透かしておきたいところだ。


 だが、どう動く。

 『心眼』はあくまで「現在相手が思っていることを文字列として表示する」スキルでしかない。

 ステータスを相手が確認している際に盗み見らねばならないのである。

 そんな偶然、日頃から神を侮辱している有栖には起こり得ないのだが。 


 ──いや、逆に考えるんだ。「あいつにステータス確認をさせるんだ」と考えるんだ。

 偶発的でなく意図的に、少年にステータス確認をさせる。

 ならば、ステータスを見て分かることはなんだろう。

 自分のスキルの内容、STR、DEF……レベル、名前、年齢、種族。

 HP。

 有栖が思い浮かんだと同時に、順番が回ってきていた。


「ハハハハ……ヒッ、じゃあ次は君だ」 


 狂笑を上げ続ける少年の声が間近に聞こえた。

 有栖が現実世界に意識を引き戻すと、真正面には緩慢に拳を振るおうとするニヤけ面の彼。

 他人に対する優越感か、恐怖に歪む表情を見て楽しいのか。

 いづれにしても──実に傲慢だ。


 ……俺、他の奴が悦に入ってるの見ると苛つくんだよね。

 対峙する有栖も張り合うかのように、不遜で身勝手な思いを吐き出した。


 有栖の心中での大口は、緊張を解すための精神安定剤だ。

 有栖の声に乗せた大口話は────


「私には当たりませんよ、そんな物」 

「へえ……?(コイツ、動けるのか?)」 


 拳を突き出される前に、有栖は内心怯えながらも体を退かせてそう言った。

 少年は不可思議そうに有栖と拳へ交互に視線を動かして、


「体、動けるのに待ってたの? 僕様の『傲慢』を舐めてるの? ……生意気な」

「ええ、それはもう『傲慢』なんてペロペロ舐めてます。キャンディーみたいに溶けないといいですね」 

「コイツ……ッ!(餓鬼が!)」 


 大層苛ついた声音で少年は有栖を睨みつけたのを、有栖はニコリと笑って煽り返す。

 おお、こわいこわい……いや煽り抜きでガチ怖い。

 実際には、目を剥く少年にビビりまくっていた。

 有栖のメンタルは豆腐並みと自身の脳内でもっぱらの噂である。


 彼の言い分を聞くだに、大半の人間が硬直しているのは彼の仕業なことに間違いないようだ。

 何故、有栖が動けるのか──いや、ジャラも動いてはいたか。

 まぁ、二人が硬直する対象でなかった理由もきっと彼のステータスには書かれているはずだ。


「しかし、私の勝利は確定してるんですよね」

「……?」


 有栖は精一杯のはったりを込めて、アルダリアのときとは違い、今度こそ威勢良く大ボラを吹いた。



「私、既に貴方のHPを半分以上減らしましたし」


「は──?(何をいきなり……馬鹿なことを)」 



 ──有栖の声に乗せた大口話は、いつだって賭博の火蓋を切る点火装置だ。  

 不敵に笑って有栖は続けた。

 さりげなく、ナイフを取り出しながら。


「そうですね。私も気分が良い、冥土の土産として聞かせましょう。貴方程度では気づいていないでしょうが、私は『眠りへと導く空気感染』によって貴方のHPを既に半分……いや、もう二割切りましたね。まぁその程度は減らしているという訳です」 


 よくもペラペラと虚言を並べられるものだ。

 咄嗟とは言え、冥土の土産と口走る有栖の三下具合。

 板についてるとは、まさにこのことである。

 架空のスキル名にしても、空気感染とは。

 ウイルスか何かだろうか。


 ──え? 煽りすぎて逆上されたり、このクソ餓鬼が脳筋だったりして、襲い掛かられたらって?

 そのときは有栖がお陀仏と言うだけである。

 救いはないね、と有栖は生きた心地がしないまま細い目を当惑する少年に向けた。

 少年は拳を構えながら、こちらへと近付いてくる。


「……そのことを、僕様に教える意味は?(ただの血迷った言葉なら殴ればいい。だけどこの餓鬼が、僕様って圧倒的な存在を前に、妙に落ち着いてるのが気になるな)」


「それは決まっているでしょう? 貴方が絶望に歪む顔を見て愉悦に浸りたいからですよ。実に傲慢で、貴方にも分かりませんか?」


「その通り、なるほど。傲慢だ(あ、そうか。だったら……の可能性は)」


 もっともだと頷く少年。

 ──俺はクソ喰らえって感じだけどな。

 自分の感性と同調するような言葉は、信憑性を獲得する。


 狙いは、アルダリアを脅迫したときとは真逆だ。

 退く道もあったあのときとは違い、こちらは背水の陣。

 不気味に表面上演じることで、己を相手の認識内で誇大化させる。

 そして先刻の発言を、少年に「万が一、もしかしたら、メイビー」などと思わせること。

 それができなければ──どう足掻いたって死ぬ。

 これより良い策があるとは考えない。

 土壇場で妙策が思いつかねば、愚策なりに綱渡りでも、やることが肝心だ。

 綱渡りだって、そこに橋が掛けてないからするのである。


 冷や汗をかく有栖は、手に持つナイフを弄る。

 強者の余裕という奴の演出だ。

 それ以外、特に理由はない。


 少年の行動を、ただ待つ。











 一秒が、永遠に感じられた。

 じりじりと距離を詰めてきた少年は、不意に。


「チッ」


 舌打ちと共に、虚空へと目の焦点が移った。



 ──馬っ鹿が見るーッ! おらおい、おっしゃおら!

 小学生レベルの文言を得意満面で吐きつつ、内心ガッツポーズで喜ぶ有栖であった。

 元、とは言え男子高校生にあるまじき痴態だ。



 早速、有栖は『心眼』で彼のステータスを覗き見る。

 そして。


 ──勝機、見つけたぜ。

 有栖は心底安堵しながら、うぃひひと歯を見せた。





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 七瀬ななせこく Lv5

 年齢:14

 種別:異世界人


 HP体力:300/300

 MP魔力量:150/150


 STR筋力:160

 DEF防御力:127

 INT知力:45

 AGI敏捷:110

 DEX器用:53/100

 LUK幸運:62/100


 《アクティブスキル》

 【傲慢】 射程:なし 魔力消費:なし

 人の罪を司る伝承制のスキル。

 己が定義した行為を『傲慢』だと自覚することで発動。

 その定義の範囲の行動をする限り、ステータスの値は五倍となる。

 また、発動者を視認した、発動者のレベルの十倍以下、発動者のレベル以上の者を硬直させる。

 行き過ぎた傲慢は、時として人を魅了する。

 しかしそれが理解出来ぬ見地にある者は例外である。


 《パッシブスキル》

 【言語翻訳C】

 世界を移動する際に自動付与されるアビリティ。

 他世界の標準言語を、七瀬が認識できる言語に自動翻訳する。 


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