5 『宿探し』

 翌日、睡眠中に暗殺されることはないまま、有栖はアルダリアに見送られることとなった。


「ふぅ──」


 朝日の斜光で輝く門前にて、真紅のドレスを身に纏うアルダリアが、額に握り拳を当てていた。

 向かい合うようにして立つ肩掛けのバッグを提げた有栖は、こそっと彼女の美貌へと視線を移してみる。

 眼前の彼女の顔には、少しばかり疲労が見え隠れしていた。

 理由は勿論、昨夜に問題児がトラウマを餌に脅迫、そして一晩中この世界の常識を教え込んでいたのだから、それは無理からぬ話だ。


 当の問題児こと有栖は、胸を弾ませて朝日を浴びていた。

 アルダリアと同じく徹夜を共にしたのだが、遠足前日の気分でテンションだけは最高である。

 コンディションは至極微妙だ。

 有栖がしきりに視線を彷徨わせる様子を見てか、


「その様子だと、サイズは大丈夫そうだな(似合ってはいるが……複雑だ)」

「はい。……黒髪が駄目だったんですよね?」

「ああ、異世界人の最大の特徴と言えば暗黒に染まった『黒髪』だ。厄介ごとに巻き込まれたくないのであれば、隠す方が無難だろう(見つかれば、集団暴行を受ける可能性もある)」


 そう、有栖は召喚当時のような格好ではない。

 傍目からみると、まるで魔術師か呪い師のようにも見える青紫色のローブを目深に被っていた。

 ただ、その下には黒の長袖とホットパンツを穿いているのだけれども。

 アルダリアの言うように、単なる偽装と言うだけだ。

 曰く、このローブの青紫色は初級の──つまりは駆け出しの魔術師が使う色らしい。

 少女の外見的に鑑みると目立たないため、このチョイスだったそうだ。


 そんな回想をしながら、有栖はちらりとアルダリアの背後に目を向けた。


 ──ここ、やっぱでけぇ宮廷だな。世界遺産に住んでるって感じがする。

 車が十分に通り抜けられそうな幅を持ち、高さ四メートルほどの門。

 その間隙から覗く、白を基調とした西洋式の宮殿を遠くに仰ぎ感嘆する。

 戦闘能力を持たない王宮には、白塗りの建築美に圧倒された。

 二千円札の裏でしか見たことのない光景に現を抜かしていると、アルダリアが声を掛けてくる。


「この程度で……問題はないのか?」

「ええ、あまりに金額が大きすぎるとゴロツキに襲われますし」


 ぱんぱんに膨れた肩掛けバッグに視線を落として答えた。

 有栖が持つバッグには、護身用のナイフが二本、ダーティビル王国周辺の地図、ガーゼや包帯、非常用の食料、通行証、着替え、そして適度な金銭が詰め込まれている。

 この世界にはステータスの概念があるくせ、無限アイテムBOXという存在はないらしい。

 密輸や戦闘が容易になるため当然なのだが、不便なことに変わりない。

 つまり荷物は、か弱い少女の細腕で持ち運べる重さでないとならないのである。

 ステータスのSTRが高ければ、もっと量を増やしても良いのだが……如何せん、ステータスは見た目通りに弱い。

 何故俺は縛りプレイを強制的にさせられているのか、と有栖は神に唾を吐き捨てた。


 異世界という過酷な空間では、男が良い。

 そう確信して、この姿に項垂れる。


 ──ああ、良い気分だったのに気が滅入りそうで嫌になるぜクソったれ。

 気分転換に深呼吸をしてみた。

 鼻腔をくすぐるのは、清涼な空気だ。

 早朝という時間の影響もあるだろうが、現代の朝とは比較に値しないほどに美味い・・・


 ガスとかにあんま汚染されてないからだろうな、などと適当なことを考えた後、頃合いかと声を出す。


「それでは、私はこれで」


 一陣の風に片目を瞑り、有栖はアルダリアからは背を向けて街道へと向けて歩き出した。

 この場に門兵すらも見当たらないのは、アルダリアの意向だろう。

 万一の情報漏れを警戒しているらしい。

 厳重でご苦労なことだった。

 去っていく有栖にアルダリアは、小さく何か言いかけていたようだが結局は黙って見逃したようだ。


 数歩進むと背後で門扉が閉じる重低音がし、やれやれ解放されたとばかりに肩を落とす。


 ──まぁでも、こっからが本番なんだよな。



 ……――……――……――……――……



「お、魔術師の嬢ちゃん。あー、そいつは銅貨三つだ(銅貨一枚誤魔化すか。ガキにゃ分からんだろうし)」

「いえいえ、おじさん。これは銅貨二つでしょう? 私、相場を知らない訳じゃありません」

「……へへっ、バレちまったか。物知りな嬢ちゃんだ。ほらよ(けッ、カモにゃならんかったか)」


 騙しかけたの開き直んな、つか、おっさんキモいキモい! ゲッスい顔で俺に触れんな! 

 手にした銅貨と引き換えに、にこやかに商品を受け取る有栖は非常に下衆なことを思っていた。 


 『心眼』の力というのはこういう、相手が虚偽を口にする場合に有用だ。

 現代とは違い、異世界では物価の無知で大損しかねない。

 しかし商売人の本音を視(み)さえすれば、文字通り一目瞭なのである。


「あっ、おじさん。ここ辺りでオススメの宿屋とかありませんか?」

「ここら辺で? そうだな……近いのは大通りを北に突っ切って、『サラの食堂』っていう看板を右に曲がるんだよ。そこを直進すりゃ左に『ダンバ』って宿があるぜ(ま、そこは俺の仲間の縄張りだけどな。ガキだが、なかなか上玉っぽいし──そういう趣味の奴も喜ぶか)」


「ありがとうございます」  

「いや、良いってことよ(ホントの近ぇ宿は『サラの食堂』の隣だけどな、看板見辛ぇし分かんねぇか)」


 ありがとう、クソったれが。 

 有栖は笑顔で礼を言った。

 本当に碌でもねぇな、この店主。 


 購入した商品をバッグに詰め、足早に店を出た頃には、日光が天頂から降り注ぎ始めていた。

 アルダリアと別れて既に数時間経過してしまったらしい。

 眩しさに顔をしかめて、店の軒先から街道を何とはなしに一望する。


 イベント当日の歩行者天国を連想させるように、この街の大通りはごった返していた。

 視界を埋めているのは、髪色が各々カラフルな者達だ。

 赤褐色、薄青色、黄緑色、金色……有栖のように黒髪を持つ者は、やはり一人も見掛けない。

 アルダリアの言を参考にするなら「この中に異世界人はいない」ということになるのか。

 ──でもまぁ髪染めてる奴もいるかもしれねぇし、一概には言えなさそうだけどな。


 肌は浅黒いものや黄色、白と、これは地球とは変わらないようだ。

 他、特徴といえば、彼らは鎧やローブ、はたまたエプロンに、軽装なのか旅衣などの格好をしている点だろうか。


 防具を装着し大小種類様々な剣を携えていたり、濃緑や深青色のローブをした──しかし有栖のような青紫のローブの者が何故か見当たらない──者たちは、冒険者と呼ばれる職業である。

 ここからでも目視できる位置にある、ダンジョンへと向かう途中なのだろう。

 見る限り、そちらへと歩みを進めるが多いようだった。


 エプロン姿をしているのは、食堂や酒場の従業員だ。

 大通りに軒を連ねる店々の呼び込みなどをしている様子が見受けられた。


 一通り見終えると、有栖は雑多な人混みに飛び込んで北の方向に向かいながら計画を確認する。

 まず今日すべきことは、宿を探すことだった。

 無防備に野外で眠っていたら、あの神の願望そのものの展開になる危険性が急上昇する。

 そのため日が落ちる前に宿を探さねばならなかったのだ。


 アルダリアに紹介してもらえば良かったのだが、それでは結局アルダリアの保護下にあると同義だ。

 よって有栖は自力で宿探しをしていた訳である。

 先ほど有栖が下劣な中年男性の店主の店に寄っていたのは、単に道を聞くためだけだった。

 比較的安い商品を購入したのも、気軽に尋ねるため。

 そうでもなければ、買う物も現状特にない。

 あればアルダリアに事前に要求していたのだし。


 ──今日は宿で一泊して、翌朝から街の外に出るって感じか。クーデター前に逃げとかないと。

 そのためにアルダリアには通行証を発行してもらっている。


「とりあえず、サラの食堂……サラの食堂……っと」


 有栖は雑踏に紛れつつ、視線を動かして先刻『心眼』で見た名前の看板を探す。


 並ぶ看板──大抵は店名の側にその店を表す絵が描かれていた──は順に、鍛冶場『Artest』、服屋『ハーメルンの館』、雑貨店『貧乏は褒め言葉』等々。

 日本語表示なのは、パッシブスキルの【言語翻訳C】のおかげだろう。

 実にありがたい。

 喧騒の最中を一分ほど歩くと、目的の文字列が有栖の視界に入る。


 『サラの食堂』


 無骨にもそれだけ、掠れた黒字で書かれたボロ板を入り口にぶら下げた店が、大通りの十字路の角に構えていた。

 その側へと駆けて、外装を眺めてみる。


 見たところ石造りの二階建て。

 好奇心で入り口から内部を覗き込むと、料理を運ぶ女性従業員、昼間から酒を呷る大男に、昼飯を口に運ぶ年若い冒険者たち、談笑する何らかの制服を着た恰幅の良い女性と老夫婦……どうやら食堂と酒場が混在している店のようだ。

 席は満員に近く、ぱっと見で繁盛しているのが分かる。

 人気店なのだろうか。


 ──食事処が宿の近場にあるってのは良い、冒険者が多いのは気になるけど。

 店内を見渡しただけでも、数人柄の悪い連中が屯ろしていた。

 如何にも「ヒャッハー!」とか叫びながら、汚物を消毒しそうな人相だった。

 非力な有栖としては絶対にお近付きになりたくない人種である。


 とりあえず目を付けられる前に、隣の宿に向かおう。

 そこで一休みして、頭の整理をしたいし。

 理性的にそう判断して、そっと食堂の入り口から離れようとしたときだった。


「そこの君! ちょいと待って」


 突然に酒場の中から、鋭い制止の声が飛んできてビクリと有栖は身を竦ませた。

 別人であることを祈って、逃げ出そうとする直前に入り口から男性が飛び出してきてしまった。


 それはボサボサに解れて燻んだ金髪の、二十代後半らしき男だ。

 百八十はあるのではないかという長身に、背に巨大な両手剣を負っている。

 アーマーもない随分と軽装だが、冒険者であることに違いない。

 そして特筆すべきは、男が一片の影もない満面の笑みであることだろう。


 ──何だ、こいつ。

 一目見て、その笑顔は異常だと有栖は感じた。

 まるで曇りがない。

 自分の人生で最も幸福な瞬間が今であるかという表情で、固定されているようなのだ。


 彼は真っすぐこちらを視線で射抜いている。

 誤魔化すことはできないらしい。

 有栖は心底嫌だったが、無邪気な顔で確認をとる。


「……私ですか?」

「そうそう、理解されて俺超ハッピー!」


 どうやら変質者に声を掛けられたらしい。

 逃げたい。

 率直に有栖はそう思った。

 そんな有栖の警戒心に気づいたようで、男は髪と同色の無精髭をさすりながら、


「そうゲンナリしないでくれよ。可愛い顔が台無し、台無し。笑顔は大事だよ、ほらほらピースピース……っと用件伝えるの忘れてた! 危ない危ない、パーティの皆に殺されるとこだった。君、初級魔術師なんだろ? ならちょっと、頼まれてくんないかな──俺のツレのことなんだけどさ(黄金色の目って超珍しいな、今日も良いことがありそうだ!)」


「お断りします。私は忙しいので」


 青年の年齢にあるまじき陽気な心の声に、まず引いた。


 昼間っから酒でも飲んでんのか? 駄目人間だな。

 初対面の相手に、最低な憶測を垂れる有栖であった。 


 ただこの変質者の内面を『心眼』で見る限り、特に下卑た性根ではなさそうだ。

 道を尋ねた店主、有栖といったレベルとは、比べようにもないほどに。 

 不審者であることに違いないのは確定だが。


 しかしボランティアで厄介ごとを抱えるほど立派な性根を有栖はしていない。

 だからこそ、王宮から脅迫してまで逃走を図った訳である。


 それに未だ有栖は居住地すら定めていない。

 腰を落ち着ける場所に到着する前に、道草を食む余裕があろうか、いやない。

 

 面倒くせぇし、俺は俺のことで精一杯。  

 有栖の本音としてはそれだった。

 

「そう言わずにさ、俺本当何でもするからさ、頼むよ!(断られるとフィンダルトに殺される……そりゃ勘弁!)」


 明らかに年上の男が掌をすり合わせて、年端もいかない少女に頭を下げている光景には、何だか可笑しさが込み上げてくる。

 何でここまで必死か具体的には不明瞭だが、有栖はある一言に惹かれた。


 ──ん? 「何でも」ねぇ。アルダリアには言えなかったこと聞けるかも。

 彼女には言いづらい核心的な物事や、一般庶民の常識を知れるかもしれない。

 昨晩にアルダリアから教わったことは、知識や単語くらいのものなのだ。

 それ以外の情報は、遅かれ早かれ自力で学ばねばならなかった。 


 最重要目的地である宿は、ここ、サラの食堂と隣接している。

 であれば、話を聞くだけタダだろう。

 宿探し以外に時間に切羽詰まっている訳でもなし、余裕がある。

 ただ不穏な気配を見つけたら、即逃走できる準備は怠らないようにせねば。

 

 男の懇願に、勿体つけるようにわざと有栖は嘆息をした。

 


「……そうですね。話だけなら聞きましょうか。ただし、何でもしてくださいね?」

「おお、ありがとう! ハッピーハッピー大助かりだよ!(主に俺の命がさ!)」



 年甲斐もない喜びようの男。

 それとは対照的に、有栖は意地の悪い笑い方を密かに浮かべていた。

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