4 『脅迫』

 話が終わり次第アルダリアに連れられ、有栖は部屋へと案内された。


「君にはこの部屋を使ってもらう。暫らく時間を置いて、ステータスの詳細を尋ねに来るが、それまで中では楽にしていてくれても構わない(こんないたいけな少女を利用するのも心苦しい話だが……私は、私怨だとしても、絶対に)」


 アルダリアの揺れる内心を他所に、有栖は意匠が凝った扉に手を伸ばす。

 不用意に余計なことを発言して不信感を持たれるのは良くない。

 そのため敢えてアルダリアには反応を返さずに、ドアノブに手をかけ開いた。


 ──おお、こりゃすごいな。

 有栖が割り当てられた部屋は、王宮の名に違わず豪華絢爛に彩られていた。 

 精緻に造形されたシャンデリアが吊り下げられている高い天井、ひと教室くらいはあるのではないかという十分に広い室内、そこに収まり良く設置された調度品等々が有栖の目に飛び込んでくる。

 見た目が少女であるせいか、お姫様ベッドが備え付けてあるのは小恥ずかしい話だった。

 そこで眠るのは何かに負けた気がするから、今夜はベッドの下にでも寝ようと決意する。


 他は、と視線を巡らすと部屋内の窓が目に止まった。

 窓は床から一メートル上の、北と東の壁に二つ穿たれており、そこからは日光が差し込んでいる。

 外では昼間なのかもしれない。有栖は思わずガラス窓に近寄り、背伸びして外を見渡してみた。


 快晴の空の下、ヨーロッパの街並みを彷彿とさせるように整然と並んだ家屋が照らし出されている。

 殊更に目立っているのは眼下の市場らしき、店が軒を連ねている辺りだ。そこは遠目に見ても、活気が溢れた様子が窺えた。

 そこ以外でも現代日本の首都の混雑を連想させるが如く、目につく大通りでは人の往来が多い。


 有栖がそう適当に街を俯瞰していると、ふと気になる建物が大通りの先を占領していた。

 ──何だあれ、ドーム?

 それは巨大な半球状の、朽木にも似た色をした建築物だ。

 じっと観察してみると、入り口らしき洞へ続々と人が入っていくのが視認できた。

 あれは球場なのか、それとも何かのライブでも行われる戦場なのか。

 まだ現代の思考が抜けない愚考を巡らせる有栖は首を捻る。

 それを困窮していると見えたのだろう、有栖の横へとアルダリアは近付いてきて解説してくれた。


「何だ、あれが気になるのか? あれは、この世界の至る所に存在する『ダンジョン』と呼ばれる摩訶不思議な迷宮だ。未だに底を見せない程に地下深くまで階層があって、異形のモンスターや、未発見の植物や鉱物が眠っていていたりする。それを発掘採集、もしくは下層へ下層へと道を切り開いていくことを生業とする者がいてな。冒険者、と自称するとは笑える話だが……とと、話が逸れたか。ともかく、そのような特徴をダンジョンは持っているが、今では整備されて、ああも半球状の外装に覆われている訳だ」


 アルダリアの長話を、コクコクと頷きながら有栖は感嘆していた。

 ──そうそう、こんなので良いんだよこんなので。ああ糞神、確かにベタな異世界じゃないか。

 ダンジョン、モンスター、冒険者。 

 ゲームチックな単語のオンパレードだが、それに胸を撫で下ろす。

 安心感が有栖の胸を満たしたのは、それらがフィクションで慣れ親しんだ、勝手が判る物だからなのだろう。

 有栖は黙然としながらも、密かに心を躍らせていた。


「それではな。私が来るまでくつろいでいてくれ」


 アルダリアはその言葉を最後に足早に去ると、扉が閉じた音が響く。

 鍵穴は見当たらなかったため完全に、とまではいかないけれども有栖は中々に広い部屋で一人になった。 

 すると即座に嘆息して、真っ先に呟いたことは、


「あーいーうーえーおー……やっぱ声、戻ってないよなぁ」


 自分の物とは思えない、可愛らしくも慣れない声音で現状を再確認することだった。



 ……――……――……――……――……



 はてさて一時間の確認作業の末に、有栖は締まりなく床に転がっていた。

 お姫様ベッドの上に寝転がらなかったのは意地である。

 裏を返せば意地でしかなかった。


「あーちくしょう」


 完全に身体が女性になっていることを、実際に確かめての感想がコレである。

 ──女の子の体になる、ってーのはどうにもむず痒いモンだな。股の間がすげぇ寂しい。エロいこと考えても何が違ぇし、息子離れは俺にはまだ早いと思うのよ。童貞のまま男中退とかマジ糞神ファッキン。自由に男に戻れんなら便利だっつーのに……

 遊び半分の神に利便性を求めるのはぬかに釘刺しだが、だからこそ不満が口をついて出る。

 有栖が強欲だということもあるだろうけれども。


 一連の感想を終えてしまった有栖は、まなじりを拭って思考を開始する。

 勿論、これからのことである。


 現状を把握しよう。

 ダーティビル王国(規模不明)は、他国によって召喚された異世界人にたじたじ。それで「目には目を」と言わんばかりに異世界召喚に手を出す。呼び出す人数が決まっていたのだとしたら、蒼崎裕也、柳川明美、そして他の誰か一人の、計三名を呼び出すつもりだったのだろう。召喚士やアルダリアたちが人数に疑問を持っていなかったのは、そういう意味ではあるまいか。

 しかし実行に移してみたところ、変態神が割り込んで有栖という不純物を投入した。おそらく、そのときに裕也らと召喚されるはずだった誰かの代わりに。

 そうして裕也、明美、有栖はダーティビル王国に使役される異世界人と相成った訳である。


 次にこの異世界全体の情報だ。 

 アルダリアの説明を要約すると、この世界では裕也のように『召喚士』という存在によって異世界召喚された『異世界人』という奴らが暴れているらしい。異常な特権に召喚された時点での身体能力も優れ、絶対命令権を持つ『魂塊こんかい』というガラス玉で反逆を抑止できるのだから、即戦力として濫用されるのも道理だろう。有栖に関して言うのであれば、朧げに記憶している神の発言を真に受けると『魂塊』の影響はないらしいが。

 異世界の文化は、王宮、そして街並みを一望した所感では中世ヨーロッパ風だ。

 あと分かるのは先刻アルダリアに説明を受けた、ダンジョン施設があるくらいか。

 ダンジョン──RPGでは幾人もの冒険者が命を落とす、モンスターだらけの迷宮だ。

 話を聞く限りではそのイメージで合っていそうだが、有栖は寄り付かない方が良いと思われた。

 戦闘能力皆無の有栖では、武器があったとしてもスライムにすら勝利できるか怪しいのである。 

 冒険者自体、チンピラだらけの印象がある。

 路地裏に連れ込まれるのはノーセンキューなのだ。


 そして忘れてはならないのは、異世界召喚の裏話。

 王国の異世界召喚には裏事情があり、指揮するアルダリアが謀反を企んでいるのである。

 彼女自身は性格上の問題もあって、異世界人を利用することに逡巡しているらしいが。


「まぁそんな半端な覚悟じゃ、無理だろ」


 人が良いのも考え物だ。意志が弱ければ情に絆されることもあるだろう。

 とりあえずアルダリアの件は置いておく。

 彼女のことはきっとマゾ裕也や明美といった、正規の召喚者に任せるとしよう。

 有栖は面倒臭がりな屑であった。


「んで、裕也と明美には……俺が有栖だって伝えない方が良いだろうな」


 言う必要性もない。

 こちらから一方的に見知っていることにデメリットはないだろう。

 有栖とは違い、一端の異世界人としての戦闘能力を所持しているのなら構う意味もないのだ。

 特にマゾっ気があるらしい裕也には。


 ──それで、どうすっか。このまま行動を起こさないと糞神の思う壺だろうしな。

 悪趣味な神の思考であれば、きっとアルダリアの謀反は失敗に終わるのではなかろうか。

 そしてエロ同人みたいな展開に持って行かれるだろう。

 勿論、死んでも嫌だった。

 俺が見る分には問題ないがな、と誰もいないことを良いことに下衆っぽく笑って締め括る。

 アルダリアが仕損じなくとも、反乱を企てる物騒な火種の側からは一刻も早く離れたいのは人情だ。


「うぃひひ、じゃ早速動くとしましょうかね」


 男より長い黒髪を無意識で指に巻きながら、少女らしからぬ笑い方で時間の経過を待った。

 さあ、大悪党のように威勢の良い啖呵を切って始めようか。



 ……――……――……――……――……



「おっ……おっおー。ごほっ、わ、私は、貴方の秘密を知っています」



 開口一番、有栖は一時間後に戸を叩いたアルダリアに向けて謎の鳴き声を発した。


 癖で「俺は」と話し始めかけたのを、無理矢理に訂正したためである。

 それでも敬語に口調を変えたのは、見た目は少女で相手は王族だからだ。

 良識があるとも言えるが、有栖の場合単に金と権力に弱いだけである。


 しかしどうして有栖の唯一の特技である、「内面の動揺を表に出さない」が不発だったのか。

 それは死に際まで追い詰められて本音を引き出された、神との対話の後遺症だった。

 そのせいで平時よりもコミュニケーションを取る際に、内心の乱れが声音にも現れたに違いない。

 独り言のときは問題なかったというのに。

 おのれ糞神と呪っておく。


 ただ内心の動揺を晒すのは、この最初が最後にしたい。

 赤っ恥で火が点きそうだったが、唾を嚥下して何時もの調子を取り戻そうとする。 

 アルダリアも不審げに眉をひそめて、


「……唐突に、何の話だ? それとその『おっおー』は一体(無口な子だと思ったが……変な子だ)」

「何でもありません」 

「しかし(でもちょっと可愛かったかもしれないな)」 

「何でもないんです。大事なのは私は貴方の秘密を知っていることです」


 猫被りを押し通し、無表情で有栖はアルダリアに向かって言い放つ。

 表情をコントロール。素の自分を覆い隠し、石膏で固めるように表情を固定、内心を読み取らせない。

 口元は引き締め、常時より気持ち大きく瞳を開き、力は適度に抜いておく。

 真剣さそのものといった有栖を見てか、アルダリアは「秘密……か」と呟いた。


「身に覚えのない話だが、君はどんなことを知っているんだ?(まさか何かのスキルで……)」 

「御名答です。私は、貴方と貴方の父上がどういう事情があったのか。そして私たちを召喚した理由は何だったのかを既に知っています」 


 有栖は一息に言ってのける。

 焦らす意味はない。

 するりと他言無用の秘め事を匂わせる有栖の発言に、アルダリアは隠す様子もなく狼狽した。


「心が、視えるのか……?(異世界人の固有スキルはそんなことも可能なのか……迂闊だった)」


 後悔で歯噛みするアルダリアの様子を、息を小さく吐き出して見守る。

 狼狽を露わにしたのは異世界人のスキルの前には、惚けても仕方ないと観念しているのだろう。

 しらばっくれたら、嫌味で大声を発して秘密を暴露しかねない。

 ──俺だったら絶対そうするしな。


 わざと有栖がアルダリアの内心の声に返事をしたのは、この場合公開した方が正解だと判断したからだ。

 不気味さを演出する必要はない。

 寧ろ有栖の戦闘能力不足で、アルダリアに過剰に危険視されるとアウトだ。

 身体能力で劣る有栖では、翌日に肉屋の店頭に並ぶこともあり得る。

 だからこそ、両手を上げるように手の内を晒す。

 ただ一つ、はったりを織り交ぜておいて。


「私も異世界人の一人、無用に暴れるようなら──命の保証はしませんよ?」

「……ステータスが私より上、というのを先刻確認したのか(そうでもないと、こうまで冷静を保てないだろう)」


 無言で口端を歪める有栖は内心、油汗ダラダラである。

 スキル不明の危機感を煽る必要はなくとも、最低限の防衛ができるフリはしておかねばならない。

 でないと「ころしてでも だまらせる」的な惨事になりかねない。


 この虚勢は、異世界召喚されたと誤認された有栖なら有効のはずだった。

 第一に、異世界人は基本、ステータスに優れている。

 実際裕也や明美は、常人以上の身体能力があるアルダリアのステータスを凌駕していた。

 有栖は、そこで生まれる偏見を利用する腹づもりだった。

 加えてダーティビル王国は、異世界人の扱いに慣れていないように思う。

 なにせ王国はこの異世界召喚が初めて、そしてアルダリアの内心での反応を鑑みると──あまり明るくないのは確かなように感じるのだ。

 よって、有栖のことを身体能力では及ばない弱みを握る人物と認識してくれても良さげだが。


 しかしアルダリアは「忘れたか」と吐息とともに声を出した。

 それには驚愕で声をあげてしまいそうになる有栖。

 この脅迫に失敗すれば、有栖は開始間もなくして口封じエンドに直行する。


 ──早まったか! クソっ、もうちっと様子見してれば良かった。

 既に脳内で反省会が開始したが、早々に総評として「馬鹿が先走りすぎ」との判決が出た。

 もっともな話である。

 アルダリアは、ドレスの懐から墨色のガラス玉を取り出し、これ見よがしに掲げてみせた。


「勝手を行う異世界人の抑止のために、『魂塊』があるのだと説明したはずだったが(そうだ。強大な異世界人を従えることが出来るのは、『魂塊』の存在のおかげだ。弱みを握られたところで、露見されないように命じてしまえばそれで良い)」

「……何だ、そのことですか」


 俺のはったりが看破されたと思ったじゃねぇかビビらせんな、俺はチキンなんだぞ!

 胸の中で一喜一憂する有栖は、間違いなく策士に向いていなかった。

 拍子抜けしたような有栖の言葉に、不可解げにアルダリアが当惑したように瞠目しているため、


「であれば、試されてみますか?」


 業腹だが糞神の配慮に裏打ちされた有栖の誘いに、アルダリアは戸惑いつつも乗った。

 彼女からすれば、乗らぬ理由はない。

 しかし無意味だ、正規に召喚されていない有栖に『魂塊』の影響力は欠片も存在しない。


「口を塞げ、声を出すな」

「あーあー」

「……両手を後ろに回せ(どうして、この少女は)」


 というアルダリアの命令に背き続け、十数回目の命令に有栖が反した頃。

 ようやく無益だと理解したのか彼女は呆然とした表情で黙り込んでしまった。

 その様子に有栖は意図的に溜息をして、


「終いですか? そのまま黙り込んでいるようなら──」  


「分かった! 分かったから……だからそのことを、そのことだけは口にするな……!(取り押さえることも不可能、私は阿呆で馬鹿でも、自暴自棄になるほど未来を見据えてない訳ではない。しかし『魂塊』で蒼崎裕也や柳川明美に命じて殺害するのも、暗殺者を派遣して殺害するのも──私たちの主義に、反する。愚かだ。なんて私は愚かだろう。この少女を傷付けるには、私では心が弱すぎる)」 



 自責の念に囚われているアルダリアの内心の表示を、両眼の金色の瞳で見通して安堵する。


 脅迫成功か、糞神ありがとう。お前の細工のおかげだ。だからお礼に一発ぶん殴らせてくれ。

 恩知らずな有栖だったが、構わず生理的に無理な神に中指を立てる。

 それとはまた別に、アルダリアを不憫に思わないでもない。 

 結局は彼女の人の良さをに付け込んだ行為であるのだ。

 それを嬉々としてサムズアップ出来るほど落ちぶれてはいなかった。

 ──まぁ運が悪かったと思ってくれ。

 心中で一言詫びて、頭を切り替えた。


 白旗を上げたアルダリアへ、有栖は要求を臆面もなく口にする。



「情報の秘匿と引き換えに私が要求するのは、自由と纏まった金。そしてこの世界の情報です。呑んで、頂けますよね?」  

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