第03話
気づくと、自宅だった。
見慣れた天井に、見慣れた電灯。
真尋は目を開け、周囲を見回した。頭が重くて、体が怠くて、気力が少しも感じられない。
「あ。気付かれました?」
声に導かれて視線を動かす。
斜め方向を見ると、見覚えのある女の子がこちらを見下ろしていた。
肩より少しだけ長い髪の、優しげな顔立ちの女の子だ。
――誰。瑛凛の友達、かな。あぁ、夜道で話しかけて来た子か。
「あの、僕……。いつここに戻って来たんだろう」
呟くと、彼女は微笑み「覚えてないんですか」と囁いた。
「私達で送って来たんですよ」
――私……〈達〉?
ゆっくり上半身を起こして室内を確認すると、他にふたりの人間が居た。
ひとりは真尋より年上に見える女性で、もうひとりは自分と同じ
女性の髪は少女よりも十センチほど長く、体つきは細っそりとしているように思える。
男は、あまり興味無さげにこちらを見ていた。女子には好かれそうな顔、かな。スッキリと整った顔立ちをしている。
「私は
どうやら女性が明日香で、男が倫、らしい。
みんなでテーブルを囲み、こちらを見ている。注目されるのは、イヤな感じだ。
「は、初めまして。門倉真尋です」ととりあえず自己紹介などしてみるのだが、一体どう言う状況なのだコレは。全く理解出来ない。
――倒れた僕を助けてくれた……それだけ、か? いや、名指しで話しかけて来たよな? 確か。
「あの、僕に何か用事でも?」
水羽がコクリと小さく頷いて、一呼吸置いた。
「瑛凛さんに会いに来たのですけど」
どくん。と鋭い鼓動が体を貫く。
「もう連れて行かれてしまったんですね?」
「え?」
「〈あいつ〉に」
体がビクン、と反応した。
「あ……いつ、って」
瑛凛が好きになったとか言う男、の事だろうか。
「二年前、私の姉が連れて行かれました。明日香さんは、姉の親友なんです。そして倫は私達の幼馴染みで、母の親友の息子さんです。彼のお母さんも、九年前――そいつに連れて行かれたんです」
「え……っ。ちょ、待って。どう言う事ですか。そいつ、人を集めてるの?」
瑛凛のようにして?
――この子のお姉さんとかならまぁ、分からなくもないけど……。
真尋は倫の顔を盗み見る。
鼻のラインがスッとしていて、くちびるは薄い方、だろうか。目元はどちらかと言うと、涼しげだった。
――この人のお母さんが? 九年も前に?
瑛凛が好きだとか言うから、まだ若い男かと思っていたけれど。
――まさか中年相手に恋をしたとか言うわけ?
世の中にはそう言う趣味の人も居るだろう。
けれど、瑛凛がそうだったのかと思うと、驚いてしまう。というか、軽くショックだった。
――なんで、どうしてオッサンに……瑛凛が、オッサンに……ううぅ。
真尋より見知らぬオッサンを選んだ瑛凛。選ばれなかった自分。
ショック過ぎて、思考が停止しそうになる。
「あの、みなさんはどうしてその男の事や、瑛凛の事を知ってるんですか」
「あいつの事を調べてるの。そしたら最近、あいつの傍にまた新しい女の子が居るな、って。その子の写真を撮って、あちこちの学校を探して回ったの。やっと辿り着いたと思ったのに」
苦そうに水羽が言った。何と言う地道な調査だろう。と言うか。
「男の事、分かってるんですか? だったら僕にも教えて下さいっ」
「まぁ、そうだよね。連れ戻したいって思うよね」と、明日香が苦笑いを浮かべて呟く。
明日香は落ち着いた、穏やかな声をしている。透明感のある水羽とは対照的に感じられた。
「ところで真尋くん」
「え、はい?」
「晩ごはん、食べたの?」
ごはん、どころではない。真尋は首を横に振った。
「じゃあお話の続きは食事の後で~」
明日香はそう言って笑った。
「えっ! 僕、とてもそんな気分じゃ!」
焦りが言葉となって飛び出す。この人達の情報さえあれば、瑛凛を連れ戻せるかも知れないのに。
――こんな時に食ったりしたら、吐きそうだし!
「ダメ。あなたさっき、泣きながら意識を無くしたのよ? 自覚は無くても、もの凄いダメージ受けてるんだから、少し休息が必要なの。そんな動揺した状態で、これからの事を冷静に考えられるとでも思ってるの?」
それは、そうかも知れないけれど、でも。
「僕の所に来てくれたって言う事は、力になってくれるんですか」
「そのつもりだけど」と明日香が言ってくれた。腹の奥に、ぬくもりが蘇って来るのを真尋は感じた。
「瑛凛を、僕は連れ戻していいって思いますか?」
好きな人の所へ、自分の意思で行ったあの子を。
「わたし達の立場からすれば、それを否定なんかしない。でも」
明日香はそこで言葉を切った。
でも、とはどう言う事だろう。真尋の呼吸が止まりそうになる。
「その話こそ、後でね。じゃあ倫、立って。買い出しに行くわよ」
「え、今から?」
左腕を引っ張られながら、倫が呟く。
「そう。近くにスーパーあったでしょ。水羽は真尋くんとお留守番ね」
「うん、分かった」
「先走った話、しちゃダメよ」
「はぁい。ふたりとも、気をつけて行って来てね」
ふたりはコートを着込み「行って来ます」と出て行ってしまった。
水羽とふたりきり残されて、どうしていいのか分からない。
そう言えば今日は妙な日だな。さっきはここに、菜月が座っていたんだっけ。
――ノエル、どうなったろう。
やはり公園の茂みに居たのがノエルだったのだろうか。瑛凛は、場所の事までは言わなかったし。
――でも天使のアクセサリーに〈ノエル〉って……。
そんな事を考えていると、水羽の声が聞こえた。
「よかった」と。
――は? この状況で、何が?
思わず水羽の顔を見る。
彼女はハッとして真っ赤になり、両手を振って「ち、違うんです!」と否定した。
「あの、さっき私っ。道で真尋さんに声をかけた時の事を、思い出していて、あの……ふっふたりきりになれたからよかったとか呟いたわけじゃないんです、違うんですっ」
そんな、慌てて否定しなくても。
「えっと、あの……夜道で真尋さんの姿を見つけた瞬間、私、自分達が探しているのはこの人だって、突然思ったんです。瑛凛さんの事を聞き回ってた時に、お兄さんの写真は見せてもらった事はあったんですけど、でも、実物と写真って結構印象が違ってたりするじゃないですか! で、声をかけた時の単なる直感が間違ってなくてよかったって。人間違いしなくてよかったって、そう言う事なんですぅ!」
「そ、そうだろうね。間違えて声をかけるのは、恥ずかしいもんね」
「そうなんです! だから私、真尋さんを間違えなくてよかったなーって、そう言う事なんです! 他に意味は無いんですぅ~!」
「う、うん。分かったよ」
「あ、ありがとうございます……」
力が抜けたのだろうか。水羽はしゅん、と肩を落としたように見える。何もそんな風に落ち込まなくても。
――この人達。僕の所にまで辿り着いてくれたんだな。
あと数分早ければ、瑛凛を止める事が出来たのだうろか。今更そんな事を考えても仕方の無い事だとは、分かっているのだけれど。
「そう言えば、相手の男」
「はい?」
「犯罪者、なの?」
「それは……」
人を連れ去った時点で犯罪者である。家出するようにそそのかす事も、犯罪なのではないだろうか。犯罪の種類について知識を持たないから、よく分からないが。
「ここ最近の、動物を殺したりしてる犯人。その男だったりしない?」
それともそこまでは知らない、だろうか。警察でさえ捕まえられない犯人の事なんて、知らなくて当然なのだけど。
「それは多分、違うと思います」
水羽は言った。
「彼自身は、そんな事はしない。する必要が無いはず、だから」
ならば猟奇犯は別に居ると言う事か。少しだけ、ほんの少しだけ、安心した。
「それにあいつが犯人なら、ここ一年以内に多発する犯罪とは無関係だと思います。あいつの集めてる女の人達にやらせてるわけでもないはず。言ったでしょ、倫のお母さんがあいつの元へ行ったのは九年も前だって」
そう言えばそうか。瑛凛がノエルを殺したとか言うから、関連してるかと思っていた。
「その男、どうして女の人を集めてるのか知ってる?」
水羽は首を傾げ、難しそうな表情をした。
この子も単なる、被害者の親族だ。真尋より多少は長い時間、犯人について調べたのだろうが、詳細まで知らなくても当然か。
彼女は数秒、唸った後。
「ごめんなさい。分からないです」と水羽は言った。
「いや、こっちこそごめんね」
「あのぉ」
「なに」
「明日香ちゃん達が帰って来るまで、何かやって欲しい事とかあります?」
「え? な、なに?」
唐突過ぎて、理解不能だ。
「お掃除、とか」
――あぁ。間が持たないと言う事か。
正直、掃除とかされるのは迷惑だ。真尋は身動きしたくないから、他人にも動いて欲しくはない。放っておいて欲しい。て言うか、その前に。
「うち、そんな汚い?」
母親の私物はあいつが出て行った後に、少しずつだが全部捨てたし。
ムダな物は買わないので自分達の物は元々少ない。だから、散らかってはいないと思っていた。
まぁ確かに、拭き掃除とか大掃除とか頻繁にするわけでもないけれど。
だがきちんとした家庭で育った子から見たら、ダメな箇所が多いのだろうか。
ならば菜月にも、呆れられてたりするような所が多少、あったりした? 瑛凛に恥をかかせてしまったかも知れないな。
思わず室内を見回す。
「あっ、ごめんなさいっ! そう言う意味じゃなくて!」
謝られると、余計に気持ちが引きつる。
「せっかく私、今、ここに居るのに、何か出来る事はないのかなって。私に出来る事なんてそんなには無いから、必死で考えたのがお掃除だったんですけど。ごめんなさい」
しゅん、とまた肩を落とした。
「あの……そんなに気を遣ってくれなくていいよ」
「でも! 真尋さん、つらそうじゃないですかっ。私、あの時の気持ちが蘇って来て、分かるから……だから少しでも、私なんかじゃ出来る事なんてあまりないって分かってるけど、だけど、苦しそうな真尋さん見てたら、私に出来る事なら何でもして、少しでもラクになってもらいたいって、思って。図々しくてごめんなさいぃ」
耳まで真っ赤にして、涙を零している。
そうだな。そうだった。
大切な家族を奪われたのは、自分だけではないのだ。
この子は二年前に。それにあの倫とか言う奴は、九年も前に。
そんな幼い頃に、母親を奪われたのだっけ。
母親なんて居ない方が幸せだった自分達とは、違うのだろう。
誰にだって母親は大切なように思える。
クラスメートを見ていたって、毎日弁当を作ってもらって、洗濯をしてもらって、風呂だって掃除してもらえて。
愛情溢れる日々の生活の中で、きっと母親は欠かせない存在なのだ。
世界中で真尋が一番、不幸で可哀想なわけではない。他人と比べる事はバカげているけれど。
でも、見知らぬ年下の女の子が必死になってくれているのは、もしかしたら有難い事なのかも知れない。
それがたとえ、同情だったとしても。真尋に自分を重ねているだけなのだとしても。
「いや、こっちこそ心配かけたみたいで申し訳ないです」
苦しくて、胸が痛む。
瑛凛を失って、心の整理なんてつけられない。でも。
自分と似た境遇の人達が、居たのだ。
「あの、わざわざここまで来てくれて、ありがとうございます。僕ひとりだったら今頃、どうなってたか」
夜道で意識を失い、それこそ誰かに殺されていたかも知れない。無くはない話だ。
そうなってしまった時、傷つくのは誰?
瑛凛だ。
ノエルを殺した事だけでも、あの子にとっては心が壊れるほどの苦痛なのに、真尋まであの子の新たな傷になってはいけない。
そうならなくて、よかったのだ。
「そう思ってもらえます? 迷惑じゃなかったですか」
迷惑な気が、しないでもない。
だけどそれは、平穏を望む気持ちがあるから感じる事であって。
この異常な状況下では、居てくれた方が断然心強いのは確かだ。
現に今、驚きの連発により涙は止まってしまっている。
真尋は小さく「うん」と呟いた。
自分なんて、自分ひとりで立っていられないような人間、なのだ。
泣きながら意識を失ったのだと、明日香が言っていたではないか。
「突然押し掛けて来て、色々と騒がしくしてしまってごめんなさい。私、おとなしくしています。だから真尋さんも少し休んでください。ふたりが戻って来たらきっと叩き起こされますから、せめてそれまでは」
「うん、じゃあ」
そう言って真尋は、怠くて重い体を横たえた。まぶたの上に右腕を置いて、息を吐く。
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