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第01話


■01■

 あれから四年。

 ふたりの環境は何も変わらなかった。


 母親から祖母に、連絡だけは入ったらしいのだ。

 だが祖母は、病弱な祖父とふたり暮らしなので、真尋達を引き取る事が出来ないと言って来た。

 生活費は振り込んであげるからと言われ、金だけもらい、あの部屋で暮らしている。


 それは真尋と瑛凛にとって、一番いい状況だと思えた。

 誰からも干渉されず、最低限の生活が出来るのだ。


 だが間もなく中学三年生になる今、真尋は、高校への進学は無理だな、と考えている。

 誰かに相談するまでもなく、出来るなら働いた方がいいに決まっている。

 高齢の祖父母がいつまで送金してくれるか分からないし、瑛凛だってまだ小学生。学費や生活費だって必要だ。



 三年生に進学する直前の、春休みのある日。

 真尋はクラスメートの小田とふたりで出かけた。彼の買い物に付き合う形で。

 何と言う事はない、友達との平凡な一日である。


「あー、暗くなっちゃったな。ごめんな真尋、こんな時間まで付き合わせて。瑛凛ちゃんが待ってるから、もっと早く帰るつもりだったんだけど」


「気にしなくていいよ、別に。あいつだってもう六年なんだしさ」


 最寄り駅前の商業ビルを出た時、空は暗くなっていて、三日月が輝いていた。

 周囲に行き交う人は多いものの、誰もが早足に見える。きっとみんな、早く自宅へ帰り着きたいのだろう。


「でもここ一年ほど、物騒だし」


 小田が言うように、最近は気味の悪い事件が頻発している。

 猫や鳥などの小さな動物が、あちこちで屍体となって発見されているのだ。


 動物達の惨殺屍体は、最初の半年で百匹を超えていた。ペット、野良、野生、見境なくだ。道端、駐車場の奥、公園の隅――あらゆる所で発見されている。


 それだけに留まらず、子供が殺されていた事もあるらしい。

 二ヶ月ほど前、だったか。傷や破損の仕方がよく似ていたと言う。


 全てが同一犯ではないかも知れないし、悪意を爆発させてしまった単独犯なのかも知れない。


 何も判明しないまま一年近くこの不穏な事件は続いていて、誰もが外出はなるべくセーブしている様子。特に暗い時間帯になると、人通りは極端に減る。


 小田とは小学校の近くまで一緒に帰り、そこで別れた。

 ひとりになり、自宅への道を歩き始める。


 どうと言った特徴も無い、いたって普通の居住区域だ。近くに学校があり、スーパーがあり、コンビニやバス停があり、児童公園がある。

 ただ、行き交う人が極端に少ない。一年前なら、まだ子供さえ多く歩いていた時間帯なのに。


 けれど誰に命令されるまでもなく自制出来るのは、いい事なのかも知れない、と考えている時。

 真尋は自分以外の気配を感じてピクリ、とした。


 前方の、児童公園よりも向こうの歩道から、人影が歩いて来る。何かに呼びかけながら。

 改めて聞くと、女の子の声だった。


 ――あれ? この声に、名前……。


「ノエル……ノエルどこぉ? 出て来て、よぉ」


 少女の泣き声が、力なく何かに呼びかけている。


「ノエルって……もしかして菜月ちゃん?」


 数メートル先に居る影が一瞬、ビクンと反応して立ち止まった。ここから顔はハッキリと見えないが、あの体格に髪型は、瑛凛の親友の越原菜月 こしはらなつきではないだろうか。


「瑛凛ちゃんの、お兄さん?」


 そのシルエットは呟いた瞬間、ガクンと体勢を崩して座り込んだ。真尋は慌てて駆けつける。


「大丈夫っ? どうしたの、こんな時間に。もう真っ暗だよ」


 彼女は俯いたまま、首を何度も横に振る。


「ノエル、居ないの?」


 ノエルとは、彼女の自宅で飼われている雑種の小型犬だ。

 結構年寄りのはずで、瑛凛が幼い頃から遊ばせてもらっていたと思う。


「塾から帰ったら、居なくなってて!」


 心にツン、と嫌な予感が走る。

 こんな時期に、部屋飼いのノエルが、どうして。


 ――いや。時々庭には出すんだって、瑛凛が言ってなかったか?


「でも、もう遅いよ。一旦、帰った方がいいんじゃないのかな」


 ひとりで探し回っていただなんて、危ない。

 二ヶ月ほど前に殺された子は、二年生くらいだったはず。菜月は瑛凛より少し小柄だし、多少暴れたとしても、大人の男なら簡単に連れ去る事が出来るだろう。


「でも、でも……っ」


「お家の人は?」


「探してくれてる。でも連絡が来ないから、まだ見つかってないんだと思う」


 ――ああ。普通は電話、持ってるんだっけ。


 真尋も瑛凛も、携帯など持ってはいない。

 このような時は便利なのだろうけれど、でもだからと言って、いつまでも夜の道をウロウロさせるわけにはいかない。


「ここからなら、ウチの方が近いな……瑛凛も一緒に連れて、送って行ってあげるから。一度、家に戻ろうよ」


「でも」と納得しない菜月の肩に手を回し、立たせようとした時だ。


 公園の中の、奥の方から。

 バサリ。と妙に重々しい音が聞こえてきた。


 えっ? と思い、振り向こうとした時。


 外灯に照らされた広場の向こうの、奥の茂みの方から。

 あの、暗闇の方から。


 鳴き声がした。


 ――カラス?


 さっきのは羽音だったのだろうか。


 ――カラスって夜行性、だったっけ?


 それに、なんだろうこれは。空気が、妙だ。妙な雰囲気だ。


 ――カラスって、朝、生ゴミを漁るんじゃ。


 もう一度、鳴き声が響き渡る。

 真尋の心臓も、重い鼓動を打ち始めた。


「ここで待ってて」


「えっ?」


 真尋は立ち上がり、公園の中へ入ってゆく。

 ここは小さい頃いつも遊んでいた、ただの公園だ。友達と走り回り、ゲームをして、話をした。その頃の自分達が、幻覚となって走り回っている。


 そんな思い出を気にしている余裕は無く、真尋は奥の茂みだけを見つめて歩いた。


 歩いて、歩いて、複数の鳥の気配を捉える。

 その茂みまで、あと数歩。


 暗闇の中で黒い羽に覆われた鳥達が、グチャグチャと濡れた音を立てながら、頭を振っている。

 そのクチバシを、地面に突き刺しながら。


 ――地面? ……いや。


 びちり! びちり! と、何かが千切れるような音と、この臭い。

 吐き気のする、むせ返るような、この臭い。


「うっ!」と込み上げて来るモノを、真尋は両手で押さえ込んだ。

 必死に口を押さえ、無理やり息を飲み込む。全身に緊張が走り、筋肉が震えた。


 ――まさか、ノエル……?


「……あっ」と、すぐ後ろから菜月の声が聞こえる。

 驚いて振り向くと、彼女は地面に腕を伸ばした。

 そして拾い上げた物は、小さなアクセサリーに見えた。


「ノエル……の、首輪の」


 その掌にあるのは、小さな金色の天使だった。


「背中に〈ノエル〉って……従姉のサクラちゃんが、くれた……」


 では、やはり。

 あの暗闇の中で音をたて〈食べられているもの〉は。この臭いは、ノエルの……。


 真尋は菜月の腕を取り、ダッシュした。

 菜月はこちらの突然の行動に驚いたらしく、「きゃあ!」と叫んだ。それでも強く引っ張ると、何も言わずについて来る。


 真尋は叫んでしまいたかった。

 でも菜月の手前、そんな事は出来ない。


 とにかく走る。必死で走る。菜月の腕を引いて、自宅のコーポへと向かって。

 一秒でも早く、一歩でも遠く、あの公園から離れるのだ。


 ――あんなのあんなのあんなの……ノエルのはずがない!


 でも、だけど、確認する勇気など無くて。

 菜月を連れて逃げる事しか、真尋には出来なかった。



 数分後、真尋は菜月と一緒に自宅へと飛び込んだ。

 息が乱れて、声も出ない。


 部屋が明るいので瑛凛は居るようだが、玄関から見える部屋には居ないようであった。

 玄関はキッチンの一角にあり、奥が部屋だ。六畳と四畳半の狭い部屋だが、ふたりで暮らすなら充分だと思っている。でも、どちらにも瑛凛は見当たらない。


 キッチンから部屋を眺め呆然としていると、背中に触れられる感触があった。


「あの、もしかしてお風呂?」


 真尋が振り返ると、菜月がバスルームの方を見つめていた。確かにそちらに気配がある。

 脱衣場の扉に向かって「瑛凛、風呂か?」と問いかけると「うん」と返事が聞こえた。

 脱衣場には洗濯機があり、それも回している様子。


「菜月ちゃん来てるから、早くなー」


「えーっ? そうなの? ちょ、ちょっと待ってもらってて! ごめんって!」


 真尋は菜月に「だってさ」と言って、部屋へ入るように促した。


「散らかってて申し訳ないけど」


「そんな事、ないです。……お邪魔します」


 六畳の部屋は一応、リビングとして使っている。

 中央のローテーブル前に座ってもらった。味気ないコタツテーブルだ。愛らしい菜月には似合わないな、と真尋は思った。


 兄妹の私物は四畳半の隣室へ詰め込んでいる。

 寝る時は真尋がリビングで寝て、瑛凛が隣の部屋で寝ている。ふたりで適当に過ごしているから、キッチリと使い分けているわけでもないのだけれど。


「いきなり走らされて、喉乾いたでしょ。よかったら」と真尋は菜月にお茶を出した。

 彼女は小さく微笑み「ありがとうございます」と言い、受け取った。


 真尋も座ってお茶を飲み、ため息を吐く。


 それからしばらく、ふたりとも声を出せなかった。

 さっきは何を見たのかと聞かれるのが怖かったし、それはイヤな返事を聞きたくない菜月も同じ事だろう。

 耳鳴りが聞こえて来そうな静けさの中で、不快な鼓動と呼吸をくり返す。

 早く瑛凛が戻って来ないだろうかと、それだけを考えながら。



 風呂上がりのいい香りに包まれた瑛凛と共に、菜月を彼女の自宅玄関前まで送り届けた。


 庭付きの立派な一軒家に暮らす彼女の家族は、何度も頭を下げてくれた。祖母と母親だ。

 兄と父親がノエルを探しに出ているらしい。

 家族の止めるのも聞かず、菜月はノエルを探しに飛び出したと聞かされた。


「無事に帰って来れたからいいようなものの!」と強く怒られている。

 少し可哀想かな、と思った。でも心配する家族の気持ちも、よく分かる。


 公園で見た事を菜月の家族に言おうか言うまいか、真尋は迷った。

 けれど菜月の方が先に、ノエルのアクセサリーを拾ったと家族に話し始めた。


 真尋は自分が口を挟む事はないだろうと思い、何も言わず帰る事にした。後は大人達が警察に届けるなり何なり、するだろう。自分に出来る事など、もう無い。


「帰ろうか」と言うと、瑛凛も同意して頷いた。

 菜月に何度も「ありがとうございました」と言われ、見送られる。


 いや。自分は何もしていないから、お礼なんて言われたくない。

 罪悪感にも似た感情が、心を冷たくさせてゆく。

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