第2話伊東新輝の悩み(2)

 世間では魔獣、学者などは特異体あるいは獰猛化個体と呼ぶ、が現れ始めたのは三年ほど前からだろうか。

 当時は世界各地で新種の植物が発見された事が話題になった年でもあった。他にも様々な発見があった。世間で見れば有力政党と報道機関の癒着問題や世界規模の寒冷化現象、某中東国での内戦が原因による原油高騰など。

 そんな中で人々に最も影響を与えたのが獣の獰猛化だった。

 たかが獣が獰猛化するだけでは社会的な問題とはならないだろう。が、それが問題となるにはそれなりの理由がある。

 その理由が以下だ。


 その年、特定の種に限らず、突然他の種に飛び抜けて攻撃的な個体が現れることが発見された。

 日本国内で最初に発見されたのは日本猿だった。

 群れからはぐれたらしい一匹のオスが猪を狩る姿が、偶々調査用に仕掛けられていたカメラに映りこんだのだ。そのサルは自分よりも遥かに巨大な体躯を持つ猪に組みつき、猪の首を折るという、信じられないような方法で狩猟した。つまりそれを食料としたのだ。

 撮影された映像はニュースにも取り上げられた。

 当時はその映像を懐疑的に見る者も多く映像学校の生徒が造ったCGではないかとさえ噂された。むしろインターネット上では懐疑的な意見の方が優勢で、画像の粗や影の向き、映った猿の動きがワイヤーアクションのようだと言う事で真面目には語られていなかった。

 だが、それが真実だと知らせる事件が起こった。

 映像の真偽を確かめる為に映像が撮影されたと思われる場所に赴いた者達が居て、その猿に襲われ命を落としたのだ。運よく生き残った者が通報し、直ぐに警察と地元の猟友会が協力して山狩りが行われることになった。

 撮影された場所が人里近い場所でもあったし、何より野生動物とはいえ人を襲い味をしめた危険な存在を放置しておくわけには行かなかった。

 が、それは普通の狩とは異なっていた。初動時使用された火器の殆どが通用せず、麻酔も意味を成さなかったのだ。当時動員された彼らのうち、地元の警官が二人、猟友会の会員一人が件の猿によって命を落としている。

 最終的にSATの狙撃チームが動員されることとなった。

 このニュースは日本全国に衝撃を与え、他にも獰猛化した個体が居ないかの調査が急がれる事となった。その際に警察ではなく陸上自衛隊が動員された事も大きかっただろう。

 調査後も国内で百件近い獰猛化した動物による被害があった。

 獰猛化個体に出会った人はもれなく底知れない恐怖を覚えると言う。体が言う事を聞かなくなる。あるいは近くに存在するだけで気分を悪くし、体調を崩すという。そのため魔獣を目にしたらなすすべもなく死を待つしかない。そんな話がネットを中心に広がり誰かが魔獣と呼び始めた。そしていつの間にか世間でも魔獣と言う呼び方が一般的になって行った。


 そういった由来を考えると魔獣に立ち向かい軽いけがで済んだ新輝は運が良い。


「全く、ついてない」

 新輝は嘆息しながら窓の外を睨む。

 説得され病院に担ぎ込まれてから二十時間。

 簡単な治療を受けたら解放されるものだと思っていたのが、実際には両親が呼ばれ、一週間程検査入院を受ける事となった。一週間という日程は長いが、不測事態を想定して長めに取られているらしい。どうやら魔獣は未知の病原菌を媒介する事がある、との事で個室での入院だった。

「無茶するからよ」

 着替えを届けに来た母、洋子が困った風に言う。

「無茶だと思わなかったんだよ」

 新輝はふて腐れた様に言って、荷物を置く母の姿を横目で見る。

 魔獣に襲われたと聞かされて駆けつけた両親は表情を硬くし、絶望に染まったような顔をしていた。新輝は思い出すと悪い事をした気になる。

 それにあの時は何とかできると疑いもせず飛び出した。実際には何ともできずに死にかけたのだが……。

「そうそう、お店で店長さんに事情説明してきたんだけど、アンタが逃がした女の子たちがね朝早くにお礼に来てたって」

 思い出したように言う。

「ああ、そう」

 新輝の返事は素っ気ない。

「なあに、その反応。嬉しくないの? 年下の女の子、彼女いないんだし付き合っちゃえば?」

「何でそうなるんだよ。話が飛躍しすぎだ。というか見も知らない女の子だぞ」

「出会いは何処にあるか分からないじゃない。連絡先だけでも交換するとかね。もしかしたらその子、私の事いつかお母さんって呼んでくれるかも」

 洋子は悪戯っぽく言う。

 何て母親だ、新輝は閉口して再び窓の外を見やる。

「それじゃ、帰るけど必要なものがあったら連絡して」

 そう言って洋子は部屋を後にする。

 新輝は扉が閉まる音を聞いてから、母の出て行った扉を見る。昨晩の今にも取り乱しそうな両親の表情を思い出せば、きっと今の母の言葉は強がりだったのかもしれない、そんな風にも考えてしまう。

 

 検査で入院して三日目。

 早朝から来訪者があった。

 まだ年若い二十代半ばの人当たりの良い笑顔をする青年で、進藤啓吾と名乗った。

「今のところ特に異常はないようだね」

 ニコニコと笑みを崩さない。

「まぁ、怪我くらいなものですから」

 新輝はベッド端に腰掛け青年を見上げる。先日は朝からずっと事情聴取を受けていて、同じことを繰り返し喋っている。これ以上語る事は無いのだが、と気分がめいってくる。

「そう言える君は凄いよ」

 進藤は苦笑を浮かべ、近くのパイプ椅子を引き寄せると断ってから腰を下ろす。

「凄い、とは?」

 てっきりまた同じことを聞かれると思っていたから拍子抜けしてしまう。

「魔獣は厄介な奴らでね。いわゆる超能力を使うんだ」

 進藤は真面目くさった顔で言う。

「超能力、ですか」

「知らないかい? 去年か一昨年あたりMITのメグナード博士らが共同で発表したのがニュースになっていたと思うんだが」

「ああ、そう言えば」

 一昨年の春先頃だろうか、人間には超能力がある、という今まで眉唾物とされていた似非科学を証明してしまう世界的な発見があった。但し、それは映画等でヒーローが使うような強力な破壊の力や雷や天候を操る力ではない。

「確か、共感応能力、でしたっけ」

 隔てた場所にいる他者に自身の感情を伝えたり、読み取ったりする能力で、どちらかというと地味で役に立つかどうか分からないような能力だ。件の学者の説では訓練次第で誰にでも扱えるようになるとの事で、今年の夏から全国の学校で試験的に訓練授業がカリキュラムに取り入れられるはずだ。今は、急ピッチで教育者となる人材を育成しているのだとか。

「そう、そういうのを使うんだ」

 進藤は鷹揚に頷いて見せる。

「はぁ」

 新輝はこの話の意図が読めないでいた。魔獣が超能力を使うからと言って何だと言うのか、危険な存在には変わりない。

「相手を威圧して動きを封じてから仕留める。これはね、もうどうしようもない事なんだ。訓練を受けてない人間が感応による威圧を受ければ簡単に恐慌状態に陥ってしまう」

「大変ですね」

「そう、大変な事なんだ。大変な事なんだよ」

 進藤は声を上げて身を乗り出す。

「分りましたから、落ち着いて下さい」

「すまない。少し興奮してしまった。だが、他人事のように言うが君にも関係ある話なんだよ」

 と進藤は居住いを糺す。

「俺に、ですか」

 新輝は首をかしげる。

「僕はさっき、訓練を受けていない人間が感応による威圧を受けると恐慌状態に陥ると説明したんだけど、君はそういう訓練を受けたことがあるのかい?」

「受けた事無いですけど」

「そこだよ。君には素質がある。どうだろう、専門の訓練を受けてみないか?」

「お断りします」

 逡巡もない。

「あれ、即答かい? 普通は悩んだりするものなんだけど……」

「受ける理由もありませんし、それに俺には訓練を受ける時間もない」

 こうして検査だなんだと病室に押し込められる現状ですら時間の無駄だと考えている。

「君にとって悪い話じゃないと思うんだけどね。今はまだ公にされていないけど、訓練を受ける事で幾つかの資格を手に入れられるんだよ。しかも国家資格だ。それを持っていればこの先食うには困らない。調べたところ君は随分と貯蓄に熱心だそうじゃないか」

 ピクリ、と新輝の眉が跳ね、目つきが鋭くなる。

「そう警戒しないでくれよ。別に理由については詮索しないさ。君の年ごろだと欲しいものも色々あるだろう。ただ、僕らは人材が欲しい、君はお金が欲しい。そういう利害の一致で仲良くできると思うんだ。それに訓練と言っても資質によるけど僕の見立てじゃ君は二月も有れば資格試験を受けられるまでになるだろう。もし、訓練に掛かる費用が気になっているんだったら、此方から声を掛けたんだ、そこは免除されるから心配しなくていい」

 進藤は一気にまくしたてた。

「ちょ、ちょっと待ってください。気になってたんですが、進藤さん、あなた何者なんですか」

 進藤は姿を現してから自分の名前以外は明かしていない。話の内容から警察か何かだろうと推測は出来るが、それ以上の事は分からない。

「ああ、そう言えば言ってなかったね。僕は、いわゆるSHTに所属する隊員なんだ。ほら、偶にテレビにも出てくるだろ?」

 SHTはSATから分れた組織で正式には特殊狩猟部隊と呼ばれていて魔獣相手専門の部隊だ。それくらいの知識は新輝にはある。しかも創設からまだ何年も経っていないが、世間を安心させるためかメディアへの露出は高く、認知度で言えば既にSAT以上だ。なにせあちらは隊員の素性を明かさない。

「出てますね」

 構成員がみな常人離れした身体能力を有し、特別な専用装備を持っている為か老若男女問わずに人気が高い。一部の隊員などはアイドル視されてファンまで居る始末だ。

「遠回しになってしまったけど、どうだろう」

「勧誘ですか」

「そうなるかな。さっきは言わなかったけど免除する代わりうちに来てもらうって契約なんだ」

 とブリーフケースから書類の入った封筒を取り出す。

「どうかな、僕らと一緒に働いてみないか?」

 進藤は笑みを浮かべ、封筒を差し出す。

「お断りします」

 新輝ははっきりとそう告げた。

「どうしても駄目かい? 給料は良いし、やりがいのある仕事だよ?」

「お断りします」

「国の安全を守る誇り高い仕事だよ?」

「お断りします」

 新輝の言葉はぶれない。

「そうか、結構人気あるんだけどな。子供たちとかに人気もあるし」

「大きいお友達にも人気があるみたいですね」

「そうそう、ウチの女の子たちなんかアイドルみたいな扱いさ。そこでどうだろう」

「お断りします」

「どうやら意思は固いみたいだね」

 進藤はがっくりと肩を落とす。

「危険な事はしないと決めていますから」

「……それ、キミの口からいうのかい」

 自然と進藤は非難めいた口調になる。だが、新輝としては危険に飛び込んだ自覚は余り無かったから仕方ない。

「それを言われるとなぁ……」

 自然と苦虫を潰した様な顔になる。

「まぁ、考えておいてくれるだけでもいいよ。それより本題に入ろうか」

 進藤は先ほどと打って変わって明るい表情になる。

「勧誘が本題だったんじゃないんですか」

「あれは僕個人の趣味さ。目ぼしい人材が居れば余所に取られる前に先んじて唾を付けておくっていうね。君を尋ねた目的って言うのはこれさ」

 進藤はケースの中からファイルを取り出し、その中から一枚の写真を取り出す。

 写真には一人の少女が雑誌コーナーで立ち読みする姿が写っている。

 どうやら新輝のバイトするコンビニの監視カメラの映像から抜き出したものらしい。

「彼女が何か?」

 新輝は首をかしげる。

 記憶が確かならずっと店内に居たし、魔獣とは何のかかわりもないだろう。確かに奇妙な、印象に残る少女だったが。

「彼女、常連さんかな」

 奇妙な事を尋ねるものだ、と新輝は思う。

「常連ではないかな。ちょっと可愛かったし常連なら直ぐに顔覚えそうなもんです」

 そういう事は店長にでも聞けばいいのだ、なにせ店長は毎日朝から夕方まで店に居るのだから。

そんな新輝の心を読んだのか

「店長さんは覚えていないって言うんだよ。君は覚えているんだね」

「覚えてるも何も、その日の事は忘れろって方が無理ですよ」

 新輝は苦笑して見せる。

「それもそうか」

 進藤はうんうんと頷いて見せる。

「で、彼女が何か?」

「君ねぇ、あの場に居合わせて覚えてないのかい? 皆呆然自失になってた事」

 呆れたような進藤の言葉に、先日の事が思い出される。

 誰も彼もが動きを止め、その中を彼女一人悠然と去って行った。

「その顔は覚えているみたいだね」

「まぁ、忘れろって方が無理ですよ。結構印象的でしたから」

 あたかも自分以外が静止したような世界は後にも先にも見る事は無いだろう、新輝はそんな風に思う。

「……キミ、変わってるって言われないかい?」

「言われたことは無いですね。それで、彼女を探してるんですか?」

「うーん、そうなんだけど。もっとこう、あ、あの娘は一体―! とか、あれはなんだったんですか―! とかないのかなぁ」

 進藤は大げさに言い、チラリと新輝を見る。

「確かに変わった感じでしたけど、でも普通の子でしたよ」

 新輝の言葉に進藤は大げさに驚いて見せる。

「アレが普通? いや、馬鹿を言っちゃいけないよ。あれはね……」

 何かを言いかけて口を噤む。

「あれは、何です?」

「……本当に動じないね。僕としてはリアクションが欲しいんだけど」

「得意じゃないので」

「キミ、友達居ないだろ」

「そういえば、いませんね」

 思い起こせば高校に入ってからは人付き合いをしなくなっていた。このままではいけないと思いつつもバイトと勉強を優先させていたから今では話をするのは両親以外居ない。

「自分で言ってて悲しくならない?」

「……それは」

 自然と視線が落ちていく。

「はっはー、そうそういうリアクション、スカしてる癖に寂しいんだね」

 進藤は一矢報いたとばかりに笑い、満足したのか目じりに浮いた涙を拭いつつ立ち上がる。

 新輝は憮然とした表情で立ち上がった進藤を見上げる。

「いや、悪かった。ぷっふふ」

 そう言いつつも進藤は口元を押さえて呼吸を整えようとしている。

「大人げない人だな」

「おいおい、そんなに怒らないでくれよ。職場でも言われてて気にしてるんだから」

 進藤は悪びれずに笑顔を崩さないまま言う。

「どうせ気にしてないだろ」

「お、素が出てるよ新輝君」

「ふん、アンタに対して繕う気は失せたよ」

「生意気だけど、そういう喋りの方が君はしっくりくる」

「そうかい」

 視線を逸らす。

「そうそう、あの娘の事だけど」

 と進藤の言葉に新輝が顔を戻すと、そこには張り付いたような笑みは無かった。

「もし見かけても関わろうとはしない事だよ。見かけたらすぐに連絡をくれ」

 どこか張りつめたような空気を纏っていた。

 だが、それも一瞬で相好を崩す。

「あ、気が変わって入隊したいって時も連絡してくれていいから。待ってるよ!」

 進藤はそう言い残すと病室から出て行った。

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F.O.G. ジョージ・ドランカー @-hrwu-g

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