red crystal③

 ──敵。


 赤い色の巨大なスライム。天井に近いほどの大きさなので大体2mほどの高さ。そして、横幅は廊下の端から端まで届くほどの大きさだったので、大体3mほど。


 ──味方。


 自称勇者の金髪碧眼、そして巨乳の美少女。特徴は柔らかい。

それに加えて、俺。平凡な高校一年生。


 一見、勝ち目はない。スライムと言っても、相手は巨大な体を持つ。それに対して俺と隣の自称勇者の体は小さい。そして、その勇者は『逃げない』と言っている。

 逃げたい気持ちで一杯だけど、勇者と言っても女の子を一人残して自分だけ逃げるのは流石にダメだろう。


 そんな訳で、共に行動、つまり、デカくて赤いスライムを倒すことに決めた。正直、もうお家に帰りたい。帰って布団に飛び込んで、今日起きたことを忘れたい。

 のだが、無理っぽい。凛とした顔付きのエレインを見ていると、スライムを倒すまでは帰れないんだろうなと思う。あんなバケモノと戦うなんて無謀を強いられている勇者や光の戦士たちは凄いなと改めて感じる。

村人BぐらいのNPCキャラみたいな俺にはとてもじゃないけど立ち向かえない。


 ただし、立ち向かえないなんてのは、攻略法が分かっていない時の話だ。


「イチロー、ビッグ・レッドスライムの姿はありません。行きましょう」


 いつの間にか、女子トイレの扉を少し開けて廊下を確認していたエレインの声でハッと我に帰る。

 俺は頷き、エレインに続いて廊下へと出た。


「それで、どこに行けばいいのでしょうか?」

「食堂だ」

「なるほど、包丁などの武器を調達するのですね。それに、水系統の魔法をエンチャント付加して使えば、スライムは簡単に倒せます」


 包丁は武器ではありませんと、エレインに説教をしようと思ったが今は時間が惜しい。何も言わずに廊下を先行する。幸運にもスライムの気配はない。


 そろそろと気配を殺しながら廊下を進むと、すぐに食堂が見えてきた。そこには何の影もなく不気味なほど静まり返っていた。医者も看護師も患者もいない。


 あるのは、静かな空間。壁の高い位置につけられた窓から光が差しており、長閑な雰囲気を醸し出している食堂であるものの、いつここが戦場になるかは分からない。

 音を立てないように慎重に歩を進める。目的地は食堂の中の調理場だ。


「イチロー」


 調理場の中に入ったのと同時にエレインが俺に声を掛けた。だが、俺は答える余裕はない。

 いつスライムが襲って来るか分からない状況の中、手早く準備を進めないと勝ち目はなくなってしまう。


「イチロー」


 エレインに背を向けたまま俺は調理場の台に置かれていた鍋を手に取って、それに水を入れるために蛇口を捻った。

 蛇口から流れる水と金属製の鍋が立てる音が調理場内に響く。思いの外、大きな音に対して、嫌な予感がした。この病院の中のどこかにいるスライムに、この音が届いたのではないか? もしそうなら、マズイ。素早く準備を整えないといけない。

 水が入った鍋をコンロの上に置いて、火を点ける。あとは湯が沸くまで待つだけ。


「イチロー」

「何?」


 何度も俺を呼ぶエレインに手が空いたので振り返る。


 うーん。少しトリップしよう。


 小学校の夏休みの自由研究で“スライムについて”というタイトルでレポートを提出したことがある俺はスライムについては人並み以上に詳しいと自負している。スライムとは言っても、俺が自由研究をしたスライムは動くことはないものではあったが。


 で、スライムの作り方だが、まずは容器に水を入れる。

 容器はなんでもいい。だが、使い捨てし易く、粘性のあるスライムを取り出しやすいという理由から俺はコンビニやスーパーで売られているプラスチックカップをオススメする。

 そして、容器の水の中に絵具を投入。色はお好みで。スライムと言えば青のイメージを持つ人が多いだろうが、赤の絵具を使えば目の前にいる赤いスライムのようなスライムを作ることもできる。

 容器の中の色がついた水にPVA洗濯のりを色水と同じぐらいの量を注ぎ入れて、更にほう砂を溶かした水を色水に注ぎながら混ぜていくと出来上がり。

 サイズは違うものの、目の前にドンと存在するものとほぼ同等の質感だ。


 それから、俺が今、湯を沸かしているのには理由がある。

 スライムには、お湯が有効ということだ。スライムの主成分はPVAの洗濯のり。それはお湯で融ける性質がある。間違えて作ったスライムを服などに着けてしまって落ちない時はお湯で手洗いすることで落ちる。

 目の前のスライムも同じスライムである以上、お湯は有効だろう。それに、生物である以上、熱湯を掛けられて無事でいられるなんてのはクマムシぐらいなものだろう。クマムシは凄い。100℃から絶対零度まで耐えることができるなんて凄い。


「イチロー」

「どうしようか」


 現実逃避していた俺をエレインの声が現実に引き戻す。

 コンロの上の水はまだ温まってないし、黄金の剣はおろかヒノキの棒すらもない。そして、前方、約5mには巨大なスライムがこっちを見ているときた。

 仲間になりたそうな感じじゃない。真逆の敵対心バリバリのような感じだ。体中が蠢いて所々、突起が生えたように体の形を変えている巨大な赤いスライムを前に絶体絶命な状況。命を大事にしたい所だが、逃げ切れる訳もなく調理場でエレインと二人佇んでいた。


「イチロー。策があるのですね?」


 と、エレインが口を開く。絶体絶命な状況の中、エレインの冷静な声は俺の心へとスッと入ってきた。落ち着きを取り戻し、俺はコンロの上の鍋を見る。


「策はある。だが、その準備のためにあと5分ほど掛かる」

「5分……ですか」


 エレインには常識を昨日の夜の内に親父とお袋、それに加えて姉貴が教えていた。それをたちまちの内に吸収するように学ぶエレインの姿を見て、天才というのはエレインのような人のことを言うのだろうなと思った。

 いけない、また現実逃避をしてしまった。今の状況がどうやっても覆せないと理解してしまったからこそ、現実を直視したくないのだろう。

 自分の心をそう分析している間にエレインは調理場から抜け出していた。


「エレイン」


 調理場に備え付けられているカウンター越しにエレインの名前を呼ぶが、エレインは振り返らずに拳を作って親指を立てる。


「私が囮になります」

「だが……」

「大丈夫です。私は負けません」


 サムズアップを見せたエレインの表情は見えない。


「それに、あなたの準備が終われば助けてくれると信じています。今はお互いにできることをする。それが最善ではないでしょうか?」


 敵を前にして下がることのないエレインの姿は美しかった。

 最後に金髪を揺らしたエレインは床を蹴り、スライムへと向かっていく。空中に躍り出たエレインの体は、そのまま真っ直ぐにスライムへと向かっていき、プニョンとマヌケな音を立ててスライムの体へと取り込まれた。


「しまった!」


 整理しよう。

 エレイン、スライムに跳び蹴りを喰らわせようとする。スライムには物理攻撃は効かなかった! エレイン、スライムに捕まる。

 今、ここ!


 エレインが言うには、あのスライムと戦ったことがあるらしい。自称勇者だと自己紹介をしたエレインのそれは妄想だと昨日は思ったが、あながち妄想ではないかもしれないと思い始めた矢先の出来事だった。

 スライムには殴る蹴るなどの物理攻撃は効かない。それは見た目から分かりそうなものだがと絶句していると、エレインの体に変化が起きているのが目に入った。


 エレインが着ている服からいくつもの泡が出ている。そして、段々と肌色の面積が広がっている。


「エレイン!」

「あなたはそこで準備をし続けていてください! 命に別状はありません!」


 そうは言っても、絶賛、スライムに包まれて服が融けている。よくやった、スライム……じゃなくて、服だけ融かすなんて、なんていうか……なんていうの、これ!?

 え? エロゲー?

 俺まだ18歳じゃないんですけど、大丈夫なの? 捕まらない? いや、捕まるでしょ、これは。

 スライムに包まれた半裸の美少女(巨乳)の前でボケッと立っているだけの俺。うん、捕まるね。


 これからの行動をどうするべきか決めかねているとエレインの声が俺に届いた。


「イチロー、聞いてください。スライムの習性として、まず衣服のみを融かします。その後で、人間を養分にするので、しばらくは大丈夫です。心配しないでください。囮としての責務は果たします!」

「……分かった」


 覚悟を決めた決意の声。自分の身を危険に晒してでも、俺がスライムを倒すというチャンスをくれたのだと理解した。

 エレインという獲物を体の中に取り込み、動かなくなったスライムを睨みつけ俺は俺にできることを行う。


 つまり、お湯が沸くまで鍋を見続けることだ。それしかできないなんて辛い。


「エレイン。すぐに助ける」

「は、はい。待っています」


 何もしていないのも癪だったので、取り敢えずエレインに声を掛ける。だが、会話はそれだけだった。そもそも、会話というのが苦手な俺だ。昨日のように混乱の極みまで行けば、話は別だが、普段は寡黙なクールキャラを通り越して存在感がなくなるというレベルまで至っている。

 このまま気配を消していれば、スライムにも気がつかれないだろう、というか奴は全く動く素振りはない。

 チラッとスライムの方を見てみると、動かない赤透明な体の中に瑞々しい肌色があった。


 クソッ! エロゲー生物め。薄い本の中だけに生息しておけばいいものの。


 スライムに呪詛の言葉を心の中で浴びせながら、お湯がなみなみと入った鍋を持ち、スライムへと近づく。動かない奴に熱湯を浴びせるのは良心が痛むが、須佐之男命スサノオノミコト八岐大蛇ヤマタノオロチに酒を飲まして酔っぱらって寝ている内に首を掻き切ったこともあると聞く。

 それに比べれば、熱湯を浴びせるのは、まだ優しいことだろうと自分を納得させて、俺は鍋をひっくり返した。


「キシュゥウウウウー!」


 変な声をあげながら、お湯に融けてゼリー状の体が液体へと変わっていくスライムに心の中で合掌する。

 化けて出るなよ……もうすでにバケモノだけど。


 呆気なく勝負がついて、スライムは自由研究の研究結果通り倒すことができた。しかしながら、これからが大変だった。

 なんせ、お湯が沸くまでの間にスライムはエレインの服を融かし切っていた訳で、全裸の美少女(巨乳)が赤くて粘ついた液体塗れになっている光景を俺は見てしまったのだ。

 女性は果実に例えられることもあるというが、赤いローションのようなスライムが変質したものに全身を覆われているエレインは、例えるならばリンゴのようだった。

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