red crystal①
「ハハハ。なるほど、実によく分かりました。ドスペランザと同等の規模の国かと思えば、何ですか、この未来を予想した本に出てきそうな国は? いえ、分かりました。ここは魔王が作り出した夢の世界に違いありません!」
そう言って、頬を抓るエレイン。
「痛い……」
涙目になるほど抓らなくても。
エレインは涙が零れそうな目を上に向ける。『勇者は涙を流さない』と自分に言い続けているエレインではあるが、鼻声でその言葉を呟き続けているところがまたそそる。
「まさか、別の場所の光景を家に居ながらにして見ることができるとは……」
姉貴が散々、テレビのことを説明したことで原理は分かったようだが、今だに信じてくれない様子のエレイン。
江戸時代から来た武士が一人暮らしの女の子の部屋に転がり込んだドラマと、今の頬を何度も抓って最後には涙を流してしまったエレインの様子は同じ感じだ。
クリスマスということでアメリカのクリスマスツリーからテレビ中継をしているお天気お姉さんをテレビに顔を近づけて見ているエレインから目を離し、朝食のキノコのスープを啜る。
姉貴が『そんなに近くでテレビを見たら目を悪くするから離れて見て!』と叫んでいるのを見ながらトーストを口に入れる午前8時。
「平和だな」
そう言えるほどには、この時の俺には余裕があった。しかしながら、その余裕はすぐに消し去られるのが世間の辛い所であったということをこの時の俺はまだ知らなかった。
+++
朝食を終え、俺はコートを羽織る。
昨日、エレインに押し倒され、コンクリートに後頭部を叩きつけられたので再検査に行って来いとお袋から言われたからだ。
特に痛みもなく……いや、それは嘘。今もジンジンと痛みがあるものの、大した痛みじゃないから放って置きたかった。しかし、お袋の無言の圧力で俺は渋々、病院へと行くこととなった。
普段、無口なお袋が何も言わずに俺をジッと見て、俺が何かを言おうとすると『病院』という単語だけを口にするモードに入られたら俺に打つべき手はない。いや、正確には一つだけある。素直にお袋の言うことに従うということだ。
そんな訳で、昨日担ぎ込まれた病院へと再検査のために向かおうと玄関まで出る。お袋は車を出そうかと言ってくれたが、恥ずかしく思い、それを断った。ちなみに、親父は昨日の夜にワインをしこたま飲んで酔いつぶれている。お袋と比べての親父の対応。モミの木の葉を顔にぶちまけたかった。
まあ、親父が病院について来るなんてごねなくて助かった側面もあるにはあるが、それでも俺の頭がパッカーンとなっているのに、グウスカ寝やがってという気持ちも強い。
そんな訳で、クリスマスに賑わう街を通って一人寂しく病院へと行こうと思っていた俺であったが、もう一人の提案は断ることができなかった。
「イチロー、手を」
「大丈夫。そんなに重い怪我じゃないし」
玄関で俺に手を差し伸べてくるのはエレインだ。
服は俺と会った時でボロボロになっていたということで、姉貴が渡した服を今は着ている。姉貴よりもスタイルがいいエレインなので、姉貴が『ぐぬぬ……』と言いながら自分の腕でエレインの腰回りを計りながら背中に顔を押し付け、匂いを嗅いでいた実に羨ましい光景を頭の隅に追いやって俺は立ち上がる。
「そうですか」
少し寂しそうな表情を浮かべたエレインを見て、もしギャルゲーとかなら選択肢をミスっていたと思うが、残念ながらこれは現実。ゲームの中なら百戦錬磨(そんなにプレイはしていないけど)な俺は迷わずエレインの手を取ってついでにキスをする所だが、現実ではシャイボーイ。女の子の手を握るのに必要な勇気は心を振り絞って雑巾のように心をギリギリとしても一滴も出て来やしなかった。
なんのための
意気地なしな自分にがっかりしながらも、俺の体は勝手に動き玄関のドアを開ける。ちなみに、心と体を切り離して動くことは俺の数少ない特技である。
エレインとは違い、表情を全く変えないまま俺は外へと出る。紳士を目指す俺はもちろん玄関からエレインが出るまで扉を押さえておくというイケメンな行動をしっかり守っている。
『ありがとうございます』と一言、俺に言ったエレインに思わず無言で頭を下げる。前々から思っていたことだが、なぜ、俺は『ありがとう』と言われたら無言で頭を下げるという行動を返してしまうのだろうか? 『You are welcome』と言えればカッコいいのに。いや、ないか。
そんな取り止めのないことを思いながらエレインを伴って俺は病院への道を行く。家から病院までは約15分。
ちらりと隣にいるエレインを見ると、日本の街並みが珍しいらしくキョロキョロと忙しく目を動かしている様子が見えた。昨日は夜ということでそれほど視界も利かなかっただろうし、昼の街並みは夜とは打って変わって明るいものとなっている。昼が明るくて夜が暗いっていうのは当たり前だけど。
「イチロー、アレはなんでしょうか?」
「イチロー、コレは?」
病院までの道のりの中でエレインは色々な物を指差しては、それの詳細を聞いて来る。
「それはガードレール。車が歩道に出ないためのもの」
「それはマンホール。下水管に繋がっている蓋」
返事が淡泊なのは仕様だ。相手が女の子だからという訳じゃない。心の中ではおしゃべりな俺だが、いざ言葉にしようとするとほとんどの文をカットして伝えてしまう低コスト仕様が身についてしまっている。
ちなみに、俺はこれを世界の修正力と呼んでいる。きっと、神様とやらは俺に長い文章を話させることを許していないということにしている訳だ。
実際は、ペラペラと流暢に話そうとする直前でどうしても恥ずかしくブレーキがかかってしまうコミュ障なだけ。詳しい原因は本人である俺にも分からない。
こんな具合でエレインに答えながら道を進んでいくと目の前に病院が見えてきた。
クリスマスだというのに、しっかり営業している病院に心の中で呪詛の言葉を浴びせる。クリスマスぐらい休めよ。そしたら、俺は今日ここに来なくて済んだし、医者の人たちは休めるしでWin-Winの関係を築けるというのに。
病院の扉を開くとギィーという音がした。まるで、俺の心を暗示するかのような動きの悪い扉に内心、共感しながらエレインを病院の中へと招く。
『ありがとうございます』というエレインに頭を下げて病院の受付の前まで進む。
「ん?」
しかし、いるハズの受付の人が見当たらない。どうしようかと考える俺だったが、いない人は呼べばいいと考えつき口を開ける。
でもなぁ。
大声で人を呼ぶのはダメだろう。病院の中は静かにするべきだし。誤解のないように言っておくが、最近、大きな声を出してないから大きな声を出したら上擦るんじゃないかとか思っている訳じゃない。あくまでも、他の人の迷惑になる可能性があるから声を出さないだけだ。
俺は口を閉じる。
何かないか? というより、こういう場合は大体、ベルが受付に置いているハズだ。
受付のカウンターに目線をやると、銀色の物体が目に入ってきた。その下にはテープに『係員がいなければ押して下さい』と書かれている。
予想が当たり、大きな声を出さなくてもいいことにホッとしながら銀色の卓上ベルを押す。
チリンと軽くも遠くまで響き渡る音が病院の廊下を渡っていく。と、遠くの方でバタンというドアが開くような音がした。音の方向からして、玄関から右手、つまり、俺の背後からの音だ。
振り返ると、俺の目線の先には綺麗な金髪。後姿も綺麗とかエレインは天使か何かかとツッコミを心の中で入れながらエレインよりも奥の方を見遣る。
俺から見える廊下で、一番奥の扉が開いている。しかし、人は出ていない。だが、人の代わりに出ているものがあった。
赤い。そして、光を反射して煌めいている。それがグニュグニュと動き、扉から出ている。
なんだ、アレ?
「走って!」
そう思った瞬間、俺はエレインに手を引かれて駆け出していた。
エレインに連れられて行く中、俺が振り返り見えたものは廊下の一番奥の部屋から出てきた大量の赤い“何か”だった。
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