勇者観察chu!~居候なんだもん、問題ないよね~②
人生には色々あるもので、遅刻しそうな時に曲がり角で後の恋人とぶつかったり、ある日突然、お爺さんが目の前に現れて『お前には途轍もない力が眠っている』と言われて世界を揺るがす大事件に巻き込まれたり、学校帰りに何の前触れもなくおっぱいダイブを顔で受け止める羽目になったりする。
「訳分かんねェ」
アルコールの匂いが鼻をつく病院の中で額を押さえながら俺は呟いた。
麻酔のお陰で痛みはないけど、糸が頭の皮を引っ張っているのは感じる。ちなみに、『縫合なら僕は得意だよ』と鼻を高くしていた親父には傷は触らせていない。
「お疲れさま」
「ん」
病院のロビーのソファに腰掛けていると親父がペットボトルに入ったお茶を差し出しているのが目に入った。一つ、礼を言って受け取る。蓋を開けて中身を喉に流し込むと、急に渇きを感じた。何も言わずに500mlのお茶を喉に流し込み喉を潤す。
大きく息を吐いた俺を優し気な顔で見る親父。その表情が妙に気に喰わなかったので眉根を寄せる。
「何?」
「一郎も慌てることがあるとはね。君はお母さんに似てクールだから。うん、あの時もそうだった。あれは僕とお母さんが出会って三日目の……」
「惚気話はいい」
親父の昔話は長くなる。それも、ほとんどが実の両親の惚気話。両親のイチャイチャした話などは聞いていて気分が悪くなる。友達の惚気話を聞くのも嫌だというのに。諸星め、爆発しろ。
最近、彼女ができて有頂天になっている友人に向かって心の中で呪詛の言葉を浴びせる。惚気話を聞かされ続けた俺は怒髪天になっているというのに、それに全く気付くことのないド阿呆めが。
『そんなこと言わないで聞いてよー』と俺に縋ってくる親父の顔を左手で掴みながら大きく溜息をつく。
できるなら、普通に幸せに過ごしたかった。カワイイ彼女と共に夕日に照らされる河川敷の通学路を自転車の二人乗りで帰りたかった。通学路に河川敷なんかないけど。
通学路でどこからか飛び出してきた血塗れの女の子に押し倒されるなんて望んじゃいなかった。それが、例え金髪碧眼で、更に巨乳で顔もカワイイ女の子だとしても望んじゃ……望んじゃ……ちくしょう、素晴らしいじゃないか。
漫画や小説のような事が起こる現実は男の夢だ。皆だってそうだろう? 授業中にテロリストが学校を占拠して、彼らに立ち向かう自分の姿を想像したことがあるハズだ。そして、そのテロリストが不思議な力を持っていて、それに共鳴した自分の力が覚醒して倒すということを想像したことがあるハズだ。そして、覚醒した自分の力、炎を纏って敵に体当たりをするという最後のシーンでは、敵の黒幕の正体が実は生き別れの兄だということを想像したことがあるハズだ。
だが、授業中なのでしっかりとノートは取っている。誰にも気取られてはならない。これは自分と自分の中の敵との戦いなのだから、一般人である他の奴らには関係のないことなのだから。
しかし、現実ではそんなことは一度もなくて、一番近い出来事と言えば避難訓練ぐらいなもの。
このように、異常とは無縁の生活だった俺が何でこんな訳の分からないことに巻き込まれなくちゃならないんだ。どうせ巻き込まれるんだったなら、少年ジ○ンプで一時期話題になったラブコメ漫画(エロ本に限りなく近い漫画)の主人公みたいなことに巻き込まれたかった。ハーレム最高! 肌色が画面一杯にあるのは幸せとしか言い様がないね!
……肌色。
ついさっきの肌色が顔を覆った出来事を思い出して少し顔が熱くなる。
「大神さん」
と、前から俺たちを呼ぶ声がした。
前を見ると、白衣を着た男性。救急車で連れられた際、女の子の方の救命に当たった医師だ。
「彼女が目を覚ましました」
医者の報告に胸を撫で下ろす。もし、彼女が助からなかったかと思うと、きっと俺はその後の人生で長い間、引きずることになっただろうから。
「良かったぁ。ね、一郎」
「ああ」
親父と笑い合う俺であったが、視界の端にある医者の顔付きに違和感を覚えた。患者が助かったというのに、全く笑っていない。それどころか、とても険しい顔付きをしている。
「何か、問題でもありましたか?」
医者のおじさんに俺が尋ねると、彼は眼鏡を少し押し上げて困ったように首の後ろに手を回す。
「私の手に負えない事態になっていましてね」
「手に負えない事態?」
「はい。彼女と話されますか?」
「いいんですか?」
医者の言うことに首を傾げる。あれほどの量の血を流していたというのに、すぐに話せるなんておかしい。普通は面会謝絶、絶対安静だと思う。
「ええ、彼女も助けてくれたことについてお礼を言いたいそうですので。どうぞ、こちらへ」
医者のおじさんに案内されるまま病院の廊下を無言で歩く。重苦しい空気が漂っていた。この空気の中では、いつも陽気な親父でも黙ったままとなっている。廊下に響くのは俺たちの足音だけだ。
と、前を進む医者のおじさんの足が止まった。彼の前にはスライド式のドアがある。それをゆっくりと開きながら、医者のおじさんは掌で俺たちに入るように勧める。
「どうも~。大神です」
開いたドアの隙間から体を滑り込ませる親父に続いて俺も病室へと入る。
白を基調とした部屋の大きな窓から夕陽が差し込み、ベッドから体を起こした彼女の姿をオレンジに染めていた。
サラサラな金色の髪が揺れ、薄い桃色の唇が動く。
「ドスペランザの勇者、エレイン・アングルブリです。以後、お見知りおきを」
時が止まったように感じた。
医者のおっさんが『でしょう?』という顔付きで俺たちを見る。確かに、これは手に負えない。まさか、俺にぶつかってきた綺麗でカワイイ外人の女の子が電波系だったとは。日本語が通じることがせめてもの救いか。
きっと真相はこのようなものだろう。
俺にぶつかった時、変な所から飛び出してきたのは俺の見間違いだったとして、血塗れだったということから考えると、彼女は事故か何かで記憶を失っている。そして、失った記憶の中、欠けた記憶を補完するように自分がどこかの国の勇者であると錯覚したのだろう。“ドスペランザ”という国か組織か、それは彼女のみが知るようなモノは聞いたことがないため、彼女の頭の中の存在でしかないと結論付けた俺は彼女に生優しい視線を返すしか取れる術はなかった。
「このような恰好で申し訳ないのですが、取り急ぎ、お礼の言葉を述べさせて貰おうと医師の方にお呼びして貰いました。助けてくださり、誠にありがとうございます」
「いえいえ、お気になされずにー。愚息が役に立ったようで幸いですー」
エレインと名乗る女の子のベッドの上にシュバッと腰掛ける親父。少しイラッとした。
俺はその様子を横目に、スマホを取り出してカメラのアプリケーションを起動させる。救急車を呼んだ時、俺にスマホを渡していたのが運のツキだ。
カシャッというカメラのシャッター音に気付いた親父は慌てた様子を見せた。
「一郎! ちょっと、何で撮ってるの!? もしかして、お母さんに見せるつもりじゃ……。やめて! ホントにやめてください! お願い!」
襟を掴んで俺の体を揺らす親父を冷ややかな目で見つめる。俺と同じくらいの年齢の女の子にデレデレしている親父の姿を目の前で見てしまった俺の心は、泣きそうになっている親父の姿では動かない。
しかし、俺へと『一体、何をしているんだ』という目線に気づき、スマホをポケットの中へと戻す。俺を止めたのは自称勇者の少女、エレインの目だった。
すっと心が落ち着いていく。記憶喪失であろう彼女の前でふざけるとは何ということを犯してしまったのかと自分を責める。しかしながら、彼女は軽く微笑んだ。
「いいご家族ですね」
「え? あ、うん」
彼女の言葉に思わず頷いていた。不満はあるものの、まあ、悪くはないかもしれない。家族仲はそれなりにいい方だと思っているし。
「えっと、アンブルブリさんはご家族は?」
『アン“グル”ブリです』と訂正を入れた彼女は寂しそうに項垂れる。
「家族……と言ってもいいのでしょうか? 少し複雑な関係ですが、家族はいます。ですが、私は勇者として生まれたので、一般的に言う“家族”とは違うと思います」
彼女が自分の家族について話したのは、そこまでだった。彼女は窓へと視線を向ける。
窓から見える空には星がいくつも輝いていた。
彼女は窓に向けていた視線を親父へと向けると、ベッドから降りながら、また頭を下げる。
「ミスター・オーガミ。正式な御礼は王宮への報告後にさせて頂いてもよろしいでしょうか?」
「うん、いいよ」
「では、これで私は失礼します。医療の費用はドスペランザの王宮へと請求してください。あと、申し訳ないのですが、私の装備などは拾ってなどいませんか?」
キビキビと動き始めた彼女に呆気に取られる。
「ちょっと、待った」
「どうしましたか?」
『怪我は大丈夫か』と聞こうとしたものの、小首を傾げる彼女の様子に心が奪われる。マジカワイイ。天使か。
「……もう少し休んだ方がいい」
一瞬、言葉に詰まったものの伝えたい言葉を口に出す。血塗れになるほどの大怪我をしているというのに、すぐに動こうとするなんて。麻酔が効いていて痛みはないのだろうが、それでも体に負担を掛けている事には間違いないというのに。
「いえ、大丈夫です」
キリリとした顔付きで凛と言い放った彼女だったが、彼女の体は不調を訴えていた。
それはキュルルという音で丁度、彼女の腹辺りから出た音だ。視線を向けると、彼女の頬がサッと赤くなった。
「親父、この子を今日、家に泊めてあげてもいいか?」
「ボクが駄目だって言うと思う? 答えはもちろん大歓迎サ☆」
ウインクを投げかけてくる親父。いつもならイラッとする父の仕草であるが、この時は何故か気にならなかった。
しかし、彼女は首を横に振る。
「お気持ちはありがたいのですが、王宮への報告を一刻も早くしなければ……」
彼女の言葉を切ったのは、またしても同じ音。彼女は赤く染めた顔を床へと向ける。
「まあまあ。昔から言うじゃない。『腹が減っては戦はできぬ』って。それに、夜だし危ないよ。……あとさ、ボクの自慢の奥さんは料理がとても上手で、ね。から揚げの餡かけ丼とか絶品なんだ。想像しただけで涎が」
「はうわ」
お腹を押さえている生唾を飲み込む金髪の女の子の姿は可愛らしい様子で、とても微笑ましい光景だ。
「という訳なんで、彼女を家に引き取りたいんだけど、いい?」
いつまでも眺めていたくなる光景から目は離さずに医者のおじさんに話しかける親父は大したものだと思う。皮肉めいた目付きを親父に向けても全く気付く様子もないし、やはり親父は凄い人間である。
「分かりました。大神さんならきっと大丈夫でしょう」
「ありがとう」
肩を竦めて言う医者のおじさん。彼は親父の高校の時の後輩であったということで、それなりに信頼されている。その上、俺の祖父は市長ということで市の人からの信頼も篤い。そのような理由もあって、医者のおじさんは頷いてくれたのだろう。
しかし、それだけで退院させるということに俺は疑問を覚えた。
「この人の怪我の具合は大丈夫なんですか?」
「ああ、もちろん。エレインさんは怪我一つ、負っていなかったので心配せずとも大丈夫ですよ。どちらかといえば、一郎くん。君の方が重傷でした。なんせ、四針も縫ったのですから。もし、体の不調があれば、すぐに私に相談してください」
「あ、はい。……あー、あの、赤いのは何だったのですか?」
「赤に着色されたローションらしきものとしか言えないですね。取り敢えず、血液ではありません」
医者のおじさんの話を聞いて安堵の溜息をつく。
良かった、彼女に怪我はなかった。それだけでも、心が軽くなったように感じた。
「ミスター・オーガミ・ジュニア」
と、ベッドに座るアングルブリさんが俺へと目を向けていることに気づいた俺は指で自分を指す。
「ん? 俺のこと?」
「はい。頭の怪我はもしや、私を庇うために負ってしまった傷なのでは? もし、そうなら私にできることを何でも申し付けてください。私にできることであれば、何でもさせて頂きます」
――何でもさせて頂きます。
彼女の言葉に一瞬だけ
だから、俺はその想像を頭の隅へと追いやり、一つ清廉なことを提案した。
「なら、俺のことは“一郎”と呼んでくれ。“ジュニア”じゃ呼ばれ慣れていない」
「はい、分かりました」
彼女の屈託のない笑顔に思わず頬が熱を持ったことを感じた。
俺を見てニヤニヤと笑う親父の顔を左手で掴みながら、彼女に言葉を返す。
「よろしく、アングルブリさん」
「私のことはエレインとお呼びください。恩人に気を使わせる訳にはいきません」
「そう。なら……よろしく、エレイン」
「はい、よろしくお願いします、イチロー」
こうして握手を交わした俺たちであったが、エレインのことは分からず仕舞いだった。このことが後に親父の悲劇を生むことになるとは、この時の俺は思いもよらなかった。
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