04・居場所

 


□■エピローグ



 日中にも関わらず人通りの少ない道を横目に、レイジは紙パックの自販機を隣に携帯を使っていた。

 紙袋を脇にはさみ、いつものようにトマトジュースを飲む。



「はあ、報告書の提出は構いませんけど……。そちらとしてはどう処理するんですか?」

『表向きの公式発表には出せん。こっちとしては首輪をつけるぐらいしか対処できない』

「首輪……ああ、彼女、帰ってきたんですね」



 サガラのいる零課に在籍している一人の捜査官。デスクワークを中心に活動している女性の顔を思い出して、レイジは渋面になる。

 彼女が関係する中での、いい思い出がないのが原因だ。



『ミヤハラに強制連行させてきた』

「ご愁傷様です」



 その言葉は主に、ミヤハラに向けてだ。何様だと問えば、女王様だ! と、意気揚揚と答える彼女を連れてくるのは、骨が折れるどころの騒ぎじゃない。



『裏で該当するのはあるんだがな……』

「功を焦って判断を間違えないでくださいね。彼らも被害者なのだから」

『判ってる』

「それに、彼らのコミュニティーを崩すのは得策じゃない」



 アビーたちが去った後の、彼らの行動は早かった。ヤシロが連絡をすれば、一時間とかからずに集まったのだから。

 あれだけ統率が取れた集団を瓦解させれば、夜の世界がしばらく荒れる可能性がある。



『こちらで首輪をつけるのはほぼ確定だ。そっち側で紐付けできる都合のいい奴はいないか?』



 あれからヤシロたちも交え、警察と何度も聴取を行なっている。その時ヤシロから、あと数年で身体が限界になると自己申告された。それを考慮して、サガラたちは首輪を付けることを選択したはずだ。

 問題はナオトだ。相手が犯罪組織で、二名に対しては襲ってきたのが向こうであることを差し引いても、かなり厳しい状況だ。表向きはただの小競り合い。死者が三人も出たのに、報道各所では小さな扱いとなっている。

 首輪の他にナオトは数年間、管理下に置かれるだろう。



「一人、心当たりがある」

『助かる。あの人数になると、さすがに人間だけでは心もとない』



 法曹関係はサガラに丸投げしていた状態だが、デスクワーク担当の彼女が戻ってきたのなら安心できる。

 ……かなり高くつきそうだが。この一件が落ち着いたら、ケーキでも手土産に持って行ったほうがいいかもしれない。でないと後が恐ろしい。



「都合がついたら連絡します。胃薬を用意して待っていてください」

『ああ……って、ぁあっ!? おい、胃薬って何だ!?』



 焦るサガラの声が耳に入るが、レイジは携帯を切った。一応、今回の事件は収束した。表と裏では、全く異なる内容の結果として。それでも、当分は似たような事件が起きるのは間違いない。死人を出さない方向で捕食してくれと、アビーに文句を言いたくなる。

 もっとも今回の一件は、一部を除いてレイジはアビーに全て押し付けるつもりでいる。……既に押し付けたが。

 自販機脇のゴミ箱に空のパックを入れると、レイジは目の前の古物商へ向かった。



「お前なぁ……はぁ、もーいいや」



 ガラス戸を開けたレイジに向けられた店主の第一声は、呆れとも、諦めともとれるセリフだった。ぱたりと帳面を閉じると、椅子に座れと視線で勧める。

 普段なら来客用の椅子に座るレイジだが、その視線を無視して、店主の仕事机の前に立った。



「一応、開店時間を考慮した結果ですが」

「明らかに店開いてんの分かってて、トマトジュース飲んでんじゃねぇよ」

「だったらあの自販機撤去してください」

「バカ。あれ結構いい収入になってんだぞ、撤去なんざ出来るか」



 この間も同じやり取りをしたばかりだと、店主は頭を抱える。あの自販機を置くと決めたのは先代だった。実入りが良いのも確かなのだが、「撤去するべからず」と先代からキツク言いつけられているのだ。

 なにしろ、店主がこの店を継ぐ時に書いた誓約書の、一番上に書かれていたのだから。他にもっと書くべき大事なことがあるだろうと先代に怒鳴ったのは、後にも先にもあれ一度きりだ。



「んで、今日は何のようだ? 探しもんか」

「いえ。お届け物です。僕が渡すよりはいいかと思いまして」



 言うなりレイジは、持ってきた紙袋を店主の目の前に置いた。換金できる質屋を何十件と回った結果、ようやく見つけた物だ。

 厚みがそれ程ない紙袋の上に、レイジは一枚の写真を出す。あまり画質の良くない写真だった。そう、よくある防犯カメラの映像を引き伸ばしたような……。

 そこに思い至り、店主は顔を上げた。



「姪御さんから依頼の品です。それと、お従兄妹殿に言伝を」



 紙袋の中身は、店主には予想がつかないが、出された写真に写る人物には覚えがあった。写っているのは従兄妹だ、それも、遺品整理に立ち会った。



「言伝だと?」

「どんな理由であれ、許可なく人の家の物を持ち出し、売り払うのは褒められた行動ではないと」



 まあ、博打代に消えたみたいですけどね。全部ハズレだったそうで、馬も分かるんですかねぇと、けろりとした顔で言うレイジに、店主の顔が引き攣る。



(……こいつ、従兄妹の素行を調べやがった!)


「探して欲しいと依頼は受けました。なので見つけましたが、これを渡すか渡さないかは、店主が決めてください」

「普通に考えりゃ、お前が渡すべきだろうが」

「ええ、普通ならそうです。ですが、店主。貴方は言った、過去にしがみつかせる訳にはいかないと」



 写真をしまうと、レイジは指先で紙袋を店主に向けて押した。



「店主、姪御さんはもう前に進めます」



 店主は悩むように眉間に皺を寄せ、あの紙袋を凝視した。

 神妙な面持ちで、レイジは言葉を続ける。



「何故なら、姪御さんは言いました。なくなった原因が分かったら、元凶を突き止めて半殺しにすると」

「そうか…………はぁっ!? ちょっと待て! アイツそんな物騒なこと言ったのか!? てか、お前なんでそんな会話してんだよ!? 物片付けてる時の会話じゃねえよ! 明らかにおかしいだろ!」

「店主が言ったんじゃないですか、アイツの話を訊いてやってくれと」

「言ったよ、言ったけど! そんな会話をしろとは言ってねぇ!」



 片付いたと思った出来事から、新たな問題が飛び出てきて、店主は頭を抱えた。

 ある意味で元凶になったレイジを見るも、当人は既に帰るために、その戸に手をかけるところだった。



「おい」

「何ですか」



 戸に手をかけたまま、レイジは首を軽く後ろに向けた。

 レイジの視線の先で、仕事机の前に立ち、店主が頭を下げる。



「手間かけさせて悪かった。ありがとな」

「どういたしまして」



 レイジは短く答えると店を出た。

 のんびりと帰路へとつく。間借り暮らし中とはいえ、帰る場所だと自分の中で確立されていることにレイジは苦笑する。アパートの修繕が済んでも、果たして戻るべきか……。

 あちら側から見たミサトの立ち位置を考えると、借り続けるのが彼女にとっては安全なのかも知れない。


 電車から降り、歩き慣れた道を進む。見慣れた生垣にそっていけば、今ではすっかり、曰くつき物件の汚名が晴れた日本家屋が目に入る。住んでいる住人がピンピンして商店街に買い物に行く姿が目撃されれば、自ずとそうなる。

 きっとミサトがあの家を出たら、大家は一気に値上げに踏み切るだろうなとレイジは予想している。これだけの好条件だ、曰くがなくなれば借り手は現れるだろう。


 玄関扉を開けて中に入れば、ちょうどミサトが居間に入る所だった。有給休暇をこれでもかと使用されたミサトも、ようやく普段と同じ生活を始められるようになっている。

 もっとも最近は図書館と本屋に通う日々が続く彼女は、コーフィンの新しい名前を決めるのに頭を抱えていた。

 この間は姓名判断の本を持っていたが、今日は違うらしい。植物図鑑を両腕で抱えるように運んでいる。



「ミサトさんは時々怪力を発揮するよね」

「誰が怪力よ! って、レイジさん仕事終わったの?」

「うん。お届け物だけだったから」



 ミサトの手の中から図鑑を取り上げると、レイジは居間へと入って行く。

 目の前に現れた散らかり放題の居間の様子に、レイジは視線だけをミサトに向けた。その視線に気まずさを感じてか、ミサトは顔をそらす。

 テーブルの上に散らばる筆記具。周りには積み上げられている本と雑誌。その脇で、ハツエがせかせかと足の踏み場を作るように整頓していた。



「もう! ミサトちゃんは片付けてから他の本を持ってらっしゃい!」

「いろいろ調べるのに、片付けたらまた出さなくちゃじゃん」

「これだけ散らかしたら、どの本がどこにあるかなんて分からないでしょ!」

「……そ、そうだね」



 般若の面でも被ってそうなハツエの形相に、ミサトは反射的に返事をした。

 その隣で新たな本を抱えたレイジの姿に、諦めたようにハツエはため息をつく。散らばった紙をテーブルの上で纏めると、素っ気ない様子で、



「あら。お帰りなさい、レイジくん」

「はい。ただいま戻りました」



 素っ気ないながらもひしひしと感じる寒気に、レイジは服の中で鳥肌を立たせる。

 八つ当たりはよして欲しいと思いながらも、口には出さない。墓場のお世話にはまだなりたくない。



「あ、そっか。まだ言ってなかった。お帰りなさい、レイジさん」

「……ただいま、ミサトさん」



 仮の花嫁になったからといって、全く変化のない関係だが、それでも笑みを見せながら言われる言葉に、自然と頬が緩くなる。

 人の一生は驚くほど短い。いつまで傍にいられるか分からないが、今はまだ、この居心地のいい場所に留まっていたい。


 長く居た夜の世界で、めったに聞くことのなかった言葉は、耳にとても心地良いものだから――。



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