03・鎖這う部屋
「名前かぁ。責任重大だ」
「シラタマみたいな名前にしたら、さすがに拙いと思うよ」
「いくら何でもそんな名前にしないよ!」
当のシラタマは、当然の如くミサトの鞄の中に紛れ込んでいる。どうも狭くて暗い所が好きらしい。
「そう言えば、レイジさんこの後は?」
「
「ヤシロさんたち? その、一人で行って大丈夫なの?」
「事件が片付くまでは監視はついてるから、何かしでかすことはないと思うよ」
当事者とは言え、ミサトはその後始末とやらには関われない。しばらくの間、レイジはサガラのもとに何度も足を運んでいた。多分、ヤシロたちの処遇について、何かしらの話し合いをしていたのだろうと想像できる。
「その前に、ミサトさんを家に送らないと」
「まだ明るいし、バス使うから大丈夫だと思うけど」
「……ハツエさん、怖いから」
レイジの口から漏れた一言に、ハツエの姿が目に浮ぶ。
その手に、見事に研がれた鉈を持った姿で。
■□■□■
病院の廊下の窓からは、晴れ渡った青空が覗いていた。緩やかに高く飛ぶ鳥の、鳴き声が遠くに聞こえる。清潔に保たれた空間に、すれ違う人は少なかった。
療養病棟の一室、名前の書かれていない扉の前にレイジとヤシロはいた。ナオトも途中までは着いて来ていたが、遠慮して今は待合室にいる。
躊躇うヤシロの代わりに、レイジが扉を叩けば、女のか細い声が答えた。レイジはさっさとその場を明け渡し、窓側の壁に背中を預ける。ヤシロが静かに息を吐くと、意を決してその扉を開けた。
「……ひ、久しぶり、だな」
「おとおさん……」
滑らせるように扉を開けて入ってきたヤシロが見たものは、全身に疲労の色を濃く滲ませた、
「しばらく振り、だね」
――ああ。本当に、しばらく振りだ。
+++++
このままあそこにいるのは、親子の時間を邪魔するようなものだ。扉が閉まるのを確認すると、レイジは待合室に足を動かした。雑踏と、聞き取ることの出来ない会話が飛び交う一角に、あの目立つライムグリーンのパーカーが見えた。
逃げはしないと言い切った彼らは、零課の人手が足りないのもあって、目立つ監視がついていない。人はついていないが、目は付いている。見えない監視者なら、外部に与える影響は少ない。
「貴方は会わないんですか?」
「俺が会ったって仕方がない。ヤシロさんのお嬢さんとは面識がないんだから」
「そうですか」
一人分の間を空けて、レイジはナオトの隣に座る。
「貴方に家族は?」
「いるにはいるが、もう何十年も会ってない」
もちろんナオトにも、家族はいた。この身体になりたての時は、それなりに会ってもいた。けれど現実は残酷だ。いつまで経っても変わらない自分の外見。それとは逆に、年を重ね老いていく自分の家族。
弟の方が自分より早く老いていく姿に、自分と家族の時間はもう合わないのだと付きつけられた。
最後に会ったのは、結婚した弟に子供が生まれた時だったか。「この子に何かあった時は、助けて欲しい」そう言われたのは、覚えている。言葉にはしていないがまた会いに来て欲しいと、言われた気がした。
まさかその弟の子供と、ゲーセンでつるむ関係になっていたのは予想外だったが。子供の成長の早さには、ただただ驚いた。
「そうですか……」
「あんたは、こういうのどう対処してんだ?」
「どうもしない。そういうものだと納得させるしかない」
「簡単に言ってくれるよな」
「言うほど簡単じゃない。最後は人と同じだ。いつか必ず別れるのだから、それをどう乗り越えていくかだ」
横目にナオトを見ていたレイジは、その視線を前へと戻す。
渋い表情で、ナオトが口を開いた。
「目下乗り越えなければならないのは、警察への釈明か」
表向きはまったく別の事件として片付けられることは、レイジは経験済みだ。恐らく今回もそうなるだろう。細かい所まではサガラに訊いてみないとハッキリしないが……。
エヴァンの花嫁を父親に返すという目的のために、どれだけの人間が振り回されたのか。少なくとも警察署に捜査本部が立ったし、交番勤務の警察官は、不審者の対応に明け暮れていた。
中尾のいた犯罪グループは全員死亡。そうでなくとも、アビーが捕食行動を起こし命を落とした人間は少なくない。
それにヤシロたちは、死なせないにしろ、同じ人を襲う体に成り代わってしまった。恐らく、人をその手にかけた経験が少なからずあるはずだ。
「……大火事になってこちらに飛び火されると困るので、多少ならフォローに入ります」
「助かる」
「連絡が必要になったらそちらを。場合によっては、貴方たちのコミュニティーについて、陛下か伯爵に進言しておきます」
「ああ、そう……って、はぁっ!?」
レイジは立ち上がり、ナオトの目の前に名刺を差し出す。唖然としながらも、ナオトはその小さな紙を受け取った。颯爽と病院の出口へ歩いていくレイジの後ろ姿を見送ってから、手元に目を向ける。
名前と携帯の番号だけが書かれた、余計な情報一切なしのシンプル過ぎる名刺が、そこにはあった。
■□■□■
そこが剥き出しの床だったのなら、ヒビくらいは入っていたのかもしれない。生憎と、綺麗に毛並みが整えられた絨毯の上では、音も気が抜けるように聞こえる。
部屋は異様な光景だった。カーテンが全て閉じられ、ほの暗い明かりが照らす室内は、大小様々な鎖で溢れていた。絨毯の上をこれでもかと這う鎖は、部屋の主の周りと、部屋を動くための僅かな道を残す以外、全て埋め尽くされていた。
普段なら静謐が支配する場所に、苛立たしげに、何度もゴルフクラブを床に叩きつける音が続いた。
「やってくれましたね、ツバメ」
一段高くなっている場所の、豪華な椅子に腰掛ける女性が言った。
ベールハットで目元を隠した顔の、薄く紅の塗られた唇がキュッと真一文字に引かれる。波打つ金髪を無造作に背中に流した女性は、細い線の体が強調される、薄い生地のスカートの中で足を組んだ。
「何のことだか、ワタシにはさっぱり分からないねぇ。言いがかりはよしてほしいな、女王様」
あの不気味な笑い声を上げると、ツバメは一段下がった所から女王を見上げた。椅子すら出されていない場で、空中に座りながらニンマリ笑う。相手を見上げる場にいるとは言え、ツバメの態度は不遜だった。
ガンっと勢いよく床にゴルフクラブを叩きつけると、女王はその先をツバメに向ける。
「何故、私の伝言をあそこまで遅らせたのですか?」
「遅らせる? ワタシはそんな事はしなかったよ」
「嘘おっしゃい。荷物について、早くレジナルドに伝えよと、私は言いました」
「うん。早く伝えろって言われたけど、大至急とは言われてない」
一切の表情を崩さずに、ツバメは言葉の揚げ足を取る。
目の前にいるのに、掴ませるような事をさせないツバメの様子に、女王がベールの中で顔を顰めた。再び、ゴルフクラブを床に叩きつける。
「お前は一体、何が目的なのですか?」
「目的? そんなものはないよ」
「目的がなければ出来ないような、大それた事をした自覚がないと?」
「ワタシにしてみれば小さなことだよ、女王様」
首を傾けた女王の、揺れるベールの隙間からちらりと覗く濃い緑の瞳。細められた目が、剣呑な空気を帯びる。
「箱の中身をすり替えたのは、お前の仕業ですね」
確信を持った一言に、長い爪を持つ指に髪を絡ませながら、ツバメはニタリと笑った。
回答は沈黙。それは言葉にして出さない、肯定の意味。
「結果として最善の手だったとしても、こちらに断りなく動くのはお止めなさい」
「残念だけど女王様、ワタシは誰の指図も受けないよ。……ただ一人を除いては」
ふっと指先に息を吹きかけると、ツバメは髪を手放す。
「たかだか五ヶ月しかいなかった同居人が、従者であると名乗りを上げると?」
「五ヶ月も仕えれば問題ないだろぅ。だって、ただの一度たりとも、側仕えを置かなかったじゃないか、彼は」
「レジナルドの同居人、の間違いでは?」
「それこそ結果論だよ、女王様」
静かに、目元を隠した二人が睨み合う。
「女王陛下。お茶をお持ちいたしました」
「入りなさい」
木の擦れる音を立てながら扉が開く。ビクトリアン調のメイド服に身を包んだ無表情な女性が、足音を立てることなく部屋の中へと入る。ブルネットの髪を後ろに纏め、背筋を伸ばしワゴンを押す。
不思議なのは、女性自身が音を出していないことだった。持っているワゴン、動く扉は音を発しているのに、本人には全くない。意識していなければ、そこにいることすら感じられない女性は、二人にカップを渡すと静かに脇に控える。
「相変わらず美味しいねぇ」
「……恐れいります」
「今度来る後進にも、これを教えてくれると嬉しいね」
物音を立てず、折り目正しく礼をする女性の動きが一瞬止まる。しかし、何事もないように身体を起こした。そっと、虹彩が赤みがかった瞳を、女王へと向ける。
「……事実です。次の棺を迎えます」
「承知いたしました。……女王陛下、私事になる発言をお許しいただけますでしょうか?」
「許します。何ですか?」
「ようやく、肩の荷が下りました」
「貴女には長く苦労をかけました。ですがもうしばらく、苦労をかけます。棺を迎える準備をお願いします」
「はい。すぐに取りかかります」
女性はゆっくりと、女王に頭を下げる。何十年もの生活で身に付けた所作は、とても綺麗なものだった。
閉まる扉の音を聞きながら、ツバメはカップに口を付ける。
「何か言いたいことがありそうですね、ツバメ」
「いやぁ、今度の棺はあそこまで大人しくないかもねぇって」
「そうですか……」
女王はベールの向こうでツバメから視線を外すと、ゴルフクラブを椅子に立てかけた。目の前の男が、何の意図があってレイジの従者になったのか、結局判らぬままだ。
「レイジ君の花嫁に関して、事情はどうあれ多少なりとも進展があったからよしとしようよ、女王様」
「……その件については、確かに私も気になっていました」
常に棺が側にいつづける保証はないのだ。事実そうだった。スムーズに次へと代替わりが出来たのは、ほんの数回だ。いない時の期間はけして少なくない。
花嫁のいない状況で、その期間を過さなければならないのは問題しかない。力を使う事態に陥れば、後手に回らざるを得ないのだから。
「従者の立場として、少々の荒治療をしたつもりですか?」
「さぁ、どぅだろぅねぇ。ワタシはただ、面白ければそれでいいのさ」
最近は見ていて飽きない。とカップを揺らしながらツバメは言う。
そんな様子のツバメに女王は深く息を吐くと、カップを手に取った。
「難解な従者を持つと、主人は苦労するのね」
「ひっひっひっ。それは違うよ、女王様」
カップを口に運ぶ、女王の手が止まる。
きっとベールの向こうでは、怪訝な顔でツバメを見ているのだろう。
「気弱なくせに意固地な主を持つと、従者が難解な性格になるんだよ」
唇をニィっと歪めながら、ツバメは嗤った。
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