02・仮の花嫁

 


「境遇に引きずられたら駄目だよ。ミサトさんにはミサトさんの生活があるんだから」

「分かってるけどさぁ」

「それとも何? 僕が喰べたいって言ったら、ミサトさんを喰べていいの?」

「えーと、それは……」



 そろりと視線を逸らすミサトを見ながらレイジは言った。その目の奥底に面白いものを見るような光があるのに気付いて、ミサトは眉を寄せる。こいつ、人の反応を見て楽しんでいやがるな。

 ゴホンとわざとらしい咳払いに、ミサトたちを後ろから看護師が追い越した。足早に歩いていく看護師の頬が、少し赤くなっていたのは気のせいであってほしい。



「今の絶対勘違いされたよ」



 「喰う」であって「食う」ではありません! 食料的な意味です、看護師さん!



「別に気にしないんじゃない。ここの病棟の女性看護師なら、たぶん一度は手をつけられてるはずだから」

「……それ、どう言う意味?」



 知りたいような、知りたくないような。遠い目をして言うレイジに、ミサトの顔が引きつる。



「ミサトさん。ウサギってね、年中発情してるんだよ」

「……聞かなきゃよかった」



 レイジの一言に、ミサトは見せてもらった医師の元の姿を思い出す。……ウサギってあの先生のことだよね? どうりでそんな発言が多いなと思っていたら、案の定やっぱりですか。がっくし肩を落として歩けば、教えてもらった部屋の前に辿りつく。

 気を取り直して、ミサトは扉をスライドさせた。



「コーフィンちゃん、退院お……」



 そしてすぐさま扉を閉めた。コーフィンは確かにこの部屋にいた。だが一緒にありえないものがいた、おかしなものがそこにいたぞ!

 愛らしい外見の、もふもふしてそうな毛並みが、二足歩行で立っていた。服を着ている様子から、どこぞのゆるキャラが迷い込んだのか!?

 扉を閉めた体勢でダラダラと汗をかくミサトを、訝しげにレイジは見る。



「どうしたの? ミサトさん」

「な、な、な」

「な?」

「なんか変なのいたー!?」

「変なの?」



 いくら妙な事態に耐性が付いてきたとはいえ、これはどう扱えばいいのか。ただ迷っただけなのか、それともそちら側の生き物なのか。

 がらりと、扉が動いた。ミサトは動かしていない、ならば内側から動かされたということだ。恐る恐る、ミサトは目の前の物体に目を向ける。



「なんだ、入ってくればいいじゃないか。レイジ、彼女がお前の嫁か?」



 コーフィンとともにミサトたちを出迎えた羊のぬいぐるみは、ものっそい渋い、ナイスミドルなおじ様ボイスでとんでもないことを言った。



「伯爵、彼女は花嫁じゃない」

「そんなワケがないだろう。こちら側では最近、その噂で持ちきりだ」



 眠そうな目をした羊のぬいぐるみこと伯爵は、そうのたまった。



「噂ってなによ……」



 病室にあった椅子に座り、レイジが見習いウエイターの如くお茶の準備をしている間に、ミサトは伯爵の紹介を受けた。コーフィンの後見人にあたる彼(?)は、退院するコーフィンを迎に来たとのことだった。

 ミサトの隣で足を揺らしながら座るコーフィンは、レイジが退院祝いに渡した小さなブーケが気に入ったのかずっと持っている。



「はぁ、花嫁がいることがそんなに騒ぎになるんですか」

「レイジは今まで花嫁を迎えなかったからね。どんな女がたらしこんだのかと、もっぱらの話題だ」

「……誑しこんだ」



 なんと酷い言われようだ、まるで男を弄ぶ悪女じゃないか。ちょっと泣きたくなってくる。



「伯爵。誑しこんだは人聞きが悪い、彼女はそんなことはしない」



 テーブルの上に、静かにカップを置きながらレイジが言う。



「すまなかった。別段悪気はない、だからそんな目で睨むなレイジ。ただ私は、お前が傍にいる女性が気になっただけだ」



 コーフィンも気に入っているみたいだしなと、伯爵はミサトの隣に視線を向けた。

 綺麗に切り分けられたチーズケーキを置くと、レイジも伯爵の隣に座る。ミサトがカップを手に持てば、フワリと漂う香り。口をつけてみれば、そこら辺の喫茶店で出される物とは違う気がした。生憎、ミサトに紅茶の良し悪しは分からないが、美味しいということだけはハッキリ言える。



「美味しい」

「ありがとう」

「良かったなレイジ。何年も引き篭もっていた甲斐があったな」



 眠そうな目でレイジを見ながら伯爵が言った一言に、レイジは盛大に咽る。げほごほと咽るレイジの背中を、伯爵がさすった。



「へー。引き篭もってたんだ」

「こほっ……。引き篭もってたんじゃなくて、研究してただけ」

「物は言いようだな」

「伯爵!」



 ミサトの隣でお構いなしにチーズケーキを頬張るコーフィンが、少し羨ましくなるレイジだ。



「ん。美味しい。ミサト、社販ケーキ」

「社販は覚えなくていいから!」

「ん? 社販ケーキ、違う?」

「いや、た、確かにそうだけど。それは商品名じゃなくって……」



 今はまだ覚えなくていいから! と、アタフタしながらミサトはコーフィンを説き伏せる。多分しっかり覚えちゃっただろうなと、今度からコーフィンに説明する時は言葉を選ぼうと反省した。



「しかしレイジ、彼女を花嫁に迎えないのは少し問題じゃないのか?」

「問題、ですか?」



 唐突な伯爵のセリフに、ミサトは思わずそちらに振り向く。ミサトの視線に気が付いた伯爵が、同意するように頷いた。



「少なくとも、レイジの花嫁として話が出回っているんだ。なのに花嫁にはなっていないと広まれば、フラフラ出歩いたら危険だろう」

「レイジさん! その話私知らない!」

「僕も知らないよ、その話は。そっちはそんな大事になってるんですか?」

「ほどよく騒ぎになっている」



 伯爵は紅茶を一口飲むと続けた。



「ふむ。お嬢さんは自分が結婚したら、相手の男、つまりは旦那だな。を、他の女と共有したい性格かい?」

「どう考えても無理です」

「極端な言い方になるが、偏食の吸血鬼だとそれが可能だ」

「は?」



 呆気に取られた表情で、ミサトはレイジを見る。思い当たることがあるのか、レイジは気まずげだ。



「花嫁、花婿は、相手が偏食の吸血鬼にかぎり誰の提供者にもなれる」

「それってつまり……」

「フリーの花嫁になれば、相手は選り取りみどりだ」

「いや、それなんか違う」

「仮とは言え、レイジの花嫁として紐付けになっていたほうが、誘拐はされないだろうな」

「急に犯罪に巻き込まれるフラグが立った」

「なんか、ごめん。まさかここまで騒ぎになってるとは思わなかった」

「ねぇ、一発ぶん殴っていい?」

「え、えーと、それで気が済むなら……」

「痴話げんかなら外でしてくれ。この子の教育に悪い」



 誰のお蔭で話がこじれた、と言いたくもなるが、伯爵の隣で肩身を狭そうにしているレイジを見るとその気がなくなってくる。

 当の本人でさえ予想していなかったらしい周囲の騒ぎ様に、一番戸惑っているのはレイジなのだろう。

 独身貴族ならぬ、独身吸血鬼に嫁ができただけでこの騒動とか、どれだけレイジは独り身でいたのか。むしろ逆に気になってくるミサトであった。……ちょっと考えてみたが、普通に父親より年上な気がしてくるのはなぜだろう。



「身の安全のためにもなっておいた方がいいと?」

「そうなるな」



 したり顔――ミサトにはそう見えた――で伯爵は言うと、用件は言い終わったというかのように、ケーキを食べ始めた。

 思わずしてきた頭痛に、ミサトは頭を抱える。どうしてこうなった……。ちらりとレイジに視線を向ければ、困ったような表情で口を開く。



「確かに、不要な犯罪フラグはなくなるだろうけど……ミサトさんはそれでいいの? 仮とは言え、花嫁になるわけだし」

「もういっその事、『黙って俺について来い』とか言ってほしい。その方が諦めがつく」

「そこは、『黙って俺に喰われてろ』、の方がいいんじゃないか?」

「伯爵!」

「羊は黙ってて!」



 内容にまったく合っていない、朗らかに笑う伯爵を二人は睨みつける。

 腕を組みながらレイジは何やら考え込んでいたが、しばらくすると気まずげに頬を掻く。ワザとらしい咳払いをすると、レイジはミサトの隣に立って手を差し出した。



「君を必ず護るから、僕の花嫁になってくれますか?」

「……は、はい。よろしくお願いします」



 状況が違えば、プロポーズってこんな感じなのかなぁっと想像してしまう。生憎と、かかっているのは伴侶と共に歩む人生ではなく、食料としての命の危機だ。

 違う意味とは言え、照れつつもミサトがレイジの手を握れば、何故か器用に携帯をいじる伯爵が目に入った。



「ああ、すみません。式場の予約を入れたいんですが。時期? そうですね、早いほうがいいんですが。やっぱり縁起のいい日取りが――」

「ちょっと! どこに電話してるんですか!?」

「何ナチュラルに式場に電話してるの! 羊!」



 はっはっはっと笑う伯爵から、レイジとミサトは慌てて携帯を取り上げにかかった。



+++++



 見送りのために駐車場へ向かう道中、明らかに異様な生き物が、さも当たり前のように歩いているのに、誰も気にしないことにミサトは気が付いた。

 見た目は羊のぬいぐるみが歩いているのに、視線すら向ける人がいないのが不思議でたまらない。



「ねえ、レイジさん。何で伯爵をみんな気にしないの?」

「ああ、まじないをかけてあるから、ミサトさんは見えないんだっけ」



 ちょっと待ってと言い、レイジは一度ミサトの目元を覆い、少ししてから手を離した。

 目の前の景色は変わらないが、一部分が多大なる変化をしていた。


 羊のぬいぐるみが、ザ・ロマンスグレーな老人へとメタモルフォーゼを起こしていた。年配者でありながら綺麗な背筋を保ち、そしてその整った顔立ち。若い頃はさぞモテただろうと、容易に想像できるほどのイケメンだった。

 そんな老人が、コーフィンの手を引いて歩いていれば、どこから見ても孫を迎えに来たおじいちゃんだ。



「なんという視覚詐欺」

「……気持ちは分かるけどね。ちなみにあれは、意識干渉じゃなくて幻術になる」



 苦笑しながらレイジが再び目元を覆えば、あの羊の姿に戻る。幻術ということは、元の姿は羊なのかとミサトは思った。



「そうそう、この子の名前を考えておいてくれ」



 駐車場に止まっていた、カブト虫の愛称を持つ茶色い車に乗り込みながら伯爵が言った。



「名前、ですか?」

「そうだ。いつまでもコーフィンと呼ぶ訳にはいかないからな」

「そう言う重要なことは、女王様が決めるものじゃないんですか?」

「女王陛下も了承済みだ。むろん本人もな。安心しなさい」

「まあ、それなら……」



 シートベルトをした状態で、コーフィンが車内からミサトを見る。



「ミサト、しっかり、考える」

「う、うん。いい名前考えるよ」



 念を押すようなコーフィンの様子に、名付け親って責任重大だと意識する。



「ん。ミサト、またね」

「またね、コーフィンちゃん。次に会う時までに、名前考えておくから」

「こちらが落ち着いたら連絡を入れる」

「連絡は僕の携帯にお願いします。伯爵も気を付けて」

「ああ。それでは行こう」



 あの握れるかどうか悩む手で、伯爵は教習所のお手本のようなハンドルさばきを見せると、コーフィンを乗せた車は駐車場を出て行った。



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